第1話 〜始まりの終わり〜
散りはじめた桜の花びらが、ヒラヒラと春の風に乗せて舞うなか、ひとりの高校生が並木通りを駆け抜けていく。
「やばっ!!」
高校生の名は神上勇理。今年の四月から高校三年生になる。
今日はその始業式だが、開始まで間に合うか微妙なとこだった。
勇理にとって始業式はべつに大した意味をもっていない。なのでそれが走る理由ではなく、むしろどうでもよかった。
去年と同じように、今年も陰湿な嫌がらせのオンパレードだろう。勇理にとって、楽しい高校生ライフなどとは無縁もいいとろだった。
勇理は同クラスの女子からイジメを受けていた。
まあ、あえてそうなるように自分から仕向けたのだが……。
イジメのターゲットが幼馴染の聖奈から自分に移り、勇理は高校の二年間ずっと嫌がらせを受けてきた。
きっとそれは学年が変わっても続くだろう──。
聖奈とは家が隣り同士だったこともあり、幼いころからよく一緒に遊び、長い時間を共に過ごしてきた。
聖奈は小さい頃はいつも明るく、太陽のようにケラケラよく笑っていた。ただ、あの忌々しい出来事がきっかけで、彼女は変わってしまった──。
今では、まるで殻に閉じこもるかのように、表情は暗く、言葉数も少ない。
勇理のくだらない冗談にはかろうじて笑ってくれるが、それもどこか無理している感じだ…。
ただ、勇理にとって聖奈は家族同然の存在。命に変えても守らなければいけない大事な相手だった。
──なにがあっても聖奈だけはおれが守る。
あの日以来、勇理はそう心に決めていた。
勇理は走りながら視線を空にやると、宙を舞う桜の花びらが頬をかすめた。
あの日も桜が散っていたっけ──。
二年前の春、勇理と聖奈は同じ中学を出て、同じ高校へと入学した。
偶然にも同じクラス。聖奈はどうだったかわからないが、勇理は素直に嬉しかった。
聖奈がイジメられたきっかけは、些細なことだった。
高校への入学式当日、聖奈は女子のグループから声をかけられた。
聖奈が素っ気ない態度をとったため、気に食わなかったのだろう。後日、リーダー格の女子が露骨に彼女をイジメはじめた──。
最初は軽い嫌がらせ。それが段々とエスカレートしていった。
聖奈は黙って耐えていたが、側から見ている勇理が耐えられなくなった。
勇理は意を決してリーダー格の女子に、聖奈へのイジメをやめてくれるよう頼んだ。
無論──笑われて、相手にもされなかった。
ヘラヘラといやらしく笑う相手を見て、無性に腹が立ったし、力ずくで言い聞かせもよかった。
だが、勇理はそうしなかった。
暴力に頼るのだけは聖奈のことを思うとできなかった。
その代わり、頭を下げて頼み込んだ。
聖奈へのイジメをやめてくれたら、なんでも言うこと聞くから、頼む──と。
それ以来、勇理はパシリにされ、事あるごとに呼び出され、稼いだバイト代は全てもっていかれた。
だが、それでも構わなかった。
聖奈がイジメから解放されるなら、安い代償──。聖奈にはこれ以上、辛い思いをして欲しくなかった。
──ドン!
突然の衝撃で身体が軽く押し返される。
考えごとをして走っていたせいだろうか、勇理は前を歩いていたひとにぶつかった。
「あっ!すみません!!」
咄嗟に謝るも、相手は振り向きもせず、なにかぶつぶつ口ずさんでいる。
──もしかしてヤバいやつにぶつかった?
勇理は少し警戒するも、黒いキャップ帽にレインコートを羽織ったその男は、勇理を無視してトボトボと歩き出す。
「ほんとすみませんでした!」
勇理は男を追い越して、再度振り向きざまに謝るも、男の表情はキャップ帽のツバに隠れていてよく見えない。
──まあ、いいか…。とくにケガとかしてなさそうだし。
そう思いながら、勇理は再び走り出す。
男のことはもう頭から消えていた。
数歩も走らないうちに、信号待ちをする聖奈の姿を捉えた。
「聖奈!!」
勇理の声で聖奈がこちらを振り向く。長くて薄く茶色がかった髪が、顔の動きに合わせてフワッと揺れる。
「ハアハア…なんとか間に合ったぁーーー」
勇理は肩で息をしながら、聖奈の隣に並ぶ。
「おはよう勇理」
聖奈は微笑むも、いつも通り表情は暗めだ。
「今日は晴れてよかったな」
勇理はとりあえず取り留めのない話題で会話を繋ぐ。
「そうだね...」
聖奈の返事は素っ気なく、じっと視線を信号に向けている。
「なあ、今日さ学校終わったらなんか美味いもん食べにいかない? 駅前に新しくたこ焼き屋が出来てさ、美味しいって評判らしいんだ」
勇理は聖奈の顔色を伺った。聖奈は学校帰りにあまり寄り道することはないので、断られる可能性が高い。どうせダメ元で聞いてみたのだ──。
「…いいよ」
「そっかぁ、だよな。じゃあ、また…えっ?」
てっきり断られると思っていた勇理はキョトンとする。
「ほんとにいいの?」
「うん…勇理──昔からたこ焼き好きだもんね」
聖奈が軽く笑う。勇理は久しぶりにその笑顔を見た気がした。
「よし!じゃあ、放課後行こう!約束な」
「うん」
勇理ははやる心を抑えながら、信号を確認する。
ちょうど止まれのマークが緑に変わるとこだった。
「青だ──。渡ろう」
勇理の頭の中には聖奈とのたこ焼きでいっぱいだった。
正直、たこ焼きはどうでもよくて、聖奈と久しぶりに放課後を一緒に過ごせるのが単純に嬉しい。
聖奈も心なしかさっきより表情が明るい気がする。
──よし。今日はきっといい日になるぞ!
勇理はそう思いながら信号を渡っていた。
横断歩道の途中辺りまで来たところで、一枚の桜の花びらが、ヒラヒラと舞いながら聖奈の肩に落ちる。
それを取ろうと手を出した瞬間だった。
──ドス!
突然背中に違和感を感じる。
それはなんとも言い難い感覚だった。
鈍くて、気持ち悪い痛みだ。
勇理は膝から地面に崩れ落ちた。
からだに力が入らない。
「キャーーーー!!」
後ろでだれかの叫び声がした。
勇理は地面に横たわりながら、震える顔を上げて、懸命に聖奈の姿を捉えた。
聖奈は目を見開いた状態で、口に手を当てこちらを見下ろしている。
持っていたスクールバックが無造作に地面に落ちる。
「勇理──うそでしょ…」
一瞬視界が遮られる。何者かが勇理を跨いでいく。
黒いキャップ帽にレインコート。勇理はその後ろ姿を鮮明に思い出す。
あいつだ──。さっきぶつかった…。
男はポタポタと血の滴る包丁を手に、ゆっくりと聖奈に近寄っていく。
──やめろ…。聖奈に近づくな。
勇理の声は誰にも届かない。水揚げされた魚のように、口がパクパクと虚しく動くだけだった。
男の背中で聖奈の姿が見えない。
──聖奈……逃げろ………。
徐々に視界が狭まっていく。痛みはない。狂いそうな悔しさのなかで、意識だけが遠いていく──。
──守れないのか……おれは…。
白い光に包まれながら、勇理が最後に観たのは包丁を振り下ろす男の後ろ姿だった。
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