第十八ファイル
今まで、佐麓と真吾が対峙したことは無いわけではない。寧ろ、協定の構成員になるための試験の一つとして、対人格闘のスキルを多少なり見られたことがあった。
その時の真吾の印象としては、「理知」、「誠実」、「堅実」の三つ。
脚技を多用しながら拳技も使う、正にオールラウンダー。
佐麓もまた似たようなもので、戦闘スタイルは真吾よりも近距離に強い、といったようなものであった。体術面では、試験当時で佐麓が上回っていたのだ。しかし、真吾も過酷な中で生きてきたために、今現在は互角の力を誇っていたのだ。
ヒット&アウェイ。一進一退の攻防。
佐麓の拳は、真吾に受け流されたり、はたまた蹴りで相殺されたり。
真吾は、何度か攻めに転じようと回し蹴りを叩き込もうとするも、受け止められて投げられる。
かといって膝蹴りを叩き込もうにも、肘で迎え撃たれてバランスを崩して防戦一方となってしまう。
怒りや憎しみなどの感情に脳内が占領されているせいか、繰り出す蹴りの精度が鈍くなっていた。
「どうしたどうした、私に恨みがあるんじゃあないか?」
「そんなこと……分かってる……ッつうの!!」
素早いフックを放つも、佐麓は悠々とそれを避け、カウンターとして視界を潰そうと目潰しを放つ。
すんでのところで回避するも、しかし佐麓の目潰しはブラフ。
回避したところに拳を合わせ、真吾の顔面を捕らえる。
真吾は派手に吹き飛ばされ、屋上の床に転がる。受け身を即座にとるも、しかしペースは佐麓にあった。
ジャブやローキックを織り交ぜた、隙の無い連続攻撃。
真吾はそれら全てを捌き、いなし、防御するも、一発だけ腹部にヒットしてしまう。
情け容赦のない攻撃で、真吾は徐々に体力がすり減っていってしまう。
普段相手している、チンピラなどとは訳が違った。それを理解こそしていたものの、体が少々鈍っていたために、体が思考に追い付いていなかった。
「どうしたどうした、あれだけ私に牙を向けたのにもかかわらず、それで終わりかい? 喜多川君」
「五月蝿いぞクソ野郎……お前だけは……!!」
真吾はすぐに飛び上がるように立ち上がって、力任せなハイキックを繰り出すも、佐麓は易々とガードして、すぐさま拳を真吾に叩き込む。
真吾はそれをガードするも、打ち出した拳の威力は真吾の肉体以外に逃げ場がないために、遠くに吹き飛ばされる。
佐麓はこの時、どこか己の勝利を確信していた。
狂気や怒りなどの、負の感情を煮詰めているような人間を弄ぶことは、赤子の手をひねるよりも簡単なことであるためだった。
佐麓は真吾を追いつめるために、即座に近づいて、あの時と同じ真吾を撃ち抜いた銃を懐から出し、真吾に照準を当てる。その距離、小銭一枚の差すら無く、引き金を引いた瞬間、避ける間もなく、真吾の脳天ははじけ飛んでしまうほど近い。
「君には少しがっかりしたよ。理知的かつ、誠実かつ、堅実な戦い方をする君が、私の改革の最警戒人物と考えていたのは、間違いだったかな?」
真吾は佐麓に対し睨みつけたまま、動くことは無い。動いた瞬間、脳天が吹き飛ぶことは分かっていたために、動かざることが正解だった。
しかし、戦い慣れしていたのは真吾であった。
佐麓は殺しに特化し、相手を嬲ることを得意としていたものの、真吾は面と向かって相手と接する、そんな力を要する世界に身を浸らせてきた。しかも、スタミナも上であったために、まだ負けてはいなかったのだ。
真吾はとっさに後ろに倒れ、銃口から頭を死角にする。
ほんの一瞬の事であったために、佐麓はうまく反応ができなかった。
そこからネックスプリングの要領で、勢いをつけて佐麓の顔面にドロップキックを叩き込む。
佐麓はその勢いにかち上げられ、真吾はそこにもう一発回し蹴りを叩き込んだ。
吹き飛ばされた佐麓は、程なくして受け身を取って銃口を真吾の方に向け何発か撃つも、真吾はそれを易々と避け、やがて再装填が必要になったために拳銃を投げ捨てる佐麓。
「この……ガキがァッ……!!」
佐麓の怒りは、口調が変わるほどにまで頂点に達していた。
今まで何十人もの人を捌いてきた、佐麓特注のナイフで切りかかる。
しかし、そのナイフを手首ごと思い切り宙へと蹴り飛ばす。
かばおうとした両腕を掴み、顔面に勢いをつけて飛び膝蹴りを繰り出す。あまりに物速さに、佐麓は後ろへ首を下げることもできずに、クリーンヒットする。
思い切り吹き飛んだ佐麓に対し、真吾は息をつく。
「悪いな、脚技は専門なんだ」
しかし、佐麓はその蹴りで終わることは無かった。
仰向けの態勢のまま、脚だけに力を籠め、そのままゆらりと不気味に立ち上がった。確かにダメージはあるものの、佐麓の表情を見る限りまだ余裕、と感じ取れた。
「……なぁ、思うんだけどよォ。人が無限の回復力だったり、筋力だったり、速さを得たとしたら……どうなると思うよ? 人外じみた力を得たら、どうなると思うよ……?」
その問いに対して、真吾は何も答えない。何か底知れない悍ましさを感じていたからだった。
骨は数本折った。
抵抗はできないはず。
それなのに、平然と動いているこの男に恐怖を感じたのだった。
その時、佐麓は懐から一本の注射器を取り出した。注射器の中身は、まるで藻が張ったプールのように深く澱んでおり、気味が悪かった。
佐麓はそれを躊躇なく心臓に突き立て、中の液体を体内に放出していく。
一瞬、糸が切れた操り人形のようにバランス悪く倒れた姿が見えた――はずであった。
真吾が気付いた時には、既に背後に回られていたのだった。瞬き一度しかしていない状況下で、少し距離を取ったはずの佐麓に、背後を取られていたのだった。
「正解は私のようになる、だ」
佐麓の声に反応して真吾はとっさに防御の構えをとるも、その構えを易々と打ち破るほどのパンチを繰り出されて、真吾は吹き飛んでしまう。
空中で身を捻って何とか着地するも、佐麓はすでに真吾に対して、攻撃を合わせようとしていたのだ。
「喜多川君に教えたかったんだ。君たちが普段麻薬だの危険ドラッグなどと揶揄しているものは、私にとっては覚醒するための階段そのものなんだよ。私が特別調合した強化麻薬は、人を次の段階へと進める、最高の一歩なのさ。常人じゃあ普通なら耐えられないけどね」
常人を超えた速度、力、反応速度。それらに成すすべなく、滅多打ちにされる。
拳をガードしようにも、その防御する腕は悲鳴を上げ、
脚技に反応しようにも、フェイントからの攻撃により思考が鈍り、
反撃に転じようにもこちらを上回る速度によって先回り、そして手を潰される。
少なくとも、下級構成員だったり、中級構成員、そして上級構成員とは訳が違う、力の圧。
正に八方塞がりであったが、まだ打つ手はある。そう思わないと、真吾は佐麓に立ち向かえなかったのだ。
佐麓に向かって走り、攻撃を当てようとするも、その手を潰される。拳に対して頭突きを合わせたのだ。
以前では考えられないほどの野性的な戦い方であった。
左拳を潰され、怯んだ真吾に対して、飛び回し蹴りを叩き込む。右腕は耐えきることはできず、すぐにガードを崩されて派手に吹き飛ばされてしまう。
「この薬は、MDMAを改造して作り上げたものだ。使えば快感と共に人間の奥底に秘められた身体能力をこじ開け、常時解放できる。私がこれを使うのはそうないことだ、光栄に思え」
「誰が……思うか……よ……!!」
真吾はかろうじて機能が問題なく使える右腕を支えにして、ふらふらになりながら起き上がるも、鳩尾に佐麓の重いフックが刺さる。
「思わないなら思わないでいいさ。これはすでに、軍の人間が服用できるよう国に認証されかけている。勿論私もアプローチを行い、国の人間も喜んでいる。なんせ私こそが至上だから」
「それは……お前が脅さなきゃ話にならないほど……駄目なものなんじゃあないか……? 所詮、その程度なんだよ……お前の力なんて……!」
真吾の反論を佐麓が許すわけもなく、髪を掴んで思い切り殴り飛ばした。
「ああ、喧しくて、喧しくて仕方がない。ギャンギャン喧しいぞ歌舞伎町の膿め」
佐麓が徐々に近づいていく中で、真吾はただひたすらに考えていた。現状の打破、そして佐麓を出し抜く方法を。
人体の限界を易々と打ち破る麻薬を、自身に投与した佐麓。スピードも、攻撃力も、防御力も、何もかもが自分を上回っていた。
思考力も、元々上回っていた分に上乗せされて、並の策は通用しない。知られていることは全て対処されてしまう。仮にも数年共に仕事をして来た関係である。
しかし、ここで一つの案が浮かんできた。佐麓が知らない、一つの経験が元になった事柄。
(現状これしか……ないな)
見えないようにスーツのポケットをまさぐって、「それ」を握りしめ、その時を待つ。
佐麓は気付いていない様子で、不敵に笑んでいた。勝利を確信していたのだ。
「もう、終わりにしようか。私達の関係も、そしてくだらない君たちの反逆も」
「ああ……そうだな」
真吾が肯定の意志を見せ、佐麓が真吾に拳を叩き込む。打ち出す拳以外、完全に無防備となった、今こそその瞬間であった。
「悪いが、まだ私はこのゲームから降りる気はない」
瞬間、スーツを破り脱いで自分にスーツの背が向くように投げ捨てる。その時に、真吾の背に背負った白の猛き馬が現れた。以前までなかった、睨みを利かせる馬の瞳は、多くの悪を憎み、そして真吾の道行きを広く見据えているものであった。
佐麓は一瞬だけ理解できなかったものの、小さく見えた「爆竹」が全てを物語った。
高らかに鳴り響く爆竹の音と、光。
人間の身体的、能力的限界を易々と超える薬なのなら、様々な感覚が鋭敏になっていてもおかしくはない。
それこそ視視覚が、常人の数倍優れていて、さらに常人の数倍鋭敏な感覚を持っているのなら、数倍刺激に敏感であるという説明もつく。
その点真吾はある程度有利であった。様々な能力が佐麓より優れていないからこそ、数倍の感覚を持ち合わせていないからこそ、この爆竹だって単なる爆竹の破裂音と光、という認識で終わるのだ。
「あアあああアああアああアあああッ!!?」
苦悶の表情、そして声をあげる佐麓。読みは当たっていたのだ。目を抑え、耳からは血が出て、出て欲しい結果が揃っていた。
真吾はそこから中段の蹴りを腹部に叩き込む。確かに硬いものの、そこに意識を集中させていないせいか、無力感はなかった。寧ろ、真吾の胸中には闘志が燃え上がっていた。
連続して、膝、胸部に脚技を叩き込んで、片膝立ちとなった佐麓。
その膝を踏み台にして、一気に飛び上がる。
「あんたは、慢心によって格下に負けるんだ」
空中で回転しながら、渾身の力を込めた踵落とし。頭蓋骨が割れる音がした。
今までにないほどの威力で、佐麓は血を吐きながら倒れた。
倒れた佐麓を見下ろしながら、煙草を一本取り、それに火をつける。その煙草は、正に文司が愛してやまなかった銘柄、ピースだった。
空に煙草を向け、天国にいる文司に笑いかける。
「……組長。私、貴方の仇、取れましたよ」
ゆらりと立ち上がる佐麓、そしてそれに気付くことの無い真吾。
殺意に満ちた拳が、真吾に届く寸前。
「真吾にィ……手ぇ出すなや!!」
堅一郎の頭突きが、佐麓の拳にヒットする。佐麓は余程予想外だったのか、完全に怯んでいた。しかし、真吾はどこか予想していたような、不敵な笑みを浮かべていた。
「堅一郎……待ってたよ」
「お安い御用や、組長」
佐麓は満身創痍になりながらも真吾と堅一郎に向かった。髪は大きく乱れ、麻薬の副作用によって頬は痩せこけている。元の美しい見た目はどこかへ失せていた。
「お……マエら…………ァ……!!!」
佐麓はもう一本の注射器を自身に打ち込んで、体を大きく豹変させる。
肉体は大きく膨れ上がり、筋肉が異常発達して、人本来の形を保ち切ってはいない。
顔は醜く、目は白目をむききって、涎をだらだらと垂らして、正に異形。
そして特徴的だったスーツは、ビリビリに破れ、成長するバランスの悪いボディビルダーのよう。あれだけ欲を語っていた佐麓は、佐麓ではない別の生物へと変貌したのだ。
しかし、真吾と堅一郎はその化物と相対して怯むことは無かった。
それは、互いに信頼しきっていたからであった。
堅一郎もまた、真吾同様、スーツをワイシャツごと脱ぎ捨てる。背中にあるのは、黒の猛き馬。義を重んじる心が表れた凛々しい馬は、堅一郎の背に合っている。
白黒の猛き双馬が、遂に揃った瞬間であった。
「これ、渡しておく。組長にも、届くように」
ピースの煙草を堅一郎にも渡し、堅一郎はその煙草に火をつける。
「……前組長は、こない美味いもん吸っとったんか。中々豪勢やな」
二人が煙の息を吐いたその瞬間、「獣」は突撃してきた。
しかし二人は慌てることなく、互いに左右に避け、その突進を難なく躱す。
背中に隙ができた瞬間に、二人はその背中に向かって駆けた。
真吾が先に向かって、堅一郎をほんの一瞬待つ。
堅一郎が辿り着いたその瞬間、真吾はオーバーヘッドキックの体勢になり、堅一郎はその脚に軽く乗って、堅一郎を高く蹴り上げる。
遥か上空に行った堅一郎は、急降下して思い切り「獣」の頭を殴り飛ばす。
真吾はその瞬間に「獣」の足を蹴り飛ばし、膝を不意に曲げる。
堅一郎は地に足をつけ、強力なストレートを叩き込んで、隙を作り出す。
真吾は高く飛びあがる。「獣」の首に脚をかけて、体重も利用しながら思い切り地面に叩きつける。
二人は一気に「獣」との距離を取る。「獣」はこちらに対しての敵意を膨れ上がらせて圧倒的な圧と力によって再び接近する。
「これでもちょびっと血ィ出るくらいなんか、タフやな」
「やることは変わらないさ。私達なら、やれる」
「獣」は真吾たちに容赦なく襲い掛かる。
しかし真吾たちは難なくそれを左右に躱す。それにひるんだ隙に、二人は猛攻をかける。
拳のラッシュと、脚のラッシュ。
互いの得意分野、そして苦手分野を補いながらの合奏曲は、「獣」に命の危機を抱かせるには十分であった。
「獣」は治癒の力と防御の力を固め、完全防御の形態へと移行する。硬化した膨大な量の筋肉の鎧を身にまとい、防御の体勢を取っていた。
しかし、ラッシュの勢いが止まることは無く、二人はその筋肉の鎧をこじ開けようとしていた。拳と脚で。
全ての攻撃を受け切っていた「獣」は、その勢いにやられて、徐々に防御の姿勢を崩していった。
攻撃が通り始めて、ダメージがかさんでいく。
顔。肩。胸部。腹部。鳩尾。腕部。大腿部。脛。
前方部の筋肉の鎧は、すべて破壊されていく。
恨み。憎しみ。辛み。悲しみ。哀しみ。そして歌舞伎町を守るための信念。覚悟。決意。
それらが、佐麓だったものを壊していく。巨悪だったものを、劣悪な環境に生まれ育った不遇の天才を、打ち抜いていく。
薬の影響で修復途中だった骨は、無慈悲かつ正確なラッシュによって砕けていき、筋肉は断裂していき、衝撃がないと自立できないほどにまで痛めつけられた。
そして、二人の息が合わさった、刹那。
堅一郎の組長直伝の正拳突きが、そして真吾の全身全霊のトラースキックが、「獣」の胸部を捉えた。
胸骨が衝撃によって粉々に砕けていき、心臓にそれぞれの一撃が刺さる。
体内はそう簡単に鎧をまとうことはできないために、ダメージは直に刺さる。
心臓は二人の攻撃によって破裂し、遂に佐麓はその場に倒れた。
二人は咥えていた残り少ないピースを、静かに味わっていた。
「……終わったな、真吾ちゃん」
「……ああ。気持ちはそう簡単に……晴れやしないけどね」
佐麓の体が元の姿に戻っていく。血だまりの中、ぼろぼろのままで。
そんな中で、うっすらと目を開いて真吾たちを見ていた。何とも恨めしそうに、そして、なんとも悲しそうに。しかし、視力が無くなっているようであった。
「なんで……ぼくはしあわせになれないの……?」
どうやら幼児退行をしているようで、元々の冷徹だった佐麓は消え失せて、消えゆく意識の中で、自らの不運を嘆く子供の姿がそこにあった。五感のほぼを失っていたのだ。
「ねえ……だれかいないの……? ぼくは……ここだよ……ここにいるよ……?」
心臓が破裂しているために、命の時間は残り短い。声も消え入りそうであった。しかしその中でも、その手は誰かの温もりを求めているようであった。
確かに、過去されたことは許されることではない。寧ろ未だ許してはいない上に、今ここで真吾自身の手で殺してやりたい恨みもある。ただ、今正に目にしているその姿は、親を求める子のよう。親絡みで過去が恵まれなかった、目の前の愛情を求める子供を、どうにかせずにいられなかった。
そっと、手を握る。佐麓の心臓が潰れているために、酷く冷えた血の通わない掌を、体温を移すようにそっと握る。
もう触覚もそう残っていないのか、握り返す力も貧弱であった。しかし、確かに誰かに握られている感触は伝わっているようで、今まで見せたことの無い純粋な笑顔を見せた。血の涙を流しながら。
「……ぁあ――あた、たかい――――――」
とても弱弱しかった力は、遂に尽きた。握りしめていた手をすり抜けるように、ヘリポートに落ちた。
不遇の天才、佐麓家杜。彼のしたことはそう許されることではない。ましてや、麻薬犯罪と多くの人を手に掛けた殺人鬼であるために、多くの人が許せないと感じ、憎しみを抱いた。
今となっては知る由もないだろうが、恐らく彼が行っていたことは、「母の胎内に帰りたい」という欲望からのものだろう。生まれ変わり、「愛」を知る。それこそが佐麓の欲であったのだろう。
昔から、親絡みで報われないことが多くあった佐麓は、いつしか生まれ変わることを望んだ。しかし、それを許すことは無い、子供をサンドバッグと思っているような親が佐麓を追い詰めていった。
純真無垢だった天才は、己の両親がしていたことを愛の究極系とするかのように、人を殺し、麻薬によって狂ったように行為を行う姿を観察していたのだろう。
過程さえ違ったら、佐麓家杜と言う男は余程大成したのだろう。
そう思うと、真吾自身の心の中に無力感が込みあがってくる。
もし、真吾が警視庁に未だ勤めていたとしたら。佐麓のような人を救えたのではないか。
身勝手な親によって歪められた、傷だらけの身体。歪んだ心。歪んだ思考。全てがそうならずに、幸せになる未来が、どこかにあるのではないか、と考えてしまう。あくまでもしもの話ではあるものの。
ふと、横を見ると、一フロア下にいた一二三が側に居た。生傷が残る真吾の身体を気にしながら、死んだ佐麓を見た。
「……遂に、終わったのか」
「……ああ。完全じゃないけど、終わった」
一二三は、真吾の右手を握っていた。先ほどまで、血液の温かさを感じないほどの、氷のように冷たい佐麓の手を握っていたためか、一二三の手が何倍にも温かく感じた。
「……佐麓も、家族に恵まれてれば、こうはならなかったのかな」
「その可能性は……あるかもな。それこそ……父上のような、陽だまりのような存在が、奴には必要だったのかもしれないな」
真吾と一二三は、その佐麓の死体に手を合わせると、その場を去った。堅一郎に「下で待ってる」とだけ告げて。
ヘリポートに残ったのは、堅一郎一人だけとなった。
その間も、胸中は複雑であった。自身の親ともいえるような存在を殺した、とびきりに憎い存在であるはずなのに。対峙しているときは、とても野性的な、乱暴な感情を抱いていたのにも関わらず、どこか、報われなかった子供を目の当たりにしているような、もの悲しさを感じていたのだ。真吾が接していた姿を見て、非情に徹しきれなかったのだ。
高い空に顔を向けて、肩を震わせる。少しでも、今まで敵対していた人間に対して、涙は見せたくなかった。しかし、それでも、この行き場のない感情をどうにかしたかった。
「前組長……俺ァ……どうしたらいいんですかね」
すると、どこからか優しい風が吹いた。まるで、堅一郎を包み込むような、慈愛の風。
その優しさは、どこか前組長を思い出すようであった。
涙を荒っぽく拭き、佐麓に背を向ける。
「……達者でな、クソ野郎」
そう言い残して、堅一郎はヘリポートを後にした。戦い続きでガタが来た体を庇うようにして。
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