第11話 〜命の灯火〜

 閑散と静まり返った大通りで、忌まわらしい咀嚼音だけが鳴り響く──。

 襲われた男の悲鳴は既に途絶え、その姿は禍々しい者たちの陰に隠れ捉えることすら叶わない。赤黒い血が純白の地面を汚し、白と赤の生々しいコントラストを生みだしていた……。

 

「──ユーリ」


 目の前の惨劇に目を奪われていた勇理は、リズの声にふと我に返った。

 リズは勇理の数歩先でサーシャを守るようにして身をかがめている。


 勇理がリズの側に移動しようとリルの様子を確認するも、ピクリとも動かなかった。小声でリルの名前を呼ぶも反応が返ってこない……慌てて口に顔を近づけると、浅い呼吸が聞こえてきた──どうやら気を失っているだけのようだ。

 少し心配だが、目の前の光景はリルには刺激が強すぎる……だったら気絶してくれてたほうがいいのかもしれない──勇理はそう思うと、リルの小さな身体を抱き抱えながら、気づかれないように、ゆっくりとリズに近寄る。


「リズ──あれは……あいつらは一体なんなんだ……」


「ユーリ──お願いがあるの」


 リズは勇理の問いには応えなかった。その表情は怯えと焦りが入り混じり、じっとりとした汗が額を湿らせている。


「サーシャとリルを連れて逃げて──」


「えっ!? なに言ってるんだよリズ! そんなことできるわけないだろ」


 リズの言葉に勇理の思考が一瞬止まる。リズだけを置いて逃げるなんて、そんなことできるはずがなかった。


「お願いユーリ。もうこれしか方法はないの……」


 リズは自分自身に言い聞かせるように呟く。その声はどこまでも暗く、今にも消えてしまいそうだ。


「いや、無茶だ……リズを置いていったら、あの化け物たちは……」


 そうこうしているうちに、いつの間にか不快な咀嚼音が消えていた……目玉の化け物が犠牲となった男を食い尽くしたのだ──そして次の獲物はもう決まっている。


「もう時間がないわ……ユーリ、子供たちを連れてここから離れて」


「リズ──それだけは絶対にダメだ! なにか方法を探そう! きっとなにかいい方法が──」


 ──そうだ、きっとなにか良い方法があるはずだ……。

 リズだけは何としても死なせるわけにはいかない。勇理は恐怖で凝り固まった頭を必死に回転させる。


「方法なんてないの!! あいつらの恐ろしさは私が一番よく分かってる……」


 リズは勢いよく頭を振りかぶる──顔は血の気が引いたように蒼白く、その声は震えている。


 リズはあの化け物のことを知っているような口ぶりだった。以前に対峙したことがあるのだろうか……勇理の視線の先で、黒い躯体がゆっくりと回転し、黄色く濁った禍々しい目玉がこちらを見据えるのが見えた。


 状況は悪くなる一方だった。勇理は打開策が見出せず、歯を食いしばり項垂れる──口の中を微かな血の味が広がった。リズは頑なだが、それでも彼女を置いて逃げることなど、勇理には到底できそうになかった。

 勇理は代わりに自分が残ることを考える。ムタリオンによると、自分の能力は再生だと言っていた。この能力については未だ不明な点も多いが、切り落とされた右手も回復するほどだ──少なくとも、リズよりは生き残れる可能性は高いはずだ。


 ──どっちにしろ、おれは一度死んだんだ……こんなよくわからない世界でまた死んだところで、どうせだれも悲しまないだろ……。


 勇理は最悪の場合、自分が死ぬことを覚悟の上で心を決める。


「おれが残る!! だからリズは子供たちと──」


 勇理の言葉を待たずして、リズは抱きしめていたサーシャを勇理へと突き放した──驚いた勇理は素早くリルを片手で支えると、身体を斜めにずらしてサーシャを受け止める。


「リズ姉ちゃん──?」


 当のサーシャも、突然のことに口をぽかんと開けている。


「リズ──なにを……」


「さあ行って──」


 リズは名残惜しくも寂しそうに微笑むと、別れを惜しむかのように目を細め、サーシャとリルを見つめる。栗色の髪が風に揺れて彼女の目元を覆い隠した──リズはそのまま俯く。


「兄さんが繋ぎ止めたくれたこの命──今度は私がみんなの命を繋ぎ止める番なの。だからお願いユーリ。私の我儘を許して……」


 髪に隠れたリズの目から、一筋の涙が頬を伝ってこぼれ落ちる──。

 勇理はかける言葉が見つからず、ただリズを見つめることしかできなかった。残された少ない時間だけが容赦なく過ぎてゆく。


 リズは髪をかき上げると、目元の涙を手の甲で拭った。悲しみに満ちた笑顔とは裏腹に、その瞳は燃えたぎる炎のように熱く揺らめいていた……。そして、決意を固めるかのように歯を食いしばると、迫り来る化け物たちのほうを振り返った──。

 なにかを警戒するように、ジリジリと距離を詰めていた化け物たちの動きがピタリと止まる。


「リズ・ソーテリアがその命を賭して命ずる──」

 

 両手を天に掲げたリズの言葉と共に、周囲の空気がチリチリと熱を帯び始め、地面の塵や小石が重力を失い宙を舞った──。

 リズの服が、まるで地面から吹き上げる風を受けるかのように、ゆらゆらとはためいてる。


「リズ──!!」


 勇理はリズのほうに手を伸ばそうとして、あまりの熱さにその手を引っ込める──指先が火傷を負ったかのようにヒリヒリと痛む。


「リズねーちゃん!!! 嫌だよ──!!」


 サーシャが声を枯らして叫んだ。必死にリズの元へ駆け寄ろうとするも、勇理はその手を強く掴んで離さなかった──今、リズに近づいたらサーシャは全身に火傷を負ってしまうだろう。


「リズ──! 止めるんだ!!」


 勇理は渇き切った喉に痛みを感じながらも懸命に叫んだ──。

 それに応えるかのように、リズは両手を空へ掲げたままに、続けていた詠唱を止める。


「ごめんなさい、ユーリ──この魔法は一度発動したらもう止められないの……」


 まるでその定めを受け入れたかのように、リズの声は優しく穏やかだった。


「サーシャ──ごめんね……本当はもっといっぱい一緒にいたかったのに……私、全然いいお姉ちゃんじゃなかったね……私の代わりに……リルのこと守ってあげて」


 リズの声は微かに震えていた。サーシャはなにか叫ぼうと、必死に口をパクパクとさせるも、熱で喉が焼かれたのか上手く声にならない。


「さあ、早く行って!! このままだとみんなを巻き込んじゃう……だからお願い──!!」


 リズの言葉通り、先ほどよりも周囲の温度は上昇していた──勇理の額から湧き出ていた汗が瞬く間に蒸発していく。

 目玉の化け物たちもあまりの熱で近寄れないのか、一定の距離を保ったままだった。


 ──くそ!! こんなとこでリズは……。


 せめて魔法が止められればと思うが、勇理にその知識はなかった──勇理は自分の無力さにやるせなさが込み上げてくる。

 リズとは出会ってまだ二日目だ。それなのに彼女とは強い絆のようなものを感じていた。

 それはただ、リズが優しかっただけなのかもしれないし、勇理の思い込みに過ぎないのかもしれない。それでも……例えそうだったとしても──全てはこれから築けるはずだった……ただの思い込みではない本当の絆も、友情も……そして愛情でさえも──全部これからのはずだったのだ……勇理は行き場のない感情に、硬く拳を握りしめる。


 リズは詠唱を再開していた。無情な言葉が羅列されるなか──勇理の目に映るその華奢な後ろ姿は今にも壊れてしまいそうなほど脆く、散りゆく花のように儚く感じられた……まるで自分の命を燃やすかのように……。


 ──リズ……きみは本当に自分の命を……。


 勇理は自分の腕の中で気絶しているリルと、隣で必死にリズの元へ行こうとするサーシャを交互に見つめる。

 ──リズの魔法はもう止まらない……ここでおれが残れば、子供たちを助けることはきっと無理だ……リズが自分自身と引き換えに守ろうとしている小さな命たち……おれが無駄にしてもいいのか……? いいわけがないよな……くそ……なんでいつもおれは……

 勇理の脳裏に聖奈の姿がチラつく──あのとき守れなかった大切な存在……自分はまた誰かを見捨てなくてはいけないのか……勇理は自分の運命を呪った。


「ちくしょーーーーー!!!!」


 勇理は迷いを断ち切るかのように叫ぶ──水分を失い渇き切った喉が裂け、激しい痛みが襲ってきた。痛みを無視してサーシャの手を強く引くと、勇理はそのまま全力で走り出した──。

 

 遠ざかるリズの声──詠唱が最終段階に入ったのか、その声は力強さを増し、勇理の背中を後押ししてくれているように感じた……今振り向いたら、きっと覚悟が揺らいでしまう──いけないと思いつつ、それでも勇理は衝動を抑え切れず一度だけ振り向いた。

 最後に見たリズの姿は、その細い腕を空高く広げ、身体は煌々と燃えゆく炎を纏っていた──熱で揺らめく不安定な景色のなかで、リズの背中だけが勇理の目には鮮明に映る。

 まるで火から生まれ、天に羽ばたこうとする鳥のように──リズは眩いばかりの炎に包まれその命を燃やした……


 「ユーリ……約束守れなくてごめんね」


 必死に走る勇理は、その背中にリズの声が聞こえた気がした──。

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