第2話
その日は朝からひどく慌ただしかった。リコが呼び鈴を鳴らすこともなく、ぼくの家の玄関の扉をがんがんと強く叩きながら、泣き声で、ラスカにペンダントを盗まれた、と騒いでいて、ラスカの鳴き声よりも朝の睡眠を邪魔する彼女の大声に溜め息をついて、まだ寝ぼけておぼつかない足取りのまま、扉を開けると、
「ハルト、来るのが遅い!」
とリコが泣きながら怒っていた。
「いきなり来て、それはどうなの?」
「こっちは一大事なんだから、聞いてよ! ペンダントが盗まれたの……」
確かにリコがいつも首からぶら下げているペンダントはなく、分かりやすいほど目立っていた時はそこまで気にならなかったのに、いざそれがなくなってしまうと寂しい感じがして仕方なくなってしまうのも不思議な話だ。
「それは分かったけど、でもなんでぼくのところに」
いまはぼくひとりしかいないから問題ないけれど、もしも両親がいたなら、父と母の困惑した顔さえも頭に浮かぶような状況だった。もちろん彼女だって、ぼくしかいないのを知っているからこそ、ここを訪れたのだろう。それは分かっているけれど、ぼくとしては、どうもひやひやとしてしまうのだ。多くの村人にとって、ぼくたちの関係が良好であることは、あまり好ましくない。
「ラスカから取り返してきて欲しい」
「そんなわがままな」
「わがままでもなんでも、大事なものなの!」
「〈球形の欠片〉のペンダントなんて、この辺に売ってないもんね」
「それも、そうだけど、小さい頃、お父様に買ってもらったものなの」
お父様、と聞いて浮かぶその顔はぼくに対して、いつも敵意に満ちている。ぼくははっきり言って、彼女の父親であり、この村の村長である意地悪なそのひとが嫌いだったので、父親からの贈り物だという理由で心が動かされることはなかった。とはいえ彼女の悲しんでいる表情をいつまでも見続けることになるのは本意ではなかった。
「うん。まぁ……とりあえず、努力してみるよ」
「お願い……」
と、さっきまでは威勢が良かったのに、いまは、しゅん、とうなだれてしまっている。ペンダントを奪われたことによる落ち込みもあるだろうし、それだけではなくわがままなお願いをしている、という自覚は彼女の中にもあるはずだ。その配慮がない性格だったなら、ぼくとこうやって気軽にしゃべったりはしないだろうから。
だけど、どうしたものか……?
ラスカはぼくたちの住むフェールズ大陸の中でも、この村くらいにしか棲息していないのではないか、と言われているめずらしい黒鳥で、特に朝の喧しい鳴き声と光る物に目がなくひとの持ち物を平気で奪う癖、というふたつの厄介な特徴を持っていた。村人ならば貴重なものを身に付けている時はつねに警戒を怠ってはいけない、と経験則で知っているものなので、リコも無防備だったわけではないだろう。そのうえで奪われてしまったのだから、精神的な痛みはさらに大きいはずだ。
はっきり言って村の中にいま何羽のラスカがいるかも分からないし、適当に探したところで見つかるはずがない。
とりあえず自分の家に戻ってもらうことにしたリコとは別れて、両親の寝室に向かったぼくは隅のチェストの二番目の引き出しを開けて、そこから小箱を取り出した。ちょうど父が母を連れ立って、仕事のために村を離れている。両親に対する罪悪感はあったけれど、終わった後に元通りにしておけば何も問題はないはずだ。
リコがいつも持っていたペンダントはとても不思議で、普段から光っているわけではなく、ぼくはもちろん、身に付けているリコにも分からないタイミングで、事あるごとに強い光彩を放っていた。ラスカの光る物への執着を考えれば、何が何でも欲しがり、そして手放したくないはずだ。
宝石類をくちばしに咥えたまま、飛行を続けるラスカの姿はよく見ていたので、〈球形の欠片〉型のペンダントよりも照り輝く貴金属を囮にして奪い返そう。それはぼくの知る限りひとつしか思い付かなかった。精霊の加護を受けた結婚石〈メジア〉を取り出す。輝きはリコのペンダントにも劣らないそれは、父が母に婚姻の儀の際に渡したものだ。
〈メジア〉を持って、見せびらかすように村内を歩き回るのは恥ずかしかったけれど、まぁまだ寝ているひとが多い時間だったこともあり、そんなに村人の数が多くないのが救いだった。こんな姿をリコの弟のヤトあたりに見つかったら、何を言われるか分かったものじゃない。自分と親しく話してくれるリコに対して、ぼくと同い年で今年十五の齢への到達を示す成人の儀に参加するヤトは父親の村長と同様、ぼくたち家族に敵意や蔑みを向け、それを隠そうとはしない。
成人の儀か……。
あと三日経てば執り行われる成人の儀のことを、ぼくはできる限り考えないようにしてきたのだけれど、忘れようと努めれば努めるほど、意識のうえに浮かんでくる。
ぼくが溜め息をついたその時、背後から羽ばたきのような音が聞こえ、慌てて振り向いたが、考え事で反応が遅れ、指先の痛みとともに持っていたメジアがぼくの手から離れてしまった。鈍重なぼくを小馬鹿にするように低空飛行するラスカの背を見ながら、とっさに追い掛けても間に合わない、と動きが止まってしまう。
リコのペンダントも両親のメジアも……、どうしよう……、と俯いたぼくの耳に届いてきたのは、叫び声だった。
顔を上げると、
「ほらほら、暴れるな暴れるな。ちょっとそれを返してもらうだけだから」
と村一番の屈強な体躯を持った男がラスカの首を掴んでいた。ホープという名前のそのひとは、ぼくが幼い頃からずっと憧れている人物だった。
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