第3話
〈天国〉と〈地獄〉の話についてホープが教えてくれたのは、まだぼくの年齢が八つくらいの頃だったはずだ。他の村人にこんなことを言ったら、嫌な顔をされるから絶対に話しちゃいけないぞ、と。物知りなホープはぼくに色々な話を教えてくれたけど、特に記憶に残っているのが、〈天国〉と〈地獄〉の話だ。
ぼくたちはみんな精霊の加護を受けていて、ひとが一生を終えるタイミングは精霊の加護の効力が失われた時、この肉体という器を動かせなくなってしまう。その状態を、死、と呼び、不要になった肉体は土の中に捨てるのだ、とこの村のひとたちはそう考えていて、ぼくも同じ風に教えられたから、自然と村関係なくこの世界に生きる人々が同様にそう考えているのだとばかり思っていた。実際に両親はぼくや村人の考えに対して何も言わなかったわけだし……。
広大なフェールズ大陸の南端に位置する異国では、神なる存在を信仰するひとびとがいて、彼らは死者が出ると儀式の形でその屍を葬り、悼み、悲しむのだ、とホープは言っていた。その考えを持つ者はすくなくなく、この村の考えのほうが少数派だ、とも。
その頃のぼくは死が怖くて仕方なく、だけど周囲にはこの死の恐怖を理解してもらえない気がして、相談できるのがホープしか思い付かなかったのだ。
「この村の考えってのは、言い方は遠回しだが、結局は『精霊の傀儡が役割を終えただけなんだから、死は、何も怖がるもんじゃない。怖がるやつは弱い人間だ』ってことだからな。死は、怖くて当たり前なんだ。自分が自分でなくなるんだから」
そんなことを言ってくれるのは、ホープだけだった。当時は幼く知識も不足していて、傀儡の意味がよく分からなかったのだけれど、話の前後の文脈などから、なんとなく理解することはできた。
もちろんいまとなってはこの村の考えに両親も違和感や反感に近いものを抱いていたことは分かっているが、村の価値観に早く馴染めるように父も母も口に出さないよう気を付けていたのだろう。
「神という存在を共有するその国には、〈天国〉と〈地獄〉という概念があるんだ」
「〈天国〉と〈地獄〉?」
「あぁ、簡単に説明すると、死んだ後に、良い人間は〈天国〉に、悪い人間は〈地獄〉に行くって話なんだが、……まぁこれが実際にあるのかどうかなんて話をしたいわけじゃなくて、死んだ後にもその人間の物語、人生には続きがある、続きがあって欲しい、という願いが込められているように俺には思えて、な。それって死ってよく分からないものが怖いってことだろ。ハルト、お前の死が怖いって感情は自然なものだ、と俺は思うし、俺も死が怖くて仕方ないよ」
勇敢さにおいて、この村でホープに適う者はいない。そのホープの言葉は当時のぼくをとても勇気付けた。
例えばいまもホープは獰猛なラスカの首根っこを掴んで、ラスカがぼくから奪った結婚石を取り戻している。そんなことをいとも簡単にできるのは、この村ではホープくらいしか考えられない。
ホープの手を放れたそのラスカは、逃げるようにぼくたちから離れていき、もう姿も見えない。
「ほら」
「ありがとう」
「これはお前のじゃなくて両親のだろ。どうしたんだ、こんな物を持って」
「実は――」
ぼくが〈メジア〉を持って村をうろうろしていた経緯を話すと、もしかして、リコのペンダント、ってあれじゃないのか、とホープが言って、地面を指差した。チェーンに繋がった鮮やかなこがね色の欠けているのに綺麗な丸をしたペンダントトップが茂みのうえに転がっている。ペンダントのもとへと駆け寄って手に取ると、それは間違いなくいつもリカが首からぶら下げているものだった。
「結婚石に目が眩んで掠め取ろうとした時に、そっちは落としてしまったんだろう。良かったな……、ただ自分の物じゃないのに勝手に持ち出すのは、感心しないな。〈メジア〉がどれだけ貴重なものか知らないわけじゃないだろ……というよりも、それを知っていたから囮に使ったんだろ」
ホープが怒った口調で言う。
「ごめん、……なさい」
「まぁ反省したなら、今度からしなければいいさ」
こういう時、ホープは長々と説教はしない。簡潔であるほうがより伝わる、と考えているからだろう。
「うん」
「まぁ、リコの頼みをなんとかしたかった、っていう気持ちは買うさ。……と、しかし本当に綺麗なペンダントだな。〈球形の欠片〉のペンダントなんて、どこに手に入れたんだろう?」
「小さい頃、父親に買ってもらった、って」
「村長に……? あぁ確かに最近は来なくなったけど、以前は行商のひとたちが雑貨を売りに来てたりしたな。思い出した、思い出した。これを買っていた時、俺もその近くにいたな、そう言えば。その後、〈球形の欠片〉についての説明をリコにしたんだよ」
十年に一度、星々ではなく、夜空に瞬く光が無数の球形となる日があり、それを〈球形の欠片〉と呼ぶ。何故それが現れて、現れたことでこの世界にどういう影響があるのかは誰も知らない。説明、と言っても結局は分からないことを分からない、と言うだけで終わってしまうものであり、ホープもかつての幼いリコに同じ説明をしたはずだ。
前回は運悪く見れず、ぼくもリコの模したペンダント越しにしか〈球形の欠片〉の形を知らないので、いつかは見てみたい、と思っていた。でも〈球形の欠片〉の訪れはまだ当面先のことになるだろう、と村一番の占い師が言っていた。
「とりあえず、後でリコのところに返しに行くよ」
「まぁいまは成人の儀の準備で忙しいだろうから、夜まで帰って来ないと思うけど、村長には会わないように気を付けろよ。成人の儀の前で気が立っているはずだからな。……と、成人の儀のことだけど、絶対に説得するから、もうすこし待って欲しい」
「もう、いいよ」
別にのけ者にされるのはこれが初めてじゃない。いままでにいくらでもあった。たかが成人の儀なんて、こっちから願い下げだ。心の中でそう罵ってみるけれど、その心の奥底はちりり、と痛んだ。
ハルト、お前に成人の儀の参加資格はない、とはっきりと村長から告げられた。
ぼくの両親がこの村の人間ではないからだ。
〈天国〉と〈地獄〉が本当にあるのならば、〈天国〉に行くべき人間はぼくで、〈地獄〉へと堕ちるのは、村長やヤト、そして一部を抜いたこの村に住むぼくたち家族を極端に嫌う村人たちだ、とかたくなに信じていた時期があったし、いまも多少そう考えているところがある。そうじゃないと不公平だ、と。
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