第15話 潘紅玉、悪に鉄拳を打つ

 ほのおを操る女。

 水晶すいしょうは一度だけ潘紅玉はんこうぎょくが“火のいしずえ”の力で火を点けるところを見た事があったが、まさか戦闘に使える程に使いこなせるとは思っていなかった。潘紅玉の篭手に空いた無数の穴は、火を噴き出す為の穴だったのかと、この時ようやく理解した。


 水晶と燐風りんぷうを連行しようとしていた兵達は、潘紅玉の火の花吹雪で倒れた仲間達を目の当たりにして立ち止まり動揺している。


「……そうか。分かったぞ。噂には聞いていたが、“五行ごぎょうの礎”という奴だな……? まさか、実在していたとは 」


 剣を抜いて戦闘態勢に入っている張晏ちょうあんは、同じく剣を抜いて涼しい顔をして立っている潘紅玉に訊く。


「そうです。五行の礎の1つ“火の礎”。貴方達を焼き殺す事は簡単です」


 潘紅玉はニヤリと笑う。

 その笑みに、水晶は何故か背筋に寒気を感じた。


「生意気な女め! 誰に向かって口を効いてる!?」


 怒声を上げながら張晏は潘紅玉へと突っ込んだ。

 潘紅玉はすぐに剣で張晏の荒ぶる剣を受ける。お互いに3度剣を弾き合うと、4度目の剣の交差で鍔迫り合いとなった。


「焼き殺すのは簡単ですが、そんなむごい事はしません。私は峨山賊がざんぞくではありませんので」


「小娘が! 謝るなら今のうちだぞ? 今ならお前は罪に問わず、俺の部下にしてやってもいい。だが断れば、お前を捕らえたのち、その鎧をひっぺがしてこの相徳鎮しょうとくちん街中まちなかで辱めを与えてやる! かつて撈月ろうげつの女共がされたようにな!」


「その台詞は私を捕らえられてから言った方がいいですよ?」


 潘紅玉の目付きが鋭くなった。張晏を押す剣にも力が篭っている。


「何だと?」


「寝言は寝て言え。女の敵め」


 水晶が潘紅玉の声に怒りが込められたのを感じた瞬間──潘紅玉は張晏の剣を押し返し、下に弾き落とすと、驚いて隙の生じた張晏の側頭部へとキレのいい回し蹴りを打ち込んだ。

 さすがの張晏も、意表を突かれた頭部への蹴りは効いたようでバランスを崩し地面に片膝を突いた。


「す、凄い……あの張晏を蹴り飛ばした……!」


 水晶の隣の燐風が感嘆の声を漏らす。


「もう許さん! 逆賊め! お前はこの場で殺してやる! 俺に恥をかかせやがって! 死罪だ!」


 張晏は怒り狂い、立ち上がると潘紅玉へ再び襲い掛かる。落とした剣を拾う事も忘れた獣のような男を見た潘紅玉は剣を納めた。


「怒りに我を忘れた者ほど倒しやすいものはありません」


 潘紅玉はその言葉通り、張晏の無闇に振り回す腕を難なく躱すと、踏み込んだ脚へ鉄靴てっかの蹴りを打ち込みまた膝を突かせる。そこへすかさず顔面への鉄の拳。


「ぶはっ!!」


 躱す事も防ぐ事も出来ず、鈍い音を響かせ張晏の大きな身体は後ろに倒れた。潘紅玉の鉄の拳には真っ赤な血が付いている。


「ふふ、討伐……」


 潘紅玉が大の字に倒れている張晏の腹へと踏み込もうとした時、間一髪横に転がり張晏は潘紅玉の靴底を避けた。


「さすがに、そこらの峨山賊とは違うか」


 潘紅玉が目を細めながら呟くと、張晏はその身体を起こし、先程落とした剣を瞬時に拾い、大声を上げてまた斬り掛かった。


「死ね! 逆賊!」


 潘紅玉もすぐに剣を抜いて応戦する。

 張晏の剣の乱舞を潘紅玉は確実に捌く。オレンジ色の髪が揺れ、赤いマントがヒラリと宙を泳ぐ。

 次第に潘紅玉が攻めに転じて張晏を押し始める。張晏の顔は引き攣っている。一方の潘紅玉は無表情……いや、微かに笑っている。

 そして、張晏の大振りに合わせて潘紅玉はその股下を滑り込むように通り抜けると同時に大きな背中を蹴り飛ばした。


「うおっ……!?」


 前によろめきこそしたが、今度は倒れずに踏み止まり、潘紅玉の方へ向き直る──が、既に目の前には潘紅玉の鉄の拳。避けられずまたしても顔面に1発。既に先程の拳で鼻が折れて血塗れの顔はさらに血を噴き出し鼻から下は真っ赤。苦悶の表情を浮かべる張晏に、さらに腹への拳。


「ごふっ……!?」


 鎧を着ているとは言え、鉄の拳の打撃は鎧の下まで簡単に伝わる。

 潘紅玉はもうとっくに剣を納めていてた。


「剣はいらないですね」


「女の分際で……」


 血塗れの鼻を押さえながら張晏は潘紅玉を睨む。

 周りに控えている兵達はどうしていいか分からずに、ただ潘紅玉と張晏の闘いを見守るだけだ。そのお陰で今のところ楊譲ようじょうも無事だ。


「私を捕まえて裸にして陵辱するんじゃないんですか? 一度言った事はやり遂げないと、上に立つ者としての信用をなくしますよ?」


「ぬかせっ!!」


 張晏が再び殴り掛かった。潘紅玉は張晏の拳を片手でいなすと、拳の連打を腹に見舞う。後退りながらも張晏は必死に耐えるが、潘紅玉の拳が顔を襲ってからはもうただ打たれるだけの肉の塊の如く顔を殴られる方向に振るだけ。腕で拳を防ごうとするがとても追い付かず張晏は両膝を突いた。

 しかし、潘紅玉は攻撃をやめず思いっ切り振りかぶって張晏の頬に渾身の拳をめり込ませた。


 張晏がまたしても大の字に倒れると、周りからはどよめきが起こった。

 潘紅玉は一方的に殴りまくってもはや立ち上がる気力さえ残されていない張晏の胸ぐらを掴み引き起こすとまた拳を構える。


「潘さん! もうやめてください! それ以上やったら死んでしまいます!」


「そ、そうだよ! そいつは悪い将軍だけど、もう十分だよ!」


 水晶と燐風が張晏を殴り殺さん勢いの潘紅玉に訴えた。

 すると、潘紅玉は2人の方をチラリと見て、再び張晏に視線を戻した。


「ひっ……!」


 張晏の目の前に血塗れの真っ赤な鉄の拳が突き付けられた。


「私は貴方をこのまま殴り殺す事も、剣で斬り殺す事も、生きたまま焼き殺す事も出来ます」


「お、俺の負けだ……俺が悪かった……だから、命だけは……た、助けてくれ」


 潘紅玉の殺気に張晏はついに負けを認め謝罪の言葉を口にした。


「では、約束してください。女を侮辱せず不当な扱いをしない事」


「わ、分かった。考えを改める……」


「それと、あのお爺さんとあの娘に手出ししない事」


「も、もちろんだ……もう関わらねぇ」


「最後に、水晶を自由にする事」


「分かった、約束する……だから、勘弁してくれ……」


 潘紅玉は張晏の言葉を聞くと拳を下ろし、胸ぐらを放した。

 張晏は顔を押え荒い呼吸を繰り返しながら沈黙した。


「ち、張晏将軍と怪我人の手当を急げ!」


 兵の1人が言うと、重症の張晏と潘紅玉に鎧を焼かれた兵士達の手当が仲間達の手で行われた。


「楊譲さん!」


 兵達に解放された燐風は真っ先に楊譲のもとへ駆け寄る。


「おお、燐風、無事か? 怪我はないか?」


「あたしは大丈夫だよ。楊譲さんは?」


「儂も怪我はない。ああ……助かりました、潘紅玉殿」


 楊譲が拱手こうしゅして頭を下げたので、潘紅玉もそれに応じた。


 水晶も全員の無事を確認すると一気に身体の力が抜けヘロヘロとその場に膝から崩れ落ちた──そんな無防備になった瞬間だった。


「きゃっ!!」


 その突然の悲鳴に、潘紅玉は真っ先に振り向いた。


「早く水晶を乗せろ! 誰が何と言おうと、この子だけは僕の妻だ!」


 誰もがその存在を忘れかけていた張震ちょうしんが、水晶をそばの兵士に捕らえさせ、無理矢理、自らが乗った馬の後ろに腹這いに乗せた。


「水晶!!」


 潘紅玉が走ったが、張震は馬を走らせそそくさと逃げて行った。


「放して! やだ! 怖い! 怖いの……!」


 必死に抵抗しようとしたが、水晶は馬の背に布切れを掛けるように雑に乗せられていた為、振り落とされないようにしがみつく事しか出来ない。ただでさえ高いと感じる馬の背。恐ろしい速さで流れる地面が目の前にあるのは、水晶にとって恐怖以外の何ものでもなかった。




「クソっ! 烈火は街の外に置いて来てしまった……」


 瞬く間に遠くへ駆け去る水晶を拉致した張震。


 潘紅玉が兵士の馬を借りようと動こうとした時、暗緑の髪の女が潘紅玉の肩に手を置いた。


「ここはあたしの出番ね」


「何言ってるの?」


 潘紅玉が怪訝そうに訊くが、燐風は足を伸ばしたりして何やら準備運動のような事を始めた。


「まあ、潘殿。ウチの燐風に任せときなさい。燐風の足の速さは嶺月れいげつ一じゃ」


 楊譲が言い終わるやいなや、今まで隣にいた燐風は砂煙を巻き上げ、信じられない速さで米粒程に小さくなっていた張震にあっという間に追い付いてしまった。


「へぇ……」


 潘紅玉は顎に手を当て、張震を馬から引きずり下ろし水晶を抱き下ろした燐風の姿を興味深そうに眺めた。

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