33.仕方なくうなずいた

 舞踏会当日ぶとうかいとうじつ夕暮ゆうぐれ、中央講堂前ちゅうおうこうどうまえの広場は、大勢の生徒であふれていた。


 みんな着飾きかざって、楽しそうに話している。


 十日前から、校内のあちこちに置かれていた立て看板が、広場の外縁がいえんにぐるりと並べられていた。


 中央講堂の外壁も、樹々きぎも、はなやかな飾り物でいろどられ、星空のような硝子灯がらすとうの輝きは、薄暗がりにおぼろげだ。


 開場はまだだけど、外周廊下がいしゅうろうかから外をのぞき見て、あたしは慌てて作業に戻った。中央講堂の大広間おおひろまで、実行委員が、最後の準備に駆け回っていた。


 室内は見事に生けられた花々で、整然と飾られている。両側面りょうそくめんには、豪華な飲食物と料理人、立食形式りっしょくけいしき円卓えんたくが並んでいた。


 正面の壇上だんじょう、演奏楽団の椅子いすを配置しながら、舞台袖ぶたいそでからの動線を確認する。


 天井には、大きなくす玉が吊り下げられていた。


 ランベルスが挨拶あいさつした後、左右の舞台袖のひもで割り、同時に楽団の演奏と歌劇団の開幕演舞かいまくえんぶが始まる段取りだ。


 花びらと紙ふぶき、華々はなばなしい曲と拍手喝采はくしゅかっさいを一身にびて、まあ、さぞや堂々とした晴れ姿だろう。


 あたしも含めて、実行委員は、白地しろじを金のぼたんと飾りひも、赤い刺繍ししゅうで飾った詰襟服つめえりふくを着ていた。


 白、赤、金はフェルネラント帝国旗ていこくきに使われている三色だが、まさか本物の軍が、こんな派手な服も着ていないだろう。アルフレットの仕事着も、地味な灰褐色はいかっしょくの軍服だ。


 それでもなんだか、みんなで同じ格好をして、こうして一所懸命になっていると、誇らしい気分がいてくる。


 あたしもいつの間にか、実行委員の他の人と、普通に話していた。招待状書きも、最後はみんなで手伝ってくれたし、こういうのも悪くないな。


「ユーディット! ちょっと来い!」


 舞台袖から、ランベルスの声が聞こえた。見ると、モニカさんも並んでいる。後ろに、イルマとリーゼ、カミルもいた。


「なによ。今から、変な仕事を増やす気じゃないでしょうね?」


 望んでいたことだけど、したは忙しいんだぞ。小走りに近寄ると、まず、イルマが奇声を上げて抱きついてきた。


「ユーちゃん、素敵……っ! きょ、今日はこのまま、お持ち帰りするー! 良いよね? 侯爵さまとも、もうやっちゃってるよねっ?」


「やってないよっ! ちょっと、声の本気度ほんきどが高いよっ! 怖いよ!」


「け、計画実行ですね、イルマさま! ことにおよんでためらうべからず、と、ものの本にも書いてありました!」


のぞんで、だろ! およんでたら最中さいちゅうだよ! 今日のあたしは、警備権限を持ってるからな! 不審者はしばり上げるぞ!」


 イルマは白金色はくきんしょくの一つなぎ、リーゼは薄群青うすぐんじょう一揃ひとそろいで、二人ともかねのように広がったすそと開いた肩、首飾りに薄化粧うすげしょう可愛かわいらしい。


 黙って立ってれば良いのに。口を開くと、ぼろが出るぞ。


ねえさん、お役目、御苦労さまです! あわよくば二人きりで静かに歩きたいって奴らも多いんで、適当に目こぼししてやって欲しいっす!」


「あんたもそれ、今言うなよ」


 ランベルスが咳払せきばらいをする。モニカさんも多分、聞こえない振りをしてくれた。


「ユーディット、急な話で悪いが、おまえが言った通りだ。仕事を一つ頼みたい」


「はいはい。今日までは、あんたの手下なんだから、できることはやるわよ。どうしろっての?」


「開幕の挨拶あいさつをして欲しいのよ。実行委員のみんなにも話して、賛成してもらっているわ」


 モニカさんの言葉に、あたしは一瞬、返事が遅れた。


「え……?」


「難しい話じゃない。俺が主文しゅぶんべるから、合図をしたらくす玉の下まで来て、宣言しろ。落ち着いて、声を大きく出せば、それで良い。後は他の人間が盛り上げる」


 いや、その。


 正直、頭がついていかなかった。思わず助けを求める視線を泳がせると、モニカさんと目が合った。


「年長者を、あんまり甘く見ないことね。あなたの働きに気がついていたのは、私だけじゃないわ」


「ユーディット。おまえは俺を差別主義者と言うが、差別とは、行動を正しく評価しないことだ。男女や立場による、あってしかるべき違いを認識することは、差別とは関係ない」


 ランベルスが、相変わらずえらそうに、ふんぞり返る。


「おまえは、賞賛しょうさんされるべき仕事をした。皆に差別をさせるな」


 ええと。困ったな。


 こういう時って、どんな顔をしたら良いんだろう。


 イルマもリーゼも、カミルもびっくりしてる。そりゃ、するよ。突然なんだよ、もう。


 あたしは呆然としたまま、仕方なくうなずいた。仕方なくだよ。


 開幕じゃ、さすがにまだ、アルフレットは来てないよね。それが、ちょっとだけ残念だった。



**************



 外が少しづつ暗くなり、楽団が楽器の調整を始めて、生徒達が講堂の広間に入り始めた。


 実行委員が先導し、飲み物、料理を思い思いに手にして、円卓えんたくの周りに社交界のような談笑が満ちた。


 あたしは舞台袖で、がらにもなく緊張していた。


 こんなに大勢の前で話すなんて、初めてだ。本当に簡単な、挨拶あいさつの最後の宣言だけだから、頭には問題なく入っている。


 問題なのは口の方だ。ちゃんと言えるかな。


 名誉な大役たいやくを任せてくれた。それは素直に嬉しかった。胸を張って、がんばろう。


 でもね。緊張はするんだよ。


 どきどきするんだよ、もう。


 一人隠れて深呼吸していると、軽く肩を叩かれた。変な声が出て、飛び上がるかと思ったよ。


「あ、驚かせてすんませんっす。ねえさん」


「カ、カミル? どうしたのよ、こんなところで。女の子に声とか、かけてなくって良いの?」


「それは後から、しっかりやりますよ。ランベルスから、休憩用の椅子いすが少ないようだから持ってきてくれって、頼まれたんです。すいませんが、手伝ってもらえませんか?」


「今から? 慌ただしいわね、まったく」


 カミルが笑って、肩をすくめた。


 挨拶あいさつまでは、まだ時間がある。周りを見れば、みんな忙しそうだ。


 この状況でなにもしないでいると、確かに、緊張するばっかりだな。


「大した力仕事はできないけど、良いわ。どこから持ってくるの?」


「資料保管室っす。助かります」


 中央講堂からなら、本館も別館も距離は変わらない。なるほど、本館の椅子いすを適当に持ち出したら、後でちゃんと戻すのが面倒そうだ。


「それじゃあ、さっさと済ませちゃいましょ。あ、だからって本気で走ったら、ただじゃおかないわよ」


「心得てます! ねえさん、小っちゃいっすもんね」


ばすぞ、こんにゃろう」


 講堂を出ると、綺麗きれいな満月が昇っていた。舞踏会からの帰り道は、月明かりを楽しむことができるだろう。


 カミルと二人、別館三階のはしっこに着く。カミルは手前側の扉を素通すどおりして、奥の扉に手をかけた。


「そっちは開かないって、モニカさん言ってたよ」


「これは秘密なんですけど、こつがあるんすよ」


 カミルが、取手とっての辺りをがちゃがちゃと、何度か操作する。ちょっと重い音がして、本当に扉が開いた。


「後で、教えてあげても良いっすよ」


「あきれた。まさか、さぼり部屋にしてないでしょうね? 先に知ってたら、実行委員なんてしないで、ここで本でも読んでたわ」


「それは、さぼりじゃないんすか?」


緊急危険回避きんきゅうきけんかいひよ」


 中に入ると、窓側に積み上がった机と椅子いす隙間すきまに見える満月で、明るかった。カミルも入って、扉を閉める。


 うん?


「ちょっと。また開けるの、面倒なんじゃ……」


「やれやれ、これでなんとか、計画通りに戻ったか」


「ランベルスの野郎、余計な手間を増やしやがって。あせったぜ」


 手前側の扉の方から、声がかぶさった。


 先客がいる。十人くらい、ちらほらと顔に見覚えがある。実行委員にいた、最上級生の男子達だ。


「すいません、ねえさん。くす玉は、ランベルスの上で割れてくれないと困るんです。少しだけ、ここにいて下さい」


 カミルが、細長い手足と背中を窮屈きゅうくつそうに曲げて、頭を下げた。

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