43.間抜けな顔をしたと思う

 朝の教室で、なんか静かだと思っていたら、イルマが遅刻していた。


 寝台から出られなかったのか。仕方がないな。


 あたしはイルマに頼まれても良いように、授業の内容を、丁寧ていねい筆記帳ひっきちょうに書き留めた。要点をまとめるのはイルマの方が上手うまいから、逆に緊張するな。


 日中、気温が上がったら出てくるかと思っていたら、昼休みになってしまった。


「イルマのやつ、来ないわね。まだ寝てるのかしら?」


 いつものように机を並べ替えて、発酵茶はっこうちゃとお菓子を配膳はいぜんしながら、何気なく言う。


 すると、あたし以外の三人、ランベルスとリーゼ、カミルまでが奇妙な顔を見合わせた。


「ユーディットさま、あの……こういうことを私達が言って良いのか、わかりませんが……」


「おまえにも今日、話すと言っていたが、ためらいが出たのだろう」


「な、なによ? なんか知ってるの?」


「イルマちゃん、年内には学校をめるみたいっす」


 カミルの言葉に、あたしは多分、間抜けな顔をしたと思う。


 リーゼとランベルスの顔を、交互に見る。


「本家で、政府の人事情報を確認した。イステルシュタイン伯爵が、アルメキア共和国の駐在委任大使ちゅうざいいにんたいし抜擢ばってきされたんだ」


「内定は少し前に出されていて……卒業式の後には、もう御家族での、長期の赴任地滞在ふにんちたいざいを申請されていたみたいです。私達も、その、昨日の帰りの馬車で聞いて……」


「めでたい話っすよ。駐在の委任大使なんて、国のお金で向こうのお偉いさんと遊びまくって、居座っても特権全部盛りの大金持ち、帰ってくれば皇室御用達こうしつごようたし御意見番ごいけんばんっす。露骨な失敗がなけりゃ任期も伸ばせるし、まあ、俺達が口をはさめる話じゃないっすよ」


 へらへらと話すカミルに、腹は立たなかった。


 どんな顔をして良いのか、わからなかった。カミルの言う通り、めでたい話だ。それはわかってる。


 アルメキア共和国は、島国のフェルネラント帝国からは大洋たいようの東の向こう側、南北に伸びるアルティカ大陸北方の大国だ。


 歴史的には、雑多な移民の開拓地だったが、今では広大な自国領土に豊富な資源と工業力を持ち、旧来の貴族ではなく、国民に選ばれた議員による共和制を導入した新進気鋭の風潮と聞こえている。


 伝統だのなんだのとうるさい大貴族からはあなどられることも多いらしいが、あたし個人的には発展を見込める、良い国だと思っている。その橋渡しとなれば、将来的な大出世だ。


 でも、なんだろう。


 そういうことじゃないんだ。


 あたしが呆然としていると、ランベルスもリーゼもカミルも、同じような顔になっていた。


 並べられたまま、湯気の出なくなった発酵茶はっこうちゃが、少しゆれた。昼休みも、終わる間際まぎわだった。


「ごめんなさーい、遅くなっちゃったー。寒いのって、本当、苦手なのよー」


 教室の入り口に、当のイルマ本人が現れた。


 うん、すごい格好だ。


 もともと、ふわっとしたやわらかい印象のだったけど、まっ黄色の本気のふわふわ毛皮に着膨きぶくれて、もう新種の動物みたいだ。


「イルマ……! あんた……」


「ごめんなさーい! いろいろまとめて、ごめんなさーい!」


 多分、頭を抱えたんだろう。丸い動物が、少し形を変えただけに見えるけど。


 思わず、近くまで走り寄っていた。でもやっぱり、なにを言って良いのかわからない。


 イルマは、いつもみたいに抱きついてきたりしないで、全部をさっしたように目を細くした。


「もっと早く、ちゃんとお話ししようと思ってたんだよー。でも、なんだかいつも楽しくて……特にユーちゃんには、話すのが怖くなっちゃってー」


「なんで……」


「私、ユーちゃんのこと大好きで、でも困らせてばっかりだったかな、って……お別れだって言って嬉しそうな顔されたら悲しいな、って、思っちゃったのよー」


 いや、その。


 ええと。


 なにその一人合点ひとりがてん? とか、するどいな! とか、あたしだってそこまでひどくない! とか、不意を突かれたら危なかった? とか、いっぺんにいろいろ考えて、おかしな顔になっちゃったよ。


 どうしてくれるのよ。なんか、目が熱いじゃないの。


 イルマはあたしを見ながら、毛皮の奥で、笑ったみたいだった。


「ありがとう、ユーちゃん。やっぱり大好きよー」


 それだけ言って、イルマは他の級友達の方へ歩いて行った。


 挨拶あいさつをして、ちょっと話して、同じように何人かが驚いた声を上げる。あたし達は教室の最前列、遠くから、それを見ているだけだった。



********************



 昼休みの後も、帰り際も、イルマはあちこちの友達と話してて、忙しそうだった。


 あたしはこういう状況で、どうすれば良いかなんてわからない。


 そもそも、あたしの反応なんかにイルマが怖がったり、悲しんだりするなんてこと自体、青天の霹靂へきれきだ。そんな素振りがなさ過ぎたんだよ、今まで。


 駄目だ、考えても文句ばかり出る。八つ当たりだ。


 屋敷に帰ってからも、気持ちがまとまらない。アルフレットもいない。夕食も、夜食も一人だった。


 勉強を切り上げて、日課の屈伸をして、寝台に潜り込む。


 少し時間は早いけど、もう迂闊うかつに夜ふかしできないような寒さだった。


 モニカさんが卒業して、あたしが婚約して、イルマが外国に行く。順番に、あたしも他のみんなも卒業する。


 ランベルスはどこかの大学か、アルフレット達みたいに、軍の士官学校に行くのかな。


 リーゼは大貴族の御令嬢だし、上流階級の社交界で、難しい人づき合いにもまれていくんだろう。


 カミルはあの調子で、自由に図太く、意外と立身りっしんするかも知れない。


 不安、ってわけじゃないんだよな。


 アルフレットやウルリッヒ、ギルベルタみたいに、大人になっても楽しそうにしている友達同士が、ちゃんといる。


 お父さんは好きな勉強で学者をやってるし、お母さんは爵位なしの貴族のはしっこだけど、別にねるでもなくのんきに生きてる。


 あたしの周囲には、幸運にも、素敵な大人がいっぱいいる。


 あたしだって、自分の心に素直に向き合えば、早く大人になってそういう人達に追いつきたいって、ずっと思っていたんだ。


 子供なんて、大人になる前の未完成品、身を守るつのも飛ぶ羽根はねもない幼虫みたいなもんだと思ってた。


 でも、なんか違うのかな。


 なんだか、わからなくなってきちゃったな。


 あたしはそんなことを考えながら、少し冷たい寝台の中で、ゆっくりと眠りに落ちていた。

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