11.周りの人は大変だよ

 よし、今度はうまくいった。


 おかしな振動もなく、可動弁かどうべんが往復して、じくの円運動に変換されている。燃焼室ねんしょうしつ過熱かねつもない。


 まあ、手を入れたのは摩耗まもうした軸受じくうけや部品の交換ぐらいだし、丁寧ていねいに機械油をさして組み直せば、動いて当然だ。


 やっぱり最初から大型の、それもかなりの年代物を改修するのは、無理があった。物事には順序が大切だよ、うん。


 後は、これを組み込む車体の方だな。


 だいぶ小型の、農機具用のうきぐよう発動機はつどうきだから、一人乗りの二輪か三輪が限界だろう。そうなると不安なのは、あたしの方か。


 この間、爆発騒ぎを起こしたばかりの離れの中を、腕組みして見渡した。


 あちこちのは、見えない振りをする。すみっこに、無造作に古い自転車が置かれていた。


 自慢じゃないが、乗れない。またがったことさえない。運動はからっきしなんだよな。


 理屈はわかるんだよ。


 ええと、直進する推進力すいしんりょくと重心の均衡きんこうと、踏板ふみいたをこぐ時の反作用で、人間で言えば動歩行どうほこうの応用で、あれがこうなって、とにかく不条理な現象じゃないんだよ。


 現に、やってる人がたくさんいるんだし。


 発動機のじくを後輪に直結させて、左右二輪にしよう。


 それでも、せめて自転車に乗れるくらいの均衡きんこうは人間が取らないと、すぐ横倒しになるな。縦横たてよこの面積比が違い過ぎる。


 観念して、自転車を庭にひっぱり出す。


 座席から踏板ふみいたまで、足がぎりぎりだ。


 まず、またがろうとした時点でひっくり返った。足が地面につかないんだから、当たり前だよ。


 車体を、かなり斜めに倒して、踏板ふみいたに足をかける。深呼吸して、踏板ふみいたをこぐと同時に車体を起こし、推進力に重心を乗せ、均衡きんこうを取る。


 六回目に転がったところで、あきらめた。


 あたしにしては、がんばったよ。両手足を地面に投げ出して、嘆息たんそくした。


 身体のあちこちが痛い。さすが着古きふるした紺色こんいろまだらの普段着も、油汚れにほこりと草まみれも乗っかって、くたくただよ。


 半泣はんなきでしばらく青空をながめていると、にゅ、と視界に黒い瞳が飛び込んできた。


 3歳くらいの、小さな女の子だった。


 瞳と同じ綺麗きれいな長い黒髪で、目鼻立ちも整っているのに、あれ? あんまり可愛く見えない。


 まゆも上まぶたも横一本線にわっていて、口の両端りょうはしが力強く下がっている。


 人のことは言えないけれど、いろいろ損してる顔だな。


「なにをしているの」


 いや、それはこっちの台詞せりふだけれど、しゃべっただけでめられる年齢の相手に、議論をしても始まらない。


「人生、困難の連続だよね。ほんと、ままならないよ、って、おさまに文句を言っていたのよ」


「自転車」


「なんであんなのが転ばずに走れるのかしら。不条理な現象よ」


 前言なんて、いくらでも撤回してやる。あたしが乗れないんだから、あたしの世界では不条理なんだ。


「練習は、最初は繰り返すだけって、お父さま言ってた。繰り返して、必要なことを身体に気づかせるんだって」


「難しいこと言うね」


「身体が気づかないなら、才能がないからあきらめろって」


「厳しいこと言うね」


 たかが自転車に、才能なんて関係あるのか。関係なければ、あたしが乗れない道理がないのか。言い返したら自己矛盾するな。


 自転車は不条理だ、という命題は、推定3歳に論破された。苦笑して身体を起こす。


 女の子は、薄紅色うすべにいろの差し色が入った灰色の上品な一つなぎで、すそが、中のまっ白い重ねひだで花びらのように広がっている。


 小さいながら、すらっとして姿勢も良いが、なぜか右手に自分の身長より長い木刀を引きずっていた。


「あなたも、それを練習しているの?」


「もっと上。修行」


 胸を張って、ふん、と鼻息を吹く。これはこれで可愛いか。頭をなでようと、笑いながら手を伸ばしかけた時、陽射ひざしがかげった。


 いや、周りは明るい。あたしが影に入ったんだ。見上げると、まっ黒い軍服の大男が立っていた。


 危うく悲鳴が出るところだったよ。


 図体ずうたいの横幅も厚みもすごくて、背丈せたけもアルフレットより、さらに高い。


 こっちが立っても、多分、首の角度はほとんど変わらないだろう。


「お父さま」


 女の子が、行儀良ぎょうぎよく一礼してから、足に抱きついた。膝下ひざしたくらいしかないぞ。


 良く見れば、短く刈り込んだちゃの髪こそ色が違うが、わった目つきと両端りょうはしの下がった口元がそっくりだ。


「……」


 大男が、無言であたしと娘を見比べる。


 あ。挨拶あいさつが先か、状況確認が先か、迷ってるな。


 そしてどっちも、あんまり上手うまくいきそうにないとあきらめたな。不器用か。なんとなく、わかりやすいな。


「おーい。ちび、いたかー?」


 聞き覚えのある声がした。


 長い黒髪を結い上げて、今日はちゃんと化粧けしょうもして、それでもやっぱり男の人みたいな深緑色ふかみどりいろの上下を着た美人が、アルフレットと一緒に歩いてきた。


「ギルベルタ? あれ、来る予定なんて聞いてたっけ?」


「私も聞いていません。まったく、前もって使いくらい出していただかないと、しの準備が整いませんよ」


 アルフレットも蒼灰色そうかいしょく簡素かんそな上下で、これは普段着の部類に入る。銀髪をかき上げて、ちょっとだけ渋面じゅうめんだ。


「そんなのらないよ。うちのは、あんたと酒があれば充分なんだから。あと肉か」


 相変わらず、ざっくりしてるな。


 女の子が、ギルベルタに走り寄る。ギルベルタが、笑顔で抱き上げた。


 そうしてると髪の色や、しゅっとした鼻や下顎したあごの形なんかもあって、ギルベルタにもそっくりに見えてくるから不思議だ。


 大男とギルベルタは全然違うのに。


「そっちのでかいのが旦那のウルリッヒ、こっちのちびが娘のジゼリエルよ。よろしくね。今日はおまねきありがとう!」


まねすきがありませんでしたよ」


「定型文に文句言うなって。推参すいさん、じゃおかしいでしょ」


 からっと笑われると、の言ってるこっちが変に思えてくる。アルフレットも苦笑して、みんなを屋敷の大広間に案内した。


 途中、厨房ちゅうぼうの方からは、殺気立った雰囲気が伝わってきた。


 なんと言われても、料理長にしてみれば、さないわけにはいかないよな。昼食と夕食の急な変更で、今は戦場だな。


 執事さんや小間使いの人達も、客間の準備やあちこちの飾りつけで、大忙しだ。


 大貴族の友達つき合いは、もよおものに近い。本人同士は良くても、周りの人は大変だよ。

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