金星より願いを込めて

もくはずし

第1話

 「ただいま。あら、おえかきしてるの?」


 ベッティがドアを開けると、部屋の真ん中に寝そべって白いボードを突っついている娘のニエレの姿があった。ちょうど送風ダクトの真下にあたるそこは、彼女のお気に入りだった。

 

 「ママおかえり! ニエレね、今日褒められちゃったの!」


 顔を上げたニエレは、育児所で磁気ボードを順繰りに使って将来の夢を書く時間があったことを嬉しそうに語った。そして保母さんに褒められたのがきっかけですっかり気を良くし、貸し出し用の磁気ボードを借りてきたのだった。ペンでボードをなぞると砂鉄が浮くお絵描きの道具である。


 「それはすごいじゃない! それで、どんな絵を書いたの?」


 「お外に出てお星様を見る絵!」


 仕事帰りにニエレの姿に癒されていたベッティの笑顔が若干の引き攣りを覚える。あまり顔に出してはいけないことだと瞬時に考えた彼女は、無意識に下がっていた口角を今度は意識的に吊り上げる。


 「それはいい夢ね。ママにもお星様の絵見せて欲しいな。お星様って、ママも見たことないの」


 わかった、と頷いたニエレは再びホワイトボードに向き直ってお絵描きを再開した。

 ベッティは食事の支度をしながら、なぜニエレが星を知ったのかを考えた。今まであまり手にしなかったペンを持つくらいだ、余程衝撃的だったのだろう。

 しかし、どこまで知っているかが問題なのだ。いつかは知ることになるとはいえ、ニエレはあまりに幼い。その豊かな感受性を劇薬のような負の感情に曝さないよう注意しなければならない、とベッティは考えた。

 ピッチリしたビニールの包装を破ると、一食分の配給食糧が顔を出す。いつもの通りタンパク材と表記された茶色い塊と乾パン。それに加え、今日の野菜はヘルザンの葉が三枚ほど。大きな緑色の葉が、更に濃い緑色の付け根部分から広がっている。ペースト状で支給されていないのは珍しい。

 生で食べろと言わんばかりにペースト状のソースが添付されている。ベッティは、炒めても良さそうだと調理油を取り出す。長らく使用の無かった調温機材に鍋を乗せる。

 タンパク材とヘルザンを一緒くたに炒めただけだったが、ベッティにとっては人生の中で指折り数えられる料理の成果だった。先程の憂鬱もどこへやら、嬉々として、盛りつけた二枚の皿を運びながらニエレに声をかける。

 

 「ご飯よ、ニエレ。続きは後にしなさい。冷めてしまうわ」


 呼びつけた声は耳から耳へと、相当熱中していることが伺える。今まであまりなかった傾向にベッティは少々戸惑うが、磁気ボードを取り上げて席につかせた。


 「あとちょっとだったのに!」


 愚図っていたニエレも、お皿に盛りつけられた食事というのは特別だった。すぐさまお絵描きから食事に興味が移り、嬉しそうに食べ始める。

 

 この子もあと5年もしたらどこかのセクションで見習いとして働きださなければならない。時の流れはあっという間だなと、ベッティは感慨に耽る。ついこの前まで私の腕の中にすっぽり収まる大きさだったのに、親離れする日がやがて来ると思うとやるせない。


 「お星様ってね、キラキラしてるんだって! それでね、天井よりずっとずーっと上のお空ってところにあるのに、落ちてこないんだって!」


 「すごくキラキラしてるのにね、お空全体は真っ暗で、お星様があるところだけが少し明るいだけなんだって! 不思議だね!」


 赤いソースで彩られたお口から、今日知ったのであろう星の知識が並べ立てられる。


 「よく勉強してるのはわかってるから。落ち着いて食べなさい」


 外の世界にこれだけ興味を持ってしまったら、子供には少々辛い現実を教える頃合いか、とベッティは感じた。彼女もまた、同じような年頃に人類の先行きの無さを知ったのだ。


 「お母さんね、お星様の事ちょっとは知っているのよ。ちょうど図書館に本があるから、明日借りてくるわね」




 翌日の勤務終了時、いつもなら配給を貰ってさっさと住居セクターに戻るベッティだが、昨日の約束を果たすべく図書館に向かっていた。セクター内は基本的に頑丈な造りをしているが、セクター同士を繋ぐ渡り廊下は簡易な鉄板が四方を囲むだけの簡素な見た目だ。いくら今まで何も起きていないとはいえ、出来る限り通行は控えたい場所である。

 彼女は図書館セクターに入るや否や、すぐさま受付員に尋ねた。

 

 「娘が地上のことに興味を持ちました。地上と宇宙に関する物だけでいいので、資料を頂けますか?」


 受付員は同情するような顔で手を差し出してくる。


 「ああ、おたくもそんな時期ですか。近年は上層の教育による抑鬱の発症率も下がっているので、あまり気負わないで。がんばってください」


 ベッティから個人用情報ボードを受け取ると、奥のコンピュータに接続し、データのアンロックを行う。教育用とはいえ、上層に関するデータはセキュリテイレベル五に相当する。


 「ありがとう。初めてのことでどうすれば上手くいくかわからなくて。何かアドバイスとかあります?」


 「そうだね……。宇宙関係なら、このページも使うといいよ。はい、完了」

 



 ベッティが自宅に戻ると、またもやニエレはお絵描きをしていたようだ。昨晩とは異なり、ベッティがドアを開けるとすぐさま駆け寄ってきて星の話をねだった。


 「昨日の! 昨日の約束! 早く聞きたい!」


 「お夕飯食べてからって言ったでしょ。ちょっと待ちなさい」


 子供には荷が重い話。食事がのどを通らなくなるといけないと思い、彼女は講義の時間を食後に設定した。いくら宥めてもニエレは静かにならなかったので、ベッティは簡素に食事を準備した。基本的に配給食糧は封を開ければそのまま食べることが出来る。

 ニエレは早く食べ切ろうとよく噛みもせず、飲み込むように食事を終えた。ベッティもつられて殆ど時間をかけることなく食事をすませ、ソファに座る。ベッティがソファに座り、ニエレが膝の上に座って二人でディスプレイを覗くのが、お話や映像を見るときのお決まりだった。


 「お星様の前にね、私たちの住んでるこの地下居住について話さなければならないの」


 不満そうなニエレを他所に、ベッティは端末のスライドを指して説明し始める。


 「私たちの住んでるここも、宇宙と呼ばれる空間に漂う星の一種なのよ」


 そう切り出すと、ニエレも俄然興味が湧いたようだ。


 「私たちの星は、いろいろあって人が住めるような星じゃなくなっちゃったの。大昔はいろんな生き物があちこちに居たそうだけどね、今は生態系維持セクターくらいでしか見ることが出来ないわ」


 「大昔の人達は、やがてこの星が住めなくなるってことに気が付いたの。それで考えたのが、星に穴を掘って、その中に移住するってこと。これだけ大掛かりな建造や仕組みづくりは、まさに世界中の人々が協力して完成させたのよ」


 「そうして出来たのが、今私達が暮らしているこの鉱脈都市。ニエレもよく知ってるわよね」


 退屈し始めたニエレに話を振る。心配を他所に、元気な声が返ってきた。


 「うん! じゃあ、その穴を昇って行けば、お星様を見られるってこと!?」


 「そうだけど、それは難しいわ。お外はものすごく暑くて、ちょっと顔を出しただけで溶けちゃうもの。それに、この星のお空は真っ白で、何も見えないの」


 「じゃあお星様見れないってこと?」


 ニエレが少し悲しそうな顔になる。本来であれば人類の閉ざされた運命についてもう少し悲観的になってもおかしくないのだが、他のことに興味が向いていることが幸いしているようだ。


 「地上が冷えたら、見に行けるかもね」

 

 「それはいつ?」


 「わからないわ。もうすぐかもしれないし、ずっと先かもしれない」


 ニエレは俯いてしまって、地上で流れているであろうマグマの流れや空を覆う厚い硫酸の雲についてのページをそれ以上見ようとはしなかった。

 

 「でもね。もしかしたら、お星様が見れる日がくるかもしれない」


 ベッティがスライドの最後のページに行くよう指を動かしていると、ニエレは少し顔を上げる。


 「ニエレの言ってた青い星ってのがね、あるのよ。お空が真っ暗な時にみるとそれはそれは綺麗で、まるで宝石みたいなんだって。水の星、水星って言うのよ」


 当時の記録がページの隅っこに掲載されている。とても古い写真だ。拡大してもなかなかよくわからない薄ぼけた画像でしかなく、真っ黒な正方形の中心に少しだけ青白い点が写っているような気がする。

 そんな粗悪な資料にも関わらずニエレの目は輝きを取り戻していた。


 「青い星っていうのは、実は水がいっぱいあるから青く見えるの。つまり、生き物がいる可能性が高いのよ」


 「じゃあ私たちと同じ人間もいるかもしれないってこと!?」


 「人類が地上にいたころから青かったから、もしかしたら私たちくらい知能の発達した生き物が居てもおかしくないわね」


 「すごーい! じゃあじゃあ、水星の人達とお話しできるといいね! それで、宇宙に連れて行ってもらうの。そうすればお星様もいっぱい見られるってことでしょ!」


 嬉々として語る屈託のない顔が、ベッティの心を埋めていた厚い雲を吹き飛ばした。ニエレは頭の中の空想で、この密閉空間を飛びだしているのだ。


 「叶うなら、貴方だけでも連れっていってくれるといいわね。水星に」


 「でも難しいんでしょ?」


 「私達だけなら、ね。もしかしたら水星にいる人類は私達よりももっともっと賢いかもしれない。彼らが助けに来てくれる未来も、もしかしたらあるかもしれないわね」

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