10.ちょっと難しいな

 ちゃんと、笑い飛ばそうとしたんだよ。


 でも、できなかった。嬉しかったから。


 自分でもびっくりするくらい嬉しくて、どんな顔をしているのか、わからなかった。嫌だな、に受けてると思われちゃうな。


 食卓しょくたくは大きくて、かどをはさんで座っていても、手は届かない。


 途方に暮れていると、アルフレットが近くに来てくれた。片膝をついて、目線の高さが合う。


 どうしよう。抱きついて良いのかな。


 ためらったのは、頭の中だけだった。


 ほとんど、首にしがみついていた。苦しかったと思う。ごめん。


 アルフレットは子供をあやすようじゃなく、ちゃんと抱きしめてくれた。足の力が抜けて、立っていられなくなって、抱き上げてくれた。


 もう、とにかく全力で首を絞めていた。ほんと、ごめん。


 そのまま部屋まで運んでくれて、いつかと同じように、一緒に椅子いすに座ってくれた。


 違うのは、あたしが遮二無二しゃにむにくっついていることだ。


あせらなくても良いですよ。こうしていれば、ゆっくりと落ち着きますから」


「ん……その……もう少し待って。いつもの顔に、戻らないの……」


 今度は、離れ方がわからなくなっちゃったよ。


 前は文字通りの泣き寝入りをしたけど、今度はそうもいかないよね。けど、まあ、いいか。


 このままくっついていよう。離れたいわけじゃないし、離れる理由だってない。


 あれかな。よくわからないと思っていたけど、これってやっぱり、そうなのかな。人って、こんなに急に、変わっちゃうもんなのかな。


 自分の部屋が、全然違う場所みたいだった。


 明かりはついているけど、ぼんやりとして見える。時計の音も、聞こえたり聞こえなかったりする。


 なにか言って欲しいような、なにも言わないで欲しいような、ふわふわとした不思議な感覚だった。


 アルフレットはどうなのかな。少し、腕の力を抜いてみる。


 これだけくっついていたんだから、あたしの身体つきもわかっちゃってるよな。本当にせっぽちなんだよ。


 いや、もしかしてどうにかなっちゃった時にさ、頭の中で他の女の人と比べたりなんかされたら立ち直れないな、なんて、考えちゃったりもするのよ。


 もう少しで顔が見える。あたしの顔も、見られちゃうな……。


 寸前、かなり大きな音で、扉が叩かれた。


 とんでもない声が出たよ。飛び上がって、アルフレットの膝から滑り落ちて、お尻を打った。


 痛いとか言ってる場合じゃない。なんか既視感きしかんがあるけど、とにかくつんいで、動物のように扉に駆け寄った。


 恐る恐る開けると、しかめっつらの料理長が、焼き菓子のお皿を持って立っていた。


 いつもは黙って盗み食いするくせに、用意した時は取りにも来ない、目がそう言っていた。


 確かに、夕食の後片づけが済めば小間使いの人達もお仕事終わりだけど、もう夜食なんて時間になってるの?


 さっきまで食堂にいたと思っていたのに、あたし、どれだけくっついてたのよ?


美味おいしそうですね。良い匂いです」


 アルフレットの声に、料理長がまゆを寄せる。


 あたしの分しかないのだろう。指示を聞き間違えたか、と反省する顔になった。


「い、いいの。今日は、その……夕食、たくさん食べたから、ふ、二人で分けるよ。ありがとう、お、お休みなさい……」


 どうにか取りつくろって、椅子いすの横のたくにお皿を置いた。


 早速さっそく、アルフレットが一個をつまむ。砂糖で煮崩にくずした果物の乗った、小さな丸い焼き菓子だ。


「……明日から、二人分になっちゃうね」


「いいですね。一緒に食べましょう」


「……毎日?」


「もちろん」


 少し見つめ合ってから、思わず吹き出した。本気で楽しみにしている表情だ。子供みたい。


「わかった。約束ね!」


 こうなったからには、あたしも負けじと、焼き菓子を口に放り込む。甘くて美味おいしかった。


 少しくらい太っても良いよ。早いところ、堂々とお出しできるくらいの胸とお尻にならないと。自分を誇るための武器ってやつよね。


 ゆっくり身に着ければ良い、なんて言っていられない。誰のせいよ、まったく。


 背丈も、もっと欲しいな。せめて背伸びでくちびるを届かせたい。


 それにしても、あれだな。


 こんにゃろう、あたしを幸せにした後は、たくさんの女の人を平等に幸せにする最上級とやらを目ざすって言ってたよな。


 本気かな。だったらあたしは、独占欲を持たず、広い心で幸せにならなきゃいけないのか。


 ちょっと難しいな。


 だって、今はあたしだけのアルフレットでいてくれて、それがこんなに嬉しくてしょうがないんだから。

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