第10話 〜単眼の化け物〜

 カフェをあとにした勇理たちは、日が傾いてきたこともあって、帰路につくことにした。


「ねえユーリ──帰り道にちょっと寄りたいところがあるんだけどいいかな?」


「あ、うん──もちろん」


 そもそも今日の買い物は、リズに「一緒に選んで欲しいものがあるから付き合って欲しい」と言われて付いてきたのだ。

 勇理は一番大事なことを思い出す。

 

 先ほど買い物をした大通りを進んでいると、リズはある店の前で歩みを止めた。

 雑貨屋だろうか、綺麗に磨かれたショーウィンドウにはアクセサリーをはじめ様々な小物が並んでいる。


「わあ──綺麗……」


 リズはショーウィンドウを覗き込み、目を輝かせた。

 先ほどまで大人しく勇理の手を繋いでいたリルも、リズの隣に並んでキャッキャと楽しげな声を上げている。


 ──どこの世界でも女性はキラキラしたものが好きなんだな。リルにはまだちょっと早い気もするけど……。


 そう思いつつ、勇理も一緒にショーウィンドウを覗き込む。

 

「ユーリ──ここのお店なんだけど、ちょっと中に入って見てもいい?」


 どうやらここがリズの目当てのお店らしい──勇理は快く頷くと、後に続いて店内に足を踏み入れる──カランカランと、ドアに付けられたベルが心地いい音を奏でた。


 こじんまりとした店内は、木の温もりを感じられるアンティーク調のカウンターが設置され、センスの良い小物やインテリアの品々が並んでいる。


「そういえば、リズ──なにかおれに一緒に選んで欲しいって言ってなかった?」


 勇理の問いに、リズは返事をせず食い入るようにカウンターの品物を見つめている。

 勇理はトントンとその肩を叩く。


「──っえ? ユーリ、なにか言った?」


 どうやらリズは、集中すると周りの声が聞こえなくなるタイプのようだ。


「いや、ほら、なにかおれに選んで欲しいものがあるとかって……」


「あっ! 私ったら夢中になちゃってごめんなさい……それなんだけど──」


 リズは足元のサーシャをチラッと覗き見ると、サーシャには聞こえないよう、勇理の耳元でこっそりと囁く。


「じつは明日サーシャの誕生日でね……この年齢の男の子ってなにが欲しいのか分からないから、ユーリに一緒に選んで貰えたらと思って……」


 ──なるほど、そういうことか。


 てっきり恋人とかへのプレゼントかと思っていた勇理は安堵した。ここで好きなひと用とか言われたらどうしうかと、やきもきしていたが余計な心配だったようだ。

 同時に、自分がサーシャくらいの年齢に貰って嬉しかったものを思い浮かべるも、あまりにも昔過ぎてよく思い出せない。


 ──普通はおもちゃとかだよな……。


 勇理は店内を見渡すも、ここにおもちゃ等は置いてなさそうだ。


「プレゼントかぁ──うーん……」

 

 リズが期待の詰まった眼差しでこちらを見つめている。


 ──頼むからそんな期待の籠った目で見ないで……。


 勇理はなにか──なにか貰って嬉しかったものは無かったかと思考を巡らせる。

 そもそも勇理の両親は、あまり子どもにおもちゃを買い与えるタイプではなかったので、おもちゃに関する記憶が勇理には乏しい。


 なんかボロボロの薄汚い布切れを、名前を付けて相棒のように連れ回し、とても大事にしていた記憶はあったが、「じゃあ、布切れにしなよ!」とか、リズの期待を一心に背負った今の勇理に言えたものではなかった。


「あっ──! そういえば……」


 勇理がちょうどサーシャくらいのとき、あれは小学校に上がる直前だっただろうか──祖父から御守りを貰ったことを思い出した。


 それはなんの変哲もない普通の「交通安全」と書かれた紺色の御守りだったが、勇理にはそれがなぜか宝物に思えて、とても嬉しかったのを覚えている。

 御守りは高校生になっても、大切にカバンの中に入れていた──ここに転生したときにカバンと共に無くなってしまったが……。


「あのさ、御守りなんてのはどうかな?」


「おまもり? それはどういったものなの?」


 テロスアスティアには御守りの類はないのだろうか……勇理はどう説明したらリズに上手く伝わるのか考える。


「うーん──そうだなぁ……御守りっていうのは安全とか健康を願うためのアイテムみたいなもので……うーん、なんて言ったらいいんだろ、願掛け? みたいな……」


 勇理は「神様、今すぐ自分の説明下手を直してください」と、心の中で願掛けする?


「それは、魔除けとか神様の加護が込められた物みたいなものかしら?」


「ああ──うん! そんな感じ!」


 リズの察しがよくて助かった──勇理は一度、あの口達者なムタリオンに教えを乞うか本気で考える。


「それ、凄くいいかも!! さすがだねユーリ! ありがとう!!」


 リズは勇理の提案に小躍りする。リズに喜んでもらえてよかった──勇理は心の中でガッツポーズを決めた。

 リズは早速、店員におすすめのものがないか聞いている。


「ねえ、ユーリ──悪いんだけど、サーシャとリルを連れて外に出ててもらってもいいかな?」

 

 きっとサーシャにプレゼントのことを内緒にしたいのだろう──勇理はリズの心情を察して、子供たちと店を出ることにした。サーシャはブー垂れるも、リズに言われて渋々と店を出て行った。

 勇理もリルの手を引きながらその後を追う。


 カランコロンと鳴るベルの音を背に、勇理は外の空気を吸い込んだ。


 ──とりあえず、リズに良さげなプレゼントを提案できてよかった。


 勇理は満足気に頷く。視線の先に気に食わなそうに道端の石ころを蹴るサーシャの姿があった。


 勇理は、自分が嫌われている理由はなんとなく想像はつくものの、ずっとこのまま嫌われ続けていても、お互いの溝は深まるばかりだ。いくら子ども相手とはいえ、ここは思い切って話しをするべきだろう。

 勇理はサーシャに近寄ると、なるべく自然な感じで声を掛けてみた。


「ねえ、サーシャ──おれのこと嫌いなのかな?」


 サーシャはこちらを見向きもせずに、靴の裏で石ころ転がしている。

 

 ──やっぱスルーだよな……仕方ないか。


 勇理がその場を離れようとすると、サーシャは蹴っていた石ころを靴で押さえ込む──「リズ姉ちゃんを取られるのは嫌だ……」、そう言うと力強く石を蹴り飛ばした。危うく前を歩いていた女性に当たりそうになる。


 ──そっか……きっとサーシャにとってリズはお姉さんであり、母親みたいな存在なのか。


 勇理はてっきりサーシャが嫉妬しているのかと思ったが、どうやら少し違うようだ。

 会話になっているか微妙なところだが、少なくともサーシャは勇理の言葉に反応してくれた──ここは少し誤解を解くチャンスかもしれない。そう思い、勇理は会話を続けようとした。


「いや、違うよサーシャ──おれはリズのことを……」


 ──!?


 勇理は唐突な胸の痛みを感じた──途中まで言いかけた言葉を呑み込むように胸を押さえる。

 苦しそうな勇理をサーシャとリルが心配そうに見つめる。


 ──なんだこの胸の痛みは……。


 それはまるで、熱い鉄でも押し付けたような焼ける痛みだった。ちょうど痣のある辺り──先ほど違和感を感じた聖痕の箇所だ。服の上から淡い光が漏れ出し、蛍のように緩やかな点滅を繰り返す。


「ユーリ!? どうしたの!?」


 店から出てきたリズが、片足を地面に着き蹲る勇理の元へと駆け寄ってくる。


「だ、大丈夫──ちょっと胸の辺りが急に……」


 勇理がリズの肩を借りて起きあがろうとしたとき、地面が大きな音を立てて揺れ始めた。


「地震──!?」


 揺れは徐々に大きくなり、立っていられるのもやっとだった。周りの建物が大きく揺れ、パラパラと壁の破片が舞い落ちる。

 その揺れは長くは続かなかった──ほんの数秒だろうか、程なくして振動が弱まっていく。


「行こうリズ──なにか嫌な予感がする……」


 この感じたことの無い胸の痛みと、今起きた地震──あくまで直感に過ぎないが、勇理はこの二つが無関係とは思えなかった。

 リズは勇理の切迫した表情からなにか感じ取ったのか、緊張した様子で頷く。


「キャーーーーーーーー!!!」


 リズが少し離れたところにいたサーシャを呼び戻そうとしたとき、通りの奥のほうで誰かの悲鳴が聞こえた──勇理とリズは、思わず悲鳴のした方に視線を向ける。

 その直後、大勢の人影がこちらに向かって走って来るのが目に飛び込んできた。


「なにがあったんだ?」


 地震で店から飛び出してきた店員たちも、じっと通りの先から走り迫る人集りを見つめている。


「闇憑きだ!! 逃げろーーーー!!」

 

 こちらに向かって来る誰かが、そう叫んだ。


「闇憑きだって!?」


 一瞬──誰もがその言葉を理解出来ずに動きを止めた。


「ヤバいぞ!! 逃げろーーー!!!」

 

 今度は勇理たちの近くで誰かが叫び声を上げる──それが引き金となり辺りは騒然となる。

 悲鳴が飛び交い、瞬く間に全員がパニックに陥った。まるで蜘蛛を散らしたかのように、大通りは逃げ惑うひとで溢れ返る。

 

「ユーリ──!!」


「リズ!!」


 考える間もなく、勇理たちは人波にのまれた──誰かの肩が勢いよく当たり、勇理はリズと引き離される。

 

「──くそ!!」


 いつの間にか胸の痛みは収まっていたが、勇理は押し寄せる人の波に押し潰され、思うように動くことが出来なかった。

 パニックに陥った人々は、互いを押しのけ合い、我先にと駆けずり回っている。


「えーん──」


 悲鳴と怒号が飛び交うなか、すぐ側でリルの泣き声が聞こえた。

 勇理はなんとか迫り来る人々を避けて、泣き声を頼りにリルを探すも、人が多過ぎて視線が遮られる。

 焦りを感じたそのとき──数歩先で小さく蹲るリルの姿が垣間見えた。

 勇理はすぐさま人波を掻き分け、リルに飛びつくようにして覆い被さった──逃げ惑う人々の足が、容赦なく勇理の背中を蹴り飛ばしてゆく。


「リル──もう大丈夫だからね」


 勇理はリルに危害が及ばないよう、その身体を強く手繰り寄せる。


 段々と人の波が途切れ始めた──勇理が顔を上げると、少し先で同じように身を屈めるリズの姿を捉える。


「リズ!!」


 リズは勇理の声に反応し、こちらを振り向く。その表情からは焦りと不安が色濃く浮き出ている。


「ユーリ!! リルとサーシャは無事!?」


「リルは大丈夫──!! サーシャは……」


 勇理はリズに言われてサーシャがいないことに気づいた。直ぐに辺りを見渡し、サーシャの姿を探す。


「あそこだ!!」


 数メートル先の前方に、地面に伏したサーシャがいた。足を動かして、なんとか起きあがろうとしている。

 ──よかった……。

 遠目に見てもサーシャは大きな怪我はしてなさそうだった。勇理が動くより先にリズが飛び出した。


「サーシャ!!」


 リズは慌ててサーシャの元に駆け寄ると、心配そうにその背中をさする。


 一先ず、みんな無事なようだ──勇理が安心しかけたその時、リズとサーシャのさらに先、地面に不自然な黒い染みがいくつか見えた。


「──あれは……」


 染みは徐々に大きさを増し、直径二メートルほどの黒い正円を地面に描き出した──表面から陽炎のように、黒い靄がうっすらと立ち上がる。

 それはやがてボコボコと煮えたぎるタールのように、どす黒く粘土のある水泡を放ち出した。


 鼻が曲がるほどの強烈な腐敗臭が周囲を漂ってきた。

 ──この臭いは……闇憑き!?

 勇理は覚えのある臭いに吐き気がして、思わず口を手で覆う。


 染みの周囲を中心に空間が歪んだ気がした──勇理は気のせいかと思い目を凝らすが、実際にほんの一瞬だが、まるで映像のエフェクトのようにノイズが入り、ザザッと視界が左右に激しく乱れる。


 泥沼のようになった染みからがゆっくりと姿を現した──まるでヘドロから浮上したかのように、滑りのある液体をドロドロと滴らせながら、漆黒に染った丸い身体を宙に浮かせている。

 その数は五体──手足のようなものは確認できないが、生物と呼ぶにはあまりにもイレギュラーな形をしている。サイズはバランスボールよりもひと回り大きいだろうか。遠目から見たら、異様な大きさの黒い球体が浮いているように見えるだろう。


 謎の物体は勇理の視線の高さで一斉にピタリと動きを止めた。

 勇理が固唾を呑むと同時に、まるで鋭利な刃物で切れ目を入れたかのように、横にスーッと一筋の亀裂が入る。

 そこから覗かせたのは、球体の面積の半分以上は占めるであろうだった──。

 人間なら白目に当たるであろう部分は黄色く濁っており、黒く丸い虹彩は、闇の如く仄暗い深淵を映し出している。


 ──こいつらはなのか……!?


 草原で出会った闇憑きはまだ辛うじてまだ人間の形を保っていたが、目の前のそれらは明らかに違っている。

 ホラー映画のCGなど話にならないほどおぞましく、直視するのも憚れるほど凄惨たる姿に、勇理は心臓が凍りつく。


 五つの目玉は動きを同調させ、ギョロギョロと左右を見渡すと、前方の勇理たちを捉えて凝視する。

 巨大な目玉が一様にこちらを見つめる様は、恐怖以外の言葉が思いつかない。


 数秒動きを止めた後、目玉の真下が横に大きく裂けた。そこから、口のような真っ赤な窪みが現出する。

 笑っているのだろうか──両端が吊り上がり、そこから鮮血のような赤黒い液体が滴り落ちる。

  

 ──なんなんだよ、こいつら……。

 

 勇理は足元でなにか冷たいものを感じた──隣を見ると、リルが身体を震わせながら失禁していた。瞳孔が開き、顔色は血が抜かれたかのように蒼白だ。


「リル──!!」


 勇理はリルの視線を手で遮ると、その小さな身体を強く抱きしめた。リルのおかげで思考を止めていた脳が動き出す。


 ──どうすればいいんだよ……。


 相手が正体不明な以上は迂闊には動けない──勇理は必死に恐怖で凝り固まった頭を回転させる。

 闇憑きと同じ臭いがするが、同じ類のものなのだろうか……少なくとも、目の前のこいつらは闇憑きよりも遥かに危険なもののように感じられる。


「たすけてくれーーーーー!!!」


 突如──右側の路地から男が飛び出してきた。隠れていたのだろうか──男は叫び声を上げながら、無我夢中でこちらに走ってくる。目はカッと見開かれ、大きく開かれた口から涎を撒き散らしている。


 勇理たちを凝視していた目玉が男のほうへと移り変わる。

 男がもう一度なにかを叫ぼうとしたとき──五体が同時に一寸の狂いもなく、男の背後を襲った。それはまるで蛇が蛙を捕らえるかのように、俊敏で迷いなど一切感じさせない、生々しいほど動物的で反射的な動きだった。

 

「うわーーーーー!!!」


 男の悲鳴と絶叫が入り混じった叫び声が大通りに響き渡る。

 間髪入れず、ゴキュゴキュと肉と骨を噛み砕く音が鼓膜を伝って脳に響いてくる。


 勇理はなにも出来ずに戦々恐々とその場に立ち尽くす。

「こいつらからは逃げられない──」、そうイメージさせるには十分なほどに、目の前で人間が貪り尽くされる光景は衝撃的だった……。

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