39.離れたくなかったから

 ランべルスもカミルも、最上級生のくせに、お昼になると当たり前の顔でここに来る。制服の金色の縁取ふちどりが目立つのなんのって、嫌がらせか。


「まあ、個人の意気込みは買うけどね。それにしたって、男爵家から公爵家にお嫁入りなんて、格式とか家柄とか大丈夫なの? ばあちゃん、そういうの厳しそうじゃない」


 フェルネラント帝国の爵位は、上から公爵、侯爵、伯爵、子爵、男爵と並んでいる。


 特にラングハイム公爵家は大貴族の本家筋だから、裏の支配者たるゾフィー=ラングハイム前公爵夫人、ばあちゃんは格式と良識の権化ごんげだ。


 余計なお世話は重々承知してるけど、モニカさんが心配なんだよ。


 そんなあたしを、イルマ、リーゼ、カミル、ランベルスの全員が、あっけに取られた顔で見た。


 あれ? なんかおかしなこと言った、あたし?


ねえさん……ねえさんだって、クロイツェル侯爵さんと婚約してるんすよね? そのお祖母ばあさんの御指名で。ノンナートン家は、言っちゃなんですけど、爵位なしじゃないっすか」


 カミルが一応、申し訳なさそうに言う。


 爵位は大まかに、所領地の大きさや、官職の位階で決まってる。世襲せしゅうするからまぎらわしいけど、貴族の子供が全員、爵位を持てるわけじゃない。


 子供全員に領地を分配したり、無理やり官職をあてがったりして爵位を持たせることもできる。


 でも、それをやり始めたら将来的に領地は細切こまぎれになって消え、一族内の相続争いがひどいことになる。


 基本的には長子相続で、他の兄弟姉妹は貴族の血統だけど爵位なし、となる。


 貴族同士で結婚することが多いから、第二子、三子にも返り咲きの機会がないわけじゃない。それでも、どうしたってあぶれる者は出る。ノンナートン家も、その口だ。


 言われてみれば、あたしとアルフレート=クロイツェル侯爵、あたしはアルフレットと呼んでいるけど、あたし達の方が格式の差は大きいのか。


「ばあちゃん、身内には平等に極限まで厳しいから、忘れてた。どうなんだろ。ひょっとして、一族同士だから大目に見たのかな?」


「そんな二重基準を持つお祖母ばあさまではない。家格かかくは、当主の能力と品格によってのみ決まる。伴侶はんりょは、その当主にふさわしい人物かどうか、だ」


「さすが差別主義者、奥さんはものみたいな口ぶりね。モニカさんに言いつけてやる」


「家柄や血統ではなく、個人の能力だけを評価対象にしている。差別とは正反対だ。おまえも叔父上おじうえにふさわしいと言われるよう、努力しろ」


 ランベルスは、堂々と悪びれない。いつかモニカさんやリーゼと協力して、弱みを握ってやる。見てろよ。


 あたしは暗い決意を胸に、甘いお菓子をいただいた。美味おいしい。


 カミルが、前に言ってたな。将来って、人それぞれなんだよな。


 一緒にいる今が、学校っていうこの空間が、むしろ特別なんだ。


 ずっと一人で勉強ばかりしていたあたしが、そんな風に感じるなんて、成長を分かち合うってこういうことなんだろうな。


「あー、ユーちゃんが私達を、優しい目で見てるー。あったかい愛を感じるよー」


「感覚神経の誤動作だよ」


 こりもせずほおずりしてくるイルマを押し返して、残りの発酵茶はっこうちゃを飲み干した。


 芳醇ほうじゅんな香りが、お昼休みの教室に、ただよって消えた。窓から差し込むの光が、おだやかに長かった。



********************



 夜、勉強に一区切りをつけて、机で大きく背中を伸ばす。


 自室と言うには、申し訳ないほど広い。


 立派な寝台と勉強机、やわらかい長椅子に、焼き菓子と香草茶こうそうちゃの杯が並んだ小さなたくと二脚の椅子いすがある。その片方に、アルフレットがくつろいで座っていた。


 アルフレットはこのお屋敷の主人で、今年で29歳と少し年齢が離れているけど、あたしの婚約者だ。


 銀髪に浅黒い肌、背が高くて品があって、自分でいわく『大変』女性にもてる侯爵さま、帝国陸軍でも指折りと言われるほど強いらしくて、頭も良く物腰も丁寧ていねい、礼儀正しく万事にそつがない。


 ちょっとおかしな性格に目をつむれば、ホント、出来過ぎな色男だ。


 あたしは勉強机を離れて、たくの、料理長が作ってくれた夜食の焼き菓子をつまみながら、椅子いすじゃなくてアルフレットのひざに座った。


 夕食も一緒に食べたし、たくさん話したよ。でも、小間使いの人達もいたし、なんと言っても夕食の席は食事作法の実地訓練のだ。


 侯爵夫人たらんとする者、甘えるのは、時と場所を選ぶのだ。


「おや。こうしていると、もう目の高さが並びますね。顔立ちも大人びて、素敵に成長していますよ、ユーディット」


「えへへ。もうすぐ、アルフレットが腰をかがめなくても、口づけできるようになるよ」


 きりっと言い返せれば格好良いんだけど、うん、自分でもわかるくらいゆるゆるだ。


 まったくもう。この、元がつく女たらしにしてみたら、小娘の手をひねるなんて息をするより簡単そうだよ。


 アルフレットが、香草茶こうそうちゃの杯を手渡してくれる。一口飲んで、気合を入れた。


「ねえ、アルフレット……法律ってさ、人を守るのが主旨しゅしじゃない? だから、原則は原則として、当事者の合意があれば情状酌量じょうじょうしゃくりょうが効くと思うのよ」


「なるほど。言わんとすることは、なんとなくわかりました」


 アルフレットが苦笑する。


「ですが、あなたが多少、無理をしていることもわかりますよ。申し訳ありません、気をつかわせてしまっているようですね」


「いや、その……そりゃ、初めてのことなんだから、どっかで無理を飛び越えるのは仕方ないじゃない。アルフレットが、変な我慢がまんすることないよ」


 男の人はそういうものだと、こっそり読んだ本に書いてあった。あたしも、リーゼのことは言えないな。


 それに、こんなことが原因で余所よその美人に誘惑でもされたら、目も当てられない。結局、あたし自身が不安なんだよね。


 ちょっとねた顔になる。アルフレットが苦笑したまま、あたしのほっぺたを、軽くつまんだ。


「いひゃい」


「婚約者を信頼しない人には、お仕置きです」


 つまんだ指をすぐに離して、赤くなったほおに優しく触れる。もう、もてあそばれっぱなしだよ。


「気持ちは、とても嬉しいですよ。ですからこれは、我慢がまんではなく、私のわがままです。あなたが大切なのですよ、ユーディット」


「う……またそんな、上手うまいこと言う……」


「婚約のお披露目ひろめも、もうすぐです。済ませたら、二人でゆっくり夜を過ごしましょう。その時にまた、考えれば良いことです」


 口づけをした。


 少し、長くなった。だって、離れたくなかったから。


 ふくれっつらみたいになって、ようやく離れたあたしを、アルフレットがすずしい顔で見る。


「安心して下さい。これまで、多くの女性と愛し合ってきた私です。肉体だけで誘惑されるほど、純情ではありません」


「その台詞せりふらなかった」


 こんにゃろう。頭にきたから、抱きついて、首筋にみついてやった。


 汗の匂いは、あんまりしなかった。ちょっとだけ残念だった。

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