36.思いっきり飛び降りた

 あたしをつかまえようと、机の山によじ登った一人が、均衡きんこうを崩す。


 身体の大きさと重さが違うんだ、同じようにいくもんか。


 遠慮なく、顔に椅子いすを投げ落とす。そのまま滑落かつらくして、ゆかに頭だか腰だかを打ちつけ、のたうち回る。ざまあ見ろ。


 部屋から逃げる方法はなくても、窓際まどぎわに積み重なった机や椅子いすの山には、高低差と、潜り込む隙間すきまがいくらでもある。


 上を押さえた時点で、地の利はあたしのものだ。


 ついでに、また手近な椅子いすを振り上げて、窓硝子まどがらすに叩きつける。耳が痛くなるような音がして、ひびが入った。よし、あと少しで割れるな。


「な、なにしてるっ? やめろっ!」


 りずに山に近づく別の一人に、仕方ない、手に持った椅子いすをまたぶん投げる。けても、ゆかに激突した椅子いすが、やっぱりとんでもない音を上げて、ばらばらになる。


 中央講堂はにぎやかでも、外は静かな月夜だ。破壊音を上げ続ければ、巡回じゅんかいの実行委員や、さっそく二人きりで出歩く不届き者とか、気がつく誰かが必ずいる。


 安全問題の恐れがあれば、開幕どころじゃない。時間だって、使いようで味方にできる。


「くそっ! おい、あっちに回れ! 一斉いっせいに登るぞ!」


 最上級生達が、一人二人、散らばって動く。威勢いせいがいい割に、それだけだ。


 上から見れば良くわかる。半分以上が、明らかにうろたえていた。


 あたしが激昂げっこうして見せたことで、こいつらは、あたしを完全に屈服くっぷくさせなければならなくなった。


 しかも、加害の証拠を残さずに。


 そんなことは不可能だ。


 頭の回る奴から、気がつき始めている。こいつらは、もう集団でさえない。


 大きめの机をばして、山の一角を、雪崩なだれのように突き崩す。別館中をゆらす大音響で、散らばった何人かを巻き込んだ。


「てめえ……っ! もう許さねえ! ぱだかくだけじゃ済まさねえぞっ!」


「甘えるなっ! 殺す気でこい! あたしはとっくに、そのつもりだっ!」


 暴力は強い。


 人の心も身体も簡単に傷つくし、痛いのは怖い。特に女なんて、直接抵抗する手段は、ほとんどない。


 それでも、問題を解決する手段として、暴力は必ずしも有効じゃない。


 あたしがここで、どんな目に合わされたとしても、こいつらが抱えた問題は大きくなるだけで、決して解決しない。


 窓硝子まどがらす椅子いすも壊れて、室内はめちゃくちゃだ。連中の中には、結構な怪我をした奴もいるだろう。


 もう隠蔽いんぺいはできない。事態は必ず、証拠つきで露見ろけんして、醜聞しゅうぶんになる。あたしの正当防衛はゆるがない。


 すでに、あたしは勝っていて、こいつらは負けている。後はただ、あたしが、どれだけ被害を抑えられるかだ。


 さっきから下品にわめいている奴にぶつけてやろうと、また椅子いすを振り上げる。その瞬間、ものすごい勢いで、本館側の扉が叩き開けられた。


 体当たりでもしたのだろう、そのまま、手近な一人を弾き飛ばす。蜂蜜頭はちみつあたまが、傲然ごうぜんとふんぞり返った。


「女に、暴力を振るっているな……!」


 言葉が終わるより先に、当たるを幸い、他の奴をぶん殴る。


「だからこれは、暴力に含まれないっ!」


 いや、どう見ても暴力だけど、まあいいか。あたしがとくする暴力は、良い暴力だ。


 暴れ回るランベルスに続いて、物干ものほしみたいな棒が、混乱していた最上級生の腹をまっすぐに突き倒す。


「この卑劣漢ひれつかん! 恥を知りなさいっ!」


 どこから持ってきたのやら、モニカさんが腰だめに棒を構えて、また一人、目にも止まらず突き入れる。


 先っちょが背中から飛び出すかと思ったよ。今の動き、素人しろうとっぽくなかったぞ。


「ユーちゃんのかたきー!」


「ユ、ユーディットさまのかたきっ!」


「先生のかたき


 イルマとリーゼが果汁飲料のびんを振り回し、薄紅色うすべにいろの一つなぎでおめかししたジゼリエルが、いつもの木刀を最上級生達のむこうずねに容赦なく叩き込む。


 ええと、まだ死んでないよ。かたきじゃないよ。


 それにしても、どうなってんだ。さすがに早すぎる。


 みんなを呆然と見下みおろしていると、奥側の扉が開いて、アルフレットとギルベルタが普通に入ってきた。


「アルフレットまで……どうして……?」


「こつがあるんですよ」


「お互い、よくお世話になったからねえ」


 ああ、うん。


 この部屋、昔から、ろくでもないことに使われていたのか。聞かなくても良かったな。


 苦笑するあたしを見て、アルフレットが、両腕を広げてくれた。


 大丈夫かな。


 少しためらったような気もしたけれど、多分、思いっきり飛び降りた。受け止めてくれて、抱き合った。いつもの、アルフレットの匂いがした。


 安心したら力が抜けたよ。ずり落ちそうになって、慌てて首にすがりつく。かっこ悪いなあ。


 もらしかけた息が、止まった。


 うわ。


 ぞくっとした。


 怖い。


 考えるより早く、なけなしの全力でしがみついた。


「だ、駄目だよ! アルフレット、大人でしょっ? 軍の人でしょっ? 余所よその子供に手を上げたら、大変なことになっちゃうよ!」


 声をふりしぼる。悲鳴だった。


「あたし、大丈夫だから! なんともなってないから! こんな奴らのせいで、アルフレットがどうにかなっちゃうなんて、あたし嫌だよっ!」


 涙が出た。


 手がふるえた。


 少しの間、なんの音も聞こえなかった。


 しんと静まりかえった空気の中で、ゆっくりと、大きなてのひらが髪をなでてくれた。


「本当に……かないませんね。他でもない、あなたの頼みです。聞き入れましょう」


 アルフレットの声は、いつもと変わらない、穏やかな声だった。


 良かった。今度こそ、身体中の全部の力が抜けたよ。


「命拾いをしましたね」


 あれ? 本当に静かだったんだ。


 アルフレットの笑い混じりの一言に、こおったように動かなかった最上級生達が、へなへなとその場に腰を落とす。


 ランベルス達までが、大きな息を吐いていた。

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