第31話 惨劇の犠牲者

 潘紅玉はんこうぎょくの名を大声で叫び、馬乗りになり今まさに潘紅玉を殺そうと短刀を振りかざした人物。ローブのフードを被り、顔を隠してはいるが、その声は水晶には聞き覚えのあるものだった。恐らくそれは潘紅玉も同じ事。


「野郎……賊か!? 潘姉さんに手を出すとは、砕いてやる──」


「待って!!」


 水晶は逸る雷梅らいめいを静止させた。

 顔をしかめた雷梅は、三節棍を突き出したまま馬上で止まった。

 潘紅玉は片手で短刀を受けたまま、もう片方の手でゆっくりとその者のフードを外す。

 水晶の目に映ったのは暗緑色のショートカット。


燐風りんぷう……」


 その顔を間近に見た潘紅玉が呟いた事で、その者が相徳鎮しょうとくちんで別れた飛脚屋の女、燐風である事が確信に変わった。


「燐風さん! 何で!? どうして!?」


 水晶は烈火から慌てて下りようとしたが、普段は潘紅玉に手を借りて下りていた為、着地の瞬間にバランスを崩し、不格好に倒れた。


「ああ、水晶さん、何やってるんですか」


 雷梅は馬を下り、ドンくさい水晶に駆け寄り抱き起こす。


「ありがとうございます」


「知り合いですか? あの女」


「はい……相徳鎮の飛脚屋の人です」


「へ? 飛脚屋?」


 雷梅が首を傾げたがその疑問に答えてる余裕はない。水晶は雷梅の手から離れ、燐風の背後に立った。


「燐風さん! どうしてこんな事!?」


 水晶が言ったが燐風は振り向かず潘紅玉から短刀を引こうとしない。


「燐風、理由を話して」


 潘紅玉が言うと、燐風は身体を震わせながら嗚咽を漏らした。


「相徳鎮に……峨山賊がざんぞくが来た……」


「え!?」


 燐風の絞り出すような言葉に水晶と潘紅玉は声を出して驚いた。


「100人なんて数じゃない……200人いや、もっと来た……。そいつらは街を荒らし、ひ、飛脚屋も襲われた」


「そんな……楊譲ようじょうさんは!?」


 水晶の問に、燐風は声にならない声を腹から絞り出す。


「こ、殺されちゃったよ……楊譲さんは……死んだ……あ……ああ……」


 水晶の位置からは燐風の顔は見えないが、涙を流し泣いているのは容易に想像出来た。


「そんな……」


「お前のせいだ、潘紅玉……お前が、張晏ちょうあんを倒したから、軍が弱って街を守れなかった……お前のせいで平和だった相徳鎮は……ああああ!!!」


「違います! やめてください燐風さん!」


 絶叫しながらまた燐風が短刀を振り上げたので、水晶は背後から飛び掛り、潘紅玉から引き離し地面を転がった。


「離せ! 水晶! 楊譲さんの仇を打たせろ!」


「楊譲さんの仇は峨山賊です! 潘さんは貴女と楊譲さんを助けてくれたんですよ!?」


 暴れ回る燐風を水晶は羽交い締めにしたまま土煙を上げて地面を転がり回る。組んず解れつ、土塗れになりながらも、水晶は短刀を振り回す燐風を押さえ込む為に非力な力を限界まで振り絞る。

 2人の様子を見ている雷梅は、どうしたらいいか分からず三節棍を構えたまま動かない。

 しばらくすると、燐風は荒い呼吸を繰り返しながら暴れるのをピタリとやめた。手にはまだ短刀が握られている。


「……水晶……元はと言えば、お前が──」


 燐風が言いかけた時、水晶の身体から燐風の身体が勢い良く引き剥がされて宙に浮いた。見ると、潘紅玉が燐風の胸ぐらを掴み右の拳を振り上げていた。あの鉄篭手の拳で燐風の小さな顔を殴ったら顔の骨が砕けてしまう。


「あ……潘さん!」


 水晶は立ち上がり呼び掛けた──


 が、潘紅玉の右の拳は解かれ、燐風の横っ面を平手で打った。

 パチンという乾いた音が、絶壁に囲まれた道に響き渡った。

 そしてカランと音を立てて、燐風の右手から短刀が落ちた。


「目を覚ましなさい、燐風! 飛脚屋が襲われたのも、楊譲さんが死んだのも峨山賊のせいでしょ!?」


 言い聞かせるような潘紅玉の言葉に、燐風は言葉を失い、ただ真剣な目付きの潘紅玉の顔を見つめている。

 潘紅玉は燐風の胸ぐらから手を離した。

 地面にへたり込む燐風。

 水晶も雷梅も真剣な表情の潘紅玉の雰囲気に声も出せずその場で固まっていた。


「確かに、私が張晏を倒したから軍が弱って街を守れなかったのかもしれない。だからと言って、貴女は私を殺して満足? 楊譲さんは報われるの?」


 座り込んだまま動かない燐風に潘紅玉は語り掛ける。


「誰が悪いって言い始めたらキリがない。冷静になって考えてみてよ。本当の悪は何か。それでも、私を殺したいというのなら、殺しなさい」


 潘紅玉は全く折れず燐風に言い放った。その姿は堂々としていて凛々しい。

 対する燐風はまた嗚咽を漏らし泣き始めた。しかし、手元に落ちている短刀を拾い直す素振りはない。


「ごめんなさい……潘さんは、恩人だ……分かってるのに、分かってるのにあたし……こんな馬鹿な事……」


 正気を取り戻した燐風を見ると、潘紅玉は地面に膝を突き、頭に付いていた土塊を手で払い落とした。


「この国には悪が2つある。1つは峨山賊、そしてもう1つは嶺月帝国れいげつていこくという国そのもの。つまり、今はこの世界全てが悪なの。国が悪だから、そこから生まれた峨山賊もまた悪。でも、国民の中には、国が悪だと認識している人も少なからずいる。けれど、その人達が皆声を上げて戦えるわけではない。だから私はその人達の代わりに戦う。女を虐げる理不尽なこの国も賊も倒す。私には戦う力があるから」


 潘紅玉はそう言うとすっと立ち上がった。


「楊譲さんの仇は私が取ってあげる。私にもその責任がある」


 涙を流す燐風の横を通り、潘紅玉は座り込んだままの水晶の様子を見に来た。


「水晶、大丈夫? 私の為にこんなに泥だらけになって……怪我は?」


 潘紅玉の伸ばした手を水晶は取って立ち上がった。


「大丈夫です」


 水晶は燐風の方を見た。まだ水晶に背を向けて座ったままだ。


「仇を取るって……どうするんですか? まさか、相徳鎮に戻って峨山賊を?」


「いや、燐風の話だと相徳鎮には200人以上の峨山賊が来てる。とてもじゃないけど、私の力では討伐し切れない。だから今は予定通り先に進むしかない。撈月渠に着いて撈月の同志達の力を借りられたらその時は相徳鎮を襲った賊共を皆殺しにする」


 潘紅玉は拳を握り締めながら強い決意を口にした。


「そうですね。それが現実的ですね。じゃあ……燐風さんは……」


 水晶が潘紅玉に言うと、おもむろに燐風は立ち上がった。袖で涙を拭うと振り返る。


「あたしも、あたしも楊譲さんの仇を打つ。潘さん、あたしも撈月渠に連れてってください」


 強い決意をしたのは燐風も同じだった。潘紅玉はゆっくりと燐風の元へ行き、右手を差し出した。


「もちろん」


 燐風は差し出された手を握った。

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