第15話 〜シトロナードと老人の過去〜

「ユーリ──起きてるかい?」


 勇理はゲルラの声で目を覚ました。

どうやらいつの間にか眠ってしまったようだった。

 開け放たれたテントの入り口から、朝日が流れ込んでくる。


「ああ──うん。今起きたところ……」


「すまん──起こしてしまったかな?」


 ゲルラは悪びれた様子で、テントの中に入ってきた。

 そのあとに続く小さな影──「お主の声がデカ過ぎるからじゃ」と、ウェスタが淡々とした口調で言い放つ。


「うん? そんなデカいか?」


 ゲルラのとぼけた様子に、ウェスタはうんざりしたように項垂れる。


「そんなことは置いとてだ──ユーリ、今日の夜は空いてるかい?」


「いや……とくに予定とかはないけど」


「おお、そうか! じゃあ、今夜広場に来てくれ」


「……なにかやるの?」


「送り火の儀じゃ──」


 ゲルラに代わってウェスタが答える。


「送り火?」


「うむ──死者を弔う儀式じゃ」


 弔うということは、葬式のようなものだろうか……勇理は両親の葬儀を思い出す。


「まあ、儀式って言ってもそんなに堅苦しいものじゃないさ。気晴らしと言ったら不謹慎だけど、軽い気持ちで参加してくれ」


 自分は決して信仰深いほうではないが、リズのためにもきちんと祈りを捧げたい。


「うん、じゃあ参加させてもらうよ」


「おお! そうか、それはよかった」


 ゲルラは嬉しそうに笑った。


「あ、あとゲルラ──お願いがあるんだけど、またあの腕章を貸してくれないかな?」


 勇理はどうしても街中で済ましておきたい用事を思い出した。


「それは構わんが、街になにか用事でもあるかい?」


「うん……会って話したいひとがいて」


 ゲルラは「わかった」と頷き、自分がしていた腕の腕章を取り外し勇理に渡す。


「行くのは構わないが、一人は危険ダメだ。また闇憑きの襲撃がないもも限らないからな。ただでさえ、聖痕者は狙われやすいんだ……って、ムタリオンはいないようだね」


 ゲルラの言う通り、ムタリオンの姿がどこにもなかった。

 なにか用事があって出掛けたのだろうか?


「あのバカウサギに代わって、妾が一緒に行ってやろう」


 ウェスタが涼しい目つきでこちらを見つめる。


「おお! それはナイスアイディアだ! ウェスタが付いていれば安心この上ない。ユーリ、それで構わないかい?」


「ああ、うん。もちろん大丈夫だけど……」


 勇理は小さなウェスタの身体をベッドから見下ろす。

 べつに見下ろしたいわけではないが、ウェスタの身長からして、必然的にそうならざるを得ない。


「お主……今、妾のことを疑ったと違うか?」


「い、いや、そんなこと──」


「妾が本気を出せば、ここ一帯を今すぐ灰にすることも可能じゃ──試してみるか?」


 ウェスタの表情が変わらないので、冗談なのか怒っているのかいまいち判断がつかない。


「……じゃ、まあ決まりだな。ユーリ──よかったらこれを食べておくれ。今朝、マーラがお前にって作ってくれたやつだ」


 ゲルラは包みに巻かれた細長いなにかを勇理の手元に放った──。

 勇理が慌てて掴むと、食べ物の柔らかい感触がした。


「これは……サンドイッチ?」


「ああ、昨日からなにも食ってないだろ? それを食べて少し精をつけたほうがいいぞ」


 マーラが作ってくれたということは、リズが作ってくれたあのサンドイッチと同じ味なのだろうか。


「ありがとうゲルラ。マーラにもお礼言っておいて」


「それは自分で言いな──お礼はちゃんと自分の言葉で伝えたほうがいいからね。あ、あと忘れない内にこれも渡しておくよ」


 ゲルラは腰の巾着をベルトから外し、勇理のベッドに置いた。

 勇理が中身を確認すると、金や銅の硬貨が何枚か入っていた。


「お、お金? いや、いいよ! べつに買いたいものとかないし……」


「まあ、そう言うな。無一文っていうのも不便だろ? サーシャとリルのことを守ってくれたからね。私からのせめてもの礼ってことにしといておくれ」


「守っただなんて……そんなこと」


「じゃあ、私はこれで失礼させてもらうよ──」


 ゲルラは片手を上げて勇理の言葉を遮ると、入り口へと向かう。

 だが、手前で立ち止まると、なにか思い出したようにこちらを振り返った──。

 そのまま踵を返すと、勇理に近寄り、耳元に顔を近づける。


『ウェスタのあの言葉──あれは本当だからね、くれぐれも怒らせないように……』


 ゲルラはさりげないウィンクを残して、今度こそテントから出て行った。


 これもまた冗談なのか本気なのか分からない。

 勇理は暫くウェスタのほうを向けなかった。



 まだ完全に食欲が戻っていないものの、マーラの気持ちを無駄にしないよう、サンドイッチを食べ切った勇理は、ウェスタと共に街へと向かっていた。


「お主のような覚醒者は稀じゃのう」


 ウェスタはずっと前を見つめて歩いている。


「稀ってなにが?」


「通常、覚醒者はテロスアスティアで赤ん坊として生を受ける。それが転生した魂であってもじゃ。前世の記憶どころか、肉体まで保持して転生することは極めて稀じゃ」


「そ、そうなんだ……」


 それが偶然か必然的なものかは分からない。分かったところで、現状なにか変わるわけでもないのだが、勇理には気がかりなことが一つあった。


「おれとは別に、もう一人同じような人間がいるんだ──」


「お主……それは確かなのか?」


 ウェスタは少し驚いたように勇理を見上げる。


「うん……はっきりと顔を見たわけじゃないんだけど、幼馴染なんだ──たぶん間違いない」


「うむ……なにか裏がありそうじゃの。あの毛玉なら何か知ってそうじゃが……」


 毛玉とはきっとムタリオンのことだろう──ウェスタのなかではいくつか呼び名があるようだ。



 検問はリズたちのときよりもすんなりいった。 すんなりというよりは、顔パスに近いだろう。

 門番はウェスタの姿を見るなり震え上がり、なんの確認もなく通してくれた。


 一体何をしたらあそこまで怯えるのだろうか……。

 勇理は隣で涼しい顔をしたウェスタを、絶対怒らせないようにと心に誓う。


「で、お主──どこに行きたいのじゃ?」


「えっ? あ、えっと……最初ここを訪れたとき、リズに連れて行ってもらったカフェにいきたいんだ」


「あの娘となると──あそこじゃな」


 ウェスタはどうやらそのカフェを知っているようだった──勇理の返事を待たずにスタスタと歩みを進める。

 勇理は慌ててそのあとを追いかけた。


 街中は未だ騒然としていた──。


 大通りでは、完全武装した兵士やら、大工道具を片手に行き交う人々でごった返している。

 辺りは重々しい空気が漂い、さすがにショッピングを楽しめる雰囲気ではなかった。


 ウェスタは街の有様を大して気にした様子もなく、悠々と歩みを進める。


 勇理たちはあっという間にカフェのある裏路地の広場に出た──。

 中央に植えられた大樹は、街の喧騒と切り離されたかのように、静かにその葉を風に揺らしている。


 カフェには勇理たちの他に客はいなかった。

 勇理とウェスタは、外の丸テーブルに腰を掛ける。

 

「いらっしゃいませ──」

 

 店内からシモンズが顔を出した。

 意外な来客を見つけて目元を緩ませる。


「これはウェスタさん──お久しぶりですね」


「うむ。シモンズも元気そうでなによりじゃ」


 ウェスタは澄ました顔のまま、シモンズと挨拶を交わす。


「そちらはたしか──リズさんと一緒だった方ですか? ユーリさん……でしたよね。リズさんが、そう呼ばれてたのが聞こえたものですから」


「あ、そうです! 覚えてくれてたんですね。しかも名前まで」


「ええ、一度来客された方の顔は全て覚えております。お名前のほうは、あまり聞きなれない響きでしたのでつい」


 シモンズは優しげに顔を綻ばせた。


「さて、なにをお出ししましょう?」


「妾はいつもので頼む」


 シモンズはウェスタのオーダーに快く頷く。


「あなたもにされますか?」


 シモンズはウィンクしながら勇理に尋ねる。


「あ、はい──じゃあ、いつものでお願いします」


 メニューを見てもよく分からない勇理は、シモンズの気の利いた気配りに感謝する。


 暫くして、シモンズが氷の入ったグラスに注がれた、薄く黄色がかった飲み物を運んできた──リズと一緒に飲んだシトロナードという飲み物だ。


 シモンズはスムーズな手つきで、コースターと一緒にグラスを置く。 


 ウェスタの前にも同様に、シトロナードが置かれている──。

 もしかしたら、というのは、このシトロナードのことなのかもしれない。


「もしお邪魔でなければ、私もご一緒してもよろしいでしょうか? 今日は客足もないでしょうし」


 シモンズの言葉通り、カフェどころか広場には猫の一匹いない。


「ああ、もちろんじゃ」


 シモンズはウェスタの言葉に丁寧なお辞儀を返すと、自分の飲み物を取りに店内に戻っていった。


「ウェスタはシモンズさんとは知り合いなの?」


「知り合いというか、あやつの亡き妻はゲルラの親戚でのう。聖都に来る際はいつもここに寄る

んじゃよ。それにこの飲み物──」


 ウェスタは目の前のグラスを少し傾ける。


「このシトロナードは元々はシャティヨン族の飲み物でのう。他の店はてんでダメじゃが、ここだけはオリジナルの味がちゃんと再現できておる」


「お褒めに預かり光栄ですな」


 いつの間にかシモンズが小さなコーヒーカップを手に立っていた──芳醇で酸味の効いた香りが漂ってくる。


「シトロナードは妻が生前に好んでよく飲んでおりましたもので──」


 シモンズは「失礼」と言いながら、椅子に腰掛ける。


「ですが、当初は上手く作れず、妻によく怒られたものです」


 懐かしいことを思い出すかのように、シモンズは苦笑いを浮かべた。


「それがここまでの味になるなら、お主の腕は大したものじゃ」


 ウェスタはストローを口にして、チューっと音を立てた──。

 表情が変わらないので、本当に美味しいと思っているのか、いまいち感情が読めない。


「あの……シモンズさん」


「なんでしょう?」


「その……リズのことなんですが……」


 シモンズは勇理の言葉の続きを察するかのように、手元のカップから立ち上がる湯気を静かに見つめた。


「リズさんのことなら、ゲルラさんから聞きました。本当に……本当に悲しい知らせです……」


 まるで抱き抱えるようにコーヒーカップを持つシモンズの手は、小刻みに震えている。


「実は、私の妻も、そして娘も孫も、家族全員を闇憑きによって殺されました」


「──!?」


「リズさんは、死んだ私の孫にどこか面影が似ておりましてね……だから嬉しかったのです。いつも足繁く通ってくださるリズさんを見ていると、孫が戻ってきてくれたような気がしましてね……」


 シモンズはシワの刻まれた目元を涙で潤ませる。口元は硬く閉じられ、やるせない感情を噛み締めるように唇を震わせる。


「ユーリさん──なんででしょうね。こんな老ぼれが生き残り、若々しい命が無情にも奪われていく。運命の神は、いつも私から大切なものをひとつずつ剥ぎ取っていく……」


 遠くを見つめる彼の視線は、まるであてのない救いを探し求めているようだ。

 

「……失礼──お恥ずかしい姿をお見せしました。私と同様の悲しみを抱えている方は、きっと大勢いることでしょう。リズさんのような尊い命が奪われずに済む──そんな世の中になって欲しいと願うばかりです……」


 シモンズは震える手でカップに口をつけた。まるで悲しみを飲み込むように、固く目を閉じながら。


 勇理はかける言葉が見つからず、奥歯を噛み締める。

 深い悲しみに打ちひしがれ、今にも折れてしまいそうなシモンズの姿を、ただ見つめることしかできなかった……。

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