8.それだけじゃない気がしてきたよ

 昼を回っていたので、食事にした。


 にぎやかすぎない食事処しょくじどころで、肉料理も美味おいしかったし、食後の冷たい甘味かんみも絶品だった。


 店の周りは人通りが多かったので、少し離れたところに車を停めて歩いたのだけれど、この頃には無遠慮ぶえんりょ人目ひとめも気にならなくなっていた。


 アルフレットが堂々としてくれているんだから、あたしも、変にいじけてちゃ駄目なんだよな。


 身体は今すぐどうしようもないけれど、アルフレットが笑ってくれるんだから、あたしも笑っていれば良いんだよな。


 車まで戻ると、すぐ横に、知らない女の人が立っていた。


 30歳を少しすぎたくらいで、作業着さぎょうぎみたいに汚れた茶色の上下を着ていたから、長い黒髪に気づくまで男の人だと思っていた。


「やっぱりアルフレートか。見覚えのある車だったから、そうじゃないかと思ったよ」


御無沙汰ごぶさたしています、ギルベルタ。今日はお一人ですか?」


「たまにはね。ちょうど良いから家まで送らせるつもりだったんだけど、なんだ、女連れか。ひょっとして、その子が例の……」


「将来的には本人の意向次第ですが、婚約者のユーディット=ノンナートンです。ユーディット、こちらは私が世話になっている友人の奥方で、ギルベルタ=フリード侯爵夫人です。気さくな方ですので、かしこまった挨拶あいさつは不要ですよ」


「は、はい。その……よろしくお願いします、フリード侯爵夫人」


「かしこまるなって。ギルベルタよ、よろしくね! こいつ、とんでもない女たらしだったくせに、急に身持みもちがかたくなったもんだから、どんな絶世の美女を婚約者にもらったんだって、すごいうわさになってるよ。面倒くさいこともあるだろうけど、ま、気にしないでがんばりな」


 そんなこと言われたら、普通は気にするよ。はげましてくれてるんだろうけど、なんか、ざっくりしてるな。


 よく見たら美人なのに、格好とか言葉遣ことばづかいとか、いろいろ残念な人だな。


「それにしても、ずいぶんほそっこいな。今度、二人でうちに遊びに来なよ。料理するのは私じゃないけど、美味うまいものたっぷり食わせてやるよ。旦那と娘も喜ぶからさ」


「ありがとうございます。ウルリッヒにも、よろしく伝えておいて下さい」


 ギルベルタは、男みたいに後ろ手を振って、歩いて行った。


 屋敷に来る客は着飾きかざった美人ばっかりだったから、アルフレットのこういう一面は新鮮だった。


「友達、いたんだね」


「心外ですね。たくさんいますよ」


「やることやったら友達じゃないからね。ちゃんと区別してる?」


 アルフレットが車を運転しながら、珍しく、真面目まじめに考える顔になった。そんなことだろうと思ったよ。


 昼下がりの陽射ひざしの中、ゆっくりと景色が流れていく。お腹もいっぱいだし、ちょっと油断すると、すぐ眠くなる。


 ギルベルタは、旦那さんと娘さんがいるって言っていた。


 あたしと同じ、一人娘かな。お父さんにもお母さんにも、ずいぶん会ってない気がするな。


「このまま、寄り道しても良いですよ。なんでしたら後日、迎えに行くということにしても構いません」


 見透みすかすなよ。


 実家に帰らせていただきます、とは、婚姻関係に納得いかない女の常套句じょうとうくだが、あたしの場合は一族内のばあちゃんの権力が絶対すぎて、あんまり考えたことはなかった。


 ううん、違うな。


 いろいろあったけど、結局、アルフレットのおかげで上手うまくいってるんだよな。


 人の一生の問題を博打ばくちみたいにされてるのは腹が立つけど、それだって、アルフレットが自分で言ってるだけだもんな。


 あたしが認識できる範囲に限れば、イルマの言葉じゃないけど、大事にされてるっぽいんだよな。


「……いいよ、家に帰ろう。最初、しぶってごめんね。今日は楽しかった。その分、ちゃんと勉強もしないと、このまま寝ちゃったら明日の授業が大変だよ」


「そうですか」


 ちょっと照れくさくて、顔が見られなかった。


 アルフレットは苦笑したのかな。安心したのかな。


「あ。でも、途中でお菓子が買えないかな? 隠しておいて、夜に食べたい。最近、料理長の目がきびしいんだよね。なんかふかふかの、すっごい甘いやつがいい!」


「条件があります」


 アルフレットがほくそ笑む。今度は見られた。あたしもきっと、同じ顔をしていた。


「一緒に食べましょう」


 車が、軽快に道を曲がった。


 少し遠回りだけど、こっちの先に、学校でも女子に評判の有名なお菓子屋通りがある。


 知っていたな。さすが元、女たらし。


 なんだよ、もう。どうせ小娘だよ。こんなの、のぼせちゃっても仕方がないよ。


 あたしはただ、勉強ができれば良かったはずなのに。


 困ったな。なんかもう、それだけじゃない気がしてきたよ。

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