夢豚だったから罰があたった話
加藤 小虎
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わたしが人を愛したのは人生で一度だけです。
何が愛かもわかります。
でも「人を」愛したと、言いきっていいのかどうか?
みなも先輩のことを。
「なんで、今になってえええっ!!」
朝、叫びながら飛び起きました。
叫ばされたのは夢のせいです。
1人で家の近所に立っている夢でした。
真夜中に。
真夜中なのに、空き家をのぞき見していました。
中にだれかがいるはずだ、と思って。
つまさき立ちで窓から見えたのは、そのだれかの片腕でした。
わたしはその人を知っていました。
男の子の筋肉質な右腕。
あれは、
「みなもせんぱい」
声にだしたら、月が窓の奥にとどいて腕より先、全身が見えました。
あずき色のユニフォーム。
その人の名前は、みなも先輩といいます。
先輩は作業台でそば粉をこねるのをやめて、照れた感じで窓のわたしにほほえみました。
とにかく、その夢ではなぜか、空き家でそばを打っていたのでした。
夢だから、(この家、前おそば屋さんが住んでたなあ)と、わたしは納得していました。
スッと窓を通って、目の前に来ました。
夢の中でもおかしいくらいはっきり、身体を持った存在として感じたけど、
それはみなも先輩本人でした。
先輩の手のひらがわたしの手に重なりました。
手の大きさを比べるように。
「もういいよ」
と聞こえました。
「とでも好ぎだ」
とも。
それから目がさめて、最初の「なんで今になってえええ」に戻ります。
感触の残りがありました。
ざらざらしたタコが何個もあった手の‥‥‥。
引くほどリアルに。
動悸を静めてから、準備して大学に向かいました。
でも講義を受けていても、
友だちとお昼ごはんを食べるときになっても、
夢の印象が離れなくてボーッとしていました。
ふつう夢って、時間がたつほど内容はふやけていくと思うんですが。
先輩の猫背。先輩のにおい‥‥‥におい?夢なのに。
「考えごとしてる?」
おなじ学科のAちゃんに聞かれて、コロッケパンを落としかけました。
「あ、ごめん。ち、ちょっと寝不足で‥‥」
「何かあったの?」
「えーーっとなんかね、
夜、うなされてたっぽくて。夢で」
「えー!夢?どんな?」
「‥‥昔知ってた人なんだけ「あ、次の講義は寝れるよ!まるまる映画鑑賞だから」
話さなくてすみました。
記号学入門という講義でした。暗くした教室のいちばん後ろで、
「Aちゃん、映画すき?」
「あたし映画ぜんぜん観ないなー。
こういうの、ほんと眠くなるんだよね」
「そっか。マンガとか、本とかは?」
「読まないんだ。
ラクだって聞いて、この講義取っちゃった‥‥」
と、ヒソヒソ話しながら観たのは、
『カイロの紫のバラ』
という白黒映画でした。
主人公の平凡な主婦が、旦那さんから物のように扱われてて、生きがいは映画館通いで‥‥という話です。
その最初らへんだけついて行けました。
一瞬まばたきしたら、教室が明るくなって終わりの時間でした。ヨダレが机にたれていました。
次の空き時間はWikipediaとYouTubeからの情報をてきとうにつなぎ合わせて、『ちゃんと観た』っぽいレポートをまとめるのに、苦労しました。
みなも先輩のせいです。
みなも先輩とはだれかというと、ずっと忘れていた人で、説明が長くなります。
図書館の自習スペースを出て、自販機に寄ると、床におつりがジャラジャラ散らばっているところでした。
落としたらしい人は、自販機の脚のすきまに手を入れていました。
あせた、あずき色のユニフォーム。
なんだろう、この感じ。ギクリとしながら、近くの10円玉をひろいました。
「あのー、」
腹ばいの姿勢で、みなも先輩は頭を上げました。
み?
今、わたし、なんて言った?
み‥‥‥何‥‥‥先輩って言ったっけ。
その時のわたしは、客観的にかなりおもしろかったんじゃないでしょうか。
お豆腐みたいに震えていたんです。脳内ナレーションが発した単語が、
その意味するものがわからなくて。
おもわずその名前をつぶやいていました。
立った人のユニフォーム、その半袖は、左側の肩から下がありません。
身長は高くて、でも背中をまるくしていました。同じでした。
まだ目がさめてないのかな。いやいや。
この人はそう、きっとクオリティの超高いアレをしてるだけであって、だってみなも先輩は‥‥‥。
「ども、すいません」
10円を受けとったときの、なまりかたも同じでした。夢のくりかえし。
じつは今朝よりずっと前に、何度も聞いていましたが。
肩あたりからキンモクセイのにおいがします。
でも季節は春でした。
ヒバリが空をながれていきました。
一瞬ぼんやりと目で追ってしまいました。
そのあと、なぜふたりでベンチに座って話していたかというと、
そのみなも先輩がヒバリに現実逃避している人間に缶コーヒーを買ってくれて、
「なして、オレの名前ば知ってるんですか?
前に会ったこどあるかな?」
と真剣に聞いてきたからです。
「‥‥‥わたしたち、会ったことはないと思います」
「そ、そう‥‥‥じゃ、なん‥‥‥」
「みなも先輩だってことはわかるんですけど、なんで学校で、みなも先輩のコスプレをしてるんですか」
「こすぷれ?」
「そうでしょ!
レイヤーさんじゃなくて、わたしが夢を見てるのでもなければ、
あなたは、源
みなもとだから『みなも先輩』って呼び名。
ひゃ、180センチ75キロ。2月19日生まれ。趣味は家事全般、家族構成、両親と姉・弟・妹。
黒髪で、虹色のえりあし。猫背。タレ目。下駄ばき。右きき。東北出身。
岡学園高校3年1組、テニス部のレギュラーで、ノトテニ、『能登のテニス』に出てきますよね。
わたしそのマンガもアニメも、っていうかみなも先輩推しのオタクだったんですから」
「‥‥‥」
「中学の時、クラスでかなり流行ってました。
『ノトテニ』は、主人公の能登くんが、高校のテニス部で仲間たちと全国大会制覇をめざす少年マンガです。
その仲間が、みなも先輩たちです。
当時わたしより年上だったから、わたしも先輩、ってまだ呼んじゃうんですけど。
正直、最初はクラスの子とかとノトテニキャラで誰が一番かっこいいかを語るなら3人くらい思いうかべて、でも考えて1位にもってくるくらいでした。
優しそうで好みだなーとか、セリフがほぼ
『んだ』
しかないところが面白くて、気になっただけで。
でもだんだん、アレっ?ってなって。
コミックス13巻の『マッシブサーブ・改』の特訓シーン。全身に有刺鉄線を巻きつけて、回転を進化させるやつ。
泣きすぎて目がパンッパンにはれました。
だってそれで先輩、腕‥‥‥。
夜な夜なアニメを録画して、いつのまにか缶バッジ集めたり、お誕生日にケーキを焼いて(一人で)祝ったり。
5年くらい。
もう、毎日毎日先輩で頭がいっぱいでした。
この大学も校舎がノトテニのモデルになったから選んだんだし。
でも連載とアニメも終わって、大学受験とかいろいろ波に飲まれているうちに、オタ卒してました。
風邪が治るみたいに、しぜんと。
そのあと『ノトテニ』も、みなも先輩も、思いださなかったんです。今朝までは」
「‥‥ほう。今朝までね」
「夢に出てきたんです、先輩が。
うちの近所でなんかしてて。
『マンガのキャラクターが』現実の身体を手に入れるために、儀式をやっているんだって夢だからなんとなく理解してました。
起きて、ちょっとうれしかったのと、残念だったのと半々で。
夢でよかったって思いました。
だって先輩がこの、こっちの世界にいたら、どうしていいかわかんないです。
でも先輩、いるから‥‥‥」
「‥‥‥オレは、マンガのキャラクターではないですよ」
と、先輩は横顔で、アニメのCVと同じやさしい声で言いました。
「オレは源格之進ではあるけども。
きみが実在するのと同じように、ふづうの実在する大学生だがら、また会えるかな」
キンモクセイのにおいがあとに残りました。
2巻で彼の妹が洗濯に使っていた、キンモクセイの香りの存在しない柔軟剤。
その夜。
家のコミックスをひっくり返して、ページの中の先輩を確認したくて探したのですが。
ない。
全巻と公式ファンブックは、本棚のふだん置く位置から消えていました。
ノトテニで検索すれば。
スマホをいじろうとソファにもたれて反りかえったら、さかさまの視界のすみに段ボール箱が入りました。
中高時代の教科書やノートを放りこんである箱。
引きよせて、ガムテープをはがして、一番底の家庭科のノート、さらに一番おしまいのページにそれははさんでありました。
〜Eternal〜 By・†夜桜空聖†
「みなも先輩!朝練おつかれさまです!
タオル使ってくださいっ!」
「ありがどない(微苦笑)」
「えへへっ!!///」
「ちょっとそこのあんたさあ、あたし達ファンクラブをさしおいて調子に乗ってない?
みなもくんには正式な彼女がいるんだからカン違いしないほうがいいわよ!!」
「ぇ、、、みなも先輩に、彼女、、、、、、」
し、死ねる!
光の速さでノートを閉じました。いま読み返しても悶絶です。
もともと、2と3の次元の区別がつかなくなるような人間ではなかったんです。
いや、今もついているつもりです。
夢。
たいていの人は夢を、
夜に見る記憶のごちゃまぜか、目標のことだと思います。
オタク界では、3つめの意味があります。
・マンガやゲームの世界観に自分を主人公として置いて、キャラクターと恋愛する。
・しなくても、その世界の好きな場所でやりたいことを、やりたいように実現する。
その空想を書く、同人小説のジャンルの一つのことです。別名、ドリーム小説。
中学生だったわたしは、みなも先輩と自分が恋愛する話を書いていました。
今考えると、中学の友達によく見せられたものだと‥‥‥。
それどころかホームページをつくって載せて、上のような内容を。
ムダに修羅場が多いやつをたくさん。
文章の才能はゼロでした。
みんな好きなキャラを書いて、ほめ合ってました。
楽しかったかっていうと、あんなに楽しくて、のめりこんだことは無かったんですけど。
あの頃わたしの作ったサイト、今でもあるのかな。
もうホームページの時代じゃないしサーバーごと消滅してればいいと思います。
みなも先輩。どうして今になってシレッと実在しているんですか?
おととしの実写化映画とは比べものにならないまぶしさで。
実在していない人に片想いするのはラクだけど行き場がない。
だから夢(今朝見たほうの)で思いださせられて、胸が焼けたように苦しかったです。
とりあえず、わたしの書いた夢小説はここにある。となると、
①今日はじめて会ったみなも先輩
②中学生のわたしが知っていたみなも先輩
このふたりは別人、先輩が2次元のキャラクターであることの証明になります。
他にも大量に書いたやつ、残ってるかな。パラパラめくっていくと、コピー用紙の束が出てきました。
〜Punishment〜 ※R15裏
By・†夜桜空聖†
---深く---
「##name1##のココ、もうこんなになってるだ。」
もうどれくらいだろうか---
俺が##name1##をベルトでしばってから
誰も使ってない部室で
##name1##の蕾から甘い蜜が滴り落ちる
ズリュッ
「あっ!///格之進さんッッッ」
「お仕置きだ、、、、、」
「ごめんなさい
格之進さんじゃない男の子と話したりしてごめんなさいっ(雌泣)
もうしません
やきもち焼いたりもしなぃから、、、
赦してください」
「ほんどかどうかカラダに聞いてみねどわがんねな」
「あんっ
ホントですっ」
「俺に彼女がいでも奴隷でいるか?」
「います!」
なんだこれは‥‥‥。
みなも先輩はそんなキャラじゃないです。書いた覚えもありませんでした。
ヒロインもアブノーマルな都合のいい女だけど、自分がヒロインになれるんだから、妄想の中でいばらの道を選ばなくてもいいのに。
ちなみに##からはじまる記号は、ネットの専用サイトで使えば、あらかじめ入力した好きな名前に変換されるしくみです。名前変換小説というジャンル名もあります。
鳥肌をこらえて進みました。
こんなに苦しめあう運命なら、ふたり出会わなければよかった
きっかけはあの日ーー-図書館で落とした小銭を##name1##が拾ってくれたことだった
サラリとした髪に釘付けになった
オレに恋人がいても手に入れて壊したかった
歪んだ狂愛だとしても---俺の##name1##
そんな事を考えてると##name1##が濡れた瞳でKISSをしてきた
「わかってるょ
格之進さんはあたしのものにならないんでしょう?
だからもう、、、終わりにするの」
どこかで鐘が鳴った
鎮魂歌のようでーーーひどく虚ろな
深夜12時に家の近くにきてと彼女は言った
マヨ中の街 俺は元そば屋の廃墟で待った
氷の様な月が見下ろしていた
ガサリ
俺は音にふりかえった
##name1##が立っていた
「もういいよ」とささやいた
彼女のまるで仮面のような笑みが崩れて唇が深紅に染まっていく‥‥‥高校生ではなく老婆の笑みになっていた
その白い手から落ちる雫
ポタポタリ
オレの彼女の首が握られていた
「とても好きよ。格之進さん」
the end...
☆あとがき☆某V系バンドの闇ソングを聴いてインスピレーションがわきました(オイマテ)楽しんでもらえたら嬉しいです!拍手コメお待ちしてます †空聖†
わたしはそれを何度か読み返しました。
「##name1##ちゃん!
おはよー、あのあと記号学のレポート終わった?」
朝、Aちゃんが教室にすべりこんできました。
わたしは自分の名前を伏せます。出すほどの意味もないし。
「終わってないよ。終わってないから終わってるよ。おはよ」
「あはは。われわれは観てないしねえ。
B子がアマプラ入ってるから、今日B子んちで一緒に観ながら仕上げない?」
「えー!行く!よかったー」
普通の朝でした。
だから講義開始のチャイムと同時に、
ユニフォームに下駄のみなも先輩が教室の入り口にあらわれて、
「おはよう」
とナチュラルにわたしたちの隣に腰かけたので、飲みかけのお茶をぜんぶ噴きました。
うわーやっぱりこの顔、良すぎる。
じゃなくて。心の準備ができてないのに、急に来ないで‥‥‥。
それから耳を疑いました。
「あっ、かくちゃん」
とAちゃんが呼んだからです。
ふくらはぎが生まれたての鹿のように変わりました。また。
その人とAちゃんを交互に見ても、やっぱりどちらも、人ちがいをしてるわけじゃないようです。
みなも先輩はAちゃんにほほえんでいます。
「かく‥‥‥ちょっ、耳かして!
こ、この人、Aちゃん、なんで、何っ」
「##name1##ちゃん、わたしね、言ってなかったけど最近彼氏ができたんだ。
この人。サークルの先輩なの」
表情を変えないで答える彼女。テニサーに入っているのでした。
ちなみに友達になって2年、わたしが『ノトテニ』が狂おしいほど好きだったことは隠していました。
【仮説その1】
みなも先輩は実在しない。
1ー1.みなも先輩はじめ、ノトテニのキャラには同じ名前のモデルがいる。
※Aちゃんはそれを知らない。
1ー2.ノトテニのファンで、みなも先輩を名乗って生きるようになった。
もしくは、自分をみなも先輩本人だと思いこむようになってしまった。
※Aちゃんはそれを知らない。
【仮説その2】
みなも先輩は実在する。
2ー1.みなも先輩はじめ、ノトテニのキャラは実在の人の話を描いたマンガだった。
2ー2.ノトテニというマンガなど存在しなかった。
2ー3.みなも先輩はマンガのキャラだけど、わたしの頭が疲れていて、みなも先輩とAちゃんが会話する幻覚を作りだしている。
2ー4.みなも先輩はマンガのキャラだけど、なんらかの理由で現実世界に来てしまった。
iPadに箇条書きしてみてから両腕を組みました。
Aちゃんは何もどこまでも知らないのか。
本当は知っていて、スルーしているのか。
確かめる方法があるのかどうかも分かりません。
マンガのキャラクターじゃない、
『ふづうの実在する大学生』
だと、わたしの友だちと付き合ったりする。
「かくちゃん。この子は文学部の友達で、
##name1##ちゃんっていうの」
その人はタレ目を細めました。今日はタバコのにおいがします。
「##name1##ちゃん?
この授業ば取ってたんだね」
「何?かくちゃんと##name1##ちゃん、会ったことあるの?」
少し前に出たノトテニのキャラ育成アプリでも、名前を呼んでくれる機能はありませんでした。
こうやって響きにされるのは、本当ならうれし‥‥‥うれしかったんですが。
本当なら、ってなにが本当なんだろう?
起きている今のほうが『夢』。しかも悪夢でした。
講義が始まって、Aちゃんが頭を落として寝ました。
わたし・Aちゃん・先輩の並び。
のばした指で静かに、遠くのユニフォームのすそを引っぱって、
「ちょっと聞いてください」
とヒソヒソ言うと、先輩はシーっと指を(なぜかわたしの)口に当てて、わたしを連れだしました。
みなも先輩は生きているからさわれるのでした。
並木道に雨と桜の花びらが降っています。その中を歩きました。
受験勉強をしていたとき、こんなふうに並んで歩くキャンパスライフを妄想することで乗りきっていました。
「きてくださいって、どご行けばいいの?##name1##ちゃん」
「へっ?聞いてくださいって言ったんです」
「あ、んだか。
オレときみでずっと話してっと、おがしいべな‥‥‥」
「Aちゃんが」
「んだ。Aに悪いから」
「そ、そうですよね。
みなも先輩、いつからここにいるんですか」
「ここ?
この世にって意味かい?」
「そうです」
「そりゃあ‥‥‥
生まれた時からずっと」
「いつ生まれたんですか?」
先輩と目が合いました。
「『世界は実は5分前にできあがったのかもしれない』っていうあの仮説といっしょで。
先輩は、記憶も設定も、全部持った状態でポンって、急にあらわれたんじゃないんですか?
昨日とかに。
昨日起きたことを中学生のときのわたしが書いていました。
だから、みなも先輩はわたしの小説から抜けだしてきた。
そう思いたいんです。
だって、もしもそうならたとえばわたしが今、かばんからiPadを出したとして。
みなも先輩は彼女と別れた、
って打ったとしたら、そのとおりになる。
好きです。ごめんなさい」
謝った後、歩き続けました。桜の葉と花を踏む下駄の湿った音を聞きながら。
iPadを出すつもりはありませんでした。
もう既にここに存在して、わたしと歩いたりしている人にはできないと思ったからです。
みなも先輩がボソッと、ありがとう、と言ったのは正門を過ぎたあたりでした。
門を出ていいのか迷っていると、先輩が左手首を引っぱるので、よろけました。
夢と同じ手だ、どっちの意味か、わからなくなってきたけど。
大学からわたしの家まで徒歩15分。
そちらの方角に向かっているんだと住宅街に入ってから気づきました。
先輩の歩幅は広くて、手をつながれていなければ置いていかれそうでした。
「ねえ、みなも先輩?」
この際、聞きたかったことをなんでも聞いてみることにしました。
「先輩のえりあしは、どうしてそういう色なんですか」
「染めたがらだよ」
「えりあしだけ?」
「変がな」
「変じゃないです。
どうして、都大会の打ち上げのときに、先輩だけいなかったんですか?」
「##name1##ちゃんは、オレのこど、なんでも知ってるな。
あれは弟の誕生日とかぶってたがら。あと」
「あと?」
「あの焼肉屋の前、おっかねえ犬がいた」
「あはは‥‥‥。先輩」
「うん?」
「わたしたちはどこに行くんですか」
下駄を見たら、進む前に何度も左右を迷っていました。そしてとうとう家を通りこします。
通りこしたということは、行く先は。
壊れた水車が見えました。
雑草で半分隠れぎみの小屋に、よりかかっています。
その家は長いこと空き家です。
空き家じゃなかったときは、水車がゴトゴト回ってたし、のれんもかかっていたかもしれません。
裏の厨房は壁がなくなって、中がまる見えでした。ブタクサの茎が踏まれてそこだけ通りやすくなっていました。
わたしたちは通っていきました。
何をしたいんだろう?
真っ暗でした。さっきは朝だったような。
なにかを聞くよりも前に、
「もういいよ」
と、声が聞こえて、急に首の真ん中がつまりました。
息ができない!
ふさがったまま、床に膝をつきました。
目の中で蛍光緑のなにかが燃えました。
死ぬ。
後ろにみなも先輩。が、いる。
いて、あの握力の右手で、
わたしの首を潰そうとしているから、苦しいのでした。
もがくわたしの両手は、
何回も空振りして、
何回目かでつかんだのは細い糸のまとまりのようなもので、
強く引くと何本かちぎれました。
みなも先輩がギャッと言いました。
ふりかえって、指をはがそうとして、めちゃくちゃに顔をたたきました。
鼻の骨の感触がにぶく伝わりました。
「助けて!助けて!」
それを言ったのがわたしだったかどうか、覚えていません。
さらにたたくと小指がぬめりました。たたくのをやめました。
床に転がってけいれんする塊。
きゃしゃな足。長い髪。みなも先輩ではありませんでした。
Aちゃんが血だらけで横たわっていました。
「Aちゃん!
なんで?!」
わたしはAちゃんの体を起こしました。
「みなも先輩、Aちゃんが!
なんで!先輩!どこ!血が止まらないの!」
空き家の、暗闇が濃いほうにわたしの声がちょっと響きました。
こだまがかえってきた気がして、見ると、女の子が立っています。
月光がその顔にかかりました。
この子も知っていました。毎日見ていたから。
その子はわたしにそっくりだったのです。
「みなも先輩」
と彼女は言いました。
イントネーションがみなも先輩といっしょでした。でも声はわたしの声。
これはみなも先輩だ。
みなもせんぱい。
わたしはくりかえしましたが、喉がひりついてうまくいきませんでした。
わたしの姿をしたみなも先輩は、つまさき立ちしてわたしのほおにキスしました。
ほおを押さえて、押さえたその感触におどろいて、手を見て、窓を見ました。
猫背になって、あずき色のユニフォームを着ている男の子。黒髪で、虹色のえりあし。左腕はユニフォームに隠れていました。
そこにみなも先輩ひとりが映っていました。
つまりわたしが、ほおを押さえてひとりで。
みなも先輩はもう窓の向こうにいて、外からわたしをのぞいていました。
ああ、そうか、
実在しなくてもどこかにいる人のことを書いてしまったから、
いまさら罰が当たったんだ。
と思いました。
だから、好きな人になってしまったんだ。
誰かに見つけてもらうまで、永遠にそばをこねて、待っていないといけない。のかもしれない。
夢ならさめればいいのに。
夢豚だったから罰があたった話 加藤 小虎 @katoshoko
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