第二幕 月の明かりで踊ったよ!

21.いろいろあったけど

 いろいろあったけど、やっぱり学校は、あたしのいこいの場だ。もう、ほんと、涙が出てくるよ。


 最前列、真ん中の席に陣取じんどり、資料と筆記帳ひっきちょうを積み上げて、お尻にを生やす。生理現象以外はここを離れないと、強く心に決める。


 学問の世界は理路整然として、静謐せいひつだ。


 だけど、あれ? なんかおかしいな。


 ばあちゃんの騒ぎから、ようやく気持ちも落ち着いた。落ち着いて周囲を見てみれば、なんだか教室の空気が違う。


 空気って言うか、あたしを見る目が。


 芝生しばふみたいな短い金髪をさわってみる。変な寝癖ねぐせはない。可愛げのない顔や、小さくてせっぽちは、今に始まったことじゃない。


 若葉色わかばいろの、まだまだ余裕のある制服の、あちこちを見る。汚れたり、破れたりはしてないよな。


 やっぱり、あたし自身を怪しげな目で見てるのか。


「おはよー、ユーちゃん。今日も、抱っこしたいくらい可愛いよー」


 能天気な声と、やわらかい身体がのしかかってきた。有言実行じゃないか。めないぞ。


「イルマ……あんた、またなんか、やってくれたの?」


 ふわふわの栗色くりいろの髪にまっ白な肌、胸もお尻もふくよかな、一見してそうは見えない最悪の危険人物が、笑顔で小首をかしげた。


「えー? 多分、私だけのせいじゃないよー」


「心当たり、出るの早いな」


 深呼吸だ、あたし。


「この前、ユーちゃんにお呼ばれした時にねー」


「呼んでないよ! 最初っから事実歪曲じじつわいきょくかよ!」


「私、うきうきしちゃってー、友達にも話してたのよー」


「あたしにも言えよ! 当事者だよ! 聞いてたらその場で、断固拒否したよ!」


「次の日、私もユーちゃんも、学校休んじゃったじゃないー? みんな、すごく心配してくれてー、私、つい……」


「もういいよっ! 大体わかったよ! どうせ余計なこと言って、誤解を広げまくってくれたんでしょ! いつか絶対、仕返ししてやるからな! 覚えてろよっ!」


 へらへら笑うイルマを、胸ぐらめて振り回していたら、急に手首をつかまれた。


 誰だ、正義の味方か。見ると、蜂蜜色はちみついろの髪の、しかつめらしい顔の男子が立っていた。


 若葉色の制服に、銀の縁取ふちどりが入っている。一つ上級か。けっこう背も高く、見下ろしてくる目が、尊大そんだいそのものだった。


「女が暴力を振るうな。見苦しい」


「……あたしからすれば、この手も充分、暴力っぽいんだけど。男なら良いわけ?」


「女を暴力から守る行為は、暴力に含まれない。男の、当然の責務だ」


 なるほど、差別主義者なりの屁理屈へりくつか。


「あー、ランラン先輩だー。おはようございますー」


「おかしな省略をするな! ランベルス=ラングハイムだ!」


 んん?


 今なんか、聞きたくない響きが聞こえたぞ。


 思わず、まじまじとにらんだ。鼻で笑われた。


「下品で乱暴な小娘だな、ユーディット=ノンナートン。叔父上おじうえが目をかけていると聞いたから、どれほどの女かと思っていたが」


 叔父って誰だ。


 ばあちゃんの直系なら大貴族だし、たくさんいるぞ。


「きっと侯爵さまのことだよー。ユーちゃん、他にまともな人づき合い、してないじゃないー」


 ひどいこと言う。


 大体、婚約を、目をかけているって表現するか? もったいぶっているのか、こんな短い会話なのに、いちいちわかりにくいな、こいつ。


「駄目ですよー、ランラン先輩。ユーちゃんは侯爵さまと私のものなんだから、いつまでも手を握ってたら、怒りますよー」


「しれっと自分を混ぜないでよ! もの呼ばわりも、だいぶ失礼だよ!」


「えー? 私、言われたーい。ユーちゃん、私のこと、ユーちゃんのものって言ってみてー」


「まっぴら御免だよ!」


 あたし達のみにくい言い争いに、見ている方も、暴力云々ぼうりょくうんぬんの見当違いには気がついたようだ。まったく、イルマの方がよっぽど油断ならないよ。


 一応、親戚で、本家の御曹子おんぞうしなんだろうけれど、そこは一族のかなりはしくれ、見たことも聞いたこともない。


 ランランとやらは、わざとらしい咳払せきばらいで手を離すと、またしても人を見下ろして笑った。


「俺は叔父上を尊敬している。叔父上は文武両道に優れ、容姿端麗ようしたんれい、礼儀作法も完璧に身につけている、立派なお方だ。おまえのような小娘では、なに一つ、叔父上につり合っていない」


 このからまれ方は新しいな。面と向かって言ってくる分、まあ、陰険な美人達よりましか。


「身の程をわきまえて、ひかえろ。叔父上のためにも、おまえ自身のためにもだ」


「それを決めるのは、あんたじゃないわ」


 我ながら、そっけない声が出たものだ。鼻白はなじろんだ顔を、見る気もしない。


「悪いけど、今さら、あんたみたいなのがしゃしゃり出てきたって、ばあちゃんに比べたら役者不足もいいところだわ。聞くだけ聞いたから、授業に遅れない内に、自分の教室に戻りなさいな」


「な……っ」


「それから、あたしにとってなんの価値もないから、顔も名前も覚えないわよ。次に会ったら、また名乗ってね」


 まったくもう。


 授業の前に見直しておこうと思っていたところが、全然終わらなかった。イルマだけならともかく、今日は散々だよ。


 筆記帳ひっきちょうを広げて、資料に目を通す。


 相変わらず、髪にかかってくる吐息といきも、太ももがくっついてくるのも雑音だ。なんだかうるさい声も、もうただの雑音だった。

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