第三幕 雪が降る日に約束したよ!

38.何ものにも替え難いよ

 フェルネラント帝国高等学校は、あたしのいこいの場だ。


 始業まで少し余裕のあるこのひととき、ああ、何ものにもがたいよ、ほんと。


 最前列真ん中の席は、もうほとんどあたし、ユーディット=ノンナートンの指定席だ。資料と筆記帳ひっきちょうを積み上げ、お尻に根を生やす。生理現象以外はここを離れないと、強く心に決める。


 級友、と言って良いのか、他の学生達は遠巻きにあたしを見るか、見えない振りをするか、だ。


「おはよー、ユーちゃん! 愛してるよー、結婚しよー!」


「……おはよう、イルマ。医務室は一階だよ」


 いつにも増して能天気な声と、やわらかい身体が、教室の入り口に見えるが早いか激突してくる。


 級友か。級友なのか。


 若葉色の制服にぎゅうぎゅうにつめ込んだ、また一段と成長した胸でこっちの顔をうずめるように、個人的に最悪の危険人物と認識しているイルメラ=イステルシュタイン伯爵令嬢、イルマが抱きついてきた。


 肩より少し下まで伸びた栗色くりいろのふわふわの髪に、まっ白な肌をして、人格を全否定すれば美人だ。


 こんちくしょう、今に見てろよ。あたしだって成長してきてるんだからな。


「女の子は、今のユーちゃんくらいが、最高に可愛いと思うのよー。男の人は無理でも、私の指なら多分、痛くないよー。優しくするよー」


「先に警備室か。警察か。犯罪予告でも、厳重注意の履歴くらい残せるんだぞ」


「結婚しちゃえば合法だよー」


「あたしはやっと15歳だよ! あんたの発言、ことごとく違法だよ!」


 あたしは飛び級してるから、同級のみんなより二つ下だ。


 フェルネラント帝国民法ていこくみんぽうの結婚可能年齢は16歳だから、相応そうおうの行為はそれまで原則禁止と、国が定めているようなもんなんだぞ。国家権力は、あたしの味方だぞ。


 とんでもない大騒動に発展した舞踏会の後、しばらくして卒業式があった。


 実行委員の仕事を通して、やっと少し仲良くなれた子もいたのに、怪我の完治していない最上級生男子がひどい顔できょろきょろびくびくしていたもんだから、ほとんど元に戻ってしまった。


 最後まで迷惑かけやがって、くそがきどもが。


 まあ、卒業生代表の挨拶をしたモニカさんがすごく綺麗きれいだったから、雑音は忘れよう。


 あたし達も進級して、若葉色の制服が、えり袖口そでぐちに銀色の縁取ふちどりが入ったものになった。最上級生は、この縁取ふちどりが金色になる。


 なんでこんな、面倒な仕様にしたんだろう。小さな胸章とかなら、制服を最初に大きめの寸法で仕立てて、三年間通して着られるのに。


 そう言ったら、服飾店の人にまで、ぽかんとした顔を向けられた。発想がみみっちくて悪かったな。こちとら一族のはしっこのはしっこ、貴族のみんなが金持ちってわけじゃないんだぞ。


 採寸さいすんの数字は、かなり嬉しい変化が見てとれた。


 あたしは、芝生しばふみたいだった金髪をちょっと長くして、居振いふいも、それなりに気をつけるようになった。


 イルマの妄言もうげんはともかく、来年には、法律的に結婚できるようになる。


 女性の自立とか自由とか、もちろん大切だけど、それはそれとして幸せな結婚にときめく乙女心を責められる筋合いがあるだろうか。いや、ない。


 そのために、今はとにかく、心身を成長させることが大事だ。


 具体的には、勉強して食べて寝ることだ。運動は、まあ、できる範囲で無理なくやろう。


 あたしは机の上に教本を開いて、きもせず腕に胸を押しつけてきたり、太もも同士をくっつけてきたり、髪の匂いをいだりしてくるイルマを無視して、最初の授業の予習に集中した。


 我ながら、こういうところも成長したものだった。



********************



 お昼休みになると、いつもの面々が集まってきた。くるなよ、ぶっちゃけ。


 教室は後ろに向かって、ゆるやかな階段状になっているが、最前列は教壇きょうだんまで同一平面だ。机を並べ替えると、かなりの食卓面積を確保できる。


 並べ替えた机に刺繍入ししゅういりの白い布がかけられ、茶道具一式と巨大な保温水筒ほおんすいとう、可愛いお皿や食器がしめて五人分、いそいそと並べられる。


 昼食は基本的に各自の持参なので、リーゼロッテ=ラングハイム公爵令嬢、リーゼがイルマと一緒になって山盛りに広げているのは、自作のお菓子だ。


 趣味と言っていたが、そこは大貴族家の女首領たるばあちゃん叩き込みの完璧主義、見事な出来栄えだった。


 広げるその手でつまみ食いしながら、イルマの顔がだらしなくとける。


「んー、美味おいしー! やっぱりリーゼちゃんのお菓子、最高ー。将来、うちにもお嫁に来てよー」


「ありがとうございます、イルマさま。その時はユーディットさまも、なんとか言いくるめて御一緒しますので、いろいろがんばりましょうね!」


「……だから、犯罪計画は本人のいないところで相談しろよ、もう」


 ため息が出る。


 リーゼは蜂蜜色はちみついろの髪を丁寧ていねいい上げて、ふっくらしたくちびるをちょっとすぼめた、ゆるふわのイルマともまた違う美人だ。


 同い年のイルマや、年下のあたしにも礼儀正しく接してくれる良いなんだけど、たまに常軌じょうきいっした言動をねじ込んでくる。


「ユーディットさまも、たくさん召し上がって下さいね。同性の心も異性の心も、できるだけ多くつかんで有事ゆうじに備えるべし、と、ものの本にも書いてありました!」


「そのかたよった読書癖どくしょへきも、直した方が良いよ。割と真面目に、さ」


 れてもらった発酵茶はっこうちゃを飲みながら、リーゼの胸元を、ちらりと盗み見る。こっちもずいぶん育ってるな。


 二年でこんなに違うのか、個人差なのか、前者だと思いたい。大体こいつら、平均から良い方にかけ離れてるんだから、比較対象として適切じゃないんだよな。


 苦労して自分を納得させているあたしを尻目に、イルマとリーゼが、文字通り茶飲み話で盛り上がる。


「それでねー、ヴァネッサっていうんだけど、私がちっちゃい頃から家で働いてくれててー、もうお姉さんみたいな感じなのよー」


「結婚ですか……あこがれますね。そういう御関係だと、なおさらですね」


「そうなのよー。すごく幸せそうで、もう、こっちまで嬉しくて、盛り上がっちゃってー」


 親しい小間使いさんの結婚話、ね。それで朝の、いかれた言動か。そういうことなら、まあ、しばらくは大目に見ようじゃないか。


 貴族のお屋敷の小間使いさんは、良縁りょうえんに恵まれることが多い。出入りの商人さんや職人さん達はしっかりしてるし、本人も家事、給仕、礼儀作法を仕事として厳しく教育されるから、とにかく総じて有能だ。


 ついでに言えば、勘違いした雇用主こようぬしや駄目息子なんかは、執事さんか家政婦長さんにめられる。


 むしろ、外部雇がいぶやといの家庭教師とかの方が、下世話げせわな問題に巻き込まれやすいんだよな。


「いやあ、俺みたいな平民からすれば、結婚なんてまだまだ先の話っすけど……告白ついでに求婚したランベルスと言い、ねえさんと言い、貴族は人生慌ただしいっすねえ」


「ちょっと。こいつと一緒くたにしないでよね」


「なにがおかしい? 将来の展望を示すのも、男の当然の責務だ」


 残りの野郎二人が、を混ぜ返す。


 目も手足も細長い赤毛がカミル=ヤンセン、舞踏会の大騒動の原因の一人だったけど、今じゃ平気な顔でお菓子までもりもり食う。平民代表みたいな物言ものいいだけど、多分、かなり図太くてお調子者の部類だ。


 カミルの隣でふんぞり返る、態度の大きい蜂蜜頭はちみつあたまがランベルス=ラングハイム公爵家御曹子こうしゃくけおんぞうし、リーゼのお兄さんで、学校じゃ生徒自治委員会の会長さまだ。


 卒業式が終わってすぐ、式場の中で、卒業生代表を務めたモニカ=ヒューゲルデン男爵令嬢、モニカさんにこの態度と大声で愛の告白と求婚を同時にぶち上げた。


 断られたらどうする気だったんだ。断られなかったけど。


 教授陣も居並ぶ衆人環視で口づけまでして、もう新しい伝説だ。

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