17.大切なものができちゃったなら

 一族には軍の関係者も大勢いる。ばあちゃんが、陸軍の演習を把握はあくしていないはずがない。


 人一倍、三倍十倍くらい礼儀にうるさいばあちゃんが、使いも出さずアルフレットの不在をねらって来たことには、断固とした意志がある。


「へえ、婚約ついでに、アルフレートにそんなこと言ったんだ。さすがとしの功だね!」


「あの子はあの子で、自分も他人も、理屈で割り切りすぎているところがあります。これを機会に、少しはかえりみてくれると良いのですが」


「いやあ、上手うまいこと回ってると思うよ。ユーディットも良かったね! いろいろ、ゾフィーのおかげじゃない」


 呼び捨てやめて。大人でしょ? ざっくりも状況で良し悪しだよ。


「でもー、ユーちゃんも侯爵さまも愛し合ってるのに、まだ一線を超えてないんですよー。お祖母ばあさまからも、なんか言ってあげて下さいよー」


 目だけで人が殺せたら良かったのに。


「男と女も戦いだから、覚悟を決めたら自分から前に出ろって、お父さま言ってた」


 娘とはよく話すのか。内容はざっくりか。似た者夫婦か。


 あんたもちょいちょい、ばあちゃんの気にさわること言ってるよ。勘弁かんべんしてよ。


 表面上は穏やかに話してても、金茶色きんちゃいろの目は冷徹れいてつで、相手を厳しく見ている。


 あたしを入れてこの場の四人、誰一人として、ばあちゃんの価値観にそぐわないでいるのは明白だ。


 少なくとも言動は、清くも正しくもつつましくもない。


「良い友人に恵まれましたね、ユーディット」


 そら来た。


 なんとか並んだ主菜しゅさいの肉料理には手もつけず、こっちをにらんで来る。


 こうなったら、ばあちゃんはもう、相手以外の話は聞かない。周辺情報は集め終わったってことだ。


 わざわざ、アルフレットの助けが入らない日時を選んでる。あたしを見定みさだめに来たんだ。


 ちゃんとやっているか。


 もっと言えば、ちゃんと教育されているか。矯正きょうせいされているか。


 将来を意識せざるを得ない環境下に置かれて、淑女しゅくじょたらんとする自覚が芽生めばえて来たか。


 侯爵家に嫁入りするとなれば、旧態依然きゅうたいいぜんとした上流階級の社交界で格式と良識を示し、夫を立てて、陰日向かげひなたに支えなければならない。


 遊びでは済まされない。そんなことはわかってる。


 ばあちゃんにとっての幸せってのは、そういうことだ。厳しいのも、意地悪いじわるだからじゃない。


 アルフレットが武門ぶもんのたしなみと言っていたように、女も女として心身をりっし、最高の状態まで自分をみがく、それが淑女しゅくじょという形でしかないだけだ。


 アルフレットへの課題は、あたしの教育も込みだ。


 アルフレットが、あたしを変えられるのかどうか。


 本気で幸せにする気があるのなら、あたし自身の意識を含めて、侯爵夫人に相応ふさわしく育て上げて御覧ごらんなさい、そういうことだ。


 それを直接、確かめに来た。あたしに確認しに来たんだ。


 今ならまだ、遊びで済む。やめるのか、続けるのか。


 続ける意志があるのなら、その自覚はあるか、能力はあるか、行動と結果でそれを示せるか。


「あたしだって……がんばってるよ。勉強だけじゃなくて、あたしに足りないものも、いろいろとわかってきたし……しきたりや礼儀、作法のことも、少しずつ教わってる」


「アルフレートとの婚約を維持いじする、あなた自身の意志があるということですか?」


「ばあちゃんから見たら、そりゃ、まだ全然、駄目だろうけど……でも……」


 ばあちゃんが、まっすぐにあたしを見ている。言い訳やごまかしは効かない。目の前が暗くなった。


 正直に言って、そこまでちゃんと考えてはいなかった。


 最初はいじけて、すねて、余裕がなくて、それでもアルフレットが優しくて、ようやくいろいろ変わってきたところなのに、そんなことまで気が回らないよ。


 うつむいた。


 えりの汚い染みと、食べられなくて、あたしの前にだけ何皿も残った料理が視界を埋めた。


「ユーディット。あなたの意志を、端的たんてきに示しなさい。それ次第では、婚約を白紙に戻すことも考えましょう。もとは私の、浅慮せんりょな発案を起因とする状況です」


 涙が浮かんできた。


 あたしはなにもしていない。できていない。


 あたしなりの理由なんて、いくら並べても意味がない。行動がともなわない、示せる結果がない。


 なにを言っても口先だけだ。


「嫌だよ……」


 思わず、つぶやいていた。


 嫌だ。そう、嫌だよ。冗談じゃないよ。


「こっちの都合なんておかまいなしで……婚約なんかさせて、相手の家に放り込んでおいて……今度はいきなり落第点をつけて、追い出そうって言うの? 子供でも小娘でも、おもちゃじゃないのよ! いい加減にしてよ!」


 ばあちゃんの目が鋭くなった。構うもんか。


 口先だけしかないなら、その口先までふさがれてたまるもんか。自分から捨てて、たまるもんか。


「イルマやギルベルタ達までじろじろと値踏ねぶみして、よっぽど無礼じゃないの! 友達が良いか悪いかなんて、ばあちゃんに関係ない! アルフレート……アルフレットだって、本当のところはどう考えてるか、あたしにはわからないかも知れないけど……」


 こぶしを握る。心の中から、力をしぼり出す。


「それでも! あたしとアルフレットの婚約は、あたしとアルフレットの問題よ! どうするかは、あたしとアルフレットで決められるわ! きっかけがどうであれ、もう、ばあちゃんの出る幕なんてないよ!」


 にらみ返して、言い切った。


 今、アルフレットはいない。あたししかいないんだ。


 ここはもう、アルフレットの家で、あたしの家だ。アルフレットがいない間は、たとえ相手がばあちゃんだって、好き勝手させるもんか。


 席を立つ。


 宣戦布告せんせんふこくをしたんだから、これ以上、取りつくろう必要もない。がんばった料理長には本当に悪いけど、晩餐会ばんさんかい破局はきょくにさせてもらう。


「部屋に行こう、ジゼリエル。本、読んであげる」


「また戦うやつが良い」


「ユーちゃんのいけずー。私も仲間に入れてよー」


「寝る時は叩き出すからね。あんたは客間、わかったわね」


 ジゼリエルの手を引いて、食堂を出る。さっきはごめんね。ほんと、ジゼリエルの言う通りだよ。


 覚悟を決めたら、前に出る。男と女のことも戦いだ。


 大切なものができちゃったなら、泣いてなんていられない。逃げてなんていられない。女だてら、望むところよ。

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