15.今度はなんだ

 軍隊には演習えんしゅうというものがあって、平和な国ならそれが本業だと、アルフレットが笑っていた。


 大がかりなものになると数日間の遠征えんせいもあって、今回はそういうものらしい。


 らしい、と言うのは、やっぱり正確な内容は部外秘ぶがいひで、教えてもらえなかった。


 さみしくなんかないぞ。


 屋敷の中のことは、いつも通り執事さんや使用人の人達がちゃんとやってくれるし、まあ、夕食と夜食が一人になるくらいだ。


 このところ勉強が遅れ気味だし、ちょうど良い。しっかりやろう。


 学校から帰って、夕食までに一区切り進めようと机に向かう。調子が出てきたと思ったところで、扉が叩かれた。執事さんだ。


 お客さんが応接間に来ている、と言われた。


 廊下を歩きながら、考える。誰だろう。アルフレットへの急な要件なら、執事さんが取りまとめるはずだし、しつこい美人ならあたしに取り次ぐわけもない。


「ユーちゃん、こんばんはー。来ちゃったー」


 応接間の、開けた扉を、そのまま閉める。


「帰れ! 用なんてないよ!」


「お父さまから、陸軍で大きな演習があるって聞いててー、もしかしたら侯爵さまもいなくて、ユーちゃんがさみしがっているかなー、なんて思ったのよー」


「計画的かよ! 大きなお世話だよ! 家のあるじがいない間に上がり込むなんて、犯罪すれすれだよ!」


「お使い出して、侯爵さまにお返事もらってるよー」


「だから! なんで本人には言わないんだよ、どいつもこいつも!」


「秘密にしてってお願いしたのー。言ったら断られるかなー、なんてー」


「わかってるなら、そこであきらめろよっ!」


 アルフレットはどうも、イルマに対する認識が甘い気がする。


 婚約者を危険にさらすなんてひどいぞ。後で、みっちり話し合ってやる。


 イルマは、学校が終わって帰ってからのどこにそんな時間があったのか、ふわふわの栗色くりいろの髪を丁寧ていねいわえて、きれいな青空色の一つなぎでめかし込んでいる。


 その労力を勉強に向けろよ。こちとら、灰色の部屋着だよ。


 仕方なく応接間で、できるだけ距離を取って、運ばれてきた発酵茶はっこうちゃを飲んでいると、今度は叩かれもせずに扉が開いた。


 小さな身体が飛び込んで、抱きついてくる。いたたた、木刀の肋骨ろっこつにあたってるって。


「こんばんは! おまねきありがとう! って、ありゃ? 先客もいるのね」


「ギ、ギルベルタ? ジゼリエルも? なんで? まねいてないよねっ?」


「細かいこと言いっこなし! ウルリッヒも同じ演習なのよ。なんだか家の中が静かでさ、急に思いついて、また来ちゃった!」


「ウルリッヒなら、いても静かだよねっ? あたしまだ、まともに声も聞いてないよ?」


「いるだけでうるさい気がするんだよね、なんて言うか、存在がさ」


 わからないでもないけど、それが自分の旦那をひょうして言うことか。


 ギルベルタは一まとめにした長い黒髪に、相変わらず男物みたいな砂色の上下で、夜の遠目なら派手な仕事の男性に見える。


 ジゼリエルはジゼリエルで、お団子だんごの黒髪に夢みたいな薄紅色うすべにいろのふかふかを着て、下手へたしたら通報されそうな組み合わせだ。


 変なうわさがたったらどうする気だよ。


「先生、今日は一緒に寝る。またお話聞かせて」


「ユーちゃん……! ユーちゃんも可愛いけど、この子もすっごい可愛いよ! おいでおいでー、お姉さんが遊んであげるー!」


見境みさかいなしか! よだれをふけ!」


 木刀は目に入らないのか。いっそ叩きのめされてしまえ。


 情念じょうねんがそれるのは大歓迎だが、将来の教え子を生贄いけにえにするわけにもいかないのが、つらいところだ。


 ジゼリエルを持ち上げ、イルマを引きがす。ギルベルタはのんきに笑っていた。いや、娘の危機だぞ、なんとかしろよ。


 まだ夕食前だって言うのに、このさまだよ。


 やっぱり、正直、ちょっとさみしいかな、なんて思っていたのが遠い昔だ。


 ほとんど追いかけっこのように暴れていると、開いたままの扉から、執事さんが強張こわばった顔であたしを呼んだ。


 今度はなんだ。もうなにが起きても驚かないぞ。


 呼ばれるままに玄関広間についていくと、二人の使用人を両脇に従えて、年配ねんぱい御婦人ごふじんが立っていた。


 地味だが高価そうな薄紫うすむらさきの服を着て、大柄おおがらで、背中もまっすぐだ。


 服と同じ色の帽子ぼうしを取ると、まっ白いひっつめ髪の下で、いかめしい金茶色きんちゃいろの目があたしを見据みすえていた。


「ばっ……ばあちゃんっ?」


 叫んだきり、絶句した。


 なんだこれ。


 なんだこれ。


 頭の中がぐるぐる回る。


 どうしよう、どうなってんだ、どうすりゃいいんだ。


 あたしに死ねって言ってるのか、どっかの誰かが。


「久しいですね、ユーディット。まずは、非礼な訪問をおびします」


 聞いてる余裕なんてない。走って逃げる。


 応接間に飛び込んで、見渡みわたして、しょうがない、イルマの手をつかむ。


「一緒に来て!」


 有無を言わせない。イルマを引きずるようにして、駆け出した。

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