第十六話 歌舞伎町戦争、開幕(その三)

 四十五階に到達して、またも止まるエレベーター。真吾と堅一郎はその階で降りる。

 そこは、豪華なパーティー会場のようで、豪華なテーブルだったり、椅子だったりが多く並んでいた。さながら、高級イタリアンのレストランのようであった。

 そこに佇んでいたのは、あからさまにでっぷりと肥えた人物だった。さらに図体も大きいために、広さは十五階や三十階と変わらないはずなのに、その人物がいるだけで圧迫感を感じてしまう。

 その男もまた、十五階、三十階同様、理性を失った様子だった。

「なあるほど、今度はブーちゃんか」

「……どうしますか、堅一郎さん」

 いつもの調子で聞いてきた真吾に対し、横から軽くチョップする堅一郎。その顔は、どこか笑っていた。

「アホ、もう真吾ちゃんは郷馬組(ウチ)の組長なんや、堅一郎さん、とか敬語使われるのむず痒いわあ」

 真吾は、どこかぽかんとした顔をしてから、微笑んだ。自分でそう宣言したのなら、その姿として、堂々としていればいいのだ。

「それに、や。ワシら幼馴染なんや。今更やけど、さん付けなんて出会い始めの顔も知らん他人がやるもんやで」

 堅一郎の微笑みに、どこか安心した真吾。ゆっくりと息を吸って、まっすぐに前を見据える。

「……堅一郎、やれる?」

「モチのロンや、組長」

 不敵に笑んだ真吾と堅一郎は、共に駆け出して、真吾はそれとは接敵しない横をすり抜けて、堅一郎がそれと接敵した。



 そのでっぷりと太った腹に拳を叩き込んで、早数秒。

 真吾が階段を上っていったのを見ると、静かに距離を取る。そして、心から思ったことを何も取り繕わずそのまま表に出す。

「かっっっっっっっっっっっっっっっっっっっった!?」

 そう、柔らかいと思っていたはずの腹が、鉄のように固く、敵に対してダメージが欠片たりとも通っていなかった。寧ろその敵は大欠伸をして、余裕綽々であったのだ。全く動くことなく、そこに佇んでいた。

「何やお前、腹ン中にどでかいダイヤモンドでも抱えとんのか!?」

 幸い、元々バンテージを巻いていたために、拳のダメージはあまりなかったものの、巻いていなかったときのことは……あまり考えたくなかった。

 堅一郎はサウスポースタイルの構えをとると、ステップを踏み始めた。しかし、そこまでしても敵は動く素振りすらない。ただ腹をさするだけであった。

「何やよう分からん……まあ固いとわかっとんなら、それなりの行動をするだけや!」

 堅一郎は素早いステップから、ジャブやフックを織り交ぜながら殴る。

 しかし、敵に対してダメージが通っているようには全く見えなかった。

 仕方なくバックスウェイで距離を取った堅一郎。

 だが、堅一郎の正面には、いつの間にかその巨体が迫っていた。

 そして防ぐ間もなく、堅一郎はとてつもなく固い巨体に弾き飛ばされた。

 壁に激突した堅一郎は、その場に転がる。

 すぐに立ち上がるも、即座に逃げなければ巨体が迫ってくるために、堅一郎は防戦一方であった。

 鼻が折れてしまい、鼻の骨を雑に治し鼻血を止めながら逃げるばかり。直線的な動きばかりでも、それが猛スピードで迫ってくるのならば話は別であろう。

「何やあのブーちゃん、えらい速度やないか! 完全に俺を潰しにかかっとる……」

 高級な家具などが、巨漢の突進によって次々に壊されていく。堅一郎はその破砕された家具を見て青ざめてしまう。

 堅一郎に構える隙も与えさせず、どんどん破砕していく。

 しかし、どこか堅一郎は落ち着いていた。速度が衰えていないのにもかかわらず、次第に目で追えるようになり、相手のスタミナ切れを誘発させるように動き始めたのだ。

 その結果、パーティー会場跡に残ったのは堅一郎と敵のみ。堅一郎は怪我こそほとんど負っていないものの、体力はかなり削られていた。汗も大量に掻き、スーツの上はすでに脱ぎ捨てており、上はワイシャツだけとなっていた。

 しかし、敵はどこか動きが鈍くなっていた。堅一郎にはまだ余裕があったものの、敵には余裕は無いようであった。

「ブーちゃん、確かにお前の速度は目を見張るもんがある。組の若衆やキャストの子をまとめ上げる方が、倍以上大変や。やからお前の相手は、まだ軽い方やったわ。もちっと、俺を一発で殺れるほどの火力用意してから来いや」

 軽く蹴り飛ばし、敵を仰向けの状態にした後その上に馬乗りになる堅一郎。立て続けに繰り出すのは、数多の思いが詰まった正拳突きであった。

 急直下する正拳突きは、何度も繰り返されていくうちに、まるで薄い鉄板に対して拳を叩き込むように、手ごたえのあるものへと変化していった。

 決して柔らかいとは言い切れないものの、先ほどと違い叩き込んでダメージが生まれる。

 徐々に堅一郎のリズムが早まっていき、どんどんと、空手のような一撃を重んじるものではなく、ボクシングのようなラッシュになっていった。

 この拳から、次の拳を叩き込むまでにかかる時間が、徐々に短縮されていく。

 常人がそう反応できない速度まで、進化していく。

 敵の身体から噴き出す血液すら、障害としてはいまいちだった。

 今ある苦しみから、次の新しい苦しみへ。

 決して一発では死なせない。

 文司への思いが、そして真吾への想いが、さらに拳を加速させた。

 言語化できないような、獣のような声をあげて。


 そして、気付いた時には、堅一郎は骨の中にいた。いつの間にか、肉片すら残っていない床を殴っていたのだ。大理石の床には、堅一郎の拳の跡が数えきれないほど残っていた。

 堅一郎は、いつの間にか笑いが込みあがっていた。後ろ向きに倒れこんだ堅一郎は、巨大な窓ガラスの向こうの夜空を見た。

「……前組長(オヤジ)……あと少しで貴方の借り……返せそうや……」

 少し感傷的な気分に浸った後、飛び上がって体の怪我を確認する。攻撃を受けたのは最初の一回だけで、幸い体はまだ動けていた。拳も無事だったために、服を整え真吾の元に向かう。

「……組長、待っててや。今向かうからな」

 堅一郎は、すぐさま真吾がいるであろう最上階に向けて走り出した。



 GSDOのエントランスがある、地上五十階。そこでエレベーターは停止した。元よりそこまでしかエレベーターは通っていないため、真吾はそこで降りる他なかった。

 そこには、多くの対代協定の構成員の、理性を失った姿が多く見受けられると思いきや、だれもいなかった。

 受付の女性も、荷物を運ぶボーイも、構成員の一人もいない。そのかわりエントランスから見受けられたのは、構成員の亡骸であった。今は骨だけとなっているものの、酷い有様であった。

 そこら中に飛び散った血。抵抗の跡だろうか、整えられていたはずであったぐしゃぐしゃの絨毯。その絨毯は、元々純白であったはずなのに、今はその面影すらなく、真っ赤に染まりきっている。

 いつかの決起集会を行った大広間は、その場にあった死体の山だらけであった。その死体のどれもが満面の笑みであった。以前と違う気味の悪さがその場を包んでいた。

「以前とは……全く違う。あんな決起集会をやった場所とは思えない」

 対代協定の構成員に佐麓が発破をかけたステージにも、死体はあった。

 首から上が全て死体の前に綺麗に並べられていた。ステージ上に、横一列に並べられていた。それらは泣き叫ぶような表情で止まったままだった。

 勿論その首の持ち主はすべて解体され、腹部を裂かれた上に、体内には胎児の人形が置かれている。

 推測百人以上の被害者に対して、真吾は手を静かに合わせ、黙祷する。

「……今まで、ありがとうございました」

 確かに今まで無法者(デスペラード)扱いこそされていたものの、それでも探偵を始めた当初、世話になった人間も死者の中にいた。いいことをされた記憶は薄いものの、一番の被害者であったはずだから、という感情があった。

 真吾は静かに深いお辞儀をして、佐麓のオフィスへとゆっくりと向かった。

 すぐにオフィスに着くも、そこには見知った顔の死体しかなかった。

 その死体を全て見ると、真吾に嫌がらせやクビを言い渡した上層部などが勢ぞろいであった。皆が、同様の手口で殺されていた。口汚く罵りたくなる様な恨みがあったため、合掌する気持ちにはなれなかった。

「……貴方がたには、かける慈悲はありません。殺されて当然だと思うし、ジャックと……佐麓と組んでいたなんて……がっかりです」

 しかし、それでも真吾は敬礼を行っていた。それは無意識によるものではない。自らが進んで行ったことであった。

「……貴方がたを尊敬はしませんし、ましてや悲しむこともしません。過去されたことを考えれば当然です。それでも、貴方がたがそうして殺された、ということは、反抗したか……あるいは邪魔になったかの二択だと考えます。その覚悟に、敬意を表します」

 真吾はその警視総監たちの死体に背を向けて、オフィス横の非常階段の一段を一歩ずつ踏みしめて登っていく。己の覚悟を、一歩ずつ確かめるように。

 自分には、守るべき者がいる。

 自分には、守るべき町がある。

 自分には、守るべき未来(さき)がある。

 自分には、解決すべき事件がある。

 自分には、果たすべき約束がある。

 自分には、託された思いがある。

 そして自分には、守るべき家族がいる。

 愛すべき、そしてたった一人の妹。

 置き土産として、文司は、前組長はとんでもないものを遺して逝った。常人なら、途中で真実の追及を諦めていただろう。何事もなく、平穏に暮らすことを選んだだろう。

 それでも、いつでもそばには一二三がいた。愛すべき妹がいた。

 一二三の支えがあってこそ、今の自分がある。それは確信をもって言えることだった。

 ただでさえ、大馬鹿者であった真吾と共に、この歌舞伎町に巣くっていた凶悪な犯罪を解決一歩手前まで共に歩み続け、そして文司の願いを果たしていった。

 真吾一人では辿り着くことのできなかった、事件の終焉。それに、手が届きそうであった。

 階段を登りきり、このKABUKIヒルズの屋上、ヘリポートに辿り着く。

 そこにいたのは、大怪我を負った一二三と、これまでに見たことがないレベルまでの冷徹な表情を浮かべていた、血によって赤く染まったスーツを着た佐麓だった。


「……早かったじゃあないか、喜多川君」

「その名で呼ぶのは、もう止めにしよう、佐麓」

 真吾の心に、佐麓を尊敬する心は、もう、欠片たりともなかった。

 真吾がそう言うと、佐麓はけたけたと笑い、側にいた一二三を離した。佐麓の手に拳銃が握られていることを警戒したものの、実際に佐麓の手に握られていたのは、佐麓が人を捌く時のための特注ナイフのみであった。

 佐麓の整った顔は殺しの愉悦に歪み切った、純粋な狂人の顔をしていた。ワックスで固められたであろうオールバックの髪も、衝動に任せぐしゃぐしゃに掻きむしったのか、何とも形容しがたい乱雑な髪形となっていた。以前の清純な、誰にでも好かれるような風貌は、どこかへと消えていた。

「……何だ、私の顔にゴミでも付いているかい? 恐らく、君がゴミだと思ったものは他人の肉片であることの確率が高い。あらかじめ答えておけば、私が答える手間も省けるだろう?」

「……私が聞きたいのは、そんなことじゃあない。佐麓……お前が……こうするに至ったきっかけは……何なんだ……?」

 そう真吾が言うと、佐麓は心外とも言いたげな、心底呆れかえったかのような表情をしていた。

 別に、ここでいかなる理由があろうと、この男を許しはしないし、殺意だって消えない。それに、この町の二次被害としての麻薬犯罪だって、この町からこの男がいなくならない限り、根絶することは無いために、生かす気はさらさらなかった。

 しかし、どこか真吾のなかでは気になっていたのだ。何があったら、ここまでの精神異常者が生まれてしまうのだろうか、と。

「……まあいい。君は何だかんだ、私と共の組織で働くようになって長いからね。事の真相を、教えてあげようじゃないか。私という、芸術家(アーティスト)が生まれた経緯、って奴を」


 しょうねんは、むくであった。

 どんなことも、きょういてきなそくどで、ものごとをきゅうしゅうしてしまい、僅かほいくえんのころには、とんでもないはくしきをみせつけて、中学、高校をとびきゅうで合格、そしてそつぎょう。この日本において、自分いじょうの天才はいない。そう思っていた。


 実際、少年以上の力を持つ者はおらず、文字通りの「神童」であった。


 それからと言うものの、少年は飛び級によって、世界の名門大学、ハーバード大学を受験し合格、そして卒業した。

 少年は、日本や世界のテレビ業界からマークされ、有名人となった。勿論、少年の天才ぶりに応じたギャランティは支払われ、その実力が本物だということが知れ渡った瞬間、雀の涙ほどのギャランティが、それだけあれば生きる上で苦労しないほどの莫大な金額へと膨れ上がり、文字通りのシンデレラ・ストーリーを歩んでいた。

 しかし、あくまでそれは表面上での話だった。


 少年は、よく親の喧嘩を目にしていた。

 膨れ上がっていく借金を元に、二人が殴り合いの喧嘩をしていることを、部屋の隅でよく見ていた。

 少年は、何としてでも、二人の仲を良くしたいと考えていた。少年はその純粋さで、ひたむきに学力を伸ばしていき、結果的に一時期は関係良好となった。

 しかし、金に余裕が出たことから、両親は夜ごと遊び歩き、少年には自由を許さなかった。いつだって、天才でいることを命じた。いつだって、神童でいることを命じた。

 金の生る木として、親は二人そろって少年を道具のように扱っていった。少年の純粋な心は、人を疑うことを知らず、洗脳されるように進化をし続けた。

 二人は、またつまらないことで喧嘩をし始めた。互いに、堂々と肉体関係込みの浮気をしていたために、少年の親権を求めて二人は争っていたのだ。

 しかし、そこに明確な愛情はない。口では「愛している」といっても、実際は愛の欠片ほどもなかった。

 少年は、よく絵本の中や小説の世界や絵画の世界にいるような、綺麗な人間はどこにいるものか、と常に考え続けていた。いつだって、正しいことを行って周りから感謝されるような、綺麗な人間の事を考えていた。

 少年は、その影響か日曜朝の仮面戦士物を見るようになった。テレビの中で動き回る彼らは、何より正義を重んじて悪を駆逐していたのだ。その中に出てくる悪役の姿は、何度目をこすろうとも両親にしか見えなくなったのだ。私利私欲のために子供を犠牲にする。まさに屑の所業であった。

 特段歪んだ感情は湧かなかったものの、自分の心の中に正義の心が目覚め始めているのを感じていた。

 「大罪人に正義を執行するヒーローになりたい」。その願いを背負っていた少年は、その体は台所にひっそりと向かい、その手に包丁を握っていた。

 最初そんなもの使ってはいけないと、顔の形が変わってしまうのではないか、と思えるほどの暴力行為を二人から食らった。勿論、少年自身が金の生る木であることを認識している二人は、殺しはしなかった。

 少年は、初めてその瞬間に断罪するべき「悪」を見た。犯罪者のような、危険な思想を抱く人間は、正義のヒーローがどんなことをしようとも、断罪する。

 そう思った少年は、即座に体が動いていた。

 両親の腹部を平等に割り裂いて、重傷を負わせた。

 泣き叫ぶ両親。しかし、両親が虐待の声を聞かれないように、完全防音を施していたために、助けが来ることなどありえない。さらに、この家がすでに裕福な家庭に位置することも分かっていたために、表面上良い関係を演じているこの家族の間に入り込むものはいない。

 少年の心に「正義を執行するならばどんなことでもする」不屈の心が宿った瞬間だった。

 両親を丁度いい大きさに解体してからは、その肉を余すことなく、感謝しながら食べた。

 ある程度の料理の腕もあったために、その肉を格別の美味しさで調理することができた少年の心には、喜びが混じっていた。悲しみなど、少年の心の中にはなかった。

 骨はしっかりと溶かしてから埋葬して、合掌することなどなかった。何せ、両親は悪だったのだから。

 それから、少年は成長して、青年となる。ヒーローとして成熟していった。親の遺産、そして自分が稼いだほとんどの財産を使い、新たな会社を設立、そして趣味がてら自分がヒーローとなるための踏み台である、探偵業を始めた。

 元々「ハーバード」というネームバリューがある大学を卒業していたために、ヒーローとしての土台は盤石であった。誰からもすり寄られて、誰もかれものヒーローになる。

 青年が抱くものは常に変わることなく、犯罪者を裁くことと、ヒーローとしてあり続けること。そのために、青年は対代協定を設立した。

 警視庁上層部は最初、警察の仕事をなぜ斡旋するのか、と宣っていたものの、青年が誰であるか、それを懇切丁寧に教えた瞬間、態度が急変した。それと、上層部が握っている、面子を守るためだけの秘密についても、全て握ることに成功して、警視庁上層部の手綱を握った瞬間だった。その瞬間こそ、初めて青年が正義執行を殺し以外で行った瞬間だった。

 そこから、青年の正義執行だけは合法となった。

 青年は、世の中の汚れを除去していく中で、快感を覚えていた。そこから、青年に死体性愛者(ネクロフィリア)の性癖が追加された瞬間だった。

 青年が正義執行により、犯罪者を除去していく中で、次第に犯罪発生率が低くなってきた。そうなって、青年の価値はより上がった。青年は、町に無くてはならない存在となったのだ。

 なりたかったヒーローの姿に、多くの屍(必要な犠牲)を築いて、その上に立てたのだ。

 しかし、そんなヒーローの日々に、どこか亀裂が入り、不穏な空気が漂い始めていたのだった。

 その障害となったのは、郷馬文司と喜多川真吾であった。

 ヒーローとなった後に、ヒーローとなる前の過去をずけずけと、まるで古代の王の墓を荒らす、トレジャーハンター気分の荒くれ者のように。

 ヒーローは、その正義感を気取った糞野郎を、見過ごすわけにはいかなかった。だから、正義を執行した。自分の美意識を汚してまで行った行為に、賛辞の声が鳴りやまないほどの周りの声。ヒーローは、ヒーローである実感をしっかりと得た瞬間だった。

 しかし、今までヒーローとしての仕事を失敗したことがないヒーローは、その後、初めて仕事を失敗してしまうのだった。自分を信頼していた、何よりも警視庁とコネクションを繋いだ時に、利害の一致により人生を崩した当人、喜多川真吾だった。

 最初は単なる路端の小石だと思っていた。劣っている人間に対して、歯牙にもかけない毅然とした態度を取ったヒーローは、その後その小石に躓いてしまった。大きな仲間を側につけて、ヒーローを叩き潰そうとしていたのだった。

 ヒーローは、その反乱してくる愚者たちの脳を潰し、痛めつけた。しかし勢いは止まることなく、寧ろその熱は過熱し、激しさを増した。

 ヒーローは、その愚者たちを叩き潰すために、自分の手駒となる弱気な構成員に自らが普段から愚民に振りまいているような、ヒーローになれる薬を打ち込んだ。しかし、それでも、愚者たちには敵わなかった。

 だからこそ、人々が待ち望むヒーローが登場しなければ。

 そしてこの歌舞伎町の平和を守らねば。

 今こそ、ヒーローの大一番であった。


 佐麓の話は、そこで終了した。

「……分かっただろう? 私という芸術家が生まれた経緯」

 真吾の表情は、どこか憐れむような表情であった。目の前の、「ヒーロー」とも「芸術家」とも宣うその殺人鬼は、己の異常性を己自身で理解していなかったのだ。

 警視庁上層部の癒着、及び都合の悪い真実に気付きかけた人間を排除する行為さえも、麻薬さえも、殺人さえも。

 「不正義」であるはずの行為全てを、「正義」へと自らの中で昇華させていた。

「……貴様、そこまで腐りきっていたとはな。救いようのないほどな」

 一二三は、佐麓に対して思ったままをそのまま述べた。同意見だったために、真吾は一二三を庇う。反撃に出てくる可能性もあったためであった。

 しかし、佐麓は何もしてこなかった。ナイフをこちらに投げるでもなく、猛スピードでこちらに走ってくるわけでもなく、銃を放つわけでもなく、ただ、笑っていた。

「君たちは、やっぱり愚民だね。こんな腐った世界にいたって救いはないって言うのに」

 真吾と一二三は、静かに構えた。真吾に関しては、一二三を守り庇うようにしていた。

 互いの間に緊張感が走る。

 真吾は一二三を一階下の五十四階に行くようハンドサインで指示し、一二三は黙ってそれに従う。

 徐々に、佐麓の殺気が場を押しつぶしていく。真吾は、少しでも佐麓に対抗できるようなほどの、文司の恨みやら殺気やらを混ぜ合わせた、混沌とした感情をそれにぶつける。

 そして二人は、KABUKIヒルズの屋上で、激突した。

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