第3話 〜転生室の黒い怪物〜

 局長室を後にしたニコラウスとエグザビエルのふたりは、急足で転生室に向かっていた。

 

 転生室は下界管理局の最下層にあるため、そこにたどり着くには降格機で降りてから、気が遠くなりそうな長い廊下を進まなくてはならない。


「ほかの課の連中が嫌がってた理由──なんとなく分かった気がするな……」


 エグザビエルはいつまでも続く廊下の白い景色に、早くもうんざりした様子だ。


 虚無を表したような何も無い廊下は、まるで天国へと繋がる通路のように感じられる──。


 ──まあ、天界ここ以外に天国があればの話だが……。


 ニコラウスは文句を垂れ始めたエグザビエルをなだめながら、ひたすら歩みを進めた。

 永遠と続くかと思われた廊下の先を行くと、小さな正方形の部屋へとたどり着く。

 

「ここが入り口なのか?」


 ニコラウスは部屋の奥にある、丸く型抜かれた穴を見つめる──。

 穴は人がちょうど通れそうなくらいのサイズのようだ。

 

「たぶんそうだな……」

 

 ふたりは恐る恐る穴を潜った。

 転生室の中は暗く、目を凝らしても足元さえ見えない。

 しかも転生課とは真逆の、全面黒い壁で覆われているため、闇のなかを歩いている感覚に陥る。


「ほんと薄気味悪い場所だ……なんか寒いし」


 エグザビエルは寒そうに両手で肩をさする。


「第六課の同期から聞いた話だと、魂のために暗くしてるらしい。まあ、理由はよくわからないが……」


 ──それにしても暗すぎるな……少し照らすか。


 ニコラウスは闇に向けて手を差し出すと、魔法を行使した。


聖なる灯火イルミナス──」


 詠唱が不要な第一階位の光魔法を唱えると、手のひらに柔らかな光を放つ球体が出現した。


「これで少しは見えやすくなったな」


 湿気を帯びた暗い廊下を進んだ先むと、突然目の前が開けた──。


 アーチがかった天井から差し込んだ光芒が、部屋の中心に置かれた小さな黒い玉の周辺を薄暗く照らしている。

 ただ、不思議なことに玉は光を一切を返しておらず、むしろ吸収してるかのようだった。


 ドームの外周には、透明の円柱が円を描くように配置され、中に液体でも入っているのだろうか──コポコポと小さな水泡が連なっているのが視界に入る。


 管理官のふたりは、ゆっくりとドームの中心へと歩みを進めた。


 ドームの中心に近づくにつれて、肌に纏わりつくような寒気が感じられる。


「あのー? どなたかいませんか? こちら、第七下界転生課のものです」


 エグザビエルが不安げに問いかけるも、その声はドームに反響するだけで、だれからも返事はない。


「だれもいないのか?」


 ニコラウスは首を傾げながら、辺りを見渡す。


「ちくしょう、こっちは急いでるっていうのに──」


 エグザビエルはぶつぶつと文句を垂れながら、中心に設置された玉に触れようとした──。


「……その玉に触れるのはあまりおすすめしないよ……まあ、存在ごと消えたければ触ってもいいけどね……ヒッヒッヒ」


 それは耳で聞こえるというよりも、頭のなかに直接語りかけ、脳内を侵されるような不気味な声だった。


 ニコラウスとエグザビエルは驚きと恐怖のあまり、その場に立ち尽くす。


 黒い玉のすぐ隣で、異変が起こった──。


 まるで水に墨を垂らしたかのように、ヘドロのような黒い液体が地面に広がっていくのが視界に入る。


 液体からボコボコと音を立てながら、なにかが形作られていく。


「な、なんだよあれ……」


 ふたりの管理官は、恐怖で気が触れそうになる。


 液体は、やがて管理官たちの背丈の倍はありそうな、黒い物体なにかへと姿を変えた。


 両脇から細長い腕が伸び、腕を伝って液体がポタポタと滴り落ち地面を濡らす。


 のっぺりとした物体の上のほう──ちょうど顔の辺りに、丸い窪みがふたつ。まるで、こちらを見下ろしているかのようだ。


 黒い物体はゆっくりと前屈みになり、顔なのか胴体なのか分からない、身体の一部を近づけてきた。


 目と思われる黒い窪みに吸い込まれそうになる。


「ひっ!──」


 エグザビエルが思わず声を上げる。


「ヒッヒッヒ……きみたちなにしにここにきたの?」


 謎の物体は不気味な動きで身体をくねらせる。


「は、はい! メルクリウス局長の指示で、魂の転生申請にきました!!」


 ニコラウスは全身の汗が止まらない──。


「メルクリウスの指示ねぇ……で、どの魂を転生させたいのさ」


 のっぺりとした物体の表面が微かに波打つ。


「は、はい! ええと──」


 そこでニコラウスはソウルファイルを局長室に置き忘れたことに初めて気づく。


「どうしたの? まさか、転生する魂がわからないなんて言うんじゃないよね……ヒッヒッヒ」


 物体は再び前屈みになりニコラウスの顔を覗き込んだ──。

 その身体からは強烈な腐敗臭が漂ってくる。


 ニコラウスは発狂しそうになる精神をなんとか押さえ込む。


「い、いえ! 本官のミスでファイルを局長室へ置き忘れたようです──ただちに取って参ります!!」

 

 物体は暫く静止すると、唐突に耳障りな笑い声を発した。


「ヒッーヒッヒ……それはそれは……ただ、残念なことにねぇ、ここではミスは許されないんだよねぇ」


 物体は更に大きさを増し、その身体を激しく痙攣させる。黒い液体が辺りに飛び散った──。


「ヒッ!!」


 腰を抜かしたエグザビエルがその場にへたり込む。


「僕に飲み込まれたくなければ、よく思い出すことだよ……ヒッヒッヒ」


 物体がまた不快な笑い声を上げる。


 口調は子供っぽいが、こいつはそんな可愛いいものではなかった。


「し、しかし──」


 ニコラウスはいざという時に備えて、自分が行使できる魔法を確認する。


 第七転生課の管理官であるニコラウスが使えるのはせいぜい第三階位の光魔法までだ──。


 しかし、この怪物にその程度の魔法が通用するとは到底思えない。

 むしろ、精鋭揃いの第一課ですら太刀打ちできるか怪しいところだった……。


 それほどまでに、目の前の存在は禍々しいオーラを放っていた。


 メルクリウス局長、もしくは鬼神との呼び名が高いアテーナー中央管理局長でなければ、この怪物と対等に渡り合うことはできないだろう……。

 

「私たちは第七下界管轄の管理官であるため、この場所は初めてなのです──何卒寛大な処置を……」


 ニコラウスは最後の望みをかけて嘆願することを選んだ。


「ほう……第七下界──地球テラ……たしかに珍しいねぇ……ヒッヒッヒ」


 今にもニコラウスたちに覆い被さりそうだった物体が、ゆっくりと身体を起こす。


「君たちは運がいい……僕もその魂に興味が湧いたよ……」


「で、ではファイルを──」


「いやぁ、それはダメだよ……ヒッヒッヒ」


 一瞬見えた希望が再び打ち砕かれる。


「ですが、ファイルがないとどうしたらいいものか……」


「そうだねぇ……今回は特別に名前だけで許してあげるよ」


「な、名前ですか?」


「うんうん、名前だよ、な・ま・え……名前さえ分かれば転生してあげる……ヒッヒッヒ」


 ──名前なんて覚えていない。


 ニコラウスは焦りを覚える。


 それはニコラウスに限ったことではなく、管理官は転生者の名前に気を止めたりしない。

 しかも、馴染みのないイントネーションの名前など、頭に入ってこなかった……。


 しかし、ここでなにか言わないと自分たちの命が危ない──。


 ニコラウスが口を開きかけた──そのとき、


神上勇理かみじょうゆうりです!」


 へたり込んだエグザビエルが、大声で名前を叫んだ。


「神上勇理……ヒッヒッヒ……たしかに、その魂なら昨日確認したねぇ」


 物体が虚な眼をいやらしく細める。


「いいねぇ、いいねぇ……じゃあ、そいつの魂を転生しよう……そうしよう……ヒッヒッヒ……さあ、早く転生キーを渡したまえよ」


 液体を滴らせた腕がニョロニョロと伸び、エグザビエルの顔の手前で止まる。

 

「ヒッ──あ、ありがとうございます!!」


 エグザビエルはへっぴり腰になり、衣から棒状の転生キーを慌てて取り出した。


「一度の転生で一回しか使えないのがねぇ……」


 物体はエグザビエルの手の平に置かれたキーを眺めながら、なにやら呟いている。


「お、おい……マズイだろ」


 ニコラウスが小声でエグザビエルに耳打ちする。

 少なくとも、例の光属性の魂はそんな響きの名前ではなかったはずだ──。


「し、知るかよ──それよりここを早く出ないとおれたちの命がないぞ!!」


 エグザビエルは今にも泣き出しそうな顔で同僚に訴えかける。


 エグザビエルの言葉は正しかった。


 間違った魂を転生させるなど、管理官として有るまじき行為だが、名前を言わなければあの怪物になにされるか……。

 ここは一先ず諦めるしかない──。


 ふたりは物体の気を引かないよう、ゆっくりと後退りしながら、その場を離れようとする。


 幸いにも、物体は中央に置かれた黒い球の隣に設置された石板を操作している。

 

 ふたりがやっとの思いでドームの入り口まで辿り着いた時、耳障りな声がドームに響き渡る──。


「ねえねえ……この神上勇理って子の魂……ステータスはどんな感じなのかなぁ……」


 急な呼びかけに、ふたりの心臓が止まりそうになる。


「す、ステータスですか? たしか、魔力はランク外……属性は生物系ヴィオで、たしか”再生“──だったかと」


 エグザビエルがかすれた声で答える。


「再生ねぇ……興味深いねぇ……ヒッヒッヒ」

 

 ふたりの管理官はやっとの思いで転生室を後にした。

 

「しかし、お前よく魂の名前なんか覚えてたな……」


 ニコラウスは不思議そうに同僚の顔を伺う。


「ああ、おれ自分が担当した魂の名前はメモを取ってあるんだ……」


 エグザビエルは衣の内側から小さなノートを取り出す。


「お、おい──お前それ……」


「規則違反なのはわかってるよ──。ただ、こいつらにだって人生があったわけだろ? だから、せめて担当したやつらの名前だけでも心に留めておきたくてさ──」


 エグザビエルは大切そうに、名前がびっしりと書かれたノートを見つめている。


 ──自分たちが扱っているのは物ではなく、ひとりの人間の魂であることを忘れてはいけない、ということか……。


 ニコラウスは、管理官としての意識を改めさせられる。

 しかし、今は感情に浸っている場合ではなかった。

 早く局長に報告しなければ──。


「おい、すぐに局長に知らせるぞ」


 ニコラウスが語気を強める。


「あ、ああ……そうだな」


 エグザビエルはノートをしまうと、青ざめた顔を縦に振った。

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