26.それでいいや

 改めて見て、応接間がずいぶん広いのにも納得いった。


 今、座っている長椅子ながいすとお菓子を並べたたくの他は、調度品の厚みがなくて、全部、壁際かべぎわに寄ってるんだ。


 ジゼリエルが、いろんな相手を木刀で追い回すって、ギルベルタ言ってたもんな。あれ、自分のことはたなに上げてたんだな。


 奔放ほんぽうに暴れ回るジゼリエルに、ちゃんと相手がけにくいように、ギルベルタがちょいちょいと剣先を合わせている。


 ランベルスだけが、必死の形相ぎょうそうで防戦していた。


「あ、あの……だ、大丈夫なんでしょうか?」


「怪我させるような下手へたはしないでしょ。どこからが怪我なのかは、わからないけど」


「ジゼリエルちゃんのほっぺ、もちもちで、すべすべだったー。幸せー」


 騒々しい大立ち回りを尻目に、女三人、美味おいしいお菓子をむさぼり食う。


 夕食、入るかな。なんだか予定と全然違っちゃったけど、これはこれで楽しいか。


「ねえ、リーゼ。いい加減わかってると思うけどさ、あたしなんて、ほら、地味なもんよ。婚約が騒ぎになってるのは、アルフレットの影響力だわ。どうせ目標にするんなら、ギルベルタなんかが良いんじゃないの?」


「え……?」


 あたしの軽口に、リーゼが驚いた顔をする。


 あれ? 変なこと、言ってないよな。


 リーゼは、ちょっと厚くて可愛らしいくちびるに手を当てて、一所懸命に言葉を探している。


 基本、真面目まじめで奥ゆかしくて、良いなんだけどな。どうして、妄想だけは突っ走るのかな。


「私……お祖母ばあさまのことを、尊敬しているんです」


 少しして、リーゼがためらうように言った。


「小さい頃からずっと、お祖母ばあさまみたいな、立派な貴婦人になりたくて……良くできたって、めていただくのが嬉しくて、がんばってきたんです。その気持ちは、今でも変わってないんです。でも最近、なんだか苦しくて……」


 最近まで耐えたんだから、充分すごい。突然変異のばあちゃんに、まともな人間がついていくのは、とんでもない荒行あらぎょうだよ。


「勉強も、行儀作法やならいごとも、どんどん難しくなってきて……子供の頃みたいに、めていただくこともなくなって……わからなくなってきちゃったんです。お祖母ばあさまのことも、家のことも、嫌いになんてなりたくないのに……逃げ出すことばっかり、考えるようになってしまって」


「お祖母ばあさま、厳しそうだもんねー。私も怖かったよー」


「嘘つけ。口、すべらせまくってくれたくせに」


 あたし達の茶々に、リーゼが、今度は明るく微笑ほほえんだ。


「だから、お師匠さまのうわさを聞いた時は、驚いたんです。一族でも、こんな自由な女の人がいるんだって……いても、良いんだって。なんだかとても、目の前が広くなった気がしたんです」


「実際、いなかったでしょ。そんな女」


「でもその時は、私を救ってくれたんです。それに、こうして一緒にいて、やっぱりすごいって感じます。叔父さまはもちろんですけれど、ギルベルタさまも、お祖母ばあさまも、お師匠さまのことを一人の人間として、ちゃんと認めているんです。私、わかります」


「そ、そうかな……」


「お師匠さまが大仰おおぎょうなら、せめて、ユーディットさまって呼ばせて下さい。私、お祖母ばあさまのことも、家のことも、自信を持って好きって言えるように……ちょっとだけ反抗して、自分を大きくしたいんです。そういうこと、ユーディットさまから、いろいろ学べる気がするんです。仲良くして下さい、ユーディットさま」


 丁寧ていねいい上げた蜂蜜色はちみついろの髪と、ちょっとはにかんだような目が、きらきらしてる。


 参ったな。そんな大層なもんでもないけど、まあ、同志だしな。


「わかったわよ。でも、妄想と思い込みは勘弁かんべんしてよね。イルマ一人でお腹いっぱいだよ」


「ユーちゃん、ひどーい。私のは、愛と欲望だよー」


「欲望混じりか。隠す気ないのかよ」


「切り離せないよー」


 深いな。迷惑だけど。


 相変わらず、がんがん打ち合う音が続いている中で、三人で笑い合った。


 あたしも含めて、みんな少しずつ変だけど、友達だ。それでいいや。


 さて、と。


 いい加減、ランベルスを助けてやろうと腰を浮かしかけた時、応接間の扉が開いた。


 扉のわくから、鼻から上と、両肩がはみ出てる。


 窮屈きゅうくつそうにくぐって、短く刈り込んだちゃの髪と、ジゼリエルにそっくりなわった目つき、両端りょうはしが下がった口に、真っ黒い軍服の大男が入ってきた。


「お帰り、ウルリッヒ。騒がしくてごめんね、お邪魔してるわ」


「お久しぶりですー、またお目にかかれて光栄ですー」


 あたしとイルマの挨拶あいさつに、ウルリッヒが無言で会釈えしゃくする。


 なにを話したら良いか考えてるな。そしてあきらめたな。早いぞ。無理もないけど。


「おー、帰ったね! それじゃあ良い運動もしたことだし、夕飯にしようか」


「お父さま、お帰りなさい」


 ギルベルタが清々すがすがしい笑顔で木刀をしまい、ジゼリエルも元気よく怪獣にしがみつく。ランベルスだけが、息もえだ。


「災難だったわね。主義主張は、相手と状況を考えた方が良いわよ」


「に……認識、を……改め……よう……」


 素直でよろしい。混じりっ気なしのあわれみで、丸まった背中を叩いてやっていると、反対側の手を、リーゼに思いっきり握られた。


「な、なに? どうしたのよ?」


「ユ、ユーディットさま……っ! あの方が、その、うわさの……」


「うわさはもういいって。ウルリッヒよ。ギルベルタの旦那さんで、ジゼリエルのお父さん。本人が自慢してるわけじゃないけど、まあ、立派な体格でしょ」


「は、はい……腰が、抜けるかと……お、同じ人間なんでしょうか……?」


「あたしも最初、疑ったわ。もう怪獣よね、あんなの」


「ギルベルタさま、背は高いけど、あんなにすらっとされているのに……」


 んん?


 一瞬、疑問符ぎもんふで反応が遅れた。リーゼがなんだか、目をぐるぐるさせていた。


「は、入ったんですよねっ? あの人の! ギルベルタさま……っ! す、すごいです!」


「ぅおいっ! いきなり、なに言い出してんのよ、ちょっと!」


「だって、そうですよねっ? 娘さんがいるってことは、そういうことですよねっ?」


「そうかも知れないけど、駄々だだもれさせるなっ! ランベルスっ!」


「す、すまん……すぐには、動けん」


「この役立たず! イルマ、手伝え! とにかくリーゼの口ふさいで、押さえて! 説教してやるわっ!」


 年下、せっぽちの悲しさで、しがみついても上手うまく黙らせられない。リーゼもけっこう、胸、大きいな。こんちくしょう。


「わ、私、実はすごく不安で……っ! ものの本には、痛くても耐えるべし、痛くなくても痛がるべし、って書いてあって……っ!」


「どんな本だよっ!」


「あー、でも、私もちょっと気になってたー。ユーちゃんも本当は興味あるんでしょー? もうすぐ他人事ひとごとじゃなくなるしー」


「あたしのことは放っとけよっ! 人間として最低限の、思慮分別しりょふんべつの問題だよっ!」


 もみくちゃになっていると、扉の方でギルベルタが、不思議そうな顔をした。


「おーい、どうしたの? 夕飯にするよ」


「先生、一緒に行く」


 ジゼリエルが、とことこ近づいてくる。


 いや、まずい。食卓についたら手が出せない。


 今この場で、こいつら、きっちり正気に戻して、くぎを刺しておかないと。無我夢中で、とにかく、イルマとリーゼの頭をはたき倒した。


 これも暴力か。だとしたら、こんな変人ばっかり寄ってくるあたしの人生、暴力抜きじゃ回らないぞ。


 見苦しいだのなんだの、言ってられないぞ。まったく。

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