第5話 〜異界の地 テロスアスティア〜

第七下界〝テロスアスティア〟──中央大陸インペリオン領土。


「う……ここは……」


 神上勇理かみじょうゆうりは朦朧とする意識のなかで、ゆっくりと目覚めた。

 半分閉じた瞼の裏側から、眩いばかりの光が差し込んでくる──。

 

「おれはいったい……」


 最後に残ってる記憶は、レインコートを着込んだ男の背中と、振り下ろされる刃物の残像。聖奈の顔──。


「聖奈──!!」


 勇理は呼び起こされる記憶とともに勢いよく上半身を起こした。

 辺りを見渡すも、背の高い草が邪魔してなにも見えない。

 青草の香りに紛れて、微だが血の匂いと、それに混じって嗅いだことのない異臭が漂っている。

 

 ──おれは……たしか殺されたはず……。


 痛みなどはなかったが、刺されたときの感触はまだ残っている。

 背後から鋭利な刃物でひと突き──脇腹の腎臓に近い箇所を刺されたはず。助かる見込みは限りなくゼロだ。

 それがどういうわけか、見知らぬ場所の野原に転がっている。

 これが夢ならば全て説明が付くのだが、夢にしてはあまりにもリアル過ぎる。


 ──いったいどこなんだここは?


 勇理はなんとか状況を理解しようと立ち上がった。まだ思うように足に力が入らず、フラついてしまう。

 なんとか踏ん張って、もう一度辺りを見渡すも、自分の背より微かに高い草に遮られ、見えるのは頭上の清々しいまでに青い空だけだった。

 

「なんとかここを抜けないと……」


 視界が悪い場所を闇雲に移動するのはかなり危険だが、いつまでもこうしているわけにもいかなかった。

 それに、どこからか漂ってくる血の匂い──。しかも、鼻を突くようなこの異臭ななんだ? 何がか腐っさたような……。

 あり得ないとは思いたいが、ここがもしアフリカのサバンナとかだとしたら、猛獣が牙を立てて勇理に狙いを定めているかもしれない。

 血の匂いがするのは、餌食になった草食動物、あるいは──。


「いやいや、たしかにじっちゃんはあらゆる最悪の状況を想定して動けとは言ってたけどさ……」


 勇理は神上流の師範である祖父の顔を思い出す。

 神上流は小さいながらも、先祖代々続く古武術の流派だ。噂では、なんか凄い流派らしいが、あの今にも朽ちそうなオンボロ道場からはその様子は一切感じられない。


 不在がちな父に代わって、稽古をつけてくれたのはいつも祖父だった。

 ただ、稽古といっても実践的な技を使ったものはなく、その殆どが護りの型と呼ばれる、護身術に毛が生えたようなものばかりだ。


 勇理は空手のような、もっと実践的な武術を習いたかったが、それはついに叶わず死んでしまった──。

 いや──これは死んだと言えるのか? 思わず自分の胸に手を当てて、心臓の音を確認する。


「ちゃんと動いてるよな……」


 勇理の心臓は元気よく鼓動を刻んでいる。これが死人だったら、医者も真っ青だろう。


「とりあえず移動するか──」


 勇理は足元を確かめながら、目の前の草をかき分けようと手を伸ばした──。


「ギギャアアアーーーー!!」


 突然の奇声に伸ばしかけた手が止まる──いや、手は無くなっていた──。

 バサッリと切り落とされた手首から、ものすごい勢いで血しぶきが上がる。


「うわぁぁぁぁーーーー!!」


 何が起こったのかすぐには理解できなかった。勇理は悲鳴を上げながら、必死に左手で切断された手首を強く押さえ込む。


 得体の知れないかが、草をかき分けて姿を現した──。

 炭でも塗りたくったかのようなドス黒い肌に、爬虫類を彷彿させる黄色い菱形の目、大きく開いた口から涎が糸を引き、猛獣さながらの牙が覗いている。

 一瞬──人間かと見間違えるほど、その姿は人に近かった。なによりも、そのは、中世の兵士が着込むような軽装な鎧を装備しているのだ。だが、どう見ても人とは生物としての根本が異なっていた。鎧を通して立ち上がる黒い煙のようなもやが、この生物が人でないことを明確に物語っている。


 勇理は右手を庇いながら距離を取ろうとするも、恐怖で足がすくんで動けない。

 

「ギギギャァ」


 勇理の怯えを感じ取ったのか、そいつは口元に醜い笑みを浮かべながら、手にした剣をゆらゆらと左右に振りながら勇理を威嚇している。

 鼻が曲がるほどの強烈な腐敗臭で吐き気がする。どうやら、異臭の発生源はこいつのようだ──。

 得体の知れない怪物モンスターは勇理の動きに警戒しながらも、じわじわと距離を縮めている。


 ──ヤバい殺される!!

 

 恐怖でこわばった勇理の身体は、全く言うことを聞いてはくれなかった──。相手との距離はあと三歩程度。

 いくら古武術の経験があるとは言え、素手で、しかも思うように動かない身体で勝てるとは到底思えない。

 

 ──また殺されるのか……くそ……。


 という言葉に違和感を感じつつ、勇理は歯を食いしばる。

 こんな訳の分からない場所で死にたくない──。

 勇理は必死に考える。このモンスターは自分より弱い相手に油断しているはず。なら、そこを狙えば──或いはまだチャンスが……。


「そこのお前!!ふせろ!!」


 突然──力強い女性の声が響き渡る。勇理はその声に反応して、咄嗟に身を低くした。

 目の前のモンスターは唖然とした表情で声のほうを振り返った。


「炎光のフレイムブロッサム!!」


 頭上で熱風が吹き荒れる──。

 視界の隅で、モンスターの首が火を上げながら宙に舞った。

 その先に──草が焼かれ、なぎ倒され、はらはらと炎に舞い上がる葉屑のなかで、深紅の鎧いを身に纏った騎士が佇んでいた。

 竜を形取った兜から燃え上がるような立髪を靡かせ、矛を手にしたその姿は、ゲームの世界から忽然と現れた竜騎士そのものだった。


 勇理はその姿に、自分が昔大好きだったゲームを思い出す。そのゲームはある世界に辿り着いた不死のプレイヤーが、ソウルを求めて冒険するダークファンタジーだ。そこに出てくるボスキャラがまさに竜騎士の姿と被った。

 十字型の槍を巧みに扱い、高速の攻撃を繰り出してくるそいつに何度心を折られたことか──。

 

 竜騎士は軽快な足取りで、四つん這いで呆然としている勇理のほうへ近づいてくる。


「立てるかぼうず?」


 炎の意匠が施された手が目の前に差し出される──。竜の形をした兜からはその表情は伺えない。


「あ、ありがとうございます──って、え? あれ?」


 勇理は差し出された手を右手で掴もうとして気づいた。切断されたはずの手が生えている──。


「うん? どうかしたのか?」


 竜騎士が不思議そうに首を傾げる。


「右手──俺の右手……さっき切られたのになんで……」


 勇理はまじまじと右手を見つめて動かしてみるが、どこにも異常は感じられない。


「そんなバカな──だって、たしかにおれは右手を切られて……」


 慌てふためく勇理をよそ目に、竜騎士はじっと勇理の右手を見つめている。


「ゲルラ、こやつ聖痕者のようじゃ。しかもその服装を見る限り、異界から転生されたようじゃのう」


「ああ、そのようだね」


 竜騎士から全く別の声が発せられた──。その声は、竜騎士の声よりずっと幼い。十歳前後の声だ。


 ──もしかして多重人格なのか? ヤバいひとなのか……。


 勇理は不安そうな表情を浮かべる。それを悟ったのか、竜騎士から笑が溢れる。


「アハハ、いやそんな顔するなぼうず。まあ、事情が飲み込めない気持ちはわかる。とりあえず立てるか?」


 勇理は再び差し出された手を取って、なんとか立ち上がる。

 改めて辺りを見渡すと、勇理を中心に草が焼かれ、ミステリーサークルさながらの綺麗な円ができていた。


 足元には首を落とされてもなお、黒い煙りを放ち続けるモンスターの死体が転がっている。 

 勇理は初めて見るその死体の生々しさに、激しい吐き気が込み上げてくる。咄嗟に手で口を塞ぐも遅かった──。


「おいおい、大丈夫かい?」


 激しく嘔吐しむせ返す勇理の背中を、心配そうに竜騎士が摩る。


「のうゲルラ──いつまでもこの視界の悪い場に留まるのは危険じゃ」


 またあの少女の声がした。どう見てもこの場には自分と竜騎士しかいない。いったいこの声は誰なのだろうか……多重人格のことはよく分からないが、声色がここまで変わるものなのか?

 命を助けてもらったし、悪い人ではなさそうだが、状況が状況なだけに勇理は少し警戒する。


「そうだな──おい、ぼうず。一先ずここを離れよう。説明はそのあとだ」


 竜騎士が移動するぞとばかりに首を横に動かす。

 色々と聞きたいことは山ほどあったが、ここは従ったほうがよさそうだ。そう判断すると、勇理は既に歩き始めていた竜騎士の背中を見つめる。


「ギギャアアアーーーー!!」


 勇理が一歩踏み出そうとしたとき、背後で先ほども聞いた奇声が響き渡る──。

 声に驚いて振り向いた勇理の目に映ったのは、剣を高々と振りかぶり、今まさに襲い掛かろうとしていたモンスターの姿だった。


「クソ! 伏兵がいたか!!」


 奇跡に反応した竜騎士が振り向き様に矛を構えるも、モンスターの剣が振り下ろされるほうが幾分早い──。

 勇理は既視感デジャヴを覚えながらも、意表を突かれ身構える隙はなかった。頭上から剣が勢いよく振り下ろされる──。


 ──今度こそダメだ……。


 先ほどとは違い、背後からの一撃では避けようもなく、どうやっても間に合わない──。勇理は死を覚悟して目を閉じた。


「風の精霊シルフよ──我が刃となり敵を切り裂け! 疾風のウァールウインド!!」


 吹き荒れる風の音が、勇理の耳元でうねりを上げた──。剣を振ろうとしたモンスターの腕が、まるで鋭利な刃物で切り刻んだかのように空中で細切れにされていく。

 見えない刃で腕を失ったモンスターは、間髪を入れずに薙ぎ払われた竜騎士の矛で首を切り落とされた。


「ナイスタイミングってとこだな」


 勇理と竜騎士が声のほうを振り向くも、そこには誰の姿もなかった。


「おい! 下だっつーの」


 視線を下げると、ぴょこんと座るウサギがクリクリな目をしてこちらを見ている。背中から翼が生えているのは目の錯覚だろうか──。


「どっから迷い込んだんだ、このウサギは?」


 竜騎士がモンスターの黒い血がついたままの矛先でウサギを示す。


「おい! てめー! だれがウサギだ!!」


 ウサギは竜騎士の言葉に短い前足をバタバタさせた。


 ──いや、これはもうおとぎばなしレベルだろ……。


 喋るウサギを前に勇理は言葉を失い、目を丸くする。得体の知れないモンスターや多重人格?の竜騎士といい、なんでも有りだと思ったが、まさか人の言葉を話すウサギの登場には想像にもしていなかった。


「ゲルラ──こやつは神獣のムタリオンじゃ」

 

 竜騎士から発せられる少女の声に、ムタリオンと呼ばれたウサギが驚いた様子で耳をピンと垂直に立てて反応する。やはりその仕草はウサギにしか見えない。


「その声はウェスタか? 懐かしな二千年振りってとこか?」


「ほんと久しぶりよのう。〝風使い〟の名は衰えてないようじゃな」


「ふっ、誰に向かって言ってやがる」


 ムタリオンが指で鼻を擦る。その仕草は人間そのものだ。


「神獣なんて伝承でしか聞いたことないぞ──まあ、いい。久しぶりの再開に水を差して悪いんだが、そろそろ移動しないか?」


 竜騎士が警戒するように辺りを見渡す。


「おっと、そうだな。おい、そこでボケーっとしてるやつ──おまえが神上勇理か?」


 急に話を振られた勇理は慌てて顔を縦に振る。どうしてこのウサギは自分の名前を知っているのか? 


「ふーん、なんか冴えないやつだなぁ」


 ムタリオンは小さくジャンプしながらぴょこぴょこと近づいてくると、勇理を見上げてため息をつく。

 命を救ってくれたことを半分忘れかけて、勇理は自分のこの足首程度くらいしかないウサギに目をしかめる。


「まあ、とりあえず肩貸せや」


 勇理が返事を返す前に、ムタリオンは翼を羽ばたかせ肩に乗っかる。フサフサな毛が頬に触れてくすぐったい。


「ちょっ──いいとは言ってないけど……」


 勇理の言葉にムタリオンがわざとあどけない表情を浮かべる。


「おまえ、まさか命の恩人かつこんな可愛い小動物の願いを無下にするというのか? なんて薄情なやつだ」


 今度は勇理がため息をつく番だった──。


 色々と聞きたいことは山ほどあったが、とりあえず先に移動し始めた竜騎士の跡を追うように、勇理はムタリオンを肩に乗せその場を離れた。

 その傍らにはモンスターの死体が、静かに黒い煙を上げ続けていた──。

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