第14話 〜生命の燈〜

 どれくらい眠ったのだろうか。

 テントに降り注いでいた雨の音は消えている。


 勇理はベッドから上半身を起こした。

 身体の怠さはまだ少し残ってはいるものの、先ほどよりは随分と回復した気がする。


 問題は気持ちのほうだった。

 なにもやる気がしない。心は膜が張ったように、澱んだ感情を溜め込んでいる。


 視線を横に向けると、隣のベッドで丸くなるムタリオンの姿があった。

 気配に気づいたのか、片方の目を薄っすらと開いてこちらを一瞥する。


「──どうだ身体の調子は?」


「……うん、おかげさまで、さっきよりはマシかな」


「そっか──」


 ムタリオンは素っ気ない返事を返すと、「ゔーー」と言いながら、四つん這いの体勢から前脚を手前に出し、下半身を上げて大きく伸びをした。

 真っ白い小さな尻尾が、プルプルと小刻みに揺れる。茶色がかったグレーの毛並みと相まって、クリームが乗っかるカフェラテのような色合いだ。

 口さえ開かなければキュートな見た目な小動物に、勇理は少しだけ暗く沈んだ気持ちが紛れたような気がした。

 

「ムタリオン……ありがとう」


「うん? 何がだ?」


 ムタリオンは顔を傾けながら、ペロペロと舐めて唾をつけた前脚で、短い耳を懸命に掴んで毛繕いをしている。


「いや、おれが寝ている間もずっと付き添ってれたんだよね……」


「ああ……そんなこと気にすんな。お前が負傷したのはおれが側にいなかったせいでもあるしな。まあ、次は守ってやるから安心しろ」


 ──守られるだけの存在……。


 勇理は出来ることなら、守る側の存在でありたかった。

 大切なひとが命を張っているときに、逃げることしかできない──そんな無力なだけの存在ままでいるのは耐えられない。


 同時に、聖奈も今の自分と同じ気持ちだったのだろうか……と、ふと思ってしまう。


 守ってるつもりが、彼女をさらに辛い気持ちにさせてしまっていたら、追い込んでしまっていたとしたら、それはただの自己満なのでは?


 もっと聖奈の話しを聞いてあげれば、もっと彼女の気持ちに寄り添えてあげれていたら、なにか違ったのだろうか……。

 勇理は答えの出ない自問自答を繰り返す。


「おい──聞いてるか?」


 ムタリオンがポンポンとベッドの布団を叩いた。


「あ、ごめん……ちょっと考えごとしてた」


「──ったく。大丈夫か? さっきお前が寝てる間にゲルラが様子を見に来たんだが、食堂にいるから、起きて大丈夫そうだったら来てくれだとよ」


「そうなんだ……」

 

「どうした? だりーなら無理すんな」


「いや──怖いんだ。ゲルラから真実を聞かされるのが……」


「……あのリズって子のことか?」


 勇理は頷く。

 ゲルラには会って話しを聞きたいが、同時に事実を聞かされるのが怖いと感じてしまう。


「まあ、気持ちは分かるがよ。お前が聞こうが聞くまいが、起こった事実は変わらねーよ……」


 ムタリオンはベッドから飛び降りて出口のほうに向かうと、途中で立ち止まり、こちらを見上げる。


「それによ……あのねーちゃんは命を張ってお前とガキたちを守ったんだ。その最後がどうだったのか、それをお前が聞いてやらねーってのは、ねーちゃんがあまりも可哀想だぜ」


 ムタリオンはそう言うとテントを出て行った。 ムタリオンの言う通りだった……。

 ──おれが聞かないでどうするんだ。

 勇理は両手で挟むようにして、勢いよく頬を叩いた。

  


 ムタリオンを肩に乗せ食堂へと向かう道中、壊されたテントがいくつも目に入ってくる。

 道端には食器などの生活品や血飛沫で赤く染まった衣類などが、いたるところに落ちている──それら全てが、ここで起きた惨劇を物語っていた。


 食堂は騒然としていた──。

 壁面のない簡易的なテントが設置され、引き詰められたベッドの上には怪我人が横たわっている。その間を、白いローブを着た看護師らしき者たちが忙しげに行き交っている。


「ひでえ有様だな……」


 ムタリオンが顔をしかめた。

 勇理は辺りを見渡し、ゲルラの姿を探す──食堂の奥で、なにやら険しい表情で聖都の兵士と話す彼女の姿を見つけた。


「なあ、おれは腹減ったからなにか食ってくるけど、お前はどうするよ?」


「おれはゲルラと話してくるよ」


 ムタリオンは「そっか」と言いながら、身軽に勇理の肩から飛び降りると、後脚で器用に地面を蹴りながら、ピョンピョンとベッドの影に消えて行った。


 勇理がゲルラに近づいていくと、彼女はそれに気づいたように、兵士との会話を切り上げてこちらを振り向く。兵士はそのまま足早に食堂から立ち去った。


「ユーリ──体調は戻ったのかい?」


「うん、おかげさまで……大変な状況みたいだね……」


「ああ、見ての通りさ。けっこうな被害が出てね……治癒魔法の使い手が足りてなくて、王都の兵士に術師の派遣を頼んでいたところさ」


 ゲルラは患者の呻き声で溢れかえるベッドを、辛辣な表情で見つめる。


「なあ、ゲルラ……その、リズのことなんだけど……」


 ゲルラは勇理の言葉に反応して、ベッドから微かに視線を上げて遠くを見た。その視線の先には、小さい子供たちをあやす若い女性──その姿がリズと被る。


「リズは──死んだよ」


 勇理は再び心臓をナイフで抉られるような気がした。リズの──あの太陽のような笑顔が脳裏に浮かぶ。


「……リズの──リズの遺体は……」


 ゲルラはおもむろに胸の内ポケットから、鉄製の薄い小さなケースを取り出した──つまみを押すと、ケースの蓋がパカっと開く。

 彼女はそこからフィルターのない、紙で巻かれただけの不揃いなタバコを一本手に取り口に咥えると、指先に小さな炎を作って火を付けた。

 煙の匂いとともに、バニラのような甘い香りがフワッと鼻をつく。

 

「吸うかい?」


 ゲルラは横目でケースを差し出すが、勇理は首を横に振った。


「遺体はないんだ……現場を見た限りだと、彼女が使ったのは『生命の燈フレイム・オブ・ライフ』──シャティヨン族に古くから伝わる禁呪だよ」


「禁呪……」


「ああ──自らの命を魔力とし、周囲の敵を焼き尽くす強力な魔法でね……敵はもちろん、行使した術者本人も灰となって消える──故に禁呪とされてるのさ」


 そんな危ない禁呪をどうしてリズが……勇理はやり場の無い怒りが込み上げてきた。


「でも……リズは第一階位の炎と治癒魔法しか使えないって言ってたんだ……なんでそんな禁呪なんて使えたんだ」


生命の燈フレイム・オブ・ライフは禁呪とされるだけあって、シャティヨンのなかでも使える人間はごく僅かだよ。あれを習得するには、呪文の他に、最低でも第五階位の火炎魔法が扱えるレベルが必要。つまり、誰でも使えるような魔法ではないんだが……」


 ゲルラはそこでフーッとタバコの煙を吐いた。


「もうひとつ簡単に魔法を行使できる方法があるのさ。それは、生命の燈フレイム・オブ・ライフを実際に見ること」


「えっ……? それだけで……」


「ああ──生命の燈フレイム・オブ・ライフは捨て身の魔法。行使した者は必ず死ぬ。故に魔法を行使できる者が絶えないようにと、見るだけで習得できる仕組みが施されているのさ。まあ、生命の燈フレイム・オブ・ライフに限ったことではないがね。自分の命を代償にする魔法の多くはそうなっている」


 ──見ただけで使える魔法があるなんて……しかもそれが自滅の魔法とか、笑えない冗談だろ。


「……じゃあ、リズはその魔法をどこかで……」


「そうだね……シャティヨン族のキャンプが闇憑きに襲われたという話はリズから聴いてるかい?」


「うん、リズはそこで両親とお兄さんを亡くしたって」


「……リズの兄は私とは歳が一緒でね。気も合うし、よく一緒に行動を共にしたもんさ。強くて優しい、妹想いのいい奴だった……そして、同時に卓越した火炎魔法の使い手でもあった」


「つまり、リズが見たのは……」


「ああ、フォーリオが……リズの兄が使ったのさ。リズと、そしてシャティヨン族を守るためにね」


 勇理は想像する──両手を広げ、生命の燈フレイム・オブ・ライフを使うリズの兄、そしてその背中を悲痛の表情でじっと見つめるリズの姿を……。


「ユーリ──間違っても自分を責めちゃいけないよ。リズは自らの意思で、その命を代償にお前たちを守ったんだ」


 思い詰めた顔をしてたのだろう、ゲルラは勇理の肩に優しく手を置いた。


「でもさ……おれにもっと力があればこんなことには……」


「それは誰にもわからないさ。お前にもっと力があったとしても、みんなを助けられなかったかもしれないし、下手したらユーリ──お前が死んでたかもしれない。運命は誰にも分からないからこそ、後悔しちゃいけないんだ。そこに答えなどなんだよ……」

 

 ゲルラは、まるで自分自身に言い聞かせるように目を閉じた。

 たしかにその通りなのかもしれない──あのときああすればよかった、こうだったら違っていたかもと、色々悔やんでも仕方ないことは勇理にも分かっている。

 ただ、それでやり切れるほど、単純ではなかった。

 ──ましてや、自分は無力だ。

 無力な故に、なにも出来なかったことが悔しくてたまらなかった。


「リルとサーシャには会ったのかい?」


 ゲルラが心配そうに勇理の顔を覗き込む。


「あ、いや……まだ会ってなくて。ムタリオンから無事に保護されたってことは聞いたけど……」


「ムタリオンから聞いていたんだね。あの二人はマーラが引受人になってくれてね──今は彼女のところにいるはずだよ」


「マーラが……」


 マーラはリズも慕っていた。これ以上の引受人はいないだろう。


「どうする? 会っていくならマーラのところに案内するが……」


「あ、いや。今はまだ大丈夫……ちょっと疲れたからテントに戻るよ」


 疲れたは嘘だった──正直なところ、あの二人、とくにサーシャにはどんな顔をして会えばいいのか分からない。


「……そうかい。じゃあ、あとで私もテントに顔を出すよ」


 ゲルラは短くなったタバコをまるで手品のように指先で燃やすと、その場を去って行った。


 テントへ戻ってからも、勇理は心にぽっかりと穴が空いた気がして、食欲もなく、なにもする気が起きなかった。

 ただ、ひたすらベッドに寝そべり、天井のランプを見つめる。

 そして、おもむろに上げた片手を見つめて呟いた、「おれはこれからどうしたらいいんだ……」。

 答えのない答えを探しながら、時間だけがただただ過ぎていった。

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