6.このままなんだろうな

 さすがに怒って帰ったか。


 ほんの少しの罪悪感と、それを塗りつぶしてありあまる達成感で、大きく伸びをする。


 すると視界のはしに、輝かんばかりのまっ白なふくらみが飛び込んできて、危うくそのまま、ひっくり返りそうになった。


 イルマが寝台で、それはもう、しとどに寝乱ねみだれていた。


 胸もお尻もまろび出し、太ももはまくらの下半分に巻きついて、上半分は、とろけきった顔からこぼれるよだれで変な色になっていた。


「ちょ、ちょ、ちょっとイルマ! あんた、人の寝床ねどこでなにしてくれてんのよ!」


「……えー? あれ……ごめーん、寝ちゃってたー」


百歩譲ひゃっぽゆずって寝るのは良いよ! せめて居眠りでこらえろよ! なんで余所よその家で全身ゆるみまくってんのよ!」


「だってー、ユーちゃんつれないから……ユーちゃんの匂いがする、小さいユーちゃんを抱っこしてたのよー。そしたら……えへへ、良い夢見ちゃったー。ユーちゃん、すべすべで可愛いのー」


「冗談じゃないよ! もうそれ、あんたのよだれの匂いしかしてないよ! 辺り一面どろどろじゃないの! あたし今夜、どうしたら良いのよっ!」


「侯爵さまと一緒に寝れば良いよー」


「ふざけんなーっ!」


 人間、頭に血が上ると、すごい力が出るんだな。


 思わず敷布しきふを引っぺがして、イルマもまくら上掛うわがけも、まとめて丸めて落っことした。


 ああ、やっぱり、寝台までべっとり湿しめってる。


 これ、かわくのか? かわいたところで、匂い取れるのか?


 自慢じゃないが、他人の匂いがぷんぷんする寝床ねどこで眠れるほど、できた動物じゃないぞ、あたし。


 もぞもぞと動いている白い布のかたまりを、熱湯消毒でもしてやろうかと、本気で考えた。


 残念だけど、お茶入れのお湯は冷めきっていた。



***************



 さすが金持ちだけあって、夕食を済ませる頃には、寝台も敷布しきふも、まくらも新しい物に替えられていた。


 いや、頭ではわかってる。わかってるんだけどさ。


 まだ匂いがするように感じてしまう。なんか残ってるんじゃないか。空間に、情念じょうねんみたいなものが。


 ずいぶん葛藤かっとうして、結局あきらめた。とにかく今日は無理だ。


 この時間なら、まだ起きてるよな。どこかの客間を使わせてもらおう。


 アルフレットは自室にいた。


 正直に話したら、夜も遅いのに大笑いされた。まあ、しょうがない。あたしが逆の立場でも笑うわ。


「なるほど、お話はわかりました。ですが客間は、もう長く使っていません。とても今すぐ、お使いいただける状態では……」


贅沢ぜいたくは言わないよ。客間が駄目なら、応接間の長椅子ながいすとかでも良いから」


 我ながら情けない懇願こんがんに、アルフレットが少し考えた。


「では、交換しましょう。あなたはこの部屋を使って下さい。私が、そうですね、身をもってあなたの部屋の情念じょうねん払拭ふっしょくしておいてあげますよ」


「な……なんでそうなるのよっ? やめてよ、あんたに迷惑かけられないよ!」


「迷惑なんてことありません。可愛らしい我がままです。実に私の好き勝手で、こたえてあげたくなりました」


 ずるい。げない。


「この前、私の腕の中で眠ってくれましたから、私の匂いはもう平気でしょう?」


 いや、待って、平気じゃないよ。あの時はおかしかったよ。思い出しただけで、身体中が熱くなるくらいだよ。


 多分、顔色も表情も変なことになっているあたしを尻目に、アルフレットがいそいそと身支度みじたくを整える。


 待ってよ。困るよ。困るってば。


「それでは、お休みなさい。良い夢を見て下さいね」


 とどめ刺すな。おまえ、絶対、夢に出てくる気だろ。どうしたら良いんだよ。


 アルフレットの部屋に一人残って、呆然として、嫌でも寝台が目に入る。意識し始めたら、もう駄目だ。


 部屋の匂いだけで、身体の中がいっぱいになったような気がして、くらくらする。


 寝台に入って、上掛うわがけにくるまって、まくらに顔をうずめて、って、できるわけないよ。


 昨日までアルフレットが寝ていたところで、今日あたしが寝て、今日アルフレットが寝たところで、明日からあたしが寝るってことか。


 そういうことか。逆もまたしんだな。


 冷静ぶって分析しても、まったく意味も益体やくたいもない。ほんと、どうしよう。変な汗も出てきたよ。


 きっと朝まで、このままなんだろうな。


 倒れたら呪ってやる。決めたからな。本気だからな。

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