29.仕方ないよね

 雇用こようには契約けいやくが存在する。


 どんなに親しい間柄あいだがらであっても、なんらかの成果を達成目標にする仕事と、それにともなう金銭の授受じゅじゅが発生するならば、厳然げんぜんたる雇用だ。


 雇用であれば、口頭こうとうであれ書面しょめんであれ、業務内容を取り決めた契約があり、遵守じゅんしゅする義務が双方に課せられる。


 ノンナートンの家は、大した財産のない貴族社会のはしっこで、学者の父の給料がおもな生活のかてだったから、その辺の意識はしっかりしているのだ。


「おお? おもしろそうなのが増えてるね」


「カミル=ヤンセンです! 綺麗きれいな御婦人に会えて嬉しいっす!」


「ほんと、ごめんね……気にしないで、敷地の外に放り出しとくから」


 フリード侯爵家の応接間に入るなり、うなだれたあたしの頭を、ここぞとばかりイルマがなでる。


 いいよ、もう。契約を一度も履行りこうできない、駄目な女だよ。好きなだけあわれんでよ。


 リーゼはリーゼで、みつきそうな目でカミルをにらんでいた。


「外か。良いね! も長くなってきたし、今日のお茶は、庭で飲もうか」


 言うが早いか、ギルベルタが手に持っていた棒のような物を、一番後ろにいたランベルスに投げた。受け取って、ランベルスが怪訝けげんな顔をする。


袋太刀ふくろだちって言ってね。なめした革袋かわぶくろの中に、良くしなる種類の木を束ねて入れた、剣術の稽古道具けいこどうぐだよ。子供だけで木刀を打ち合ったら、さすがに危ないからね」


「手加減」


 ギルベルタの足元で、いっちょまえに藍色あいいろ稽古着けいこぎを着たジゼリエルも、同じ物を持っていた。


 ランベルスが、袋太刀ふくろだちで自分の腕を叩いてみる。軽く、はずむような動きだった。


「なるほど、これは良い。先日の名誉挽回めいよばんかいだ。一対一なら、遅れは取らんぞ!」


「受けて立つ」


 鼻息の荒い二人が、早速、庭に駆け出していく。


 ランべルスは、どうやら本当に認識を改めたらしく、幼女に向ける剣を持ち合わせたようだ。良いのか悪いのか、わからないが。


「まったく……アルフレットも、身内の評価は甘いわね。ランべルスのどこが良いすじなんだか。ジゼリエルに遊ばれてんじゃないの」


「いやあ、あれでちゃんと、合わせてくれてるよ。本気で打ち合ったら、さすがにランベルスが勝つって」


 ギルベルタが、言葉とは裏腹に、悪い顔をする。


「でも、それはまだまだ、体格と筋力の差ってのが大きいね。ジゼリエルには、そういう相手を振り回す技術をきっちり仕込んであるから、油断したもんじゃないわよ」


 あ。アルフレットやウルリッヒにかなわないこと、いまだにくやしがり続けてるな。


 子供っぽくて意地っぱりか。男とか女とか、関係ないんじゃないか?


「私やウルリッヒだと、どうしても教えるばっかりになっちゃうからね。ならったことを思いっきり使えて、ジゼリエルも楽しいんだよ。ランベルスだって、ラングハイム家おかかえの武術師範ぶじゅつしはんに、教わってばかりだったんじゃないかな」


 ギルベルタが、あたしを見て笑う。


 さすがは人の親、あたしを含めて、子供を良く見ている。知らないうちに気負きおっていたのが、ちょっと恥ずかしい。


 素直に反省する。一緒に楽しむ気持ちが、まずは大事だ。


「ねえ、ギルベルタ。あの棒みたいなの、あたしの分もあるかな?」


「その言葉を待ってたよ! なあに、アルフレートをちょっと驚かせるくらい、すぐできるようになるって」


「あー。ユーちゃんがやるなら、私もー」


「わ、私も御一緒させて下さい! 体力的な自信は、ありませんが……」


「あたしより駄目ってことはないから、安心しなよ。カミル、あんたもまさか、逃げないわよね?」


「ええ? いや、お断りですよ! だってこれ、俺を練習台で、ぼこぼこにする流れっしょ?」


「へえ。気はかないくせに、かんは良いのね」


 あたし達の含み笑いに、ギルベルタがぽん、と手を叩いた。


「思い出した! ヤンセンって、あんた、あの禿げじじいの身内か!」


「ギ、ギルベルタねえさんも、親父のこと知ってるんですか?」


 まあ、そうか。カミルには説明してなかったけど、ギルベルタも軍にいたんだもんな。知ってておかしくないか。


 それにしても、ひどい言いようだな。


「あんにゃろう、顔を合わせれば、やれ女は早く結婚しろだの、子供を産んで引退しろだの、うるさくってさ! むかついたから、一度だまして格闘訓練に引っ張り込んで、部隊のみんなで、ぼこぼこにしてやったら、それもに持ちやがってさ!」


「は、博士は軍人じゃないよね? それは半分以上、ギルベルタが悪いと思うよ?」


「いやいや! ねえさん、同じこと考えてたっすよね!」


 なんだ、こんにゃろう。まともなこと言いやがったな。


「よし! 私を入れて、全部で五本ね! 次までにそろえておくわ。いやあ、あの禿げじじいの息子となれば、しっかり思想注入しそうちゅうにゅう……じゃなくて、教育してやらないとね!」


「ひ、必要ないっす! 俺はれっきとした、男女平等主義者ですって!」


「それじゃあ平等な一票で、多数決ね。全員参加が良いと思う人ー」


「数の暴力っすよ、それ!」


 うん。世の中には、いろんな暴力があふれてるよね。


 仕方ないよね。現実だもの。

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