45.雪が降り始めた

 婚約披露会こんやくひろうかいの当日の朝、アルフレットが言った通り、雪が降り始めた。


 昼を回る頃には街が白くなって、物音が小さくなった。


 ラングハイム公爵家の、迎賓会館げいひんかいかんの控え室で、あたしは盛装の着つけとお化粧けしょうを済ませた。


 明るい琥珀色こはくいろ天鵞絨てんがじゅうが、顔の下から光を淡く反射するから、お化粧けしょうははっきりとした色の濃いめだ。これで遠くからでも、割り増しに見えるだろう。


 夜会と言っても、夕方の早い時間から、招待客が集まり始める。特に懇意こんいにしている相手なら、事前に顔合わせをすることもある。


 会場は、さすがに学校の舞踏会ぶとうかいとは比べものにならないくらい立派に、豪華で上品に、立食形式で整えられた。


 天井は二階分の高さで、内装も色とりどりでぴかぴかなのに、うるさくないのが不思議だった。


 正面扉から入って一番奥、玄関広間みたいな両脇に広がる階段があって、上の回廊かいろうに、この控え室から出て行ける。


 会が始まって名前を紹介されたら、回廊かいろうを一周したあたしを、アルフレットが階段を登って迎え、一緒に降りて行く段取りだ。


 緊張は、していないと言えばうそになる。


 でも、もっと大きな覚悟が決まっている。


 あたしは、いつ、どんな形でその時がきても良いように、頭の芯を冷静にしておくだけだ。


 今日も、ぎりぎりまでギルベルタ達が調査を続けている。


 船の出立しゅったつは夜、取り越し苦労なら万々歳だ。イルマには、それこそ後で、アルメキア共和国までだって話をしに行ってやる。

 

 椅子いすに座ったまま、軽く深呼吸する。


 控え室の扉が開いて、翡翠色ひすいいろ銀糸ぎんし刺繍ししゅうを入れた盛装のアルフレットと、給仕の人達と同じ純白の洒落しゃれた制服を着たランベルスとリーゼ、それにモニカさんが現れた。


 モニカさんは黒銀色こくぎんしょくの長い髪をきっちりい上げ、顔立ちも背の高さもあって、ギルベルタみたいに男装の麗人という言葉そのままだった。


「話は全部、聞いているわ。私ももう、立場はあなたと似たようなものだから、今日は招待客じゃなくて手伝う側に入れてもらったの。なにがあっても、支えになるわ」


「ありがとう、モニカさん……ランベルスも、リーゼも」


「カミルも、その辺をうろついている。なにかあれば、言ってくるだろう」


「イルマさまにも、なにもなければ良いのですが……」


 あたしはうなずいて、窓の外を見た。


 雪は、静かに降り積もっている。


 アルフレットが、いたわるように、あたしの肩にてのひらを置いた。


披露会ひろうかいが始まる前に、ギルベルタ達も一度、ここにくることになっています。その時までは、少しでも気を楽に……」


 アルフレットの声に、控え室の外の、騒々しい声が重なった。


 反応は、ランベルスが早かった。


「カミルだ。問題ない! 私の友人だ、その者を通せ!」


 扉の向こうで、ラングハイム公爵家の使用人達だろう、ランベルスの大声にためらいがちの返事があった。


 そして扉をり倒す勢いで、ランベルス達と同じ白い制服姿のカミルと、もう一人、薄茶色の外套がいとうを雪まみれにさせた女の人が、控え室に転がり込んできた。


「ランベルス! ねえさん!」


「よくわからんが、よくやった! その女性は誰だ?」


 20歳を少し超えたくらいの、肩にかかる亜麻色あまいろの髪が綺麗きれいな、優しそうな人だった。泣いて、ふるえている。


「あ、あの……ヴァネッサ=カーラーと申します。ご、御無礼を承知で、お願い致します! ユーディット=ノンナートンさまに、お取り次ぎを……っ!」


「あたしよ。大丈夫だから、落ち着いて」


 ヴァネッサさんに歩み寄り、しゃがんで手を取りながら、考える。


 誰だろう。どこかで、聞き覚えのあるような気がする。


「ユーディットさま、小間使いの方です! イルマさまのお屋敷の!」


 リーゼの声で、思い出す。


 お姉さんみたいな間柄あいだがらで、近く結婚すると、嬉しそうにイルマが話していた人だ。


「私が……私が、間違っていたんです……っ! どうか、お嬢さまを……イルメラさまを……」


「最善を尽くすと、約束するわ。知っていることを話して」


 ヴァネッサさんが、いのるようにうつむいた。


「私……もうすぐ、結婚するんです。でも……その彼から、少し前に一通の封筒ふうとうあずかったんです」


 あたしは、目線だけをアルフレットに向ける。アルフレットがうなずいた。


「それを……お嬢さまの、旅行鞄りょこうかばんの……内張うちばりの中に隠すよう、指示されて……。最初は断ったのですが……そのことで、彼を困らせてしまって……」


「イルマの旅行鞄りょこうかばんの、内張うちばりの中、ね?」


「はい……っ! 彼は、迷惑のかかるような物じゃないと……運んでもらうだけ、恩のある取引相手に頼まれて、断れなかったと……私、それを信じようと、思ってしまって……っ!」


 ヴァネッサさんが、泣き崩れた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る