44.幸せなのに

 婚約披露会こんやくひろうかいの日程が正式に決まって、慌ただしい雰囲気になってきた。


 あれやこれやの細かい資料を手渡しに、休日にまた、ランベルスとリーゼが訪ねてきた。カミルも、御者ぎょしゃ真似事まねごとで一緒だ。


 イルマだけが、いなかった。


 あたしは特注品の、琥珀色こはくいろ天鵞絨てんがじゅうにきらきらの刺繍ししゅうをあしらった盛装の試着中だった。


 今度は事前の連絡を受け取っていたから、まあ、ちゃんと準備していることの喧伝けんでんだ。


 当日は、ラングハイム公爵家の迎賓会館げいひんかいかんを使った夜会になる。


 結婚式ならともかく、たかが婚約のお披露目ひろめで、と思わないでもなかったが、ランベルス達に言わせれば今回は特別らしかった。


「爵位持ちの貴族が結婚する場合、他の爵位持ちから第二子、三子を迎えるのが暗黙の了解だ。そうやって恩を売り合い、派閥を広げたり、財産の散逸さんいつを防いだりする。だから、有力な貴族家が同じ一族内でまとまってしまうのは、かなり顰蹙ひんしゅくを買う行為だ」


「クロイツェル侯爵家は金持ちで、武門名誉の家柄っすからね。ラングハイム公爵家ともえんが深いし、なあ?」


「それこそ顰蹙ひんしゅくを買いながら、何代も血縁を入り組ませた、近しい関係だ。俺とリーゼの母は先代クロイツェル侯爵と先妻との娘で、後妻に入ったのが父の姉、その息子が叔父上おじうえだ。父方の従兄弟いとこで、母方の叔父おじだ」


「ややこしいねえ。ま、ぶっちゃけ、結婚相手には優良な大駒おおごまで、次こそはって期待度も高かったんすよ」


 ランベルスとカミルの講釈に、おずおずとリーゼが入り込む。


「それに、その……叔父おじさまは、あちこちのお嬢さまと親密な御関係をお持ちでしたから。最終的にどなたが籠絡ろうらくされるのかと、御家族一同を含めて皆さま、相当の、せ、戦争状態だったと……」


「ごめん、リーゼ、言い方に気をつかって。それ全部、あたしにかぶさってきてるから」


 なるほど、順を追って説明されると、想像にかたくない。屋敷に押しかけてきた美人達、殺気立ってたもんな。


 それを全員残念賞という、ある意味平等に決着させてしまったばあちゃんの、力技ちからわざがすごい。


 つまるところ、あたし達の婚約披露会こんやくひろうかいは招待客の一部、だよね、にラングハイム公爵家が非公式の謝罪を込めて、今後のよしみを約束する政治的な手打ちの場でもある、ということだ。


 婚約が遊びじゃ済まされないっての、あたしだけじゃなくて、ばあちゃんも同じだったんだな。


 子供は子供なりに大変だけど、大人だって大変だ。


 アルフレットはどうだか知らないけど。後でひどいからな、もう。


 当のアルフレットは、今日もお仕事で外出してる。ランベルス達も、昼食前に帰った。


 家の主人が不在なら、それが普通だ。


 平気で泊まり込んだ、イルマやギルベルタ達がおかしいんだよ。あの時は、それで助かったけどさ。


 思考が、すぐに引っぱられる。


 イルマは、ほとんど学校に来なくなった。出立しゅったつの準備と、なんて言ったか、小間使いさんの結婚の準備も重なって、忙しいらしい。


 あたしは、それにちょっと不満で、ちょっと安心していた。


 このままけむりみたいにいなくなられても、納得できない。でも、どんな顔をして、なにを話せば良いのかわからない。


 あたしだって忙しくて、手一杯で、そんな自分にもなんだか腹が立つ。


 結局、目の前のことに集中するしか、できることがない。


 あたしは部屋着に着替えて、自室に一人になって、渡された資料の中、招待客名簿と補足情報に目を走らせる。


 情報量は膨大ぼうだいで、親族構成や官職、所領地の特色まで書いてある。


 できる限り頭に入れて、相手が名乗った後、失礼のない会話を交わさなければならない。


 特に、年頃としごろの御令嬢がいる人には、細心の注意が必要だ。こっちにどれだけの誠意があるか、値踏みされているようなもんだしな。


 ほんと、覚えてろよ。


 アルフレットなら自分で、如才じょさいなく右から左にさばくだろうけど、ここは存在感の見せ所だ。これみよがしに苦労の跡を匂わせて、わがままの口実にしてやるぞ。


 だから。


 顔を見せてよ、アルフレット。


 そばにいてよ。幸せなのに、つらいよ。


 資料を勉強机の上に置いて、長椅子ながいすに身体をあずけて、目を閉じる。泣いてなんかいない。


 それでも、無意識にひざを抱えて、ちぢこまっていた。



********************



 目を覚ました時、部屋は薄暗かった。夕方だ。


 長椅子ながいすで寝入ったはずなのに、なんかもっと固いような、やわらかいような、あったかい感じがする。


 ちょっとだけ、汗の匂いがした。


「申し訳ありません。寝台の方が、疲れは取れるとわかっていたのですが……わがままに、つき合わせてしまいました」


 少し見上げると、銀髪の、優しい笑顔があった。


 長椅子ながいすに座ったアルフレットの腕の中で、あたしは雛鳥ひなどりのように、もう一度目を閉じた。


 まどろみの時間、やることとやることの隙間すきまの時間、なにもしなくて良い時間、考えなくて良い時間、あたしは夢かも知れない体温だけを感じていた。


「お仕事、お疲れさま……。ごめんなさい。やっぱり、心配……かけちゃったかな……?」


「こちらの台詞せりふです。こんなに、がんばらせてしまって……すみません。ありがとうございます、ユーディット」


「もっと感謝して。それから、いたわって。甘やかして」


 アルフレットが口づけをしてくれた。


 それで全部、済まそうとしたな。済んでるけど。


 唇と、舌も少し、触れ合った。


 目を開けて、笑って見せる。大丈夫、ちゃんと笑えた。


「今日は、帰ってきて良かったの?」


「ええ。あまり大きな動きはなく、少々、手詰てづまり感があるのですが……」


 珍しく、アルフレットが言いよどんだ。


「先ほど、ラングハイム公爵家で婚約披露会こんやくひろうかいの準備も確認してきました。イステルシュタイン伯爵からは、当日の夜に船が出立しゅったつするため、残念ながら参席を辞退するとの回答をいただいています」


「そう……」


「伯爵のお人柄は、存じています。イルメラ嬢があなたの顔を見れば、惜別せきべつの情を抑えきれないと……それが婚約の慶事けいじくもらせてはいけないと、気をつかわれた日程でしょう」


 アルフレットの、あたしを抱く手に、少し力が入った。


「ここから先は、まったくの推測です。今回、流出した情報そのものに価値はなく、流出経路の構築が主目的と思われます。ですが、ことが発覚した以上、国外への持ち出しなど困難を極めます。軍の厳しい監視が、現在、もっとも届きにくいところ……それは、外交官の私物です」


「え……?」


駐在委任大使ちゅうざいいにんたいし赴任ふにんともなれば、同行の御家族を含めて、私物は多くなります。伯爵御本人が知らなくても、たとえ情報に価値がなくても、諜報活動ちょうほうかつどうの一端をになってしまった既成事実があれば、後々の脅迫材料にできるでしょう」


「そんな、まさか……?」


「最悪の仮定です。ですが万に一つでも、伯爵が利用されるような事態は、防がなければなりません。これはあなたにとっても、重要な問題となる可能性がありましたので、あえて話しました」


 ……。


 ありがとう、アルフレット。


 アルフレットはいつだって、あたしを見てくれている。


 子供になりたい時はたくさん甘えさせてくれて、必要だと判断すれば、こうして大人みたいに接してくれる。


 急に、目の前がひらけたような気がした。


 子供とか大人とか、どっちでも良いんだ。


 いつでも、いつまでも、どっちもあたしの中にある。それだけのことなんだ。


「あたしにできること、なにかあるかな? アルフレット」


「いずれ必ず、情報がそろいます。その時、一緒に決断してください。二人で向き合うことです、私のユーディット」


 ちょっとだけ、うそだ。


 アルフレットはその気になれば、全部一人で決められる。一人で解決できる。ずっとそうしてきたんだろうし、それで最適の結果を出せたんだ。


 でも今は、あたしに半分、あずけてくれる。


 信頼してくれる。一緒だって、二人だって言ってくれる。


 ありがとう、あたしのアルフレット。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る