第30話 撈月渠でお別れ
「へぇ、
どうやら雷梅は水晶と潘紅玉の関係が気になっていたらしい。水晶と2人きりの時は人見知りのせいで聞きたい事を上手く聞けなかったはずだが、何故か潘紅玉には平気で話し掛けていた。潘紅玉も雷梅の問に素直に応じる。
「私が重度の方向音痴で生活力のないダメ女だから、1人で何でも出来る水晶が私の駄目なところを補ってくれるの」
「え!? 潘姉さん、ダメ女なんですか!? 見た目は何でも出来そうな感じなのに……意外です。水晶さんもまだ若いのにご苦労様です」
「あ、はい……いえ! どうも」
雷梅が手網から手を放し器用に
「水晶はね、料理が上手。あと魚釣り。一度川を通り掛かった時があったんだけど、その辺に落ちてた長い枝と手持ちの糸と針を使って釣竿を作ったかと思うと、土の中からミミズを見付けてそれを餌にして魚を釣ってた」
潘紅玉は真っ直ぐ前を向いたまま淡々と水晶の紹介を始めた。
それを聞いた雷梅は目を見開く。
「ホントですか!? 料理と魚釣りが得意って……あ、あの、鯉は釣れますか? 鯉の煮付けがあたし好物で」
「釣れますよ。今度鯉を釣る機会があれば作って差し上げます」
「っっやったー!! 久しぶりに鯉が食える!!」
雷梅は馬上で子供のようにはしゃいだ。隣を走る潘紅玉は嬉しそうな雷梅を見て微笑んだ。
「撈月渠には確か川があったはずだから、毎日水晶さんの鯉料理食えるのか……」
「……あ、いや、その……」
水晶は小さな声で雷梅の妄想を遮る。
潘紅玉は前を向いたまま何も言わない。
「どうしたんですか? 水晶さん」
「じ、実は、ずっと考えていたんですが、私は潘さんを撈月渠に送り届けたら……
「え!? 何で!? どうして!? 水晶さんも潘姉さんと一緒に撈月に入るんじゃないんですか!?」
雷梅は悲しそうな表情で水晶を見た。昨日知り合ったばかりだというのにその反応は些か大袈裟に思えた。
潘紅玉は何も言わない。
「すみません。私はもともと潘さんを撈月渠にご案内する為に一緒に旅していただけなんです。撈月に入るなんて考えてませんでしたから」
「そんな……潘姉さん! 今の話本当ですか? 潘姉さんも納得の上ですか!?」
雷梅が問い掛けたので、潘紅玉はようやく口を開く。
「水晶がそう決めたのなら、私は無理に引き止める事は出来ない。私の気持ちは……もう伝えてあるから」
潘紅玉は前を向いたまま静かに言った。
「ごめんなさい、潘さん。私は潘さんとずっと一緒にいたいけど……私は森で静かに暮らしたい……撈月渠で、お別れです」
「謝らなくていいよ。水晶。私は今こうして一緒にいられるだけでも嬉しいから」
振り向いた潘紅玉は笑顔だった。それはいつも見せてくれる優しい笑顔。水晶の決断に少しの不満も悲しみもない純粋な笑顔だ。
しかし、隣の雷梅は納得いかないと言った顔で不貞腐れてしまった。
「ところで雷梅。曼亭府の牢獄から
潘紅玉は急に話題を変えた。
「えっと……潘姉さんが焔をバーンてやって暴れて看守達を引き付けている間に、あたしがこっそり独房を回って姉貴を見つけ出して連れ帰る。そんな感じですかね」
「なるほど、凄くざっくりしてる作戦だね。私は囮なんだ?」
「あ! いえ、いや、はい……あ、あたししか姉貴の顔知らないし、あたしが中に入って探すしかないかなーと」
「囮はいいんだけど……出来れば目立たないように救出したいんだよね。私達、まだあまり目立つわけにはいかないから」
「そ、そうですよね。それは、あとで、曼亭府に到着してから考えましょう! ほら、そうこうしてるうちに三叉路まで戻って来ましたよ」
雷梅は首に掛けていた銀色の三節棍の右端の棍で前を指す。
昨晩まで大量にいた馬はどこかに行ってしまったようで一頭もいない。雷梅が積み上げた死体の山だけが異臭を放っているだけだ。
水晶は思わず鼻を摘む。
馬がいなくなっている事には内心ほっとしていた。これでもうしばらくは潘紅玉の背中にしがみついていられるからだ。
「くっせーなぁ。昨日までは大した事なかったのに、今日は一段と臭い。風の向き変わっちゃいましたかね。あまりの臭さに馬達も逃げ出したみたいです。もうさっさと行きましょ」
言った雷梅も鼻を摘みながら不快そうに眉間に皺を寄せている。
「いや、このままにしておいたら、この道を通る人が迷惑でしょ、雷梅」
「あ……はい、すみません、潘姉さん」
雷梅はしゅんとして下を向いた。
すると潘紅玉は手網から手を離し、両方の拳を道の左右に分けて積まれた死体の山へと向けた。
「
潘紅玉の両腕から大きな焔が噴き出し、積み上げられた大量の賊の死体を呑み込む。その焔はたちまち死体を焼き付くし、灰になりボロボロと崩れて跡形もなくなった。
「
潘紅玉がその言葉を言うと道の両端で燃えていた焔は潘紅玉の両腕の篭手に吸い込まれて消えた。
「潘さんまたそんなに火を使って……」
「これも世の為人の為」
潘紅玉は水晶の心配も他所に涼しい表情で言う。
「潘姉さんのその技、凄く痺れます! カッコイイです。あたしも出来ないですかね?」
雷梅は目を輝かせながら言う。
「これは火の礎を受け継いだ人にしか出来ないからね。残念ながら無理かな。そんな事より先を急ごう。雷梅、曼亭府はどの道?」
雷梅は大きな溜め息をついて潘紅玉の前へと馬を出す。
その刹那──
「潘紅玉ーーー!!!」
突然の怒声に全員が振り向いた。水晶の横を風が通り抜けたと思った時には前にいた潘紅玉は地面に落ちていた。
潘紅玉の上に馬乗りになるローブの人物。その者は短刀を右手に振り上げ一息に潘紅玉へと振り下ろした。
潘紅玉は咄嗟に鉄の篭手で受ける。短刀の刃が篭手の通気孔に刺さり上手く受け止めた形で両者動きを止めた。
水晶はそのローブの人物に心当たりがあった。でもそれは勘違いだと、そう思いたかった。
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