第4話 〜鬼神と最強の神獣〜
メルクリウスは彼にしては珍しく、業務を中断して窓際に立ち、外の景色を眺めていた。
いや──正確には気を揉んでいた。
──あのふたりだけで転生室へ行かせたのは間違いだった……。
ニコラウスとエグザビエル、あの管理官は第七転生課──すなわち
未だかつて、
無論、彼らも転生室は初めてなはず。
それを──あの狡猾な邪神がみすみすと見逃すはずもなかった。
──光属性の魂に気を取られすぎたか……不覚にもほどある。
メルクリウスは深くため息をついた。
「メルクリウス局長!!」
突然──局長室のドアが勢いよく開かれる。
入ってきた管理官たちの血の気の引いた顔を見て、メルクリウスは自分の不安が的中したことを悟った──。
メルクリウスは転生室へと繋がる長い廊下を足早に進んでいた。
ニコラウスとエグザビエルの報告によると、光属性の代わりに転生させられたのは、魔力がランク外の魂らしい。
──
ニュクスと対峙するのはこれが初めてではないが、あの化け物はメルクリウスが下界管理局に配属される前から転生室にいる存在で、正直なところ不明な点も多かった。
以前、中央管理局長のアテーナーから聞いたことがある──ニュクスはテロスアスティアに古代からいた邪神だと……。
かつて天界とテロスアスティアがひとつだった頃、ゼウス様との闘いに敗れたニュクスは捕らえられ、今は転生室に縛り付けられているらしい。
いずれにせよ、ニュクスと対峙するときは常に用心しろ──それがアテーナーの言葉だった。
メルクリウスは転生室の前に立つと、躊躇なく暗闇へと足を踏み入れる──。
──相変わらず気分が悪くなる場所だ。
重くまとわりつく湿気と冷気に苛立ちを感じながら、メルクリウスは神のみが扱えるとされる神聖魔法を行使した。
「天界の十二神がひとり、メルクリウスが命じる──悪しきを照らす清き光よ、神に仇なす混沌の闇を打ち払わん! 神聖なる
煌々とした光が広範囲に辺りを照らし出した。
メルクリウスは白昼さながらの明るさとなった通路を平然と進んでいく。
「ニュクス!! いるのはわかっている──姿を現せ! それとも、神の力を持ってして今この場で浄化してやってもいいぞ!!」
メルクリウスを囲む光が、より一層明るさを増した。
「ヒッヒッヒ……それは困るねぇ……」
いやらしい笑い声とともに、ドームの中心でボコボコと音を立てながらニュクスが姿を現す──。
「キサマ──いったいどういうつもりだ」
メルクリウスは今すぐにでも、この醜い化け物を浄化したい気持ちを抑えながら問いただす。
「ヒッヒッヒ……どういうつもりとはなんのことかなぁ」
ニュクスが無い首を傾げる。
「とぼけるな! 管理官を脅して関係のない魂を転生させただろ!!」
「ヒッヒッヒ……
「神上だと──!? キサマ……そいつはまさか……」
その名前には心当たりがあった。
たしか、十年前にニュクスが勝手に転生させた闇属性の魂が、その名前だったはず──。
「ヒッヒッヒ……さすが神様はお察しのいいことだねぇ……ヒッヒッヒ」
ニュクスは楽しそうに身体の表面を激しく波打たせる。
「この外道めが──一度とならず二度も……当然裁きを受ける覚悟はできているだろうな!!」
メルクリウスは魔法を行使するため身構えた。
「ヒッヒッヒ……まあまあ、そんなカッカしないでよねぇ……ぼくがいなくなったら、きみが目的の魂も転生できなくなっちゃうよぉ? ヒッヒッヒ」
「キサマ……やはり全て知っててやったのだな──」
ニュクスは憤怒の表情で睨みつけてくるメルクリウスを尻目に、傍の石板を操作し始めた──。
ドームを囲うように設置された円柱状の水槽のひとつから、無数の水泡が激しく湧き上がる。
やがて水泡が消えると、青白い輝きを放った光の玉が水槽内部に浮いてくるのが見えた。同時に水槽のガラスが下がり、中の黒い液体が勢いよく床に飛び散る──。
液体は床を伝って、メルクリウスの足元を湿らせる。
「ヒッヒッヒ……きみが望んでいるのはこの魂だよねぇ……」
ニュクスはナメクジのように水槽まで這っていと、空になった水槽に触手のような手を伸ばし、宙に浮かぶ光の玉を手にした。
「その魂を早く転生させるんだ──」
メルクリウスはニュクスの手の平で浮遊する光の玉=魂を射るように睨みつける。
「ヒッヒッヒ……どーしよーかなー……それにしても物凄く強い光属性だねぇこの魂ちゃんは……ヒッヒッヒ」
メルクリウスはアテーナーの言葉を思い出す。──ニュクスと対峙するときは用心しろ。
ニュクスに激しい苛立ちを覚えつつも、そのペースに呑まれないよう感情を抑え込む。
「望みはなんだ──」
「ヒッヒッヒ……やっぱきみはいいねぇメルクリウス……聡明だよねぇ……これがあのアテーナーだったら今ごろぼくは……」
「アテーナーのことは今は関係ない──さっさと要望を言え」
ニュクスは魂を手にしたまま、ゆっくりとドームの中心に移動する。
「ヒッヒッヒ……簡単なことだよねぇ……この魂を転生させてあげる代わりに神上勇理の件は黙ってて欲しいねぇ……ヒッヒッヒ」
「私と取引きできる立場だと思うのか?」
ニュクスは状況を楽しむかのように、大きく身体をくねらせる。
「ヒッヒッヒ……正確には取引きせざるを得ないだよねぇ……だってそうだよねぇ……ぼくがいなくなったらだよぉ……あの神上くんはどうなっちゃうのかねぇ……ランク外の魔力でテロスアスティアで生きていけるのかねぇ……無理だろうねぇ……ヒッヒッヒ」
「キサマ──」
メルクリウスは奥歯を噛み締める。
本来なら即座に中央管理局に報告し、ニュクスを捕らえることが筋だが、テロスアスティアには魔物が蔓延っている──そんなことをしている間に、神上勇理はきっとやられてしまうだろう……。
それに、ニュクスは捕らえられない。それは十年前にアテーナーが呟いた言葉だ。
捕らえられないのなら、消し去るしかないが、得体の知れないニュクス相手に勝てる確証はなかった。
ここは、さっさと光属性の魂を転生させ、一刻も早く神上勇理のための対策を考えねば──。
「わかった──。神上勇理の件は黙っておいてやる……。早くその魂を転生させるんだ」
メルクリウスは言うと同時に、転送キーをニュクスに向かって放り投げる。
「ヒーヒッヒッヒ!!……そうこなくっちゃねぇ……いいよぉ転生してあげるねぇ……ヒッヒッヒ」
ニュクスがメルクリウスから受け取った転生キーを石板に差し込むと、中央に設置された黒い玉から黒煙が立ち上がった──。
やがて細長くなった黒煙は、まるで蛇かのようにウネウネと宙を舞い、ニュクスの手元にある魂を貪り食いはじめた。
ゴキュゴキュと気色悪い音がドーム内に響き渡る──。
魂を食べ尽くしたのか、黒煙は何事もなかったかのように黒い玉へと戻っていった。
──いつ見ても不快な現象だ。
メルクリウスは魂の転生を見届けると、これ以上長居は無用だとばかりに踵を返した。
「ヒッヒッヒ……もう帰るのかねぇ……ゆっくりしていけばいいのにねぇ……ヒッヒッヒ」
メルクリウスはニュクスの言葉には耳を貸さず、一度も振り返ることなく、足早に転生室から立ち去った。
「ヒッヒッヒ……メルクリウス……きみの最大の弱点はその優し過ぎる心だねぇ……転生者なんて放っておけばいいのにねぇ……ヒッヒッヒ……ヒーヒッヒッヒ!!」
メルクリウスがいなくなった転生室で、ニュクスの笑い声が不気味にこだましていた。
──さて、どうしたものか──。
メルクリウスは険しい顔で廊下を突き進んでいた──。
天界の神はテロスアスティアへの干渉を厳しく制限されている以上、神上勇理を助ける手段はとても限られている。
「よっ! 朴念仁!」
メルクリウスが局長室のドアを開けると、中から豪快な女の声が聞こえてきた。
「アテーナーか──」
メルクリウスはデスクの椅子に座りふんぞりかえる女神に軽蔑の眼差しを向ける。
「はあ──いつにも増して陰キャラが際立ってるなぁおまえは」
アテーナーは中央管理局の局長であって、メルクリウスとは同期だった。
数々の戦場で功績を挙げた彼女は周りから畏怖され、戦場の死神、破壊神、鬼神アテーナーなどと呼ばれている。
中央管理局は天界の秩序と法を守るためにある組織だが、その実態は高い戦闘能力を兼ね備えた軍隊に近い機能を持っていた。
制服や規律も軍隊さながらであり、下界管理局とは全く異なる性質だった。
故にアテーナーは、純白の軍服に身を包んでいる。燃えるような赤いマントと軍帽がトレードマークらしいが、地味な格好が好みのメルクリウスにはその趣向は理解し難いものがあった。
「なにしに来たんだ──」
メルクリウスはため息混じりに、占拠されたデスクの椅子を諦め、応接用のソファーに腰を落ち着かせる。
「また厄介ごとに巻き込まれたらしいな?
え?」
アテーナーが勢いよく、デスクの上に足を投げだした──ゴツい軍靴に踏みつけられた書類が無様な音を立ててひしゃげる。
「さすがは中央管理局局長だな──隠し事は通用しないか……それで、どこまで知っている?」
メルクリウスはデスクに置かれた軍靴に眉をひそめながら、アテーナーに問いかける。
「そうだなぁ、まあ関係のない魂が転生させられて、おまえが困ってるってことこぐらいだ。十年前と同じだな」
「全部筒抜けというわけか──光属性の魂のことは?」
「ああ、お前がそいつをダシにされてニュクスと取引きしたこともな。じつにお前らしいウケる話しじゃないか」
アテーナーは不敵な笑みを浮かべている。
──同期ながら恐ろしいやつだ。
中央管理局はあちらこちらに
メルクリウスほどの神ですら欺くその目──いったいどから監視されていたのやら……。
「なるほど……じゃあ、話は早いな──私は出来る限り神上勇理を助けたいと思っている? ただ、方法が……」
「思いつかない──だろ? そう言うと思ってもう手は打ってある。そろそろ来る頃だろう」
アテーナーは軍服から懐中時計を取り出して時間を確認した。
「来るとは──誰がだ?」
アテーナーはメルクリウスの問いに答えるかのようにデスクから脚を下ろすと、おもむろに立ち上がり、近くの窓を開け放った。
「てめー! アテーナー!!」
がなり声とともに、開け放たれた窓からなにかが勢いよく局長室へと飛び込んできた。
風圧でアテーナーの軍靴に潰された書類が宙を舞う。
「よう! ムタリオン! 遅かったな」
「ムタリオンだと?」
メルクリウスは目を見開いた──。
目の前には羽をパタパタとさせて浮遊する小柄なうさぎ──いや、神獣の姿があった。
「ったく、おれが優雅にヴァカンスを楽しんでるとこ呼び出しやがって! つまらねー用事だったらタダじゃおかねーぞ」
この口の悪いうさぎ──いや神獣が、二千年前、英雄とともにテロスアスティアを救ったとされる神獣だというのか──。
「おまえのヴァカンスは長いんだよムタリオン。あれから二千年も姿を眩ましやがって──探し出すのに苦労したよ」
「ほっとけ! おれはたっぷり休みを取る派なんだよ! で、いったいなんの用なんだ?」
ムタリオンはつぶらな──いや、歴戦の戦士を感じさせる鋭い眼光をアテーナーに向けた。
「まあ、なんてことないさ。ちょこっとテロスアスティアに行って、転生者を助けてくれないか?」
「てめー! それ二千前にも同じこと聞いたぞ!! そしたらいつの間にか世界救っちゃう? みたいな流れになりやがって」
「あー、わかったわかった、私が悪かったよ。今度ちゃんと埋め合わせするから」
「だから! それ二千前にも同じこと言っただろてめー!!」
「そーだっけ? それはすまない──アハハ……」
アテーナーは全く悪びれた様子もなく空笑いする。
「ったく──で、だれだこいつは?」
ムタリオンがメルクリウスの膝の上にちょこんと乗っかる。
──か、可愛い──。
メルクリウスはじっとムタリオンを見つめる。そのモフモフとした毛並みを撫でたい衝動を必死に抑え込む。
「おい、気をつけろムタリオン。そいつそう見えて小動物に目がないからな」
「──!! おい、おっさん近寄るんじゃねーぞ! それにだれが小動物だこら!!」
ムタリオンは勢いよく羽を羽ばたかせ、メルクリウスから距離を取る。
「まあ、落ち着け。そいつは、メルクリウス。私の同期で、ここ下界管理局の局長さ。まあ、彼がちょっと気を揉んでいることがあってだな──」
「それが、転生者だっていうのかよ?」
ムタリオンはメルクリウスを警戒しながら、アテーナーの言葉を遮る。
「おお! さすがは最強の神獣との呼び名が高いだけはある」
「さ、最強の神獣──マジで? まあそうだけどよ」
ムタリオンは満更でもなさそうに頷いている。
「じゃあ、お願いできるか?」
「いやだね──。テロスアスティアに行くとろくなことにならねー。あそこはもうごめんだ。じゃあ、おれはヴァカンスの続きに戻るわ」
ムタリオンは興味なしというばかりに、片手を降った。
「──転生者が神上勇理という名の青年でもか?」
既に窓から出ていこうとしてしていたムタリオンはアテーナーの言葉に動きを止める。
「神上ってまさか──」
「ああ、神上勇理は
「おいおいマジかよ──ツグムの……」
「どうするんだい?」
アテーナーが普段はあまり見せない、真剣な顔でムタリオンに問いかける。
ムタリオンはなにかを考えるかのように窓の外を見つめ、短く言葉を返した。
「……神上勇理の座標は?」
「行ってくれるのか!?」
半ば諦めかけていたメルクリウスが驚きの声をあげた。
「ああ、どうやらおれには行く理由ができちまったようだしな──ほら、気が変わらねーうちに座標を教えろよ」
「そうこなくてはな──転生課のやつらから、大まかな座標は聞いてある。ここに行ってくれ」
アテーナーが胸ポケットから紙切れを取り出してムタリオンに手渡した。
「よりによって中央大陸かよ……」
ムタリオンは紙切れを見つめながら呟く。
「ああ、お前にとっては思い出深い地だな」
「へっ、どーだか──じゃあ、気乗りしねーが、ちょろっと行ってきてやる」
「頼んだぞ」
アテーナーは笑みを浮かべると、すかさず転移魔法の詠唱に入った──。周囲に散らかった書類が再び宙を舞う。
「天界の十二神がひとり、アテーナーが命じる。次元を歪め、彼方の先へこの者を送り届けよ!!
詠唱が終わると、ムタリオンの身体は光に包まれ、粒子となりその姿を消した──。
「行ったのか──なぜムタリオンの気が変わったのだ?」
メルクリウスは不思議そうにムタリオンがいた空間を見つめる。
「十年前、ニュクスが勝手に転送した神上嗣無の魂──彼はグランマキナでムタリオンと共に戦った仲間なんだよ」
「──なんだと? グランマキナが起こったのは二千年前だぞ!? 十年前に転生した神上嗣無がなぜ……」
「あれはゼウス様と私しか知らない極秘情報だからな──。まあ、おまえには知る権利もあるだろう。今度ゆっくり話してやる」
メルクリウスは腑に落ちない表情を浮かべている。
「それにしても神上嗣無の息子とはな……これもなにかの因果というわけか──」
アテーナーは静かに呟くと、ムタリオンが入ってきた窓をゆっくり閉じた。
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