音降るる場所で。

荘園 友希

楽楽

 私たちの住む千葉県は運動部から文化部まで数多くの成績を残す強豪として有名だった。特に吹奏楽部は夏が山だった。野球応援に吹奏楽コンクール。吹奏楽連盟主催の吹奏楽コンクールは皆の一年の集大成ともいえる大会でそのために毎日毎日基礎練や曲の練習に追われる毎日だった。コンクールには地区大会と県大会、さらには全国大会があるが私たちの高校はいつもダメ金と呼ばれる、金賞なのに県大会には出場できない学校だった。多少は名前が通っているし、時折県大会に出るもののほとんどがダメ金なので音楽系で進学を考えている学生は入ってこない。つまり所謂たたき上げで成果を出す傾向があって、とにかく基礎練を欠かさないようにしていた。それはセクション毎に区切られた方針を見てもそのまんまでフルートをやっていてもハーモニーディレクターの前でクラリネットやサクソフォンとともにロングトーンをするところから部活が始まる。私の学校の特徴と言えば循環呼吸法が定着しているところだろうか。それもそれなりに評価されていて、トランペットやサクソフォン、ピッコロに至るまで循環呼吸を覚えさせられるのが例年の一年への指導となる。循環呼吸法というのは息を絶やさず楽器に送る方法で頬を膨らませてそこに残った空気を楽器に送る間に肺に空気を入れる特殊技法だ。金管楽器でもプロしか使わない呼吸方法で私の高校の伝統的なテクニックで大きなアドバンテージだった。それ故コンクールに乗る場合には循環呼吸が一つの目安になる。一年生で乗るのは中学からずっとやっていて、私の高校を目指している学生で中学の時から循環呼吸を練習しているので高校から入ってくる子たちにとってはきつい練習になる。私はフルートなので使う息の量が多いことから循環呼吸ができないのでハードルは低かったがそれでも一年生で乗るのは厳しかった。私は例によって一年のコンクール参加者からあふれて、コンクールに出ることができなかった。

「カメー、今年は出られるかな?」

「ナツミは二年なんだか出られるでしょ」

「ほんとにほんと?」

「うちの部員の数考えてみなよ」

「そっか」

総勢で65名で花形のA部門に出場するのは55人までだから必然的に一年が数人落ちてくれれば二・三年はほぼ全員出られる計算になる。一年の時は地獄だった。私は小学校からフルートを習っていたのだけれど、楽譜を読むことができなかった。なので初見演奏ではまず入ることができない。というかほとんど吹いているふりをしているだけで周囲の楽器の動きを見ながら自分の動きを把握するのが精いっぱいだった。

 吹奏楽部はコンクール以外にも定期演奏会もこなさなければならないからPOPSやJAZZの難しいテンポも吹かなくてはならず、私はいつも主旋律に乗らないようにしていた。おかげでアルトパートを割り振られることが多くて、アルトを吹く時はバスクラやテナーサックスと同じ動きをするので動きが読みやすいし、そもそも譜面自体がソプラノに比べてスローなので楽に譜読みすることができる。16分が出てくると私の譜読みは危うくなってくるのに対して8分がでれば速い方なので簡単で好んで選んだ。

「カメ―」

「なにー」

「またアルト」

「ソプラノ吹きじゃないもんね」

「もはや別の楽器だよ」

「C管じゃないしね」

「何で管に差があるのさ、全部C管でつくればいいのに」

「知らないわ‼」

管楽器には管の種類があってCの運指の時に何の音が出るかによって管が決まる。例えばF管はドの指の時にファの音が出る。譜面は管のことも考えて書いてあるのでそのままの運指で吹けばいいのでそんなに気にすることがないのが一般的だけれどたまに下のHの音、つまり下のシの音までだったりするとソプラノで対応することが多いので読み替えが必要になって面倒くさい。オーケストラの譜面になると全部C管基準で書かれているので何度自分がずらすのか考えながら吹かなければならないのだ。なぜG管にしたのかはわからないけれどこの作業が非常に面倒くさい。

「しかもなんかキィがおかしいし」

私は週に一回来る楽器屋さんと話すのが楽しみだった。色々な楽器のことを知っているし、それぞれをフルート目線で話してくれるので咀嚼しやすくて面白かった。それに加えて簡単な調整もしてくれるので非常にありがたい存在だった。

「なんで学販の人が調整できるんですか?」

と一度聞いたことがある。曰く、どうも細かい調整の依頼は多いらしくそれぞれの楽器を会社に持ち込むとパンクするというのがきっかけらしかった。フルートのキィを治すときの力強さと、クラリネットのシェラックを焼くような細かい調整までどんなことでもやってくれた。対応できない楽器が来ると会社に持って帰って翌週にはもってきてくれる。その時に調整の話を聞かされるのがまた楽しみでしょうがなかった。ある時、私に楽器が治せたらどんな世界が広がっているんだろうかと考えたことがある。きっと広大で金管をハンマーで打ったり、フルートの調整紙をはさむような作業だったり、どれもやってみたいと思えた。二年も秋になったころ、私は試しに学校の壊れて使えない楽器を家に持ち帰って修理を試みた。分解の仕方がわからなかったのでその辺はネットを見て見よう見まねで作業をした。楽器屋さんがタンポと当時はまだ持っている人が少なかったシェラックを譲ってくれたのでついでに治具を注文して修理してみたけれどGより下が強く押さえないと鳴らなかった。試しにF# に調整紙をはさむと幾分簡単に吹けるようになった。ほかにも教わったようにつまようじに小さな紙をくっつけてそれをキィに滑り込ませて隙間を逐一見ていく作業は至福のひと時だった。フルート一台の修理に割いた時間は数週間かかったし、最初はタンポを温めすぎて収縮してしまってダメにしてしまったこともあったけれどもそのたびに楽器屋さんからタンポを譲ってもらってトライした。どうやらDisのレバーの動きがおかしいと思っていたら今度はバネがダメだった。しかしこればかりは自分で治すことができなくて最後には楽器屋さんに頼んだけれど一緒に名刺が返ってきて

「タンポはバラバラだけどよく頑張りました」

と裏に書かれていて私は嬉しくなった。

 それからは木管楽器全般を修理してみたくなって鬼門と言われるオーボエにチャレンジしてみた。300を超えるパーツ点数のあるオーボエ、一変バラしてみたことはあるけれど上管を分解しただけで私の手に負えないと気づいてやめておいたけれども今ならできるかもしれない。案の定最初にバラした時と比べるとスイスイ手が動いていく。キィの緩め方、キィの外し方。ダブルリードはリードがあまりに高かったので調整には後輩に手伝ってもらった。シェラックを焼く時にずっと父の使っていたライターを使っていたけれど、バラさずに焼くと管が焼けてしまうので使いにくかったのでおすすめのトーチを聞いてアルバイトして買った。分解することなくキィをあぶることができるようになったので作業が効率的だし、何がどういけないのか、どう調整していくのか方向もわかるようになってきた。時折楽器屋さんにアドバイスをもらってその度にどんどん成長していった。

 楽器屋さんのリペアマンに一度会いたくて御茶ノ水まで足を運んだことがある。自分たちには扱いきれない楽器や、使ったことのない楽器たちが所狭しと並んでいた。一回はエレキギターを中心にしていてリペアセンターは4階にあった。普段は入れてもらえないのだけれど、学販の人に話を通してもらって入れてもらうことができた。古くからフルートの調整には線香の煙使って漏れる場所を特定するらしいが、技術の進歩はすごくて、LEDライトを管に入れて光の漏れ具合で調整していくのが今では一般的らしい。サックスの調整にも光の棒を入れて細かく調整していた。シェラックをあぶるバーナーは私の持っているバーナーとは違って倒しても使えるモノを使っている人が多かった。ブースは数分割されていて、木管ブース、金管ブース、打楽器ブースとなっていた。私は木管楽器に主に興味があるので木管ブースの方に話を聞くことにした。シェラックの香りが常にしている。フルートも昔はシェラックを使った製品が多く出回っていたらしいけれども、今ではねじ止めするのが一般的だった。

「なんでシェラックが何種類もあるんですか」

私はふと疑問に思った。白いシェラックから黒いシェラック。また茶色いシェラックまで3種類程度が道具箱に入っていた。

「楽器とメーカーによってちがうのさ」

この後も細かい話を聞かせてくれた。シェラックの色は楽器メーカーによって異なっていて、それぞれの硬ささがあるのだという。セルマーは硬めの音質でそれはタンポの硬さにも影響していて、タンポが硬いのだという。逆にクランポンはその音の柔らかさからタンポからシェラックに至るまで柔らかい素材で作っているのだという。フルートもタンポの柔らかいとか硬いとかある。ミヤザワのストロビンが―タンポを非常に硬くて、その代わりにある程度調整しなくても吹けるようになっている。ムラマツは逆にタンポはほんのちょっと硬いけど近年ではスタビライザーのおかげで調整不要のDSが出回るようになった。もちろんEXってグレードはまだまだタンポが柔らかくって調整紙を使って調整するのが一般的である。

 フルートだけでもこれだけ種類があるのだから木管楽器全体で言えばかなりの知識量が必要となってくる。最近はリード楽器を吹けるように努力をしているけど、下唇が腫れてしまってフルートが吹けなくなってしまうのであんまり積極的に吹く気にはなれない。クラリネットは息をあんまり使わないけれど、アンブシュアが厳しいので管の調整はマウスピースを外して上管のエッジを吹く事で音を出すような技術が身についた。フルートの人間はなんでも管ならば音が鳴らせるように練習をさせられる。ペットボトルがボーボーなるように管のプルタブを取ってエッジをめがけて息を入れるとペットボトルよりは少しは高い音を出すことができたし、ストローめがけて息吹いて高い音を出すこともできる。フルートはエアリード楽器という分類に入るので原理的にはリコーダーと同じ部類に入る。


「今日はFから始めるぞ」

楽器が好きな私の嫌な時間。曲を吹くのは耽る人がすればいいと思うし、私はリペアに徹したかった。とはいえリペア専門になってしまっては吹奏楽部においては本末転倒なのでしぶしぶ楽器を吹くけれどコンクール曲では大体アルトだし、アルトは私専用にチューニングされているので吹きやすくはなっていたし、アルトのパート譜は8分音符でも速い部類に入ってくるので私としては気が楽だった。時折ピッコロも吹いては見る。けれど学校の楽器はエッジに傷が入っているので倍音を含んだ音を出すには不向きだったので三年のコンクールになる前にハンミッヒを顧問に無理やり買わせた。ハンミッヒというのは歴史のあるメーカーで高校で持っているところは少なかった。だいたいYPCを使っているのだけれど、もちろん手入れをしっかりしてあげて、調整することができれば、いいピッコロなんだけれど温湿度が影響するので学校の楽器庫に入れておくのは危険だったのでハンミッヒを買ったあたりから持ち回り制でピッコロを持って帰るようにしていた。

 

 コンクールで本選に出れるのは上位10校で千葉予選では100校程出てくるので約10分の1程度が本選に出れる算段である。とはいえその上位8校程度は常連校なのでその隙間に入るのは相当厳しい。しかし、ルールがあって三年間連続出場した学校は出場できないという取り決めだった。私たちの年はちょうどその常連校が出てこない年だったので顧問はいつも以上に熱が入っていた。私たちはダメ金常連なので今年はチャンスがある。ということだった。

 当日は常連校が出ないこともあってなのか取材陣が毎年より少ないように感じた。いざコンクール。舞台袖で吐く息はいつもよりどっしりとしていて重く感じた。舞台に上がると照明がまぶしく感じて、またとても暑かった。思った以上に楽器が温まっていく。ピッチがどんどん落ちていって調整しながらの演奏を強いられる。口で調整できるうちはいいけれどどうしても調整の効かない時には休符中にマウスピースのスライドを少し中に入れてピッチを上げる。でも全体的にピッチが下がり気味になるので442Hzで合わせるのは至難の業だった。常連校はこの会場で練習するらしいので当然ピッチが完璧になる。私たちは音楽室で吹くか、外で吹いて体力づくりをするのが精々なので繊細な音の調整は難しい。ダイナミクスに頼った演奏になり勝ちだけれど体力勝負の演奏が私達の強みだった。今年の演奏は私の中でも課題曲が好きでしんみりした局長なのだけれど儚いハーモニーを奏でるのが私は好きだった。最初のハーモニーの部分でリードミスをしたクラリネットの後輩が居て、なんだかやるせない感じだったけれども、一番はめなければならない箇所がうまく決まった。12分の演奏で自分たちの学校をアピールしなければならないので本番にはしぜんと熱が入る。顧問が指揮棒をあげる時とても静かになる。しんとなった世界は緊張が張り詰めていて、誰が一番最初に音を出すのだろうかと思いながら指揮棒が下に降りる瞬間に一斉にメロディが始まる。高音の主旋律の音に低音の副旋律の音。この音が飛び出す瞬間が何よりも気持ちがい。部室で何度も練習した曲なのにホールで演奏すると音が吸い込まれていく。第三音が私の担当で三音は五音と一音と比べて多少低く、平均律だと三音がずれるので非常に難しい。ハーモニーを聞きながら音程を取っていくことになる。一音はアルトフルートだから主旋律を担当することがないけれど運指がさほど難しくないので私向きだった。小学生のころから多少ピアノをいじっていたので音程を聴き比べるのは慣れていた。肝心な指がおろそかになっていたのでピアノはあんまり好きではなかった。

 曲も中盤に入っていく、途中リードミスをしたけれど滑らかで艶やかなメロディへと進行していき最後は華やかに終わる。小説のハッピーエンドみたいで楽しかった。演奏が終わると袖に戻って歓喜する人もいれば多少のミスをして泣く子もいる。私はいつも通りの音をいつも通り出すだけだったのでさほどなんも感じることはなかった。

「カメ、ちゃんとできた?」

「できたよ。リードミスした子は泣いてたけどね」

「まぁ、リードミスは減点対象じゃないから」

「そうは言っても現実はつらいよ。実際に曲を乱してしまうわけだから」

「まぁ仕方がないね。一年生だし、来年もあるんだから」

 私にとっては最後の夏なので二年の時ほど、気を張り詰めた感じではなかった。ただ今年は本選が望めるということ以外には特に感慨もなかった。演奏が速めに終わったので楽器を仕舞って、運搬用のトラックに打楽器を乗せていく。それを見送ってからは他校の演奏を聞くことになる。どこの高校も今年は力の入れ方が違った。どこも完成度が高くて私たちがまたダメ金のままなんじゃないかと少しヒヤッとした。結果は金賞で本選に臨むことになった。本選までは時間があるので少しずつ完成度を高めていく作業になる。コンクールで大切なのは表現力ではなくて正確さだから本選用の演奏はきっちりした演奏に切り替えていく。面白くはないけれどそれがスタンダードなのだから仕方がない。もちろん全国大会なんて出られるわけではないけれど作りこまないで演奏するのは他校に失礼な気がした。

 私は本選までの間も楽器の修理に追われてた。というよりかは楽器をいじっている時間がとても楽しかった。頭部管と上管のすり合わせが喫緊の問題だった。頭部管を買い替えた子がいてフルートというのは個体ごとに絶妙な調整が施されているから同じシリーズだとしても必ず一致するとは限らない。最後の調整は職人の腕に頼ることになる。リペアマンに相談するとすり合わせの調整は絶対にしてはいけないらしい。テーパーがかかっているのを無理やり広げることになるから下手すれば楽器全体のバランスが崩れてしまうとのことだった。すり合わせは頭部管が大きい場合を除いて銀テープで調整していくのが定説だと教えてくれた。ムラマツの音はただでさえ重くてでも艶やかな音だった。頭部管メーカーはヨーロッパに多く存在していて、フルート工房ではなくても頭部管工房が数多く存在していた。ざっくりだけれどアメリカは恩量系の頭部管メーカーが多くてドイツは艶やかでコントロールが非常に難しいイメージだった。後輩が持ってきたフォリジというフランスのメーカーは一年に何作も作らない。職人の年齢が年齢で後継者がいないわけではないが、本人作が大体の頭部管メーカーでは評価される。今はラファンの本人作が非常に人気で新品で買う時よりも中古で流れる価格の方が高いくらいだった。フォリジは珍しく本人作の銀製ですり合わせを調整しなくても艶やかで魅了されるような音を奏でていた。私はリペアで言われたように細心の注意を払いながらすり合わせの調整をしていった。すり合わせを合わせると頭部管の威力なのか少し吹かせてもらったが管全体が振動して指を抑えている間、音が確かに鳴っていることを感じさせてくれる頭部管だった。こんなにも変化があると思わなかったし、正直ムラマツも頭部管を作っているメーカーなのに最初についてくるモノとは別格だった。息を吹き込むのは非常にピーキーだけれどうまくエッジに当たればとたちまち艶やかな音がメロディを奏でだす。後輩はこの頭部管を楽器本体の半額くらいで買ったということだったがこれは今後化けるのではないかと感じさせてくれた。そのほかの木管楽器の調整も入ったけどむずかしったのはクラリネットのマウスピースの調整だった。エボナイトで機械彫りのマウスピースは使えば使うほど機械で掘った跡の部分に唾液が蓄積して滑らかな音になるのだけれどそれを艶やかでリードミスしにくいマウスピースに仕上げるのは至難の業だった。舞スピースの中をのぞくと機械彫りした跡が残っているのでまずはそこを埋めるか削るかしていく。中にはテーパーが施されているからそのテーパーを乱さずに削るので数コンマ何ミリの世界になってくる。まず自分に合うマウスピースを選んでもらうのだけれど、それから化けることもあればダメになってしまうこともある。リードが当たる部分はリガチャーとの相性も考えて削っていく。リードとマウスピースの間がちょうど一ミリ程度になるまで削り込む。たまには甘噛みで演奏をする人もいるのでそういう時はハートの部分を削ってリード側を調整することになる。リードの調整は私は慣れっこだったから、簡単にできた。少しダブルリードも作っていきたいなと思い始めていたのでシングルリードの調整は簡単だった。ダブルリードはアーチの形、ハートの厚みをどっち側をどう削るかで性格が全く変わってしまうので非常に難しいうえに治具が非常に高価なので学販で来てる楽器屋さんに借りて作っていた。フルート出身だからどうにもダブルリードは鳴らしにくい。独特のテクニックが必要だし、加えて本人に合うようにリードを調整していくので本人以外にとっては無用の長物になる。ファゴットのリードを作るのはある程度マージンがあるのでやりやすかったがオーボエは調整幅がなく、難しいイメージだった。

 本選に向けて各々が楽器を調整しながら音取りの作業に入っていた。音取りが負えると合奏になるが予選の演奏とはかけ離れた作品が出来上がった。私にとっては面白くない主旋律に副旋律が音程をとって乗っかる。その時も必ずチューナーを使って音程のギリギリを探っていく。部屋の温度は多少暖かめにして、ステージの温度を想定して演奏していく。実際には同じ温度になることはないけれどある程度の音には仕上がる。


 いよいよ本選が始まった。最初に立たされる学校は大抵いい成績を残すことはない。できれば中盤を引きたいところで、私の学校はちょうど下よりの中盤だったのでアツいポジションを取ることができた。演奏までは時間があるので順番ずつにリハーサルが行われる。千葉のホールはリハが防音室になっていて吸音もするからホールの音とは全く違うのでリハで音を合わせに行ってはいけないという暗黙のルールがあった。音程どりと口慣らしだけして、あとは楽器を冷やさないように息を入れているのが精々だった。

 ホールに立つと予選とは明らかに違った空気が漂う。少ない観客、吸い込まれそうなホールの静寂。袖から歩く足音までコツコツと音を奏でた。曲が始まるといつもより音が吸い込まれる気がする。一方で音を出そうと力む低音がいた。後々調べてみると低音はやや小さめ出ないとホール全体に響くとのことだったのでこの時の低音の判断は間違っていたことになる。自由曲も終盤になるとフルートとクラリネットが煌びやかな音を奏で始める。自分が調整した楽器たちが奏でてるのだと思うと満足感があった。調整されたリード、すり合わせたフルート。調子の難しいとされる木管楽器だがほぼ完璧に調整されていて、美しいハーモニーを奏でていた。

 演奏が終わると予選とは違って満足感に満ちる。これ以上の演奏はできないというところまで突き詰めた演奏を自己記録のように確実に刻まれる。

 

 コンクールが終わると私たちの夏は終わり、受験戦争が始まる。私は楽器のリペアを目指していたけれど学校の方針で進学以外は認めてもらえなかった。そこで音響設計学科が置かれている大学を目指して勉強をすることになった。ふとHPをみて目指した大学だけれども楽器一筋だった私にとってはかなりの難関校だった。受験を控えた今でも楽器をいじる時とはあるけれど、あの夏のように熱狂的になって楽器をいじることもなくなった。

 学販の人にもリペアマンにも誘われたけれど私は全部を断った。進学校で就職する人はまずいない。必ず進学する。進学してからでいいから私はこの世界に帰ってきたいと思いながら大学へと進むことになった。

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音降るる場所で。 荘園 友希 @tomo_kunagisa

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