第18話 〜魂のゆく先〜

 街から戻った勇理とウェスタは、難民区域の広場にいた。


 送り火の儀式用だろうか、広場には大きな石が円状に配置され、中央には丸太や枯れ木が積み重なっている。

 

「ウェスタ──今日はありがとう」


 勇理は隣で涼しい顔をしたウェスタに礼を言う。


 沈み始めの夕陽によって、オレンジ色に染まる風景を背に、ウェスタの流れるような髪が黄金に輝く──褐色の肌と相まって、その姿はまるで古代エジプトから蘇った高貴な姫君のようだった。


「礼など要らぬ」


 そう言って立ち去ろうとした彼女は、ふと立ち止まり、こちらに少し顔を傾ける──。


「お主の買うてくれたリンゴ飴……また食べとうのう」


 それは、自分に宛てた言葉なのか、それとも遠い記憶の誰かに贈った言葉のなのか……遠ざかるウェスタの小さな背中を見て、勇理には何故か後者のように思えた。



「てめー!! 勝手にどこほっつき歩いてたんだ!!」


 テントに戻った勇理を待ち構えていたのは、鼻を膨らませて怒るウサギ──いや、ムタリオンだった。


 小さな前脚で。ポフポフとベッドを叩いている。

 本人はバンバン叩いてるつもりなのだろうが、体重が軽い上、モフモフがクッションとなって、なんとも気が抜けた音を生み出している。


「──いや、ごめん。ちょっと街に用事があって」


「あっ? そーゆーのはおれと一緒じゃねーとあぶねーだろーが!! お前よー、死にかけたの忘れたか?」


 恋人をひとりで置いて行ったらきっとこんな感じなのだろうか──勇理は相手が相手なだけに複雑な気持ちになる。


「いや、ムタリオンいなかったし、ウェスタも一緒だったからいいかなと思って」


「う、ウェスタ!? おまえよく生きて帰ってきたな──」


「えっ?」


「あいつだけはマジでやめとけ──恐ろしい女だ……あいつは。恐ろし過ぎて邪神も尻尾を巻いて逃げるくれーヤベーやつだ……」


 ムタリオンは頭を抱えて、ベッドの上をコロコロとのたうち回る。

 ウェスタの名前を聞いた途端、さっきまでの威勢は急激に萎んでいった。


「まあ、細けーことはどうでもいいとして……」


 どうでもいいならあんなムキにならなくても──と勇理は思う。


「飯いこーぜ! 腹減って仕方ねーや」


「あんまお腹空いてなくて……」


 正直なところ、まだ完全に食欲が戻ったわけではなかった。


 リズの死と向き合うことが怖いのか、それとも聖奈のことが気がかりなのか……はたまた、自分の存在意義が見出せなくなっているのか……。

 心が悲鳴を上げ、脳は思考を拒むように霞んでいる。


「はあ──お前はごちゃごちゃ考え過ぎなんだよ。気持ちはわかるがよ、悩んでてもなにも変わらねー。そんなときはパーっと食って寝て忘れるのが一番なんだよ」


 ムタリオンの清々しいまでの楽観視的思考に、勇理は呆れながらも少し勇気付けられる。

 

「わかったよ、じゃあ行こうか」


「そうこなくっちゃな相棒!」


 ムタリオンは耳をピンとを立てて、勇理の肩に飛び乗った。


 

 食堂は賑わいを見せていた。

 昨日まで設置されていたベッドは撤去され、椅子やテーブルが元通りにされている。


 昨日の今日であの数の患者が完治したのだろうか……勇理は改めて魔法の凄さを実感した。


「──あんたは確かユーリだね」


 配給の列に並び、自分の番が回ってきた勇理にマーラが声を掛ける。


「ええ──今朝はサンドイッチありがとうございました。とても美味しかったです」


 勇理はどんな顔をしていいのか分からず、ぎこちない笑顔で応える。


「リズのことは残念だったね……あんな良い子が若くして命を落とさなきゃならないなんて……この世界はどうかしてるよ」


 皿を握るマーラの手は震えていた。

 目から一条の涙が頬を伝ってこぼれ落ちる──勇理はただ黙って見つめるしかなかった。


「──いや、こんなんじゃダメね」


 マーラは指先で目元を拭う。


「今日は死者の魂を天に送り届ける日──こんなんじゃリズが安心して帰れやしない……さあ! たんとお食べ!!」


 マーラは勢いよく手元の皿に料理を盛り付ける。


「マーラさん──あの、サーシャとリルは……」


「あの子たちなら大丈夫だよ。ただ、やっぱりショックだったんだろうね……今は私のテントで寝てるよ。日中来てくれたらきっと食堂にいるだろうから、顔を出しておくれよ」


「そうですか──わかりました。じゃあ、また出直します」

 

 勇理は礼を述べてマーラから皿を受け取る。


 サーシャとリルのショックは計り知れない、恐らく自分よりも大きいだろう。


 どんな顔をして二人に会ったらいいのか……ただ、勇理にはサーシャには渡さなければならないものがある。

 これだけは、誰かに頼むわけにはいかない。


「おお、今日も美味そうだな!!」


 マーラから料理を山盛り盛り付けてもらったムタリオンは、クリクリな目を輝させ舌鼓を打っている。


 勇理は目の前に置かれた料理を一口食べるも、味がしなかった。

 美味しいはずのものが、美味しく感じられない。

 こんな悲しいことがあることを、勇理は初めて知った──。



「すげー火だな」


 夕食を終えた勇理とムタリオンは、ゲルラとの約束通り、送り火の儀が執り行われる広場に足を運んだ。

 広場の中央では高々と炎が上がり、円を描くように炎の周りを槍を持った人影が囲っている。


 さらにその後方では、リュートのような弦楽器だったり、横笛を持ったグループが、地べたに敷かれたゴザに座っている。


 近づいていくと、人影のなかにゲルラの姿があった──。


 普段の装いとは違い、沈みゆく夕陽のように赤く、身体の線にフィットした足首まである丈長の服を着ている。

 腰骨まである深いスリットの下から見える幅広の白いズボンが、白赤の美しいコントラストを作り出す──他の槍持ちも服装はゲルラのそれと似通っている。


 そろそろ開始の時間なのだろうか──広場には人が集まり始めていた。

 槍持ち、そして奏者を見守るように、各々好きな場所に座り込んでいる。


 リュートの優しくも儚い音色が、広場を全体を包み込み始めた──。

 徐々に縦笛が加わり、曲調が熱を帯び始める。


 槍持ちは一斉に、槍の石突を地面に叩きつけると、そのまま曲のテンポに合わせリズムを刻み始めた。


「もっと近くで見よーぜ」

 

 勇理はムタリオンに誘われるがまま、前の方へと移動する。


「もっと近くだよ! せっかくだから特等席で見よーぜ」


「わ、わかったよ」


 お祭り気分さながらのムタリオンは、バタバタと勇理の肩の上で地団駄を踏む──槍持ちの息づかいが聞こえそうなほど近い場所で、勇理は腰を下ろした。


 曲は強弱を増している──流れるように低音と高音が交差し、槍持ちたちが槍を巧みに操り、一糸乱れぬ動きで舞を舞う。


 優雅な動きを見せる槍からは、金色の帯がいくつも垂れ下がり、吸い込まれそうなほど深く青い、瑠璃色の柄と金色の帯が、まるで空に掛かる黄金の橋のように揺らめく。


 勇理はその光景を前に心を掴まれた。

 激しさを増す炎の熱気と情熱的な旋律、そして槍持ちの洗練された舞が、この広場を神秘的な空間へと押し上げてゆく。


「すごい──」


 それ以外の言葉が見つからない。


 魂の叫びが聞こえる──悲しみ、辛さ、憎しみ、それらのものを全て吐き出し、身体の芯の奥底から、燃えたぎる炎が立ち上がる。


「これが送り火の儀──炎の民〝シャティヨン族〟に伝わる死者と生者の魂を導く儀式だ。真実を映し出し、迷いを打ち消す──そう言い伝えられている……」


 ムタリオンの瞳が炎を映し出し、ゆらゆらと揺れ動く。


「今日──幼馴染の聖奈に会ったんだ。彼女はたぶん聖痕者だ……おれが元いた場所では、聖奈はいじめられてて、おれは彼女を守ろうと必死だった」


 勇理は、言おうかどうかずっと迷っていたことをムタリオンに打ち明けた。

 ムタリオンは勇理の言葉には反応せず、ただひたすら炎と槍持ちを見つめている。


「彼女はもうおれを……おれのことを必要としていない気がするんだ……リズもいなくなって、おれはこの先どうすればいいのか分からなくて……」


 目の前の風景が水を垂らした絵具のように歪む──こぼれ落ちた涙が、熱を帯びた頬を伝ってポツポツと土を濡らす。

 溜め込んでいたものが、今まで押さえつけていたものが、止めどなく溢れ出す──。


「……お前は他人にすがり過ぎだ。そんなんじゃ、いつか自分を見失っちまうぞ」


 ムタリオンの言葉に勇理は気付かされる。


 その通りだった──勇理は聖奈を守っていたつもりが、その存在に自分の価値をなすりつけ、ひとり満足していただけなのかもしれない。


 聖奈に必要とされない自分など、存在しても意味がないとさえ思えるほどに……。


 そして、リズ──この右も左も分からない世界で優しく導いてくれていた存在。

 いなくなった途端に心に穴が空き、無気力の渦に飲み込まれた。


 これでは、彼女の死は報われない……自分にはなにも成しえない。


 泥臭くてもいい、みっともなくたって構わない。


 自分がリズの代わりに生きて、彼女の想い、願い、見たかったものの全てを、彼女の目となり、魂となり、自分が叶えなくては──。


「ムタリオン……おれにできるかな」


 涙を拭い、ふと隣を振り向いた先にはムタリオンの姿は無かった──そこには、一人の騎士が静かに佇ずんでいた。

 青みがったエメラルドグリーンの全身鎧フルアーマーが、炎の赤を反射し赤紫の繊細なグラデーションを創り出だす。

 腰から垂れ下がる、複雑な魔法陣が描かれたマントが熱風に煽られ微かに揺れている。


「……知らねーよ」


 騎士から発せられた声は、確かにムタリオンのものだった。


「おれはかつて──ずっと遠い昔、友を失った。目の前で、そいつは命を掛けてこの世界を、仲間を守った。おれはなにも出来なかった自分を悔いたさ。悔いて悔いて悔いまくって、自分を責め続けた──ちょうど今のお前みたいにな」


「……それでどうしたの?」


「どうもねーさ。なにも変わらなかった。残ったのは絶望による虚無感だけだ」


 騎士ムタリオンは腰の剣に手を添えた。


「この先も今回みたいなことはきっとあるだろーよ。ここはそういうとこだ……。だがよ……そのとき、その場に、ただ立ち尽くすだけのやつになるのか、それとも命をかけて、大切なだれかを守れるやつになるか──決めるのはお前自身だ」


 時が止まったような気がした。曲は鳴り止み、槍持ちたちも動きを停止させる。

 一瞬の間が空き、再び時間が動き出す──湿気を帯びた冷たい空気が広場の熱気と混ざり合う。


「決めるのはおれ自身……」


「……強くなれよユーリ。おれが側で見ててやるからよ」


 再び視線を隣にやると、そこにはいつも通りチョコンと座るムタリオンの姿があった。


「……ウサギに励まされるなんて、なんか不思議な感じだよ」


「おい! テメー! だれがウサギだコンニャロ!!」


 二人は顔を見合わせて笑った。


 過去は変えられない、だが未来は自分次第だ。


 勇理は燃え盛る送り火を見つめる──。

 

 槍持ちたちの影が炎に溶け込み、パチパチと音を立て、大きな火柱が空へと舞い上がる。


 ──リズ……きみは無事に天に昇れたのかな……。

 

 勇理は立ち上がり、ポケットに忍び込ませたチャームを握りしめた。


 もう迷いはなかった──。


「迷ったときは考えるな──心に従え」


 勇理はそう呟き、静かに空を見上げた。


 深い闇を照らす月明かりに抱かれ、煌々と輝く満天の星空が、どこまでも無限に広がっていた。

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