4.聞きたくないよ

 級友達は、あたしを無視することしかできなかった。いじめることができなかった。


 まともに相手をすれば、自分がみじめになるからだ。


 あたしも同じだ。勉強さえしていれば、周囲を無視できた。見ないふりができた。


 まともに相手をしないで、みじめにならなくて済んだ。


 それが普通だよ。まだ、たかが小娘なんだよ。


 婚約なんかさせられて、男の家に放り込まれて、男を取る気満々の美人の持ち物を何度も見せつけられていたら、みじめにくらいなるよ。


 学校なら大丈夫だと思っていたのに、イルマはもう立派なもんだよ。


 他の級友達だって、見ないふりをやめれば、よくわかりもしない愛だの恋だの語らってるよ。それが成長ってものなんだろうさ。


 自分が持っていないものを持っている相手、追いつけない相手、とにかく全員に嫉妬しっとしているだけなんだ。


 こんなこと、情けなくって言えやしない。



***************



 あたしは部屋に戻って、勉強した。逃げ込んでなにが悪い。


 深夜まで集中して、ようやく情けないなりに気持ちが落ち着いてきたところへ、一番顔を見たくない、見せたくない奴が、お菓子を持って現れた。


 こんな時間に糖分と乳性脂肪をとったら太るじゃないか。いやみか。


 いいとも、丸太まるたぼうみたいに太ってやろうじゃないの。


 甘い乳性脂肪を中に入れて、やわらかくふくらませた薄皮うすかわの焼き菓子だ。しっとりとして、良い匂いもする。


 ほおばりながら、どうしても不愉快な連想が止められなかった。


「ねえ。男って、やっぱり女の胸が好きなの?」


「好きですね」


「即答かよ」


「もちろん、大小の問題ではありません。その女性個人の美しさが宿っていれば良いのです」


「そんな寝言ねごとは聞いてないわ」


 二個目をほおばる。甘い、くやしい、美味おいしい。


 頭の中も口の周りもぐちゃぐちゃにしていると、ひょい、と持ち上げられた。横抱よこだきにされて、うすら笑いがすぐそばに来る。


「なによ。同情で手を出す気になったわけ?」


「そんな台詞せりふも、だいぶ早いと思いますが」


 そのまま二人一緒に、椅子いすに座り直した。


 抱きかかえられたあたしは、アルフレットの腕の中にすっぽりとおさまった。わかっていたけど、身体、大きいな。少し汗臭あせくさいぞ。


「あなたのつらい気持ちを、全部はわかってあげられません。それは、あなただけのつらさです。誰にもわかってもらえなくて、声も理屈も、優しさも届かない……みんな、同じ時間を経験しているんですよ。だから、こうして触れ合うんです」


「……愛とか恋とか、その程度のもんなの……?」


「さあ。けれど、男性のたくましさもお金も、女性の胸もお尻も、触れ合うための武器であることは確かですね。なにも持っていなければ不安になる、誰も触れてくれないんじゃないかと怖くなる。他人の持っている武器が、うらやましくなる」


「……武門の人間は、たとばなしまでぶっそうだよ……」


「あなたには私がいます。あなたがつらい時、いつだってこうして触れ合ってあげますよ。もちろん、私がつらい時にもお願いします。自分を誇るための武器は、これからゆっくり、身に着けていけば良いんですよ」


「……」


「甘くて、あったかくて、一人じゃなくて……つらいままでも、幸せにはなれます。慌てる必要なんてありませんよ」


 こんちくしょう。


 なんでも見透みすかしやがって。つらいよ。甘いよ。


 あったかいよ。幸せだよ。


 涙が止まらなかった。決めた。このまま眠ってやる。


 そっちこそ、少し慌てろ。明日、目が覚めて一人だったら、さみしいのかな。このまま二人だったら、嬉しいのかな。


 わからないよ。今は、わからなくても良いよ。



***************



 学校は、やっぱりあたしのいこいの場だ。


 最前列、真ん中の席に陣取じんどり、資料と筆記帳ひっきちょうを積み上げて、お尻にを生やす。


 生理現象以外はここを離れないと、強く心に決める。学問の世界は理路整然として、静謐せいひつだ。


「おはよー、ユーちゃん。今日も可愛いね、愛してるよー」


 抱きつかれて、顔が半分、やわらかい胸にうずまった。


 確実に距離をつめて来てるな。本気で危ないんじゃないか、あたし。


「イルマがどこに座ろうと勝手だけど、あたしの勉強の邪魔だけはしないで。昨日も言ったはずよ」


 ぶっきらぼうな言葉に、イルマが、少しれ気味の目で見つめてくる。


 そういう顔は男に向けてやれよ。あ、女が良いのか。あたし以外なら好きにしろよ。


「ユーちゃん、なんか良いことあった? もしかして、やっちゃった?」


「なにをだよっ? なんであれ、やってないよ!」


「えー、早くやってよー。やっぱり、初めては婚約者さんにゆずらなきゃって思うからー。まくが破れたら、私とも遊ぼうねー」


「嫌だよっ! 勝手な順番決めるなよ! そんな予定、当面ないよっ!」


「楽しみー。いろいろ、勉強しておくねー」


「時間の無駄だよ! 本来の勉強をしろよ!」


 ちょうど入って来た教授が、また目を丸くする。


 言われなくてもわかってる。


 あたしの方が引きずられて、素行そこうが悪くなることを懸念けねんされているんだ。とんでもない言いがかりだよ。


 昨日と同じように吐息といきは髪にかかるし、太ももがくっついてくる。


 なんだよ、もう。ここ学校だぞ。


 愛だの恋だの、まくだのなんだの、聞きたくないよ。世の中、ほんと、ままならないよ。

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