第29話
ほどなくして、ローゼリア嬢が執務室へとやってきた。
「お呼びと聞きましたが。」
ローゼリア嬢が、ドアをノックすると、
「そのままそちらで待っていてください。」
と、ヒースクリフさんが返事をした。そうして、ヒースクリフさんは、侯爵と目配せをする。侯爵はゆっくりと頷くと、執務室のドアを開けた。
侯爵とローゼリア嬢の視線が絡み合う。
「うぅ……っ。」
侯爵はうめき声をあげて、首を横に振る。それから、ドアをガッと開け放ち、ローゼリア嬢に抱きついた。
「きゃっ……。」
「だ、旦那様っ!!」
慌ててヒースクリフさんが、ローゼリア嬢と侯爵を引き離しにかかる。
「あっ……うぅ……。」
侯爵の苦し気な声が聞こえる。精一杯、呪いにあらがおうとしているのだろうか。
「旦那様っ!アンジェリカお嬢様の前でございますっ!どうか、どうか正気を保ってくださいませっ!」
ヒースクリフさんが必死に侯爵を押さえつける。そうして、なんとかローゼリア嬢から侯爵を引き離すことに成功した。
ヒースクリフさんに押さえつけられた侯爵は、右手をローゼリア嬢に向かって伸ばす。左手でヒースクリフさんの拘束を解こうともがきながら、必死に右手でローゼリア嬢を捕まえようとする。
「ローゼリア嬢!早く逃げてちょうだいっ!!」
見ていられなくなって、床に尻餅をついているローゼリア嬢に声をかける。
「あ……あ、あ……。」
ローゼリア嬢も恐怖のためか言葉にならない声をあげ、侯爵から逃げようと後ずさりをするが、なかなか距離が縮まらない。どうやら恐怖で腰が抜けてしまったようだ。
「失礼しますわっ!」
私はローゼリア嬢の背後に回ると、そのままローゼリア嬢の両脇に手をつっこんだ。それからずりずりとローゼリア嬢を後ろに引っ張る。本当は抱き上げて運びたいが、悲しいかな私の力ではローゼリア嬢を引きずることしかできない。
ローゼリア嬢が来ているお仕着せが汚れてしまうが、そんなことには構ってはいられない。早く侯爵とローゼリア嬢を引き離さないとと賢明にローゼリア嬢を引きずる。そうして、執務室の近くの空室にとりあえずローゼリア嬢を避難させた。
「ふぅ……。」
私は額に浮かぶ汗を行儀悪く腕で拭う。それからローゼリア嬢を見たが、ローゼリア嬢は目を大きく見開いて荒い呼吸を繰り返していた。どうやら恐怖で過呼吸になってしまったようだ。
私は、ローゼリア嬢の背中を優しく撫でるようにさする。
「ローゼリア嬢。もう大丈夫だわ。侯爵はもう、ここにはいらっしゃらないわ。安心してちょうだい。」
「あ……。あ…‥。」
ローゼリア嬢は声にならない声を出しながら首を縦に振った。
「アンジェリカお嬢様。どちらにいらっしゃいますか?」
ローゼリア嬢がようやく落ち着いてきた頃、廊下からロザリーの呼ぶ声が聞こえてきた。私は、ローゼリア嬢から離れると、ドアを少しだけ開ける。
「ロザリー私はここよ。」
ドアの隙間から手を出して、ロザリーに向かって手招きをする。
「アンジェリカお嬢様っ!!ご無事でらっしゃいますかっ!?」
ロザリーは私に気づくと小走りで近寄ってきた。私は、ロザリーのためにドアを開いて待っている。そうして、ロザリーが部屋の中に入ると、部屋のドアを閉じた。
「私は無事よ。これからもう一度侯爵様にお会いしてくるわ。ローゼリア嬢を見ていてくれないかしら?」
「お嬢様っ!?あのようなことがあったのですよ。危険でございます。」
ロザリーは部屋から出て行こうとする私を止めようと、私の目の前に立ちはだかった。現場にいなかったロザリーでさえも、先ほどの侯爵とローゼリア嬢のことは知っているようだった。
ヒースクリフさんが言ったのかしら?
「私は大丈夫よ。侯爵は私の顔も見たわ。でも、私には何の反応もおこさなかった。だから、私の代わりにローゼリア嬢が呼ばれたのよ。でも、侯爵様はローゼリア嬢を見たら反応したわ。侯爵様は私に対しては反応しないみたいだから大丈夫よ。安心してちょうだい。」
「それでも!万が一のことがあったら!!」
にっこりと笑みを浮かべて見せるが、ロザリーは頷かなかった。
「ロザリー。安心してちょうだい。大丈夫だから。それに、私、侯爵様のことが心配なの。きっと、今頃とても落ち込んでいるのではないかしら。だから、侯爵様の様子を確認に行きたいのよ。」
「アンジェリカお嬢様っ!アンジェリカお嬢様がご両親に負けず劣らずのお人好しだとは私も理解しております。しかし、御身が危険にさらされるのです。とうてい見過ごすわけにはまいりません。」
「大丈夫よ。いざとなれば、ヒースクリフさんが侯爵様を引き離してくださるわ。それに、何も命を取られるわけでもないもの。」
「アンジェリカお嬢様っ……。」
ロザリーがなんと言おうとも、私はもう一度侯爵に会いに行く。その気持ちを込めてロザリーを見つめると、何を言っても無駄だとロザリーはわかってくれたようだ。
私を引き留めていたロザリーの両手がだらりと力なく垂れる。
「ありがとう。ロザリー。そして、貴女の言う事を聞けなくてごめんなさい。どうか、ローゼリア嬢のことをよろしく頼むわね。」
「……はい。アンジェリカお嬢様。」
ロザリーは俯いたまま、唇を噛み締めていた。
私はローゼリアに挨拶をすると、部屋をでた。そうして、侯爵のいるであろう執務室に向かう。
「侯爵様?いらっしゃいますか?」
そう執務室に向かって問いかければ、キィッとドアが中からゆっくりと開いた。
「……アンジェリカ。」
そこには今にも倒れそうなほど顔色を真っ青にした侯爵が立っていた。その後ろにはヒースクリフさんも神妙な顔をして立っている。
「大丈夫……ではなさそうですね。」
「ははっ……。呪いというものは厄介なものだよ。アンジェリカには全く女性としての魅力を感じないのに。どうして、ローゼリア嬢や他の女性には女性としての魅力を感じて襲いかかってしまうのだろうか。」
侯爵はため息交じりにそう呟いた。
「……私に女性としての魅力を感じないってどういうことですの?」
落ち込んでいるであろう侯爵を慰めにきたら、またこれだ。私に女性としての魅力を感じないとはどういうことだ。
そこまで侯爵に言われる筋合いはないと思うのだけれども。
目の前にいるのは哀れな呪いをかけられて落ち込んでいる侯爵だということはわかっている。それでも面と向かって女性としての魅力がないと言われてしまったら、ふつふつと怒りが込み上げてくるのは仕方のないことだろう。
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