第10話 再会

私はお姉さんに連れられ、一緒にバスに乗っていた。

「あの、どこへ行くんですか?」

「蓮に会いに行くんだよ」

「柊木くんに?」


バスの着いた先は大きな総合病院だった。

どうして病院? 

まさか蓮くん病気?


「あの一つ約束してくれる? 蓮に会っても驚かないって…」

「え、あの、どういう意味ですか?」

私にはお姉さんの言葉の意味が理解できなかった。


ゆっくりと病室の引き戸を開けた。

ちょっと広めの個室にはベッドといろいろか医療機器が置かれていた。

そのベッドに一人の男の人が寝ていた。


私はその姿を見て一瞬で身体が凍りついた。

頬はこけ、身体は痩せ細って老人のようにも見えた。

でもその優しい顔立ちから蓮くんであることはすぐに分かった。

その弱々しい体には多くの管がはめられ、横にある計測器や医療機器と繋がれていた。


「あの、これ、どういうことですか?」

「びっくりしたでしょ? これが今の蓮の姿。もうひと月もこの状態が続いてるの」

「ひと月?」


私はその時に初めて知らされた。

蓮くんは筋肉がだんだんと縮小して、いずれは動かなくなってしまうという恐ろしい病気だったということを。

そしてその治療法はまだ見つかっていないということも。


蓮くんが転校したのはこの病院に入院するためだったのだ。

私は目の前の現実が受け入れられなかった。


「いつから、いつから柊木くんは入院してたんですか?」

「こっちの中学を卒業してすぐだから四月からかな」

四月? だって私は四月からずっと蓮くんとラインの交換をしていたのに。

「あの、そうしたら高校がっこうは?」

「W実業に受かってはいたんだけど、結局一度も登校してないんだ。病院に近いからこっちの高校を受験したんだけど、あまり意味なかったよね」

「じゃあバスケは?」


お姉さんはちょっと困ったような笑い方をして首を横に振った。

「バスケどころか、入院した時はもう体に力が入らない状態になってた。六月には、もうほとんど寝たきりだったかな」


私は目の前が真っ暗になった。

嘘だ。だって蓮くんはその時もずっと私を元気づけてくれてた……。


私はなんてバカだったんだろう。

元気づけなきゃいけなかったのは私のほうだったんだ。

身体が自由に動かないなんて、どんなに辛かっただろう……。


「お姉さん、ごめんなさい。私、何も、何も知らなくて……」

「分かってるよ」

私は激しく首を横に振った。

「私、柊木くんに、蓮くんに酷いこと……」

お姉さんはゆっくりと首を横に振った。

「ずっと前から優菜ちゃんのことは聞いてたんだよ。蓮から」

「え?」

「蓮がまだ中学三年の時だったな。偶然に優菜ちゃんからの手紙を見つけちゃったんだ」

「私の……手紙……」

「そう。こいつ、優菜ちゃんの手紙とかメールをいつも大事そうに読んでたよ」

とても信じられない話だった。


「優菜ちゃんのこと、すごく不器用だけど、無茶苦茶に真っ直ぐで、素直さが服着て歩いてるような感じの子だって言ってた」

蓮くんがそんなふうに想ってくれてたなんて私は考えてもみなかった。

「だからね。今日、家の前であなたを見た時、すぐに分かったよ。優菜ちゃんだって」

私は恥ずかしさのあまり顔を上げられなくなった。


「ごめんね。こいつ、高校ではバスケやってるって嘘ついてたんだよね」

「嘘?」

「許してあげてね。優菜ちゃんがバスケやってる蓮に憧れてるって言ってくれたから、辞めたなんて言えなかったんだよ」


私のためにそんな嘘を…?

「優菜ちゃんが蓮に会いたいって言ってくれる度に悩んでたよ。でも優菜ちゃんを幻滅させたくないから断ってたんだと思う」

「幻滅?」

「その時の蓮は、もう優菜ちゃんが知ってる蓮の姿じゃなくなってたと思う」

私はその時の蓮くんの気持ちを考えていた。胸が圧し潰されそうになった。

「試合あったんだよね? テニスの」

「え?」

「新人戦、優菜ちゃんの初めての試合」

「それも知ってたんですか?」

「蓮ね、行こうとしてたんだよ。外出許可も病院からもらってね」


蓮くん、来てくれようとしてたんだ。

「無理やり許可もらったんだよ。こいつ、喜んでたなあ。でも、こんな自分の姿見たらがっかりするんじゃないかって心配もしてたな」


私は俯きながら激しく首を横に振った。

「でも試合の当日に急に容態が悪化してね。すぐ手術になったの。結局その日以来ずっと目を覚ましてないんだ」

お姉さんはそれからしばらく黙り込んだ。


「今日は優菜ちゃんに来てもらって本当によかった」

「え?」

「あのね、もう蓮が目を覚ますことはないの。これからもずっと機械に生かされてるだけ」

聞きたくない言葉だった。


「でもね、蓮は頑張ったんだよ。病気に負けないように、ずっと頑張ったんだよ」

お姉さんの声が涙で詰まった。


「だからね、昨日、家族で決めたの。もう蒼を楽にさせてあげようって…」

私は愕然とした。

その言葉の意味を理解することを拒んだ。


私は激しく首を横に振った。

足元に涙の粒が飛び散った。

「あの…蓮くんの手、握らせてもらってもいいですか?」

お姉さんは黙ったまま頷いた。

私はベッドの横に寄り添い、蓮くんの手をそっと掴んだ。


初めて触れる蓮くんの手。

それは華奢で痩せ細った弱々しい手だった。


涙が溢れ出した。


どんなに辛かったんだろう。

どんなに苦しかったんだろう。


「ごめん。ごめんね、蓮くん」


私はその崩れそうな手を両手でぎゅっと強く包み込んだ。


とても、とても暖かかった。


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