40.なんでいるんだよ

 発動機はつどうきは問題ない。


 液体燃料の燃焼効率も、円筒えんとうの温度も、出力も正常の範囲内だ。


 問題なのは、相変わらず自転車に乗れないあたしだ。仕方がないので、後輪を左右二輪、とにかく倒れない程度まで車軸しゃじくを横に伸ばした。


 古ぼけた自転車の後輪部分に、農機具用の小型の発動機はつどうき燃料槽ねんりょうそうがあり、左右に大きく突き出した車軸しゃじくに二輪がついている。


 不格好な馬車と言うか、お尻の大きい鳥の骨組みみたいだ。


 合計三輪の自動自転車、いや、名詞が自己矛盾してるな。個人用の三輪自動車、か。


 よく晴れた休日の昼前、あたしは自分の作品に、まあ、満足していた。いよいよ試乗だ。


「へー。ユーちゃん、変な物を作ってたんだねー」


「ユーディットさまらしい、と言うか、その……やること自体が個性的ですね」


「努力の方向性が珍妙ちんみょうだな。叔父上おじうえも、ふところの深いものだ」


ねえさんのそういう所、尊敬はしてるんすけどね」


 なんでいるんだよ、おまえら。呼んでないぞ。


 あたしは、来て早々に庭に敷物しきものを広げ、のんきにくつろぐ邪魔者どもを無視して、作業に没頭した。


 こちとら、長くなった分、手入れしなければぼっさぼさの寝癖頭ねぐせあたまに、機械油きかいあぶらの染みついた紺色こんいろまだらの作業着よ。


 取りつくろう余地もないわ。


 どうせまた、イルマがアルフレットと共謀きょうぼうしたんだろう。


 アルフレットも、ああ見えて、子供っぽい悪戯いたずらが好きだからな。困ったもんだ。


「ユーちゃん、そうやってると、男の子の職人さんみたーい。新しいときめきに目覚めそうだよー」


 それは、正常な道に戻ったんじゃないかな。あたしが危険なことに変わりないみたいだけど。


 イルマが視界のはし身悶みもだえるから、ああ、もう、無視もしにくいな。


 イルマは落ち着いた朱色しゅいろに白い差し色を入れた一つなぎ、リーゼは大きな羽飾はねかざりのついた薄黄色の帽子ぼうしと同じ色合いの一揃ひとそろい、すそのすぼまった少し大人っぽい洒落物しゃれものだ。


 ランベルスは、たかが遊びに来るのにも群青色ぐんじょういろの高価そうな上下、カミルはカミルで濃い茶色の上下をゆるく着崩きくずしている。


 物珍ものめずらしそうにあちこち歩き回って、うっとうしいったらありゃしない。


「あのね……どうして休日まで他人の家に来て、ひまそうにしてるのよ? 習い事なり勉強なり、することあるでしょうに」


「こっちの台詞せりふだ。婚約披露会こんやくひろうかいの段取りは本家で整えるが、機嫌伺きげんうかがいくらい来い。お祖母ばあさまも、表には出さないが、心配していたぞ」


「ユーディットさまの様子を見て来て欲しいと、頼まれたんです。やっぱり、特別、お気にかけていらっしゃるんですよ」


「ユーちゃんが緊張しないように、それなら内緒で行って驚かせようって、侯爵さまにもお願いしたんだよー」


 なんてことしてくれてんだ! 最悪だ!


 心臓止まったぞ、今! 多分!


「ちょ、ちょちょ、ちょっと! まさか、正直しょうじきに言う気じゃないでしょうねっ?」


「言えるか。適当に口裏を合わせておくから、本番にはもう少し体裁ていさいを整えろ」


「た、助かるわ……!」


 舞踏会の時も思ったけど、ランベルス、おまえ、ここぞって時に良いやつだな!


 イルマは、もう、ほんと、いい加減にしろよ。


 我ながら、余所様よそさまには見せられないような眼力で、イルマをにらむ。


 ほおを引きつらせたのは、隣のリーゼだけだった。


ねえさん、ひどい顔っすねえ、あはははは!」


「そういうところが、ますます可愛いのよー」


 こんちくしょう。泣くぞ。


 いろいろあきらめて、四人がそろったお茶会の敷物しきものに向かう。ちゃんと、あたしの分の杯とお菓子と空間がある。もう、どうにでもしてよ。


 座ろうとした瞬間、ランベルスが、飛び上がる勢いで立った。


 どこに置いてあったのか、片手に、剣術の稽古道具としてもらった袋太刀ふくろだちを振るう。


 すべるように、軽快に駆け寄った小さな人影と、がっちりと打ち合った。


「そういつまでも、小手先の奇襲にまどわされはしない!」


「やるようになった」


 おかしな世界を広げるな。


 若干4歳のジゼリエル=フリード侯爵令嬢が、まっ白い砂糖菓子みたいなふわふわを着て、ランベルスと同じ袋太刀ふくろだちをいっちょまえに構えている。


 まっすぐな長い黒髪に、横一本線のまゆと上まぶた、口の両端りょうはしが力強く下がっていて、無表情なりに動物みたいに可愛らしい。


「こんにちは! 今日はお招きありがとう! 言っておくけど、本当に招かれてるからね」


「あれ? 仕事の来客があるってアルフレット言ってたけど、ギルベルタ達だったの?」


 娘のジゼリエルと同じ、まっすぐな長い黒髪を背中でまとめた背の高い美人、ギルベルタ=フリード侯爵夫人が、屋敷の方から気さくな笑顔で手を振っていた。


 隣には縮尺のおかしな筋肉怪獣、ウルリッヒ=フリード侯爵さまもいる。


 これまた娘のジゼリエルと同じ、横一本線のまゆと上まぶたに口の両端りょうはしを力強く下げていて、いつも通りのまっ黒い軍服姿だ。


「ギルベルタ達なら、そう言ってくれても良いのに。変なの」


「今度の仕事は事情があってね、ちょっと特別なのよ。アルフレートなら、その内ちゃんと話してくれるだろうから、気にしないで放っときなよ」


 相変わらず、ざっくりしてるな。


 アルフレットが仕事の事情で黙ってたんなら、特別ってことも、今言っちゃ駄目なんじゃないかな。


 きっと、ジゼリエルを連れてきたり、あたし達に顔を見せることも、もうおかしいんだろうな。後ろにもう一人いる男の人が、しぶい表情をしてるもの。


 見ると、40歳を過ぎたくらいで、髪の毛がだいぶ薄い。灰色の上下を着て、せてるのに眉毛まゆげが太くて、口元のしわが深くて、厳しそうな顔をしてる。


 だけど、あれ?


 少し見覚えがあるような。


「げっ! お、親父っ?」


「なんだ、カミルか? おまえがなんで、ここにいる?」


「あっ! そうだ、ヤンセン博士だ!」


 学術書で見た近影きんえいから年齢は上がってるけど、フェルネラント帝国中央大学院の教授で、帝国陸軍に研究室も構えている機械工学の権威、ヘルマン=ヤンセン博士だ。


 カミルのお父さんで、聞いた話では女性観が偏屈へんくつで、子供にも威圧的いあつてきな、困った人だ。


 思わず大声で名前を言っちゃったあたしにも、じろりと厳しい目を向ける。


「これはどういうことかな、フリード侯爵夫人?」


「あれー? 言ってなかったっけ? カミルも、ここのユーディットも、娘の友達なのよ。あっちにはラングハイム公爵家の兄妹と、イステルシュタイン伯爵家の娘さんもいるよ!」


 すごい悪い顔で、ギルベルタが笑った。


 名指なざしされたら仕方がない。ランベルスもリーゼもイルマも、順にヤンセン博士に挨拶あいさつする。ヤンセン博士も、名乗り返さないわけにはいかない。


 もう、事情もなにもあったもんじゃないな。


「それじゃあ私達は、特別な仕事の話があるから、ジゼリエルをお願いね!」


 多分、ヤンセン博士主体の、研究がらみの仕事なんだろうな。


 あたし達が訪問を知ったくらいでどうってこともないだろうけど、秘密にしておきたかった博士への嫌がらせなんだろうな。


 ほんと、そういうところギルベルタも、子供っぽいんだから。


 あたし達は顔を見合わせて、げんなりした感じのカミルの肩を叩いて、お茶会に戻った。


 こういう時、空気を読まない4歳児の存在はありがたい。


 すぐにまた、ジゼリエルがランベルスと元気な大立ち回りを始めて、あたしとリーゼは、よだれをらして追いかけそうなイルマを抑えるのが大変だった。

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