3.授業に集中しよう

 学校だけは、あたしのいこいの場だ。もう、軽く涙が出る。


 最前列、真ん中の席に陣取じんどり、資料と筆記帳ひっきちょうを積み上げて、お尻にを生やす。


 生理現象以外はここを離れないと、強く心に決める。学問の世界は理路整然として、静謐せいひつだ。


 授業の内容をしっかりと理解するために、始まる前に資料に目を通す。


 書かれていることの背景、その先まで認識しなければ、血肉ちにくにすることはできない。


 周りは雑談でうるさいが、あたしに話しかけてくる人間はいないから、気が楽だ。


 せっぽちで可愛かわいげのない子供が、自分達と同等以上の勉強をこなしているのだから、そりゃおもしろくないだろう。


 いじめても自分がみじめになるだけだし、なにより、あたしは真面目まじめで優秀な生徒なので教授達の覚えもめでたく、単純にいじめにくいことは想像がついた。


 そんなわけで、あたしの周りには真空状態と言うか結界けっかいと言うか、そういうものがあった。


「ユーちゃん、おはよー。今日もがんばってるねー」


 あっさりと破られた。誰だ、迷惑な。


 見ると、ふわふわの栗色くりいろの髪にまっ白な肌の、雰囲気のやわらかい女子がいた。


 胸もお尻もふくよかで、若葉色わかばいろの制服の生地が、かなりの無理に耐えていた。


「ええと……イルメラ=イステルシュタインさん?」


「長いよー、イルマで良いよー」


 間の抜けた声で笑いながら、隣に座る。いや、座るなよ。


「今日こそユーちゃんに話しかけようと思って、遅刻しないように早起きしたんだよー。仲良くしたいの、良いでしょう?」


「そんなこと言ってると、他の人と仲良くできなくなりますよ」


「私、あんまり頭良くないから、そういうのわからなくてー。きっと大丈夫よー」


 イステルシュタイン家と言えば、名前ほどではないが、長く伯爵位はくしゃくいを継いでいる名家だ。


 面と向かっていじめの標的にはしがたいし、この調子では陰湿な行為にも手応えがないだろう。


 こちらの意図いとを正確に把握はあくしているところを見ると、学業成績はともかく、自分で言うほど頭が良くないこともない。


 思い出してみれば、確かによく遅刻して、後ろの方で寝ている姿を見た気がする。


「どこに座るかは自由ですけど、勉強の邪魔はしないで下さい」


 最大限に譲歩じょうほして、資料に目を戻す。なんなんだよ、もう。面倒くさいよ。


「ありがとー。私ね、ユーちゃんみたいな可愛い子が大好きなのー」


 だったら基礎課程きそかていの教師にでもなれ。人畜無害じんちくむがいな感じだし、ちょうど良い。そして、あたしの人生に関わるな。


「だから将来は、たんぱくな旦那様つかまえてー、月一回くらい御奉仕ごほうしして、後は小間使いのをとっかえひっかえ手籠てごめにするのが夢なのよー」


 前言撤回、最悪の危険人物だ。


 いきなりなにを言い出すかと思えば、おまえも敵か。あたしの平和を乱す敵なのか。


「……ここ、学校なんだけど」


「あ。ごめんねー、悪戯いたずらしたりしないから、安心して。ユーちゃんが婚約ほやほやなの知ってるしー」


「だから! 学校だって言ってるでしょ! 思い出させないでよ、あんな奴のこと!」


 たまらず大きな声が出た。ちょうど入って来た教授が目を丸くする。


「あー教授ー。私、今日からユーちゃんを見習って、まじめにがんばることにしたんですー。よろしくお願いしまーす」


 ほう、じゃない。感心するな。生徒の身の安全を確保しろ。


 言いたいことは山ほどあったが、ぱくぱくと言葉にならない。


 今この場で、こいつの危険性を立証することは不可能だ。不毛なうったえで授業の時間が減っては、本末転倒だ。


 もろもろ飲み込んで、座り直す。もういい。全部雑音だ、授業に集中しよう。


 頭にちらつく顔も雑音だし、髪にかかる吐息といきも雑音で、太ももがくっついてくるのも雑音だ。きっとそうだ。



***************



 夕食の時、ぐったりしているあたしを見て、アルフレットがあれこれと聞いてきた。


 適当にはぐらかすつもりだったが、これも狩りの経験なのか、あっと言う間に誘導尋問ゆうどうじんもん概要がいようを把握された。隠し事もできないのかよ。


「イステルシュタイン家のお嬢さんですか。確かにいろいろ、うわさもあるようですが、まあ可愛らしい程度ですよ」


「いや、あたしにとっては充分、本格的に不幸なんだけど。あんた、聞いたからにはあたしの幸せのために、なんとかする気ないの?」


「適度な困難を自力で乗り越える成功体験も、幸せには欠かせないものですよ」


「それ言ったら全部片づくわ」


 本気であてにしたわけでもなかったが、それにしても聞いた自分が阿呆あほうだった。


 子供の不幸なんてそんなもんだ。大人から見たら、鼻で笑う程度の代物しろものだ。わかってる。


「お話を聞く限り、少し個性的ではありますが、良い学友になれる気がしますよ。人生の若い時期、お互いの足りない部分をおぎない、成長を分かち合う経験はとおといものです」


「あたしに足りないのは胸とお尻ってことね」


 言ってしまってから、気がついた。


 これは嫉妬しっとだ。イルマが悪いわけじゃない。

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