第34話 牢獄襲撃作戦2

 曼亭府まんていふの街中は活気があった。

 当然の事ながら、街中まちなかを歩く者は男が多いが、ローブを着た女とも何人かすれ違った。

 曼亭府程の大きさの街になると、国によって廂軍しょうぐんが配備されその防衛に全力を尽くす。そのお陰で曼亭府には峨山賊がざんぞくは侵入出来ず治安は保たれており人々の表情も心做しか穏やかだ。


 商人が馬を数頭連れて歩き売り、鍬や鋤などの農具を売り歩く商人もいた。

 市場では、崔霞村さいかそん相徳鎮しょうとくちんでは見た事のない食材や様々な色の布や陶磁器を売っている店もあちこちに見受けられる。

 水晶すいしょうはそれらに目を奪われ何度も店の前で立ち止まったが、燐風りんぷうは見慣れているのか一度も立ち止まらず足早に目的の牢獄へと歩いて行く。

 水晶は置いていかれる度に燐風を小走りで追い掛けた。


「欲しいならやる事やってから買えばいいよ。ちなみに、何が欲しいの?」


月餅げっぺい……」


「水晶……ならお姉さんが後で買ってあげるよ。よしよし」


 ニヤケながら水晶の頭を撫でる燐風の態度にムッとしてローブの袖をクイッと引いた。


「子供扱いしないでください! 何が欲しいのって訊かれたから答えただけですよ」


「まあ、怒るなって。ほら、見えたよ、牢獄」


 燐風の視線に目を向けると、いつの間にかすぐそこに大きな建物があった。

 建物の周りを囲む塀は高く、水晶の背丈の3倍以上はある。いくら燐風でもこの高さを飛び越える事は出来ないだろう。

 当たり前だが、入口の門には番兵が2人、槍を持って立っている。


「思いのほか……おっきかったね……」


 燐風は塀の横を歩きながら小声で呟く。


「やっぱり……侵入は難しいですよね……」


 牢獄の外周を2人で歩きながら弱気になっている燐風に水晶は小声で返す。


「塀のそばに高い木の1本もないから飛び移って中に入る事も出来ないね。これは鉤縄でもないと塀を超えるのは無理だ……くそぉ……雷梅らいめいの奴に馬鹿にされる」


 燐風は悔しそうに舌打ちをした。


 水晶と燐風は一度、牢獄の門が見える路地裏に身を隠し見張りの様子を窺う事にした。もしかすると、一般の者でも投獄されている者に面会が出来るかもしれないと思ったからだ。

 半刻程見ていると、街の住人と思しき男が1人、持ち物を調べられた後、門の中へと入って行った。


「なるほど、持ち物は調べられるけど、一般人も中に入れるんだ」


「それじゃあ私達も」


 水晶と燐風はフードを深く被り直し、門へと向かった。


「すみません。面会がしたいのですが」


 門番の男に燐風が言った。

 2人の門番は訝しげな顔をして燐風に近付きフードを指先で外した。


「やはり女か。駄目だ。帰れ」


「女だから駄目なのですか?」


 水晶が言うと、今度は水晶のフードも外され門番の男に顔をまじまじと見られた。


「ああ、駄目だ。女は入れるなと典獄てんごくに言われている」


 燐風は舌打ちをして踵を返したので水晶も後を追おうとした時、門番の1人が「待て」と声を掛けてきた。


「ま、どうしてもというなら、入れてやらんこともない。俺達に礼儀を示せたらな」


 男はニンマリといやらしい笑みを浮かべ腰元で小さく手の平を見せた。

 それを見た燐風が水晶の耳元で囁く。


「袖の下だ。金を渡せば入れてくれるらしい」


「え……ど、どうしよう?」


 2人がヒソヒソと相談しているのを見ると門番の男が「相場は5両だ」と呟いた。


「仕方ない。他に方法はないから、今回は渡しとこう。水晶、楊譲ようじょうさんから貰った銀子ぎんすがあったでしょ?」


「あ、あるけど……5両だよ? 大金だよ?」


「今は他に方法がない。ここは渡しておこう」


 燐風の説得で水晶は渋々腰袋から銀子を1つ取り出し、門番の男に渡した。


「まさか、こんな小娘が5両を持ってるとはな。まあ、いい、受け取っておこう」


「それじゃあ、中に入れてください」


「おう、もちろんだ。ところで、誰に会うつもりだ?」


費煉師ひれんしという女性です。……えっと、私達の従姉妹・・・なんです」


 水晶は咄嗟に架空の関係を伝えた。


「費煉師だと?」


 その名を聞いた門番の男は急に難しい顔をした。


「中には入れてやるが、会えるかどうかは保証出来んな。奴は特別な囚人で、地下の独房なんだ」


「そんな……5両も渡したんですから、そこまで責任持ってくださいよ!」


 強気に燐風が言うと、もう1人の門番が前に出て来た。


「こいつだけの力では無理だが、俺の力があれば費煉師に合わせてやる事も出来るぞ? どうだ?」


 その門番の男は悪びれる様子もなく鼻息をフンと吹きながら堂々と手を出し袖の下を求めた。


「……え」


 水晶が躊躇うと燐風が囁く。


「ごめん、あたしは飛脚屋を逃げるように飛び出したから持ち合わせが少ないんだ。悪いけど立て替えといてくれないか? これで確実に費煉師に会えるなら安いもんだろ? あとで必ず返すからさ」


 水晶は腰袋からもう1つの銀子を門番の男に渡した。


「ありがと、水晶」


 燐風は水晶の肩をポンと叩いた。

 この袖の下が費煉師を助け、この国を変えるのに役立つなら、と水晶は割り切る事にした。

 それから2人は持ち物を調べられたが、燐風の護身用の短刀を没収されただけですぐに済んだ。


「よし、入れ」


 門番の男が門を開けて中に招き入れてくれたので、水晶と燐風はフードを被り直しそれに続いた。


 いつか本当に汚職のない世の中は訪れるのだろうか。

 役人の汚職を目の当たりにした水晶の心には僅かに靄が掛かった。

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