第9話 〜儚くも脆い夢〜
「モフ……モフ……モフモフ」
「う……うーん……」
──顔になにか……。
「おい、起きろ──」
「……じっちゃん……あとちょっとだけ……」
「だれがジジイだ!!」
ばふ!! モフっとした強烈なパンチが勇理の顔面を襲う──。
「うわっ!! む、ムタリオン??」
ムタリオンに叩き起こされた勇理は、寝惚け眼で目を擦る。
──そっか、おれは異世界にいるんだっけ……。
口をへの字にした翼の生えたウサギを目の前にして、勇理は非現実的な現実を思い出す。
「──ったく。いつまで寝てんだよ。もう昼ちけーぞ」
「……昼って。おれそんなに寝てたの?」
「ああ──やけにうなされてたが大丈夫か?」
昨日の出来事からして安眠できるほうがおかしかった。ただ、眠りは深かったのか身体は思いのほか軽く感じる。
──そういえば、昨日寝る前にリズと話して……。
勇理はリズとの約束を思い出し、布団を跳ね除けた。
「──リズは? もう出掛けちゃった?」
「あっ? リズ? ああ、あの娘か──いや、今朝は見てないぞ」
ムタリオンは気怠そうに伸びをする。
──もう出掛けちゃったのかな……。
勇理は昼近くまで寝てしまったことを後悔した。
「──ユーリ? 起きてる?」
勇理がリズとの予定を諦めかけていたとき、テントの入り口からリズがヒョコッと顔を出した。
「リズ──!!」
リズの姿に勇理の口から思わず笑みが溢れる。
「よかった──起きたんだね! よく寝れた?」
リズはサーシャとリルを引き連れてテントに入ってきた。
買い物用だろうか──細い木の枝を編んで造られた小振りのカゴを腕に下げている。
「あ、うん。おかげさまで」
「それならよかった! ムタリオンさんもおはようございます」
リズはムタリオンにペコリとお辞儀をする。
──なんか、おれより丁寧な対応されてる気が……。
勇理は隣にちょこんと座るムタリオンを横目に捉える。
「おう! おはようさん」
ムタリオンは短い前脚を上げて挨拶する。
「ユーリ、ムタリオンさん、朝ご飯まだだよね? ってもうお昼ご飯か……」
リズは照れ臭そうにクスクス笑うと、カゴから布に包まれたなにかを取り出して勇理に手渡した。
「サンドイッチなんだけど、よかったら食べて──今朝、マーラにお願いして厨房借りて作ったの。ふたりの口に合うといいんだけど……」
「えっ──リズが作ったの? ありがとう!」
勇理が布を解くと、中から美味しそうなサンドイッチがふたつ──パンの隙間からハムとチーズ、そしてレタスが顔を出している。
「いただきます!」
「……どうかな?」
モグモグとサンドイッチを頬張る勇理を、リズが不安げな表情で見つめる。
「すごく美味しいよ!!」
「ほんとに? よかったぁー」
リズは大きく息を吐くと、胸に手を当てた。
「リズねーちゃんの作ったサンドイッチが不味いわけないだろ!」
サーシャがベーっと勇理に向かって舌を見せた。サンドイッチがどうこうよりも、サーシャはリズが勇理に優しくするのが気に食わないのだろう。
──まあ、自分もサーシャの立場だったら、そうなるか……。
「そ、そうだよね……ごめん」
勇理は苦笑いを浮かべる。
「こら! サーシャ!!」リズがサーシャを注意すると、サーシャはプーっと頬を膨らますと、リルを連れてテントを出て行ってしまった。
「まったくもう──ごめんねユーリ。あの子、私が他の男のひとと話したりしてると、いつもああなの。悪気はないと思うから許してあげて」
「ああ、うん──気にしないでよ、自分もリズみたいなお姉さんがいたらサーシャみたいになってると思うし」
「えっ? そ、そうなの?? い、いや、私みたいなの──そんな全然いいお姉さんじゃないし……あ、そうだユーリなんか飲み物いるよね? 私──水取ってくる!!」
リズは手を手の平を左右に振りながら顔を真っ赤にすると、その勢いでテントを飛び出して行った──。
「おれ──もしかしてなんか余計なこと言ったかな……」
──どうしてリズは急にドギマギしたんだ? 勇理は首を傾げた。
それを無言で見つめていたムタリオンは、感情が一切こもっていない声でぼそっと言い放つ──。
「なあ、色男──その旨そうなものおれにもよこせよ」
勇理は渋々ながら、残っていたもう一つのサンドイッチをムタリオンに差し出した。
サンドイッチを食べ終えると、勇理はムタリオンと一緒にテントを出た。
少し先で、リズとゲルラがなにやら話をしている。
「ゲルラ──おはよう」
勇理の声にゲルラがこちらを振り向く。
「おお、ユーリ──おはよう! それにムタリオンも。どうやら、よく寝れたみたいじゃないか。なによりだよ」
ゲルラは屈託のない笑顔を浮かべる。
「うん、おかげさまで──今日はウェスタは一緒じゃないんだ?」
勇理はあの冷静で聡明な少女の顔を思い浮かべる。
「ああ、このあとちょっと会合があってね。ウェスタには先に行ってもらってるんだ──で、そのことでリズと話してたんだが……」
ゲルラがリズの顔をチラッと見る。リズは少しばつが悪そうに顔を俯けた。
「おいおい、リズ──そんな顔はよしておくれよ」
ゲルラが励ますようにリズの肩を軽く叩く。
──ふたりともどうしたんだ?
話についていけない勇理は、キョトンとした表情でふたりを見つめる。
「いや、その会合にユーリにも参加して欲しかったんだが──リズに聞いたとこによると、このあと買い物の予定があるらしいじゃないか」
「わ、私の買い物のことは気にしないでください! 大事な会合のためにそんな──」
「いや、いいんだよ。ユーリも昨日の今日で疲れているだろうし、ちょうど良い気晴らしになるだろう。会合の連中には私から上手く言っておくから、気にしないでおくれ。その代わりなんだが──」
ゲルラはふと視線を勇理の肩に向ける。
「ムタリオン──悪いがあんたに付き合ってもらうよ」
「あ? 嫌に決まってるだろ──会合なんてかったりー」
ムタリオンは取り付く島もないかのように首を横に振る。
「そうか──そう言えば、ウェスタが気になることを言ってたなぁ。もしムタリオンが断ったらあのことを言いふらすとかなんとか……」
「あのことってなんだよ……」
ゲルラはわざとらしく顎に手を当てる。
「うーん、二千年前の宴の席であんたが酒に酔って──」
「うおーーーい! ちょっとまて!! あんにゃろ、まだあのこと覚えていやがってのか!」
ムタリオンが周章狼狽──この世の終わりかというほど慌てふためく。勢い余って勇理の肩から転げ落ちそうだ。
どうやらあのことというは、よほど知られたくないことらしい。
「で、どうするんだい? やっぱやめておくかい?」
「わかった! わかった!! いきゃーいいんだろ!!」
「嫌なら別にいいんだぞ?」
「い、いや! 行きます! 行かせてください……」
ムタリオンは観念したように、消えそうな小声で肩を落とす。
「よし──。あ、あとリズ。街に入るのにこれを着けていくといい。ちょうど人数分あるから」
ゲルラはスカートのポケットから腕章のようなものを取り出すと、リズに手渡した。
「ゲルラ様──ありがとうございます! ちょうど取りに行こうと思ってたんです」
ゲルラはリズに腕章を渡すと、無造作に勇理の肩に乗っていたムタリオンの首を、子猫のように掴んだ。ムタリオンは突然のことに反応できず、四肢をダランと垂らしたまま、ゲルラの手からぷらぷらと揺れている。
ゲルラはそのまま勇理たちに軽く挨拶を交わして、その場を去っていった。
「おい! てめー! そんな持ち方すんじゃねーーー!」
遠ざかるゲルラの背中からムタリオンの悲鳴が聞こえてくる。
「ほんとによかったのかな……」
リズが心配そうにその後ろ姿を見つめている。
「ゲルラもああ言ってくれたし、大丈夫だよ」
──まあ、ムタリオンにはちょっと悪いけど……。
正直なところ、勇理としてはよく分からない会合より断然──リズとの買い物に行きたかった。
「じゃあ、行こっか」とリズは笑顔で言うと、側で遊んでいたサーシャとリルを呼び戻した。
出掛ける間際──勇理はなにか違和感を感じた。痣の辺り、ムタリオンに聖痕と指摘された箇所がザワザワと疼く。胸騒ぎだろうか……立ち止まる勇理にリズが振り向く。
「ユーリ──どうかしたの?」
「あ、いや……なんでもないよ」
なにか嫌な予感がしたが、気のせいだろうと、勇理は足を前に踏み出した。
難民区域を出て街の外壁に沿って進むと、大きな門が見えて来た。
勇理がゲルラに連れられて、初めてインペリオンをお訪れたときに見たあの門だ。
高さは優に20メートルはあるだろうか──アーチ状の開口上部には、分厚く堅牢な鉄格子が隠れ見えている。
「頑丈そうな門だな……」勇理は門を見上げて呟いた。
門を繋ぐ城壁の上には、数人の兵士が弓を片手に辺りを警戒している。
「ユーリ──今から検問だから、この腕章を着けてもらってもいい?」
勇理は差し出された腕章を腕に通す──朱色に染められた布地に、金色の糸で炎と槍の紋章が刺繍されている。
リズはサーシャとリルにも腕章を着けてやると、「ちょっとここで待ってて」、と言い残し門の前で検問を行なっている兵士に近づいていった。
暫く兵士と話をしていたリズが、笑顔でこちらに手を振った──大丈夫の合図だろうか、勇理は隣にいたリルの手を取り、もう片方の手をサーシャに差し出した。サーシャはそれを無視して、プイッとそっぽを向くと、勇理とリルを残してリズのほうへと駆け寄っていく。
──敵対心剥き出しだな。
勇理は内心で苦笑した。
検問は思いの外すんなりいった。
さぞかし厳重な検査があるとものだと、身構えていた勇理は少し拍子抜けする。
「けっこうすんなり通してくれるんだね」
「ええ──インペリオンは光の
リズは誇らしげに腕章に手を添えると、その場でクルッと回ってみせた。その姿に勇理の緊張がほぐれる。
インペリオンの街並みは遠くからの景色で見た通り、白で統一されていた。家の屋根から、壁、ドア、街を歩いているひとの服装に至るまで、まるで全てが色を失ったかのように白一色だ。
勇理は光を反射して輝く街の白さに、思わず目が眩む。
──なんか居心地悪いな……。
潔癖なまでに、汚いものを容赦なく排除するかのような、そんな無機質な冷たさが伝わってくる。難民区域のほうが、よほど人間味に溢れていた。
「インペリオンはなにからなにまで白いんだね……」
勇理の言葉に、隣を歩いていたリズが辺りを見渡す。
「そうね──インペリオンには厳しい景観条例が敷かれているから、基本的に建物に白以外は使っちゃダメだって聞いたことあるわ」
「そうなんだ──なんか清潔過ぎてちょっと落ち着かないな」
勇理が苦笑いを浮かべると、リズが同意するよかのように声を張り上げる。
「それすごくわかる!! なんか汚しちゃったらどうしようかって思うし──ソワソワしちゃう」
リズのそれとは少し違う気がしたが、どっちにしてもリズも居心地の悪さは感じているらしい。 もしかしたら、異世界からきた自分の感性がおかしいのか? と疑っていた勇理は少し安心した。
歩くのが躊躇されるほどの純白な石畳みを進むと、多くの商店が立ち並ぶ通りに出た──買い物かごを手にした大勢のひとが行き交い、賑わいを見せている。
規則正しく服が陳列された洋服店、お洒落な食器やインテリアが並ぶ日用品店、見たこともない多彩な果物や野菜が売られている八百屋など──ここなら生活に必要なものは全て揃いそうだ。
「ユーリ──子供たちが迷子にならないように気をつけてね」
「ああ、うん! 気をつけるよ──」
勇理は頷くと、リルの小さな手をしっかりと握った。サーシャはリズにべったりと寄り添っているから大丈夫だろう。
リズは腕に下げていたカゴからメモを取り出すと、手際良く買い物をスタートした。
「先ずはサーシャとリルの洋服からかな──もう小さくて窮屈そうだし」
リズの言葉通り、着古したであろうサーシャとリルの服は袖や裾がだいぶ短くなっている。
リズは洋服店に入ると、店員が勧めてきた高級な飾りや刺繍がしてある服には目もくれずに、丈夫そうな麻でできた子供服を品定めし始めた。
少し悩んだ末に、何着か手に取ると、よく通る声で店員に呼び掛ける。
「リズはほんと──頼りになるお姉さんって言葉がに似合うね」
「えっ──?」
ちゃっかり値引き交渉まで済ませたリズは、勇理の言葉に顔を赤くする。
「そ、そんなことないよ──これくらい普通でしょ?」
「いや、そんなことないよ。おれも見習わないと」
「もう──へんなこと言わないでよユーリ……」
リズは恥かしそうに店を出るが、その表情はどこか嬉しげだった。
「リズ姉ちゃんすごいね」
勇理は視線を下げて、隣のリルに笑いかけた。リルは満面の笑みを浮かべて勇理に笑い返す。
その無垢な笑顔に、勇理は心が洗われる気がした。
リルも中々に癒し系のようだ──。
そのあと、リズは次々に買い物を済ませると、再度メモを手に買い忘れがないか確認した。
勇理は左手にリル、右手で大きな紙袋を抱えていた。紙袋の中身はリズのカゴに入り切らなかったものが詰まっている。
──まさか、付き合ってっていうのは荷物持ちにってことか?
まあ、それでもいいか──と、勇理は買い忘れがなかったのか、大変満足そうにしているリズを見て思う。
「よし! これで全部と──」
チェックを終えたリズは、弾けるような笑顔を勇理に向けた。
「ありがとうユーリ──ほんとに助かっちゃった。お礼と言ってはだけど、お茶でもしていかない? リルとサーシャも疲れただろうし」
リズはサーシャの手を解いて、その頭を優しく撫でる。
「あ、うん! そうしよう。ちょうど喉が渇いたとこだし──」
「よかった! じゃあ、私──良いとこ知ってるからそこにいかない?」
リズは嬉しそうに拳を上げると、軽快な足取りで歩き出した。
──リズには元気をもらってばかりだな。なにかお礼できないかな……。
勇理はせめて──なにかリズが喜ぶことをしてあげたいと思うが、右も左もわからない異世界で自分が出来ることの少なさに落胆する。
勇理はリルとサーシャみたいに、自分もリズに面倒見てもらっていることを改めて痛感した。
──そういえば、リズと初めて出会ったとき、花の香りがしたっけ……リズは花が好きなのかな?
勇理は初日──リズと挨拶を交わしたとき、彼女からフワッと香った、あの香りを思い出す。
──花なら難民区域を出た道に、白い花が沢山咲いていたな。
あの花をリズが好きかも分からなかったし、そんな近場にあり触れたものでいいのかとも思うが、勇理がリズにあげれるものは今はそれくらいしか思いつかない。
「ここは気持ちが大事だよな」、勇理はそう自分に言い聞かせた。
リズの案内で大通りを逸れて細い路地を抜けると、四方を建物に囲まれたこじんまりとした場所に出た。
中央に大きな木が植えられ、生い茂った葉がサラサラと風に揺れている。カフェだろうか──奥の方に小さな丸テーブルと椅子がいくつか設置されていた。
「こっちこっち!」
リズは空いていた丸テーブルを選ぶと、サーシャを椅子に座らせた。勇理もリズに倣ってリルを座らせる。椅子はリルには少し高く、足をぷらぷらさせている。
「さあ、ユーリも座って──」
勇理はリズに勧められるがままに椅子に腰掛けた。頬を撫でる風がなんとも心地いい。
「素敵な場所だね」
「そうでしょ! ここは私のお気に入りなの。ちょっと隠れ家って感じもするでしょ?」
そう言ってリズは店内のほうを振り向く──栗色の髪が太陽の光を受けて、薄く亜麻色へと変わる。
その可憐な横顔に、勇理は思わずドキッとして視線を逸らした。
「お決まりでしょうか? リズさん、今日もありがとうございます」
勇理たちに気づいた初老のウェイターが、笑顔で近づいてきた。ウェイターはどうやらリズと顔見知りのようだ。後ろに流した白髪が、白い前掛けとよくマッチしている。
「こんにちは、シモンズさん。いえ、まだなんです──メニューもらってもいいですか?」
リズはウェイターのシモンズにメニューをもらうと、そのまま勇理に差し出す。
「ユーリはなに飲みたい?」
差し出されたメニューを眺めるも、勇理にはさっぱりだった。どうやら、言葉は通じても異世界の文字は読めないらしい。
「そ、そうだね……リズと同じものにしようかな」
ここ──テロスアスティアに、外国語という概念があるかは不明だが、変に疑われるのも嫌だったので、勇理は文字が読めないことを隠すことにした。
リズは笑顔で頷くと、勇理からメニューを受け取りシモンズに返す。
「じゃあ、いつものやつ四つお願いしてもいいですか?」
「かしこまりました」
シモンズは礼儀正しくお辞儀をし、店内へと戻っていった。
「リズはここの常連さんなんだね」
「えへへ──常連ってほどでもないけど、ここにはたまに来るの。ここはシモンズさんがひとりでやっているお店なんだけど、他にお客さんがいないときはよく一緒にお茶して、話し相手になってくれるんだ」
リズは照れくさそうに笑った。
リズにとってここは大切な場所なのだろう──そんな場所に連れてきてもらえたことに、勇理は嬉しさを感じた。
「お待たせしました──」
暫くして、シモンズが飲み物を運んできた。
ストローが刺さった細長いグラスには、薄く黄色がかった半透明の液体が注がれている。
グラスを通した光がテーブルに反射して、美しく透き通った影を映し出している。
リルとサーシャは、目の前に置かれたグラスに飛びつくようにしてストローを咥えると、ゴクゴクと音を立てながら豪快に飲み始めた。
「こら! ふたりとも落ち着いて飲みなさい!!」
リズが口をとんがらせる──勇理も早速、ストローを口に入れてその味を確かめた。
「美味しい──!」
ストローを通して、柑橘系の甘酸っぱい味が口の中で広がった。レモンに似た酸味と、メロンのような爽やかな甘みを感じる。
これは何かの果物だろうか──勇理には味わったことのない飲みものだった。
「口に合ってよかったわ──ユーリはシトロナードは初めて?」
「しとろ……うん、初めて飲んだよ。なにかの果物を使ってるの?」
「うん──これはシトロナの果実を絞って、ハチミツを加えた飲み物よ。この酸味と優しい甘さが美味しいでしょ!」
リズはストローをチューッとさせ、味を確かめるかのように目を閉じる。
勇理はシトロナという言葉にレモンを連想するが、恐らく全く別物だろう。
あっという間にシトロナードを飲み干したリルとサーシャは、椅子から飛び降りると木の周りで追いかけっこを始めた。
「ねえ、ユーリは将来なにかしたいことあるの?」
「えっ──?」
勇理は急な質問に狼狽える。昨日──異世界に飛ばされたばかりの人間が、将来のことなど語れるわけがなかった。将来どころか明日がどうなってるかさえ勇理にはわからない。
「い、いや……とくに決めてないかな。リズはなにかやりたいことあるの?」
「私? うーん、世界を旅して回りたい! かな──」
「世界を見てみたいの?」
「うん。マーラがね、色々聞かせてくれたんだ。ここから西の大陸にある貿易都市のことや、東の灼熱砂漠を越えた先の遥か東にある鋼の国、北の湖の先に広がる魔境の森、その森のどこかにあるとされるエルフの里──あ、でも北の大地にはあまり行きたくないかな……私、寒いの苦手だから──」
リズは熱を帯びたように喋りだすと、途中で我に返ってハッとした表情を浮かべる。
「──ごめんなさい! なんか私だけベラベラ喋って……」
リズは恥ずかしそうに目を伏せる。
「あ、いや──全然気にしないで! そっかぁ、でも世界を旅して回るなんて素敵だよ」
「そ、そう? ユーリがそう言ってくれて嬉しいな。今は闇憑きのせいで無理だけど、いつか世界が平和になったら──行きたいな……」
リズは嬉しそうに笑った。穏やかな風が吹き抜け、彼女の髪を優しく揺らす。
「ねえユーリ──あの……もし良ければなんだけど……」
「うん?」
「その……もしよかったらユーリも一緒にどうかな?」
「一緒にって──えっ??」
「あ、ごめん!! なに言ってるんだろ私──嫌だったら全然いいの!! 今のは忘れて──」
リズは顔を真っ赤にしながら激しく両手をバタつかせる。
「いや──全然嫌じゃない!! 全然だよ! むしろおれもリズと一緒に行きたい!!」
今度は勇理が顔を赤くする番だった──リズの思いもしなかった提案に驚きつつも、胸が高鳴るのを感じる。
「ユーリ──」
勇理をじっと見つめていたリズの目元から一筋の涙がこぼれ落ちた。目元から離れた涙は、朝露のように頬を伝ってテーブルを濡らした。
「え──リズどうしたの!? おれなんか嫌なこと言っちゃったかな……」
「あ、ごめんなさい! ううん、違うのこれは──」
リズは慌てて目元の涙を指で掬う。
「私──兄さんと両親を亡くしてから悲しいことばかりで……でも、こんなに嬉しいことあるんだなって──ってなに言ってるんだろうね……」
「そうだったんだ……」
しっかりしている印象から勇理は気づけなかった──リズもまた年相応の女の子なのだ。
その未熟な心で受け切るには、彼女に起こった出来事はあまりにも残酷だったに違いない。
「じゃあ、ユーリ──約束しよっか」
「約束?」
「うん、約束──こうやって額を前に出して」
リズは前髪をかきあげると、テーブルに肘をついて身を乗り出した。
「さあ、ユーリも!」
リズに促されて、勇理も同じように額を近づける。リズはそのまま──自分の額を勇理の額に軽く押し付けた。
ひんやりとしたリズの肌感が、額を伝わって感じられる。
「はい! これで約束だね!」
リズは照れ臭そうに笑う。
これは日本でいう指切りみたいなものだろうか──でも、指切りよりお互いの距離が近いため、より絆みたいなものを強く感じられる。同時に頭がボーッとするのは恥ずかしさによるものだろうか……。
「──いたっ!」
勇理は突然──足首を蹴られた。視線を下げると、そこには不服そうにこちらを見上げるサーシャの顔があった。
「リズねーちゃんを泣かせるな!!」
どうやらサーシャはリズが泣くのを見て飛んできたようだ。勇理が泣かしたものだと勘違いしているらしい。
「い、いや──これは……」
「こらサーシャ!!」
リズに怒られたサーシャは、バツが悪そうに駆け足で逃げていった。
「ごめんねユーリ──まったくサーシャったら……」
「いや、大丈夫だよ。これはサーシャも連れていかないとだね──置いていったら足首だけじゃ済まなそうだ」
「そうね──サーシャとリル、みんなで行きましょ」
勇理とリズは互いに笑い合う。昨日出会ったばかりなのに、リズとは昔からの仲のよう感じられる。
──波長が合うってこういうことなのかな……。
勇理は嬉しさを噛み締めるかのように、グラスに残ったシトロナードを飲み干した。
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