第8話 〜美味しい料理と少女の過去〜
食堂は思いのほか賑わいを見せていた。
食堂と言っても屋根があるわけではなく、外にテーブルを並べただけの、ごくごく簡素な感じだ。
奥の方に、大きな寸胴を前に、エプロンを羽織った恰幅の良い女性が皿に料理を盛っているのが見える。何人かの係らしき女性が、食器を片したり、テーブルを拭いたりと、慌しく周囲を駆け回っていた。
勇理はリズに促され、一緒に配給の列へと並ぶ。
「ご飯はいつもここで食べるの?」
先ほどから一向に鳴り止む気配のない腹の音を気にしながら、勇理はリズに質問する。
「そうよ──配給の時間は決まってるから、朝、昼、晩ってみんなここに来て食べてるわ」
勇理は以前、テレビのドキュメンタリーで観た難民キャンプの映像を思い出す。画面の向こうでは大勢の人が地べたに座り、ひしめき合って食事をしていた──。
ここはテーブルがあるだけまだマシなほうなのかもしれない。
「みんな大変だね──ほんとは家でゆっくり食べたいだろうに……」
勇理は
「ううん──そうでもないの。私たちシャティヨン族はもともと移動民族だから、あまり家という概念がないし──食事は家族だけじゃなくて、みんなで食べるのが
リズの表情は明るかった。彼女にとって食べる場所は問題ではなく、誰と食べるかのほうが重要なようだ。
「みんなで食べるのがルール……」
勇理の両親は共働きで殆ど家にいなかったため、食事はもっぱら祖父と食べていた。
勇理の祖父──じっちゃんは、色んなことを教えてくれたが、食事中のみならず、なにかするときは常に寡黙だった。「いかなる時も目の前のことに集中するんじゃ」それがじっちゃんの口癖で、かつては武術の神とも謳われた彼らしい言葉だ。
「そういうのなんかいいな。おれはいつもじっちゃんとふたりだったし、食べる時は話しちゃいけなかったから……」
「ユーリのおじいさんは厳しい方なのね……。でも、みんなでワイワイしながら食べるのも悪くないものよ」
そう言葉にして、リズは優しく笑った。彼女の笑顔には人を癒す効果があるようだ──勇理は胸が暖かくなるのを感じる。
暫くして勇理たちの番が回ってきた。リズは親しげに配給の女性と挨拶を交わす。
「やあ、リズ──それにサーシャとリルも。今日もいっぱい食べておくれ! ところで、その彼は新入りかい? 見ない顔だけど」
「あ、自分は──ええと……」
この場合、なんて答えたらいいのだろうか──。異世界から転生してきました!! なんて言ったらきっとヤバいやつ確定だろう。
「マーラさん、彼はゲルラ様の客人のユーリです」
戸惑う勇理に代わって、リズが説明してくれた。客人かどうかは微妙なところだが、勇理はリズに感謝しつつ、とりあえずその場を取り繕うよに挨拶する。
「あら、そうなの! ゲルラ様の客人ともあれば、それはサービスしなくっちゃね! ほら、たんとお食べ!!」
勇理にはあまり馴染みの無い料理ではあったが、なんとも美味しそうな匂いを漂わせている。
「おい、おばちゃ──いや、麗しき貴婦人。僭越ながら、この私にも貴女が手がけたその絶品をいただけないだろうか?」
「あらま──ウサギが喋った……」
マーラは驚きつつも、褒められて満更でもなさそうだ。
一方の勇理は空いた口が塞がらない。
「いや、私はあのようなモフ──いや、下等動物ではなく、立派な神獣であります。それにしても、なんてお美しいお方だ。美の女神アフロディーテも嫉妬するであろうその美貌──今日ここで、貴女のようなマドモワゼルに巡り会えた私は、なんて幸せ者なのだ」
「あらまぁ、そ、そんな美人だなんて……」
一瞬だれだ? と思ってしまうぐらい歯の浮くような
──いきなりどうした?
いつもはほとんどの会話が、暴言で成り立っているムタリオンから出た言葉とは到底思えなかった。
「ウサギじゃなくて神獣とはねぇ──でも、なんて良い神獣さんなのかしら! もう何年も美女だなんて言われたことないわ……」
「それは周りの見る目がないからでしょう。マドモワゼル──私のようなベテランの神獣から見ればそれはもう……一目瞭然です」
「──まあ」
マーラが少女のように頬を赤く染める。そもそも、ベテランの神獣ってなんなのだろうか? 勇理は首を傾げる。
「もう! 口が上手いんだから!! でも、サービスしちゃう!! あんた身体が小さいけどこの子より食べるのかい?」
マーラが勇理のほうを見る。いや、どう見ても自分よりこの小さいのが食べるわけ──
「もちろんです、マドモワゼル。私をこのようなヒヨコ同然の小僧と一緒にしないでいただきたい……コホンッ」
ムタリオンはわざとらしく咳払いを挟む。
「軽く倍は食べます」
「まあ──」
ムタリオンの口車に乗せられたマーラは、この上なく上機嫌な表情を浮かべながら、皿に溢れんばかりの料理を盛りつけた。
ムタリオンはまたもや歯の浮くセリフをいくつか残してマーラに礼を言うと、ちゃっかり勇理に自分の分の皿を持たせる。
皿は勇理のそれよりずっしりと重い。
「なあ、なんであんなまわりくどいこと言うんだよ。絶対思ってないでしょ?」
勇理は皿を落とさないようにバランスを取りながら、慎重に歩みを進める。
「ああ、おれに人間の美なんてわからんからな──あれは世辞だ世辞」
「どうしてそんな面倒なことを──」
「そんなこと決まってらあ。ああでもしねーと、あのおばちゃん──おれに貴重な料理をくれるわけねーだろ。お前はウサギやペットに自分と同じ料理を食わせるのか? しねーよな? それと一緒だ」
確かに──ペットに人間と同じ食事は与えないだろう。いくら話せると言っても、ムタリオンの見た目からはペットにしか見えない。
「ムタリオンも色々と大変なんだね……」
「郷に入れば郷に従えってやつだな。まあ、おかげで飯もゲットできたし、安いもんよ」
ムタリオンは機嫌が良いのか鼻歌を歌い出す──勇理はこのモフモフのしたたかさに感心しつつも、自分には到底真似できそうにないと感じた。
「ユーリ! こっち!」
少し離れたテーブルからリズが手を振っている。勇理はなんとか料理をこぼさずにテーブルまでたどり着ついた。
「え──その量だれが食べるの??」
リズは皿に盛られた大量の料理に目を丸くする。
「ムタリオンだよ。まさかって思うでしょ?」
リズはまさかといった表情でムタリオンを見つめる。
「へっ、おれをだれだと思ってやがる。神獣パワーなめんな」
ムタリオンは勇理の肩から料理の前に飛び乗ると、ものすごい勢いでがっつきだした。
──大食い番組でよくあったなこの展開……。
サーシャとリルがその様子を見てケラケラと笑っている。大食いとは万国共通で、ひとを笑顔にするなにかがあるのかもしれない。
ムタリオンを見ていると胸焼けしそうだったので、勇理は自分の皿に集中することにした。
「いただきまーす!」
一口食べると、トマトの酸味と野菜の甘さが絶妙な加減で口の中に広がった──数種類のスパイスを使っているのか、エスニックな味に奥行きが感じられる。
適度に脂の乗った肉は、ホロホロとしていて、香草の香りが鼻を抜ける──これもまた格別だった。
「美味しい!!」
思わず声に出でしまうほど、美味しい味だ。これが毎日食べれるなら、一度死んで転生するのも悪くない──そう思えるほどの味だった。
「でしょ! マーラは私達くらい歳に、世界各地を旅して料理の腕を磨いた一流の料理人なの。ここの味が美味しいって評判になって、今では街の兵士さん達も食べに来るぐらいなんだから」
リズはまるで自分を褒められたかのように嬉しそうだ。世界各地を旅した料理人とは──通りで腕が良いわけだ。
「ねえ、リズ。さっきのサーシャが怪我したときに使った──あれは魔法だよね? ここでは、みんなあんな風に魔法が使えるの?」
スープを口に運んでいたリズは、勇理の問いに首を傾げる。
「ユーリは魔法を見るのは初めて? ええ……たぶん殆どのひとがなにかしらの魔法を使えるんじゃないかしら。治癒系の魔法は珍しいみたいだけど、私達──シャティヨン族が得意とするのは火炎魔法よ」
リズはスプーンをテーブルに置くと、おもむろに手の平を見せた。
「えい!」
リズの小さな掛け声で、彼女の手の平に飴玉程度の大きさをした火の球が出現する──それは徐々に数を増やし、最終的には五つになった。
火の球はリズの手の平から数センチのところを、まるで生き物かのように円を描きながらフワフワと宙を漂っている。
「──す、すごい」
勇理は思わず触って確かめたくなるが、火傷するからとリズに止められる。
やがて少量の煙とともに火の球は消滅した。
「これは練習用の初歩魔法よ──まあ、魔法ってほどのものではないけど……私が使えるのは第一階位の治癒魔法と火炎魔法だけだから、全然大したことないわ。勇理は魔法は使えないの?」
「……おれは」
「そいつは使えないぞ。魔力を全く感じられないからな」
いつの間にか大量の料理を平らげたムタリオンが横で呟いた。前脚を舐めて、懸命に顔周りの手入れをしている。
「魔力がないなんて……そんなことあるの? ──あ、ごめんなさい」
悪いと思ったのか、リズがハッとした顔で勇理に謝る。
「いや、気にしないで! おれ、魔法とかもあまり馴染みないから、魔力とか言われてもちんぷんかんぷんだし」
魔力が無い世界で育った勇理にとって、当然ながら魔法が使える人間など出会ったことがない。故に、魔法が使えないことにとくに劣等感などはなかった。しかし、何度目にしてもにわかには信じがたい光景である。
──自分には魔法が使えないってことか。
どうせならゲルラやムタリオンのように、ド派手な魔法を使ってみたかったが、そう上手くはいかないようだ。
食堂を出る頃には、日が落ちて辺りは薄暗くなっていた。
リルとサーシャはずっとムタリオンと遊んでいたが、疲れたのかテーブルの上で寝てしまっていた。無理に起こすと機嫌が悪くなるとのことだったので、リズがリル、勇理がサーシャをおぶって帰ることにする。
難民区域に街頭などはなく、勇理は足元に注意を払いながらゆっくり歩みを進める。
「リルとサーシャはリズの兄妹なの?」
勇理は隣りを歩くリズを横目で見る。リズは静かに前を見つめている。
「……ううん。ふたりとも私の兄妹ではないわ」
年齢からしててっきりそうだと思っていたが違うようだ。リズは少しずり落ちそうになったリルを背負い直す。
「この子達の両親は闇憑きに殺されたの……。シャティヨン族のキャンプが闇憑きの襲撃に遭って……それで大勢のひとが命を落としたわ」
リズの声はどのまでも暗い──陽は沈み、辺りは闇がたちこめ始めていた。
「私の兄もそのときに私を守って……」
そう呟いて、リズは立ち止まった。顔を伏せ、必死に悲しみを堪えているようかに見える。
「ご、ごめん! 嫌なこと思い出させちゃって……」
勇理は気軽に質問したことを悔いた。
ここは難民区域──みんなそれなりの理由があってここにいるのだ。
「ううん。いいの──ユーリのせいじゃないんだから、気にしないで。それに、私はここの生活も気に入ってるんだ。ほかのシャティヨンの人達も優しくしてくれるし、この子達の親の代わりにはなれないけど、今では本当の弟と妹のように大切な存在だから……」
リズはどこまでも健気だった。
自分の前で肉親が殺されるだなんて、到底──簡単には受け入れられることではないはずだ。
けれども、彼女はしっかり前を向いて、こんな小さな子供達の面倒を見ている──。
「それに、謝らなきゃいけないのは私の方──死んだ兄さんの服なんて着たくないよね……ごめんなさい」
リズは笑った。それは無理しているようにも、やるせない気持ちをひた隠すかのようにも見える、そんな笑顔だった。
「そ、そんなことないよ!! リズも似合ってるって言ってくたれたし……。リズにとっては辛いこと思い出させちゃうかもしれないけど──それでも、お兄さんの服を着れておれは嬉しいよ」
勇理は慌てて返事を返す──こういう場合、どんな言葉が相応しいのか分からなかった。
なにを言っても、どう返事を返しても、リズの悲しみが消えることはない。そんな気がしていた。
「ふふ──ユーリは優しいのね。でも、ありがとう」
リズは今にもこぼれ落ちそうだった涙を指で拭うと、満面の笑みを浮かべる。
その笑顔は──勇理が最初にリズと会った時に見せてくれた、あの太陽のような笑顔だった──。
それ以降はあまり会話が弾まなかった。
黙々と帰り道を辿るなかで、勇理は両親が死んだ時のことを思い出していた……。
仕事先の海外で起きた飛行機の墜落事故で亡くなった両親は、遺体も発見されないまま、訃報だけが祖父の元に届いた。
勇理は当時──十歳だったが、よくわからないまま葬儀に参加したのを覚えている。
誰も入っていない空っぽの棺に向かって唱えられるお経、神妙な面持ちで参列する大人たち──全てが芝居じみていて、どこか嘘のように感じた。
もしかしたら、両親が亡くなったことを認めたくなかっただけなのかもしれない。リズのように目の前で両親を殺されていたら違っていたのだろうか……。
勇理は今でもふと思うときがある。
まだどこかで両親は生きているんじゃないか──そんなことは無いと頭では理解していても、未だに心のモヤモヤが消えることはなかった。
テントに戻ると、勇理はリズと一緒にリルとサーシャを寝かしつけた。ふたりとも天使のような寝顔をしている。
「リズ、今日はありがとう。正直、おれ──ここの世界のことはなにも分からなくて……。不安だったけど、リズに出会えて少し安心した」
勇理は言ってから急に恥ずかしさが込み上げてきた。ただ感謝を伝えただけなのに、この気持ちはなんなのだろうか──。
一方でリズは、狐につままれたような顔でキョトンとしてからクスクスと可愛げに笑った。
「ふふ──ユーリは時々面白いこと言うよね。なんか別の星にでもいたみたいな感じ」
別の星ではないけど別の世界にいました! なんてことは言えるわけがない──勇理はポリポリと頭を掻いて誤魔化す。
「い、いや──ほら、インペリオンが初めってって意味だよ!」
勇理は自分でも顔が引き攣っているのがわかった──リズはそれを見透かしたように、また声を抑えて笑う。
「ユーリは嘘が下手だね。でも、私と出会って安心できたなら本当によかった。私もユーリと出会えて嬉しいよ」
リズの笑顔に、勇理は胸が熱くなるのを感じた。
──ほんとに今日はどうしたんだ……異世界に来ておかしくなったか……。
今まで聖奈以外の女子にそこまで興味がなかった勇理は、初めての気持ちに戸惑いを隠せずにいた。
「あ、うん──! リズも同じ気持ちでよかった!」
──なんだその返事は……リズも同じ気持ちでよかった? 何言ってるんだおれは。
勇理はやり場のない気持ちに悶々とする。
「じゃあ、そろそろ寝よっか。ねえ、ユーリは明日なにか予定ある感じ?」
リズはそんな勇理の気持ちなどつゆ知らず、自然に会話を続ける。
「いや! なにもないよ──全然なにも!」
「よかった! じゃあ、お昼食べたらみんなで城下街に行かない? ちょっと買いたいものがあって、一緒に選んでくれたら嬉しいな」
「あ──うん! もちろん! おれでよければ……」
勇理はリズに誘われて胸が高鳴る──女の子から誘われることが、こんなにも嬉しいものなのだろうか……。
──聖奈からは誘われたことないからなぁ……。
恋愛経験がゼロに等しい勇理にとって、それは初めてにも近い感情だった。
「じゃあ、決まりだね! 明日が楽しみだなぁ」
リズは嬉しそうに肩を揺らした。その仕草がなんとも可愛らしい。勇理もそれに釣られて笑顔になる。
──でも、一緒に選んで欲しいものとはなんだろう……もしかして、好きなひとへのプレゼント!?
あり得なくもない──。
むしろ、リズみたいな可愛い子に彼氏がいないほうがおかしいだろう。
勇理は勝手に浮かれていた自分が少し恥ずかしくなった。
その後、リズとおやすみの言葉を交わした勇理は、肩で眠りこけているムタリオンをそっと空いているベッドに移すと、自分も横になり布団を被った。
暫くすると、リズたちの穏やかな寝息が聴こえてきた。
一方で、勇理はなかなか寝付けないでいた。
身体は疲れを感じているものの、色々ありすぎて頭の整理が追いつかない──。
それに、これから自分はどうなってしまうのか? 平和な日本で暮らしていた勇理にとって、そんなことは考えたこともなかった。
勇理は胸の──ちょうど痣のあるところに手を当て、ムタリオンの言葉を思い出す。
「聖痕がある者だけが
つまりは、自分もゲルラと同じような力──あの騎士のような姿に変身できるのか?
剣も握ったことがない勇理にとって、自分が騎士になって戦っている姿はなんとも想像が難しい。
──ああ!! もうわかんねー!
勇理はわしゃわしゃと髪を掻き乱した。
「理解できない状況に陥ったら、頭で考えることを止めるんじゃ。正解も分からずに考えに囚われ過ぎるとやがて動けんくなる……」そう教えてくれたじっちゃんの言葉を思い出す。
「分からないときは心に従えか──」
心に従うなら、先ずは明日のリズとの買い物が楽しみだ。
──能天気かおれは……。
でも、今はそれでいいのかもしれない。そう考えると、少しは気持ちが落ち着いてきた。
「ありがとう、じっちゃん──」
厳しくも優しい祖父の顔を思い浮かべながら、勇理は深い眠りに落ちていった。
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