9.いつものように笑おうとした

 学校は、まだあたしのいこいの場でいてくれる。


 れというのはすごい。いつもの席に、いつものように座って、いつものように抱きつかれた。


「ユーちゃん、おはよー。今日も一段と可愛かわいいよー」


「はいはい。おはよう、イルマ」


 どうだ。あたしだって成長するんだぞ。もう、めったなことで動じたりしないんだぞ。


「昨日、見ちゃったー。ユーちゃん、侯爵さまとすっごいにこにこしながら、お菓子選んでたよねー」


「なっ? なななっ、なんで、あんた……っ!」


「他にも学校の子いたよー。もー、見てるこっちは、甘い雰囲気でお腹いっぱいだったよー」


 もう駄目だ、殺そう。いや、なにを考えてるんだ。動揺どうようするな、落ち着け、あたし。


 誰だかもわからない全員を殺せるわけがない。いや、違う、まず違う。


「絶対、このままおまりの流れだって、みんなでうわさしてたんだよー」


「まっすぐ帰ったよっ! 同じ家に住んでるのに、どこにまる必要があるんだよっ!」


 あれ? あたし、間違ったこと言ってないよな。なに、この空気?


 いや、あの、違うよ? わからないけど、多分、違うと思うよ?


 ぱくぱくと口を動かしながら、教室中の視線をなぜか集めて立ち尽くす。なんだこれ。


 とにかく、ひどい状況になっている気がする。痛い。視線が痛い。


「大丈夫ー? 痛かったー?」


 呆然とうなずいたら、すごいざわめきが広がった。


 え? またなにか間違えた? ど、ど、どうなってんの?


 涙目できょろきょろしていると、教室の入り口で、教授が眉間みけんのしわをもみほぐしているのが見えた。


 重々しく咳払せきばらいをして、じろりと、あたしをにらむ。


 いや、あの、違いますよ? わかりませんけれど、多分、違うと思いますよ?


 他の全員が着席して、教授にもう一度の咳払せきばらいをされるまで、あたしは混乱の極致きょくちで立ち尽くしていた。



***************



 穴があったら入りたかった。


 墓穴ぼけつは掘ったけど大きすぎて、入っても外から丸見えだった。


 一人一人、誤解を解いて回りたいくらいだったが、普段から会話しているような相手はイルマしかいない。


 うわさはいつか消えるだろうが、誤解が訂正されることは永遠にない。


 やっぱり、せめてイルマだけでも殺しておくべきだった。


 夕食をきれいに食べ終わってから、アルフレットが、おもむろに大笑いした。


「申し訳ありません、もちろん気づいていました。何人かのお友達と、一緒にいらしてましたよ」


「言ってよっ! その場で!」


「最初はそのつもりだったのですが……嬉しそうにお菓子を選んでいるあなたが、あんまり可愛くて、つい。大切な時間を、邪魔されたくないと思ってしまいました」


 ずるいぞ。そんな言い方、卑怯ひきょうだぞ。


 ゆるみそうになるほおでもごもごと、言葉と魚料理を飲み込んだ。


 まったく、小娘の手をひねるのなんて簡単そうだ。


「ですが、あなたが困るようであれば、ちょうど良かったです。先ほど、料理長を説得したんですよ。あの子は勉強熱心で、成長期なのだから、夜に軽食を用意してやってくれ、と。糖分は控えめになるでしょうが、そちらは、まあ、たまに私とお忍びで買いに行きましょう」


「ああ、もう……参った、参りました。ほんと、やることにそつがないよ」


 食後の果物をかじりながら、苦笑する。


 ばあちゃんの課題に挑戦しているだけと聞かされていてもこれなんだから、大したもんだよ。


 本人なりの本気で口説くどかれたら、元から前のめりな女なんて、そりゃあ、ころりといくだろう。


「あのさ。正直に言って、あたし今、けっこう幸せだよ。これがどこまで行けば、持続した状態ってことになるのかな? 順当なら、ばあちゃんとあんたとあたしで、あたしが死ぬの最後だと思うけど。勝ちの条件をちゃんと決めとかないと、うやむやになっちゃわない?」


「確かに、それは難しいところですね。良く言われるように、結婚も新しい出発点であって、終着点ではありません。円満な家庭をきずくことも、幸せの一条件と言えます」


「いきなり気の長い話だね」


「学問にしても、功成こうな名遂なとげるまでには、多くの困難があるでしょう。挫折ざせつして路頭に迷えば、やはり幸せとは言えません」


たとばなし落差らくさがすごいな」


「仮にあなたが、誰よりも長生きすることだけを幸せと思い定めるなら、私がその達成を見届けることは、残念ながらできません」


「そんな14歳いたら見てみたいわ」


「そういう場合は、他の幸せを見つけるお手伝いをするのが、私の役目ということになるのでしょうね」


 どこまでまじめに言っているのやら。


 愛だの恋だの考えたってわからないし、アルフレットの目的意識がなんであれ、ばあちゃんを見返してやるってのは痛快つうかいだ。


 いっちょ、一人の女として、幸せになってやろうじゃないの。してもらおうじゃないの。


「まあ、なんにせよ、あたしは運が良かったってことよね」


「運ですか?」


「だって、ばあちゃんが課題に他の子を選んでたら、あんたそっちを幸せにしたんでしょ?」


「そうなりますね」


「あんまり正直に言うと傷つくぞ」


 果物の汁がついた指を行儀悪ぎょうぎわるくなめるあたしに、アルフレットが微笑ほほえんだ。


「ユーディット。私は自分が、恵まれた人間だと知っています。裕福な貴族の家に生まれ、容姿ようしと才能に優れていました。もちろん努力もしましたが、努力がみのらないということがありませんでした」


「さらっと、すごいこと言うね」


「私は今まで、望んだものを全て、自分の意志と能力で手に入れることができました。ですから、あなただけが特別です。あなたが言った通り、他の誰かでないあなたが私のもとへ来てくれたことは、まったくの運で、私の意志も能力も関与していません」


 あれ? なんか、おかしなこと言ってるな。そんな難しい話だったっけ?


「お互いに運だけで、良かったと思える相手にめぐりえたのですから、これは奇跡か運命です。ねがわくは末永すえながく、仲良くしていきたいものですね」


 またそんな、上手うまいことを言う。


 あたしは、いつものように笑おうとした。

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