16.終わりが見えないよ

 あたしはイルマと二人、衣裳部屋いしょうべやに駆け込んで、部屋着を脱ぎ捨てた。


「お願い、選んで!」


「選ぶって……ユーちゃんの服を、ってことー?」


「夜、自宅、目上めうえの訪問客! 家のあるじが不在で代理、それなりにちゃんとしてるやつ!」


「私としては、その下着も脱いでくれるのが最高なんだけどー」


「殺すわよっっ!」


 冗談は時と場合と、相手の状態をわきまえろ。冗談じゃないなら、なおさらだ。


 気迫きはくというのは伝わる。


 イルマも、真剣味しんけんみに欠けるのは仕方がないが、なんとか協力してくれた。


 大きなえりが白い、落ち着いた紺色こんいろ一揃ひとそろいに着替えて、髪にも最低限のくしを入れる。


 部屋を出ると、屋敷中に緊張感がみなぎっていた。


 執事さんが次々と指示を出しながら、迎えに来てくれた。ばあちゃんとギルベルタ達は、もう食堂に案内して、食前酒しょくぜんしゅで時間を稼いでいるらしい。


 がんばれ料理長。ギルベルタは、まさか酔っぱらって雑なことしゃべってないだろうな。


 食堂に入ると、食卓しょくたく上座かみざから左手側にばあちゃん、右手側にギルベルタとジゼリエルが座っていた。


 ばあちゃんの隣、下座側しもざがわにイルマが座る。


 え? あたしが上座かみざの一人席?


 いつもはアルフレットが座っているけど、そりゃ代理ならそうだろうけど、この状況じゃ死刑台だよ!


 泣きそうになりながら座ると、軽めの料理の皿が、一人一人に並べられた。


 厨房ちゅうぼうの扉の陰で、目の血走った料理長が、とにかく引き延ばせと手振りしている。無理を言わないで。


「ユーディット」


「は、はいっ……えええと、その……」


 ばあちゃんが、まっすぐギルベルタを見ている。そうだ、まずは紹介だ。


「こ、こちら、アルフレット……じゃない、アルフレートの御友人で、ギルベルタ=フリード侯爵夫人です。お、お隣は御息女で、ジゼリエル=フリード嬢、そちらはあたし……私の学友で、イステルシュタイン伯爵の御息女、イルメラ=イステルシュタインです」


「私はあなたの身内です。先に名乗らせなさい」


 もうこれだよ。身が持たないよ。


「無礼のほど、何卒なにとぞ御容赦下ごようしゃください。私はアルフレートとユーディットの祖母そぼで、ゾフィー=ラングハイムと申します。主人は他界し、公爵位は息子が継いでおりますが、この場は一族を代表して御挨拶ごあいさつさせていただきます。皆様みなさまには日頃からアルフレートとユーディットに御高配ごこうはいたまわり、あつく御礼申し上げます」


 他にもごちゃごちゃ言っていたけど、耳に入らない。深呼吸、深呼吸だ。


 ようやく顔を上げると、また静かになっていた。


 心臓が止まりそうだよ。目を泳がせると、イルマが食べる手真似てまねをした。そ、そうか、あたしが言うのか。


「ほ、本日は、大したおしもできませんが……ど、どうぞ、お召し上がり下さい」


 全員が一礼して、食事が始まった。


 あたしが食べないわけにはいかないんだけど、本気でのどを通らない。きそう。味なんかわかるか。


「ねえ、イルメラ。ユーディットって、学校ではどうなのかな。勉強で忙しそう? 今度、娘の家庭教師を頼もうと思っててさ。私達は毎日でも嬉しいんだけど、あんまり大変そうなら無理も言えないかな、なんてね」


 ありがとう、ギルベルタ。イルマ、なんとか当たりさわりなく話つないで。


「ユーちゃんなら大丈夫ですよー。もう学校で一番なくらい勉強できますし、みんなにも親切に教えてくれて、すっごい人気者なんですよー」


 あからさまなうそつくな! りすぎだ!


「そうですか。女の身で飛び級までして学問など、奇異きいの目を向けられるばかりと、心配しておりましたが」


無礼者ぶれいもののやっつけ方なら、私が先生に教えてあげる」


 頼むからやめて、ジゼリエル。


 ばあちゃんは淑女しゅくじょたる格式と良識の権化ごんげなんだから、女だてら、なんかの真逆なのよ。清く正しくつつましく、が絶対なのよ。


「そりゃいいね! まだちょっとほそっこいけど、もう少ししたら、きっと見違えるくらい綺麗になるよ。言い寄って来る男の一人や二人は叩きのめすくらいじゃないと、アルフレートも安心できないかもよ?」


 ギ、ギルベルタ、そんな方向で話ふくらませないで! 女だてら、駄目だから!


「今でも可愛くて、もてもてですよー。男子の目の色が違いますよー」


 おまえ、もう黙ってろ! 問題しかないだろ、それじゃ!


 じろりと、ばあちゃんがあたしをにらむ。


 もててないよ! ばあちゃんの言う通り、男子も女子もいじめ兼ねて、遠巻きに無視してくるだけだよ!


 それはそれで問題かも知れないけど、おおむね清く正しくつつましいよ!


 声を大にして叫びたいのに、おぼれた魚のようにあえぐばかりだった。いや、魚はおぼれないだろうけどさ。


 これは本気で死ねる。夜が長いよ。終わりが見えないよ。


 自分でも気がつかない内に、口に運びかけて、ずいぶん放置していた野菜の欠片かけらが、さじからこぼれて汁物皿しるものざらに落ちた。


 汁がはねて、白いえりに染みが広がった。

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