46.ごめん

 アルフレットが推測した通り、普通なら委任大使いにんたいしの家族の私物を、分解までして確認しない。


 もし見つかっても、中身は大した価値のない書類だ。貴族なら謝罪して、子供の悪戯いたずら不問ふもんを押し通せないこともない。


 だが、もう状況は変わっている。


 出国者には全員、荷物を含めて、厳しい検査があるはずだ。


 船の正確な時間はわからないが、夜遅くもないだろう。猶予ゆうよはない。


「警察とか、軍には?」


 あたしの問いかけに、ヴァネッサさんは、泣きながら首を横に振った。


「お嬢さまは……多分、全部をわかった上で……幸せになってね、と……私に……」


「駄目だ、ユーディット。小間使いがやったことだとしても、表沙汰おもてざたになれば、イステルシュタイン伯爵の名前に傷がつくことはけられない」


「それに、そこまでおっしゃられたイルマさまが、御自分のやったことと言い張られれば、反証することもできません!」


 ランベルスとリーゼが、問題を的確に整理する。


 それでも、まだ足りない。全体像がつかめない。


 介在かいざいする他人の多いやり方だ。仕込むまでは成功しても、時間がてば、こういうほころびが出ることは予想できるはずだ。


 この段階で露呈ろていすることは、計画に入ってる。


 ここから情報の持ち出しに失敗しても、計画者が達成できる目的はなんだろう?


 イステルシュタイン伯爵の名誉めいよはともかく、失脚しっきゃくするほどの傷にはならない。


 イルマ一人が罪になって、せいぜいあたし達がうろたえるくらいで、相手が得する理由はなんだろう?


「ノンナートンさまのお名前は、お嬢さまから、何度も聞いて……お願いします! 罪は必ずつぐないます! お嬢さまを……お嬢さまを、どうか……っ!」


「ヴァネッサさん、教えて。その婚約者の人は、どうして……」


 あたしは、はやる心臓と、声を抑えた。


 答えは、控え室の扉の外から入ってきた。


「直接は関係ないわ。そのが説明された通り、婚約者はおどされたみたいなものよ。取引相手ってやつのそのまた先に、ドレッセル子爵の子飼こがいの業者がいたわ」


 ギルベルタとウルリッヒが、そっくり同じ、まっ黒い軍服を着て立っていた。


 二人とも帯剣たいけんして、短銃たんじゅうまで吊り下げている。ギルベルタは退役たいえきしていたはずだけど、ウルリッヒの権限かなにかで、武器を持っても良いことになってるのかな。


 よく見たら足元で、ジゼリエルまでがおそろいの黒い上下で、鼻息荒く木刀をかついでいた。


 それにしても、また新しい名前が出てきたな。


 確か、招待客名簿にあった名前だけど、かなり下の方で関係性も薄い。年頃としごろの御令嬢もいなかったはずだ。


 あたしの顔の疑問符ぎもんふに、やおら、カミルが土下座した。


ねえさん、今さらですけど、本当にすんません! 舞踏会っす! あの時、病院送りにした先輩の一人が、ドレッセル子爵の三男坊っす!」


 カミルの背中を、間髪入れず、モニカさんがかかとで踏む。


 いや、そこまでしなくてもさ。


「ランベルス君、ドレッセル子爵は爵位は低くても、辣腕らつわんと言われる実業家よ。子供の意趣返いしゅがえしにしゃしゃり出るほど、軽率けいそつには思えないけれど……悪い気を起こしたとしたら、厄介やっかいな相手かも知れないわね」


「問題ない。ことわりをわきまえない相手と戦うのは、男の当然の責務だ」


「女も、よ」


 あたしはもう一度だけ、ヴァネッサさんの目をまっすぐに見つめ返してから、立った。


 やっと、必要な情報がそろった。全体像が、敵が見えた。


 これで決断を間違わない。


「アルフレット」


「もちろんです」


 笑ってくれた。


 わかってくれた。


 あたしは盛装のまま、控え室を出る。廊下に、ばあちゃんが立っていた。


「これは、なんの騒ぎですか? ユーディット」


 深い紫色の盛装で、白い髪をい上げ、金茶色きんちゃいろの厳しい目であたしを見る。あたしも、ばあちゃんを見る。


「ごめん、ばあちゃん」


 ばあちゃんが、あたしとアルフレットのためにどれだけのことをしてくれたのか、わかってる。


 この婚約披露会こんやくひろうかいの意味も、これからのために、どんなに大切なことなのかもわかってる。


 自分の行動の意味も、ちゃんとわかってる。


 それでも、ごめん。


 あたしは精一杯の気持ちで、頭を下げた。ばあちゃんは、息遣いきづかい一つ乱さなかった。


「良いでしょう。あなた達が戻るまで、このは私があずかります」


「え……?」


 あたしが顔を上げた時、ばあちゃんはもう、しっかりと伸びた背中を見せていた。

 

 堂々どうどうと、粛々しゅくしゅくと、会場に向かって歩き去る。


 見送るだけのあたしの肩を、右をアルフレットが、左をギルベルタが、軽く叩く。


 ありがとう。


 ばあちゃん、アルフレット、ギルベルタ。


 ランベルスも、リーゼも、カミルも、モニカさんも、ウルリッヒも、ジゼリエルも、ヴァネッサさんもありがとう。


 さあ、戦いだ。

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