第39話 牢獄襲撃作戦7

 槍を取り戦闘可能となった費煉師ひれんしを引き連れて、水晶すいしょう雷梅らいめいと共に地上への階段を駆け上がる。

 地上が近付くに連れ、暗いはずの外から明かりが漏れ、煙の臭いもしてきた。

 水晶は一旦地上への出口で止まり辺りの様子を窺った。

 中庭には大勢の衛兵が桶に汲んだ水を持って走り回り消火作業に忙殺されている。


「あら、牢獄の関係者を皆焼き殺すつもり? 中々大胆な作戦なのね」


「違います! 費煉師さん。 誰も殺しません。燃やしてるのも門や塀だけで中の建物は燃やしていません。それにこの火は用が済めばすぐに消す事になってます」


「この大火事をすぐに消すですって? そんな事が出来るほどの人数の仲間がいるというの?」


「いえ、他に仲間は昼間私とここへ来た燐風りんぷうともう1人だけ。全部で4人です」


 水晶の話に費煉師は怪訝そうな顔で首を傾げる。


「たった4人で一体どうするのかしら?」


「姉貴、今は詳しく説明してる暇はありません。騒ぎになってるうちに裏門から逃げましょう」


 雷梅はそう言うと水晶に目配せしたので、水晶は頷き、また入って来た時と同じ道へ費煉師と雷梅を連れて走り出した。


 衛兵達は至る所で走り回り消火作業に追われている。お陰で水晶達が夜陰に乗じて走る姿に気付く者は誰一人いない。


「このまま真っ直ぐ進めば裏門です!」


 最後の直線。もう脱出は間近──と、思った矢先、目の前に数人の衛兵がいるのが目に入った。


「まずい……衛兵です! 一旦隠れましょう」


「1、2、3……6人。必要ないわ。雷梅。行くわよ」


「喜んでー!」


 水晶の提案を退け、費煉師は雷梅を引き連れ衛兵達の背後から忍び寄ると、衛兵達が2人を認識するよりも前に次々と槍と三節棍で打ち倒してしまった。


「ふふふ。さ、水晶ちゃん。行きましょ?」


 費煉師は満足そうな顔で不敵に微笑む。

 水晶は牢獄を脱出するまで生きた心地がしなかったが、費煉師と雷梅の圧倒的な強さを目の当たりにし、心が軽くなるのを感じた。


「はい、裏門はもうすぐそこです。急ぎましょう」


 倒れた衛兵の身体を飛び越え、水晶、費煉師、雷梅の3人は無事に裏門を潜り抜けた。



 呼吸が苦しい。こんなに必死に走ったのは生まれて初めてだ。

 地面に両手を突いて荒い呼吸を繰り返す水晶のそばで、費煉師と雷梅は顔色一つ変えず平然と牢獄の中を見つめている。そして、雷梅の方は、牢獄侵入前に倒しておいた門番2人の身体を路地裏に引きずって片付け始めた。計り知れない体力だ。雷梅はともかく、費煉師は数ヶ月も牢獄で身体を動かさなかったはずなのに、それを感じさせない驚異的な心肺機能である。


「あ! 潘さんは……」


 呼吸も落ち着かぬうちに、水晶は潘紅玉がまだ裏門にいない事に気が付いた。

 燐風と合流するには潘紅玉との合流が必須だ。

 そう心配していたのも束の間、馬蹄の音が近付いて来た。そして、牢獄の塀の角から烈火を駆る潘紅玉がこちらに向かって来ていた。


「潘さん!!」


 水晶が嬉しさのあまり叫ぶと、潘紅玉は手を振ってくれた。いつの間にか水晶の呼吸は落ち着いていた。

 潘紅玉は水晶の横で烈火を止めると勢い良く飛び下りた。


「うっ……く……」


 しかし、潘紅玉はあろう事か、着地と同時に脚を縺れさせ地面に倒れてしまった。


「え!? 潘さん!? 大丈夫ですか?」


 水晶が駆け寄ると、雷梅も一緒に潘紅玉の介抱に動いた。


「大丈夫……大丈夫。それより、その人が費煉師?」


 潘紅玉は、水晶と雷梅の後ろに立っていた費煉師を見て訊いた。


「如何にも。私が費煉師です」


 費煉師は槍を持ったまま潘紅玉へと拱手こうしゅした。


「潘紅玉です。無事に脱出出来たようで良かったです」


 潘紅玉は1人で立ち上がりながら拱手を返す。


「潘さん、もしかして、また火の礎を使い過ぎたんじゃ……」


「いいから、私は大丈夫だから。それより、燐風を呼ぶよ。離れて」


 潘紅玉は水晶達を下がらせると両手を上げた。


終焔しゅうえん


 潘紅玉がそう呟くと、正門の方で燃え盛っていた焔が牢獄の上空を飛び越え、潘紅玉の両手の篭手の無数の穴へと吸い込まれていった。


「……くっ……」


 その膨大な量の焔に押し潰されそうになり潘紅玉は両手を上げたまま苦しそうに片膝を突く。


「潘さん!?」


「大丈夫! 危ないから近寄らないで、水晶」


 水晶が駆け寄ろうとすると潘紅玉は鬼気迫る顔で言った。

 やがて焔は全て潘紅玉の篭手の中へと消えた。火が消えた事が燐風への作戦成功の合図である。

 潘紅玉は肩で息をしながら、ゆっくりと立ち上がる。


「まあ、これは凄いものを見ました……。まさか、これが噂に聞く“五行の礎”の1つ“火の礎”……」


「そうなんです! 潘姉さんは、あの撈月ろうげつの1人、橙火焔とうかえん潘僑零はんきょうれい様の子孫なんです、姉貴!」


 雷梅は得意気に費煉師に説明する。


「まさか……こんな所でご高名な潘僑零様のご子孫にお会い出来るとは……でも、これでは、敵さんもこちらに向かって来ませんか?」


「敵より燐風の方が速くこちらに来ますので大丈夫です」


「あら、潘紅玉さん。何故そんな事が言えるのかしら?」


 費煉師が首を傾げたその時、裏門に突然人影が現れた。


「成功? 成功だね?? よっしゃあー! 後は逃げるだけ!」


 人影はもちろん燐風だった。嬉しそうに笑うと立ち上がり費煉師の前で拱手した。


「費煉師さん、ご無事で何より。改めまして、あたしは燐風と申します」


「燐風さん、ありがとうございます。貴女も只者ではありませんね?」


「いえ、あたしは只の飛脚屋の女です」


「飛脚屋?」


 費煉師がその事に言及しようとすると、牢獄の敷地内から大勢の衛兵達が走って来るのが見えた。


「話は後です! 潘さん、最後の仕上げ……出来ますか?」


「出来ますか? じゃなくて、やって! でしょ? 水晶」


 潘紅玉はウインクすると右手を横へ一振した。同時に小さな火球が篭手の穴からいくつか飛び出し門や塀に触れると、そこから勢い良く焔が上がった。


「よし! 退却!」


 潘紅玉が号令をかける。

 雷梅は指笛で路地裏に隠していた自分の馬を呼び、それに飛び乗ると後ろに費煉師を乗せた。

 潘紅玉も烈火に乗ると、いつものように水晶に手を差し出して烈火の背に乗せてくれた。


「潘さん、本当に大丈夫ですか?」


「大丈夫。ありがとう、水晶」


 潘紅玉は紅潮した顔で水晶の頭を優しく撫でてくれた。やはり火の礎の力は潘紅玉の身体に負担をかけ過ぎているのだ。


「やっとお前の馬より速い走りを見られるな、燐風」


「よく見ときなよ、雷梅! もしかしたらお前の目には見えないかもしれないけどね」


「おもしれー! はっ!!」


 雷梅は嬉しそうに笑うと掛け声を上げ馬を出した。

 それに続き燐風も地面を蹴って走り出す。


「掴まってて、水晶」


「はい!」


 そして、潘紅玉はいつものように優しく水晶に声を掛けてから烈火を駆けさせた。


 背後に見える燃え盛る門から追っ手が来る事はなかった。

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