第12話 〜闇に浮かぶ黄金の騎士〜

 空はいつの間にか黒く分厚い雲に覆われていた。

 太陽の光を失い、灰色と化した聖都は、痛々しいまでの絶望と悲愴感が漂っている。


 勇理は閑散とした大通りを、サーシャの手を引きながら走り抜ける──もう片方の腕で気絶したリルを抱き抱えているため、思うようにスピードは出せない。

 地面には商品や買い物客が落としたであろう様々な物が散乱していた。


「リズ姉ちゃん──」


 サーシャは懸命に走りながらも、その顔は涙でぐしゃぐしゃだった。

 リズのことが脳裏にちらつき、勇理は思わず足が止まりそうになる。


 あの魔法がなんなのかは勇理には分からない。

 リズの様子からして、使う側にも相応のリスクがあるのは確かだろう。それこそ、自分の命と引き換えにするような……。

 それでも勇理は希望を捨てたくはなかった。

 もしかしたらリズはまだ生きてるかもしれない──そんな淡い願いが胸を締めつける。


 リズの覚悟を、無駄にするわけにはいかない──今はリルとサーシャの安全を確保することが最優先。勇理はサーシャの小さな手を強く握り返した。


 大通りの先に、広い十字路がぼんやりと見て取れた。

 来る時は細い路地を通ったのだが、勇理は正確にそれがどの通りだったか思い出せないでいた。 いっそのこと大通りを逸れるか迷うが、闇雲に知らない路地に入るのはあまりにも危険過ぎる。


 こういうとき、せめて戦うという選択肢が残されていれば多少は違うのだろうが……。

 つい先日まで一般の高校生だった勇理には、戦闘にでもなったら為す術がない。

 古武術を多少経験しているからと、生き残れる可能性は限りなくゼロに等しかった。


 ──せめて衛兵とか、誰か助けを呼べたら……。


 勇理は城壁の上にいた、弓を持った兵士の姿を思い浮かべる。

 果たしてあの弓が目玉の化け物に通用するかは疑わしいが、もしかしたら魔法が使えるかもしれない──とにかく、今は誰でもいいから助けが欲しかった。


 ──あれは……?


 勇理はサーシャを制して自分も足を止めた。

 視線の先──十字路の端に複数の人影が見える。

 もしかしたら敵かもしれない──勇理は警戒しつつ、口に人差し指を立てて、サーシャに合図を送る。

 相手に気づかれないようにして距離を詰めると、鎧や兜を着込んだ兵士たちが、なにやら地面に向かって、剣のようなものを突き立てている。


 ──鎧を着てるってことは衛兵なのか……?


 勇理は思わず助けを呼ぼうとして、途中で息を呑んだ。

 衛兵だと思った兵士たちの鎧から、黒い靄が立ち上がっているが見えたからだ。


 ──闇憑き!?


 勇理は咄嗟にサーシャの頭を押さえてかがませると、自分も地面すれすれまで身をかがめた。

 目を凝らすと、闇憑きたちの足元には同じように鎧を着た兵士が倒れている。

 黒い靄を放っていないところを見ると、普通の人間だろうか……。

 闇憑きたちは地面に伏した相手に向かって、執拗に、何度も何度も剣を突き刺していた──。


 勇理は込み上げる吐き気を必死に抑え込むと、すぐさま隠れる場所を探す──。

 大通りの両脇には狭い路地が二つ、後方にはドアが開け放たれた店舗がいくつか確認できる。


 ドアが閉まっている店舗もあるが、鍵が掛かっている可能性が高いだろう……。

 路地か店舗のどちらを選べばいいのか──どちらを選んでも危険な気がした。


 勇理が戸惑っていると、両脇の路地からガシャガシャと、地面を踏み付ける重い金属音が聞こえてきた──。

 敵か味方の兵士だろうか、薄暗い路地の先からはその姿を目視することはできない。

 どちらにしても、ここに留まるわけにはいかない。路地が無理なら、店の中に隠れるしか選択肢は残されていなかった。

 

「ねえ……! そこのきみ──こっちよ!」

 

 勇理が覚悟を決めて移動しようとしたとき、後方で声がした──。

 勇理が咄嗟に振り向くと、先ほどまでドアが閉じていた店舗から、半身を覗かせてこちらに手招きをする女性の姿が視界に入る。

 勇理は考える間もなく、姿勢を低く保ったまま小走りで女性の元へと駆け寄った。


「さあ──早く入って……!!」


 女性は先に勇理たちを招き入れ、もう一度外を確認してドアを閉めると、急いで鍵を掛けた。


「ありがとうございます……本当に助かりました」


 勇理は精一杯の感謝の気持ちを込めて、女性にお礼を言う。

 女性が助け舟を出してくれなかったら、路地の足音に気を取られ、すぐに動けなかったはずだ。


「いいのよ──それよりその子は大丈夫なの?」


 女性は勇理の腕の中で意識を失っているリルを、心配そうに指差した。


「あ、はい──気絶しているだけです」


「そ、そうなのね……ならよかった」す


 女性は安堵したように頷く。その表情は恐怖に晒されてか、ひどくやつれていた。


 まだ安心するには早かった──外には闇憑きがうろついている、ここだって安全ではないかもしれない。

 勇理はなにか武器になるものはないかと、店内を見渡した──もし戦闘になったとしても自分に勝ち目があるとは思えないが、素手よりはいくらかマシかもしれない。


「……ここに、なにか武器になるようなものはありますか?」


 勇理はできるだけ声を抑えて女性に尋ねる。


「……ここは仕立て屋だから、武器になるものと言っても……あ! あれはどうかしら?」


 女性が店内の隅に転がっていたハサミを指さす。

 布を切るためのものだろうか──通常のハサミよりひと回りは大きく、先端が鋭く尖っている。


 勇理はリルを抱えながらハサミを拾うと、その感触を確かめる。

 人間が相手なら充分武器になりそうだが、鎧を着込んだ化け物となると心許ない気がした。


 ──なにもないよりはマシか……。


「ねえ、その腕の紋章……あなたたち、シャティヨン族のひとよね?」


 女性は勇理の腕章を見つめている。

 勇理は質問にどう答えていいのか少し戸惑う。


「あ、いえ──自分は……」


「ねえ! だったら火炎系の魔法が使えるんじゃないの!? それであいつらを焼き払ったりできるんじゃ──」


 女性は一条の希望を見出したかのように、顔をぱっと輝かせる。


「いや、自分は魔法は使えないんです……」


「そ、そうなのね……私ったら変なこと聞いてごめんなさい……」


 勇理の言葉に女性は一気に元気をなくし、ヘナヘナとその場に座り込んだ。


 魔法が使えたら、リズを置き去りになどせずに済んだのだろうか……。

 勇理は胸が締め付けられる思いだった。


 ──バタンッ!!


 壁を挟んだ向こう側で大きな物音がした。

 なにかを勢いよく蹴り飛ばした──そんな感じの音。

 それと同時に、ズカズカと複数の重い足音が壁越しに響いてくる……物が激しく叩きつけられる音や、大きな家具が倒れるような、けたたましい騒音が隣りから聞こえてきた。

 振動が床を伝って、勇理たちの足元を微かに揺らす。


「ねえ──これって……」


 女性が顔を真っ青にして、隣の壁を凝視する。


「──とりあえず隠れないと……!!」

 

 勇理は震えて縮こまる女性を立たせると、リルをしっかり抱き抱え、サーシャを連れて奥のカウンター裏に身を隠した。

 やがて隣が静かになると、足音が外に出て行くのが聞き取れた。


 勇理は出来る限り心を落ち着かせた──あの物音からして、味方の兵士とは考え難いだろう。

 ドアが突き破られたことから、鍵が掛かっていようが全く関係なかった。

 むしろ、誰か隠れているのかと、逆に躍起になって探している可能性も高い。

 ここのドアも蹴り飛ばされるのが目に見えていた。


 ──おれが守らないと……。


 程なくして、ガチャガチャとドアノブを回す音がした。

 勇理は心臓が止まりそうになる──もう時間は残されてない……。

 勇理は隣で、耳を塞いでブルブルと震える女性の腕を掴んだ。


「……ここは自分が囮になります。すみませんが、この子をお願いします」


 勇理は唖然とした表現を浮かべる女性にリルを託した。

 サーシャが嫌だとばかりに首を横に振る。


「あなた──正気なの……!?」


「ええ……自分はどうやら簡単には死なない身体みたいで……きっと大丈夫です」


 勇理はぎこちなく微笑んだ──言葉の意味が伝わってないのだろう、女性は困惑した表情を浮かべている。


 ──リズのように上手くはできないな……。


 まだどこかで死ぬのが怖いと思ってしまう。

 勇理は、燃えさかる炎のなかで揺らめくリズの背中を思い出す……。

 せめて最後くらいは、彼女のように強く在りたいと願った。


 鍵が掛かってると分かったのか、今度は激しくドアを蹴る音に変わった。

 勇理は床に置いたハサミを強く握りしめると、カウンターから離れ、身体を低くしてタイミングを見計らう。

 じっとりした汗が額から溢れ出て、乱れた呼吸と心臓の鼓動が、まるで別人のものかのように感じられた。


 大きな音を立ててドアが蹴破られた──。

 間髪入れず、勇理は床を強く踏みしめると、勢いをつけて突進する。

 薄汚れた兜と煤ばんだ黒い肌が視界に入った──菱形の黄色い目が大きく見開かれ勇理を捉えるも、その身体は反応できずに動きを止めている。


 勇理はそのままの勢いで、両手で握ったハサミを振りかざすと、渾身の力で黄色い目を目掛けて振り下ろす。

 ハサミは眼窩に深く突き刺さり、脳にまで到達した。


「ギャーーーーーー!!!!」

 

 闇憑きは、鼓膜を突き刺すような奇声を上げながらドス黒い血飛沫を撒き散らし、大きく仰け反る。

 勇理はハサミを手放し、闇憑きの身体を肩で力一杯に押し返した。

 バランスを崩した闇憑きは、勢いよく後ろに崩れ落ちる。

 両脇にはさらに二体の闇憑き。仲間に何が起こったのか理解できず、ただ呆然と立ち尽くしている。

 勇理はこの機を逃さない──倒れた闇憑きを飛び越えると、全力で走り出した。


「──こっちだ! 追ってこい!!」


 勇理は振り向きざまに、残りの闇憑きを挑発する。

 その声に反応し、二体の闇憑きは鬼の形相であとを追ってきた。

 先ほど十字路で兵士に剣を突き立てていた闇憑きたちも、勇理の声で振り返る。


 ガシャガシャと耳障りな騒音を撒き散らしながら、怒号のような奇声が飛び交う。

 鎧を着込んでいるせいか、闇憑きたちの速度は思ったほど早くはなかった。

 十字路を挟んで反対側にいる集団とも十分な距離がある。


 ──よし、このまま走り続けて……


 前方の闇憑きを警戒しつつ、十字路を曲がろうとしたとき、右脚の太ももに衝撃が走った──。

 足がもつれ体制を崩した勇理は、顔から勢いよく地面に激突する──身体が丸太のように転がり、大地が目まぐるしく回転した。


「ぐあ……」


 勇理は上手く呼吸ができなかった。

 やっと動きを止めた身体は、全身を強打したことによる痛みで力が入らず痙攣している……。

 衝撃を感じた太ももに目をやると、錆びついた剣が深々と突き刺さっていた。


 ──投げたのか……!?


 まさか闇憑きが剣を投げてくるとは考えにも及ばなかった。

 しかも的確に太腿に当ててきたのだ──闇憑きを、ただ剣を振り回すだけの知能が低い存在だと。そう、勝手に決めつけていた自分を勇理は呪った。

 

 複数の鉄靴が、重厚な音を響かせながら近づいてくる。

 勇理が逃げられないと悟ったのか、獣がじわじわと獲物を追い詰めるような足取りだった。

 地面に伏した勇理には、その姿を目視することはできない。

 

 足音が勇理を囲むように止まった。

 ハイエナに似た不気味な笑い声が、勇理の頭上でこだまする。

 勇理は痛みで震える身体をなんとか起こそうとするも、すぐさま足で背中を強引に押さえつけられる。

 硬く冷たい鉄の感触が背中を伝ってくる。


 ──……!?


 先ほど太ももに感じたときと同じ激痛が、今度は全身に走った──。

 痛みと衝撃で声を上げることすら叶わない。

 言葉にならない呻き声が勇理の口から漏れた。

 全身を剣で貫かれていることを理解する間もなく、何度も繰り返される激痛に意識が飛びそうになる。

 身体から出た生温い血が全身を濡らし、臓腑を抉られ、ごぼごぼと音を立てて、口から血が溢れ出す。


 ──……ここで終わりなのか……またおれは殺されて……


 死を覚悟した勇理は、かろうじて顔を横に向けた。

 薄汚れた鉄靴の合間、ボヤける視線のその先に、こちらに歩みを進める一人の騎士の姿が映った。


 ──……味方……なのか?


 暗雲が立ち込める薄暗い景色のなかで、純白のマントが風に靡く。

 絢爛たる黄金の全身鎧フルアーマーを身に纏ったその姿は、まるで神が地上に降臨したかのような、燦然とした輝きを放っていた。


 勇理を取り囲んでいた闇憑きたちが、騎士の存在に気付いたのか、慌ただしく喚いている。

 鉄靴が勇理を跨ぎ、見上げる角度で闇憑きたちの姿が視界に入ってくる。

 やつらは一斉に剣を振りかざすと、騎士のほうに向かって走り出した。


 黄金の騎士は、闇憑きの動きを全く気にしない様子で歩み続けている。

 滑らかな動作で腰の剣を引き抜くと、その柄を両手で握り、まるで祈りを捧げるかのように真っ直ぐ縦に構えた。


「……が命じる。太陽神ソレイユスの名の下に、悪しきを罰する聖なる刃にて大地を汚す闇を打ち伏せよ── 聖地の楔ホーリーウェッジ


 聖女が神に祈りを捧げるかのように、清く澄んだ声が静かに辺りを包み込む。


 ──この声……どこかで……


 勇理は騎士の声がとても馴染みのあるものに聞こえたが、意識が混濁して上手く思い出せない。


 詠唱を終えると同時に、黄金の騎士は構えた剣を足元に突き立てた──。

 地面から煌びやかな光の粒子が湧き出し、辺り一帯を覆い尽くす。


 光の粒子は、群がる蛍のように闇憑きたちにまとわりく。

 闇憑きは必死にもがくも、その動きは光の粒子によって完全に拘束されている。


 黄金の騎士は、突き立てた剣を半回転させると、そのままゆっくりと鞘に戻す。

 金属同士が触れ合う鋭い音が鳴り響いた。

 それが合図かのように、地面から出現した光の杭が闇憑きたちの身体を貫いた──。

 おぞましい断末魔と共に、闇憑きの身体は瞬く間に朽ち果て、黒い灰と化し、ぱらぱらと風に散った。


 勇理は限界が近かった。

 再生の能力が追いつかないほどダメージを負ったその身体は、既に感覚を失っている。

 雨だろうか……ポツリ、ポツリと冷たい水滴が頬を濡らす。

 血で赤く滲む視界の先に、こちらに近寄る黄金の騎士の姿が映り込む。霧がかったように淡く色を失つつある風景に、鎧の輝きが灯火のように揺らめいている。


「……勇理……どうして……」


 暗転する世界のなかで、勇理は自分の名を呼ぶ声が聞こえた気がした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る