第32話 4人の女、行先は曼亭府

水晶すいしょう、ごめんね。あたし、気が動転してて……」


 燐風りんぷうは申し訳なさそうに水晶の前に来て頭を下げた。


「頭を上げてください。私は気にしてませんから。燐風さんの気持ちも……分かりますし」


「早く行きましょう」


 水晶と燐風の気まずそうなやり取りを見ていた雷梅らいめいは、いつの間にか馬に乗り、いつでも出発出来るように準備を整えると淡白に声を掛けた。


「あの人は雷梅さん。昨日知り合ったばかりのとっても強い私達の仲間。撈月ろうげつに入ってくれる事になったんです。酷い人見知りなので愛想悪く感じるかもしれませんが、そのうち慣れます……たぶん」


 水晶が紹介すると雷梅はぷいっとそっぽを向いてしまった。


「燐風。私達は曼亭府まんていふに向かうけど、問題ないよね?」


「もちろんだよ潘さん。相徳鎮しょうとくちんにはもう戻れないし、あたしは潘さんについて行くよ。楊譲さんの仇を取る為にも、まずは先に進まなきゃだしね」


 燐風はそう答えると落とした短刀を拾い、腰のベルトに差していた鞘にしまった。先程まで泣いていた姿はもうどこにもなく、いつも通りの明るく前向きな燐風に戻っていた。だが、そう簡単に悲しみを克服出来るはずはないだろう。きっとまだ苦しいはずだ。大切な家族を目の前で殺された衝撃はこんなに早く消え去るはずはない。


 水晶も孤児院の大人達が殺された時や、崔霞村さいかそんの老夫婦が殺された時の悲鳴は今も頭から離れない。自分が強ければ助けられたはずだと毎日のように後悔していた。

 燐風もそう思っているに違いない。それに、楊譲には水晶も世話になった。

 そう思うと、水晶も燐風の悲劇を他人事とは思えなかった。

 だが、今は先に進むしかない。大切な人の死を悼む暇もない現実に、水晶はウンザリしていた。


「よし、それじゃあ燐風は雷梅の馬に乗せてもらって。いいよね? 雷梅」


「え!? あたし!?」


「うん。私の後ろは水晶が乗るし……水晶が雷梅の後ろでもいいけど」


 潘紅玉の何気ない一言に雷梅は顔を引き攣らせた。燐風は人見知りはしないので誰の後ろでも大丈夫だろうが、きっと雷梅は燐風を乗せる事には抵抗があるだろう。となると、水晶が雷梅の後ろに乗った方がいいのかもしれない。燐風よりは水晶の方が雷梅とは打ち解けたはずだ。ただ、水晶としては、やはり潘紅玉の後ろに乗りたい気持ちが強い。


 水晶と雷梅が難しい顔をしていると、燐風は進んで雷梅の馬の方へと歩いて行った。


「燐風って言います。雷梅さん、乗せてもらってもいいですか?」


「……あ、はい……」


 雷梅は友好的な燐風の態度に怖気ずいたのか、呆気なく燐風を乗せる事を承諾した。

 雷梅が渋々燐風に手を差し出すと、それを掴みぴょんと身軽に馬に飛び乗った。


「雷梅さん、すみませんね。いきなりお邪魔して。それと、さっきは驚かせてしまって……」


「別に……」


 悪気はないのだろうが、雷梅は萎縮してやはり燐風には愛想よく接する事が出来ないようだ。水晶は潘紅玉の後ろに再び乗せてもらいながらも、燐風と交代した方がいいのかと考えた。


「水晶」


 黙り込んで雷梅と燐風の様子を見ている水晶に潘紅玉が声を掛けた。


「あ、はい。何でしょう?」


「今日のお昼はキノコの雑炊が食べたい」


「え?」


 潘紅玉の発言に雷梅と燐風はクスリと笑った。

 何故笑われたのか理解出来ていない潘紅玉は首を傾げる。


「もう、潘さんはマイペースなんですから。分かりました。キノコの雑炊ですね。任せてください」


 水晶がにこやかに答えると、潘紅玉も微笑んだ。


「よっしゃ! じゃあ曼亭府へ行きますか!」


 雷梅は号令をかけると勢い良く馬を駆けさせた。それに潘紅玉が続く。


 曼亭府へ長い道のりを駆ける4人のローブの女達。朱燦莉しゅさんりに言い渡された撈月渠到着の期限まであと25日。




 ***



 曼亭府の牢獄。

 大きな街の外れに構える囚人達を収容しておく施設である。街の規模に応じて牢獄もそれなりの広さがある。

 ここでは、盗みや殺人などの罪を犯した者達が環境の劣悪な牢屋の中に入れられている。囚人の数が多く、7~8人が1つの牢に入れられるが、特別重い罪を犯した者は、1人用の狭い地下の独房に入れられ罪を償う事になる。


 この独房の1つに、女の囚人がいた。


 彼女は費煉師ひれんしといい、武官登用試験である“武挙ぶきょ”に不正を働き合格したとして禁固刑を受けている最中だ。その刑期は5年。

 もちろん、費煉師は不正などしていない。女が武挙に受かるという前代未聞の事態に、朝廷からの叱責を恐れた曼亭府の知府事・周済しゅうさいは、費煉師が不正をしたとでっち上げて無理矢理捕らえたのだ。


 額には罪人の証である刺青。粗末な赤褐色の襦袢1枚を着せられただけの費煉師の手には木製の枷が嵌められ、藁を敷いただけの冷たい地面に腰を下ろして静かに鉄格子の外の蝋燭の火を見つめている。窓もない地下牢で唯一の明かりはその蝋燭だけだ。

 すると、コツコツと階段を下りる足音が聞こえてきた。蝋燭の前を横切り看守が食事を持って来て、それを鉄格子の下の隙間から滑らせて中に入れた。少量のあわかゆと胡瓜と大根の漬物、そして椀に入った水。一応は朝昼晩と配られる。栄養失調などで死なれては困るからだ。


「ほら、飯だ。ちゃんと食えよ」


「ありがとうございます。ところで看守殿。本日も周済しゅうさい殿にお会いする事は出来ないのでしょうか?」


「何度聞かれても同じだ。お前のような下賎の輩とはお会いにならない」


「それならば、表で運動をさせて頂けるかどうか、典獄てんごく殿には訊いて頂けましたでしょうか? いい加減退屈で頭がおかしくなりそうなのです。身体も鈍ってしまいますし」


「生意気言うな。お前の罰は禁固刑。そこで大人しくしていろ。お前がここに入れられた時に金を払えなかったのが運の尽きだ。ま、今からでも私と典獄殿に5両ずつ渡せたら、考えてやってもいい。そうだな、周済殿にも強く頼んでやろう。どうだ?」


「残念ながら、お金はございません」


「はっ! なら毎回頼んで来るなよ雌犬が! 規則がなければお前なんか毎日犯してやるところだぞ!」


 看守の男は吐き捨てるように言い放つとまた階段を上って行ってしまった。


「この世界は……腐り切っているわね。嗚呼、雷梅、今頃貴女は撈月として頑張っている頃かしら……ふふふ」


 蝋燭の火がゆらゆらと揺れる静かな地下牢に、費煉師の呟きが虚しく響いた。




 帝国に眠る同志 《2》〜完〜

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