22.幸せなんだろうな

 一日の授業が終わって、性懲しょうこりもなくひっついてくるイルマをがしながら校門に向かうと、開いた門のど真ん中に立つ、迷惑な男子と目が合った。


「ランベルス=ラングハイムだ!」


 ああ、そうか。


 言われた通り、また名乗ったのか。えらそうな割に、律儀りちぎなやつだな。


「ランラン先輩、しつこーい」


「ランベルス=ラングハイムだっ!」


「ちょっと、もう、うるさいなあ。なんなのよ? 言い足りないことがあったなら、手短かに……」


今朝けさは悪かった!」


 んん?


 腕組みして、足を肩幅に踏みしめて、ふんぞり返ってまゆをつり上げた様相ようそうからは、およそ連想しがたい言葉が聞こえたぞ。


「俺の早合点はやがてんだった。そして確かに、俺がしゃしゃり出る幕でもなかった。間違いを認めることは恥ではないと、お祖母ばあさまからもしつけられている」


「ええと……そう。わかり合えて良かったわ。それじゃ……」


「だから、正しく出る幕の人間を連れてきた! 話を聞いてもらおう!」


 会話になってるのか、これ。


 明らかに面倒くさい展開に、頭を抱えそうになっていると、門柱の陰から、おどおどした様子の女子が現れた。


 あたしは飛び級で入学してるから、同級でも二つ年上のはずだけど、胸の前で手を握り、ずいぶんちぢこまって見える。


 丁寧ていねいい上げた髪が、並んだお隣と似たような、鮮やかな蜂蜜色はちみついろだった。


「リ……リーゼロッテ=ラングハイム、です。お兄さまが失礼をして、も、申し訳ありません」


 御曹子おんぞうしの次は、深窓しんそう御令嬢ごれいじょうか。


 綺麗きれいな顔立ちなのに、あたしをにらむ目が、尋常じんじょうじゃない。そういうことね。


 アルフレットなら親戚つき合いもそつがないだろうし、可愛い甥姪おいめいだったら、特別に優しくもするだろう。


 貴族の血縁関係は複雑だから、どっかで配偶者はいぐうしゃをはさんでいたり、別の姻戚関係いんせきかんけい併存へいぞんしていれば、近親基準きんしんきじゅん三親等さんしんとうも免除される。


 子供の頃から胸に秘めていた、とかなら、ぽっと出のあたしに持って行かれて、納得できない気持ちはわかる。


「あー……初めまして、よね。一応、又従姉妹またいとこくらいになるのかしら」


 ばあちゃんはアルフレットの婚約相手に、このを選ばなかった。


 まあ、そうか。このじゃ有頂天うちょうてんになって全力で言うこと聞くだろうし、アルフレットの課題にならないか。


 直系の孫にも容赦ようしゃがないな。だから、全方位に嫌われるんだな。


 リーゼロッテはあたしをにらみながら、一所懸命に言葉を探している。


 なにを言われたって、あたしがゆずる道理はない。それはもう、あたし自身とアルフレットへの裏切りだ。


 ちゃんと聞いて、はっきり言い返すしかないけれど、気が重いなあ。


 視線を泳がせると、ちゃっかり少し離れて、イルマがあからさまにおもしろがっていた。


 他にも大勢の生徒が、下校の足を止めて、好奇こうきの目を向けている。他人事ひとごとなら、そりゃおもしろいだろう。暇人ひまじんどもめ。


「あの、私……お、叔父おじさまが婚約なされたって、聞いて……その、すごく、驚いて……」


「まあね、あたしも驚いてるよ。人生、こんなこともあるんだね」


「それで、ユーディットさまのこと、うかがって……こんなこと、いきなり失礼だって、わかってるんですけど……」


「うん。そこのお節介焼せっかいやきにも言ったけど、聞くだけ聞くよ。それ以上は約束できないし、あやまったりする気もないから」


「あの……っ!」


 リーゼロッテが、胸の前で両手を握りしめた。


 ふるえてる。勇気か、覚悟か。ふりしぼったものにだけは、敬意を払うよ。


「私を……弟子でしにして下さいっ!」


 んん?


 なんだか、あいだがすっ飛んだぞ。


「ユーディットさま、すごいです……っ! こんなに小っちゃくて、あんまり美人でも、おっぱい大きいわけでもないのに、あの叔父さまを籠絡ろうらくするなんて……っ!」


「ちょっと待てぇっ! ひどいこと言っただろ、今っ!」


「うわさも聞いてますっ! 年端としはもいかない女子や、ひ、人妻や、親子ほど年齢の離れた肉体自慢の殿方まで、次から次に……」


「イルマぁっ!」


うそは言ってないよー。みんなにわるわる愛されて、ユーちゃん、とろけちゃいそうな顔してたー」


「眠かったんだよっ! お昼を一緒に食べただけだろっ! いかがわしい言い方すんなっ!」


「叔父さまとも同棲どうせいされて、も、もちろん、初めても済まされたって……そ、尊敬しますっ!」


「済ませてないよっ! 大声でなに言わせるのよっ! 少しはおかしいと思いなさいよっ!」


「いいぞリーゼ、引っ込み思案じあんだったおまえが、よくがんばっている! あと一押しだ!」


「まだあるのかよっ! あんた、保護者じゃなくても、この場は監督責任者かんとくせきにんしゃだろっ! 身内の言葉の暴力をなんとかしなさいよっ!」


「私、ユーディットさまみたいになりたいんですっ! しっかりと婚約者を確保しながら、殿方とも婦女子とも不潔ふけつな関係を楽しんで恥じないユーディットさまに、あこがれてるんですっ! お師匠さまと呼ばせて下さいっ!」


「とんでもない言いがかりだよっ!」


 そこから先は、あんまりよく覚えていない。とにかく暴れた。ばしたかも知れない。


 女が暴力を振るって、なにが悪い。この世には、しかるべきむくいってものがあるんだぞ。思い知らせてやるぞ、こんちくしょう。



***************



 夕食の席でぐったりして、口数も少なかったあたしを心配したのだろう。アルフレットが部屋に、早めの夜食を持ってきてくれた。


 小麦粉を卵でといた薄焼きに、燻製肉くんせいにくと野菜が巻いてある。甘味かんみじゃないけれど、これはこれで美味おいしかった。


「本家のお二人も、元気な様子で安心しました。仲良くなれそうで、良かったですね」


 小さなたくに向かい合って、一緒に夜食を食べながら、アルフレットが平和なことを言う。


 銀色の髪と青い目、浅黒い肌、背が高く物腰も丁寧ていねいな色男だ。むしろ、平和じゃないところを見たことがない。


大雑把おおざっぱなまとめ方して……こっちは、たまったもんじゃないわよ、もう」


「お祖母ばあさまは、特に女性のしつけには厳しいですからね。ある程度の反抗心も、健全な成長のあかしですよ」


「目ざす方向性は、不健全も極まってるけどね」


 ようやく、冗談を言う余裕が出てきた。


 弟子だの師匠だのは置いといて、まあ、ばあちゃんと戦う同志ってことにしておいてやるか。


 アルフレットが微笑ほほえんだ。


 言いたいことはわかってるぞ。あたしだって、この家に放り込まれた頃は、ずいぶん反抗心をこじらせていた。


 今は、物事をいろいろな方向から見て、受け止め方を調整できるようになった気がする。


 じゃなきゃ、ばあちゃんのことや、あんな騒々しい兄妹のことなんか、考えるだけで嫌な気分になっていたはずだ。


 あたしも笑って、それからは今日教わった勉強や、なんとなく気がついた教授のくせ、小間使いの人達から聞いた新しいお菓子屋さんの評判とか、他愛たあいもないことを話した。


 調子に乗って夜更かししてもまずいから、いつも、お開きの時間は決めていた。今日は早く来てくれた分、いっぱい話せて嬉しかった。


「それでは、お休みなさい。あまりこんをつめすぎないで下さいね」


「ありがと。もう一区切り復習したら寝るわ」


 部屋を出る時、アルフレットが少しかがんでくれて、口づけをした。こんなこと、イルマなんかには、絶対知られるわけにいかないな。


 扉の向こうで遠ざかる気配を、泥棒どろぼうみたいに確かめてから、あたしは、おもむろに手足を屈伸くっしんした。


 ゆかに足を広げて、前屈ぜんくつもした。脇腹わきばらを伸ばしたりなんかもした。


 痛い。どうなってんのよ、もう。女の身体がやわらかいなんて、誰の思い込みよ。


 引きつりそうになりながら、あちこちを曲げて、伸ばす。最近始めた日課だ。


 なんか失敗した時の逃げ足だけは自信があるけど、まともな運動はからっきしなんだよ。


 柔軟性も壊滅かいめつしてる。あくまで個人差とは聞いているけど、傾向的に、不安要素ばっかりなんだよな。


 リーゼとの怒鳴り合いを思い出して、へこむ。あんな情けないこと言いたくなかったよ。


 でも、ほら、せっかく盛り上がった時に、あんまり大騒ぎしたら申し訳ないじゃない。


 アルフレット、身体大きいし。あたし、せっぽちで小さいしさ。こういう涙ぐましい努力もしてるのよ。


 うわさみたいな女傑じょけつ、あたしだって憧れるわ。


 苦笑して勉強に戻る。とりあえず目の前のことを、しっかりやろう。


 明日は、どんな顔でおはようを言おうかな。どんな顔で返事してくれるかな。そんなことも楽しみに思えるんだから、幸せなんだろうな、うん。

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